第4話 白き恋人 序2
まず世界の一般的常識として、北に行けば行くほど気温は寒くなる。
ワイス大公国は大陸で一番北にある国なので、当然大陸で一番寒い国なのである。
俺は列車から降りて、早速その洗礼を浴びていた。寒っ!
「うぐぁ………知らなかったぞこんなに寒いなんて……」
一応、今俺が着ているスーツは旧魔法時代の技術が使われているので、ある程度は温度の変化にも対応できるはずなのだが……それを容易く貫通する寒さだ。寒すぎる。
このままだと凍るな。早く建物に入って……あぁ、でも、"ローゼン城"の補助要員と合流しなくちゃいけないのか。
俺は駅の売店でスビテンという暖かい飲み物(名物らしい)だけ買うと、合流場所に向かう為予め渡されていた切符を使って路面電車に乗り込んだ。
路面電車には申し訳程度に暖房が付いていて、少しだけ寒くなかった。
「さて……」
俺が飲み物を啜っていると、ふと、ひとりの乗客の姿が目についた。
…………なんだあいつ。
騎士として、ひとりの人間として、大変失礼な感想であるのは重々承知している。承知してはいるが……
「なんだあの仮面……?」
その乗客は──その長い白色の髪を見るに女性なのだろうが──白いのっぺりとした仮面を付けていて、全くその表情が窺えないのだった……白いコートを身に纏っているのと相まって、とても不審な様子だ。
奇妙な事に、他の乗客はそんな彼女にあまり注意を払っていない。……まるで、そこに何も不思議なものは無いかのように。
「おいおい……」
これがワイス大公国の標準的なファッションなのか?あの不審者が?だとすればかなり終わってるな……文化が。
すると、俺がチラチラ視線を飛ばしているのに気付いたのか、白仮面の女が立ち上がってこっちに近づいてきた。
やばい。やばいやばいやばい。
入国早々都市伝説風味な女に絡まれようとしている。
どんなに剣を振るのが上手くたって、見知らぬ不気味な女に詰め寄られたら俺だって怖いんだけど……
目の前まで来た彼女は俺の首根っこを掴むでもなく、どかっと俺の横の席に腰をおろした。
「えっあっ……」
思わずしどろもどろになる俺。
そんな様子を彼女はおもしろそうに眺めていたが、やがて口を開いた。
「じっと私の方を見ていたので、気があると思って来たんです」
「なんだって?」
「そういう事じゃないんですか?ほら、私は見ての通り美人ですから」
「仮面があって見えないかな……」
「はっ。そうでした」
彼女はそう言うと、自分で自分の頭を小突いた。てへっと戯ける感じで。
なんだこの人は……?何が目的なんだ?
「もしかして逆ナ……」
「私はカリソドです。ローゼン城の特務部から、ファルサハンターとして貴方の補助要員として参りました」
「!あぁ、そういうことか……君がそうだったんだな」
やれやれ、とんだサプライズもあったものだ。呼び出し地点までいく途中の路面電車で待ち構えているなんて──俺がそう言うと、彼女は少し恥ずかしそうに首を横に振った。
「いえ、……たまたまです」
「たまたまって……別に意図して乗り合わせたわけじゃないのか?」
「そういうことになりますね」
「……」
偶然にしては出来過ぎだな。
……あるいはこれは、この件が物語的に進むことを示しているのかもしれなかった。
だが俺はこの時、あまり気にしない事にした。
この世界が物語だとすれば、既にその中途も結末も、全ては織り込み済みであるのだから。
「えっと……」
カリソドは先程市内で取ったホテルの一室で、机に資料を広げていた。
俺は勿論それを手伝っている。
どうやら今回の標的──脱走ファルサの資料のようだ。
「はんはん……結構いるな。12、首謀者のオリガを含めると13人」
「リチャードさん、人じゃありませんよ?彼らはあくまで『体』と数えるべきです」
価値観の相違だった。いや、常識の相違だろうか?
「……そうなのか?すまないな、俺はファルサには見慣れて無いから」
「謝る必要は無いです。大公国にも人として扱う住民はいます。でも、ファルサハンターがそういう認識でいると、良く無いと思いますよ」
「頭に入れておくよ」
真面目な顔で言っているであろうその言葉に対して、俺は神妙に頷いておいた。
「誰から処理しに行くんだ?」
俺は資料の中のファルサ達を見た。
8人は男だが、5人は女性だ。
「というか、誰が何処にいるかってのは分かってるのか?」
「目星はついています。全員、ワイスベルグに集結しているようです」
「それは大胆な事だな」
「これは我々ローゼン城のみが確保している情報です。……なので、誰にも言っちゃいけませんよ?」
「はいはい」
「はいは一回では?」
「……はいはいはァ〜い」
銃身で頭を叩かれた。結構力が強いようだ。
「大公国は辺境を厳しく捜索していますが……オリガ達の狙いは首都にあります。最初から彼らはツァーリの破壊が目的で……あっこれ外部の人に言っちゃいけないやつでした」
「………」
……全部言っちゃってるじゃん。
俺はこの補助要員に、些かの不安を覚え始めていた。
「まあいいか……聞かなかった事にするよ。
この"軍事用"のファルサ5名と、首謀者のオリガは潜伏場所の具体的な情報が無いな」
「彼らは共に行動していると見られるのですが……やはり、オリガの一派は他のファルサとは一線を画すようです。我々も、まずは居場所が分かる逃亡ファルサから片付けましょう。仲間の手がかりが見つかるかも」
「そういう事なら、近場から済ませないか?」
「だったら、この"スザンカ"の潜伏場所が近いですね」
「ちなみに、それは何処だ?」
「貧民院です」
俺たちの、最初の標的が決まった。
"スザンカ"という識別名のそのホモ・ファルサは、元は貴族や富裕層の家で乳母のような仕事をしていたらしい。仕事というか、それが彼女の用途だったのだろう。
「彼女は一ヶ月ほど前にオリガから接触され、逃亡ファルサになりました」
潜伏先の貧民院があるという地区を歩いていると、カリソドが説明を始めた。
「仕事に疲れてたのかね」
「ファルサには本来、そういう事を感じる機能は無いのですが」
「でも、逃亡したってのはそういう事なんだろう?」
「とんだ欠陥品ですね」
欠陥品か。とことん人として扱わない感じだな。
「……そういえば」
俺は手元の、"スザンカ"の精巧な似顔絵を眺めた。
「ファルサの似顔絵って、街中に張り出したりしないのか?そうすれば、俺たちが探偵よろしくこうしてとぼとぼ歩く必要も無いんじゃないのか?」
「そんな事したら、大公側にも逃亡したファルサの顔が割れちゃうじゃないですか!それに、オリガ以外の脱走者がいる事は市民には公開してないんですよ。ローゼン城の管理能力の無さが露呈してしまいますから」
「待てよ。事の次第を正確に把握してるのは、"ローゼン城"だけって事なのか!?」
「そうですけど……何か?」
何がおかしいんだとでも言いたげに、彼女は首を傾げる。
「ローゼン城は他者の利になる事なんてしませんよ」
……ローゼン城を制御下に置こうとするワイス大公の動きは、案外真っ当なのかもしれなかった。
やがて、俺たちは貧民院にたどり着いた。
「なんか静かだな?」
「貧民院は教会が運営してると思いますけど……今は食糧の配給を行ってないみたいですね。私も何か貰おうと思ってたのに」
「君は自分で買いなよ。……こういう所は配給の時間が決まってるんだ。それに合わせて浮浪者やら貧困層やらが集まってくる」
「随分と詳しいですね!あっ、もしかしてご自分も……失礼しました!」
「……大学で教会のボランティアをやった事があるだけだからな」
彼女、今変な誤解をしようとしてなかったか?
「うーん……でもこんなに寒いんですし、もしかしたら中にいるかもしれませんよ」
「それもあり得るな。待ち伏せできたら一石二鳥だし、入ってみるか」
扉に鍵はかかっていなかった。
……まあ、それは当たり前だろうが。
こういった建物の門は、常に開かれているものだ。
「お邪魔します」
「おぉ、真面目だな。失礼するぞ」
カリソドが律儀に挨拶をしたので、俺も見習ってしておく事にする。
貧民院の中はカリソドの予想通り、寒さをやり過ごすために集まってきた浮浪者が大勢いた。彼ら特有の、すえたにおいが漂ってくる。
彼らの何人かは、こちらに怪訝そうな目を向けてきた。
まあ、俺たちみたいな身なりの者は珍しいのは容易に想像できる。
「……責任者は居ますか?我々は"ローゼン城"から来ました」
カリソドは、いきなり自分達の身分を明らかにした……たしかにローゼンの名は大公国では重みを持つだろうが、こういう所にいる者達はどう思うだろうか?
浮浪者の一人が、ボソボソとつぶやいた。
「……役人かい?あんたが話したいような人は、ここにはいないよ……」
思った通りだ。こういう所にいるのは、大体権力者の事が好きじゃない。
俺はカリソドの耳元で、他には聞こえないように囁いた。
「この国の貧困層とは、ローゼン城のスァルサが作り出す恩恵に預かれなかった人々の事だろう?そういう人々が、ローゼン城の捜査員に協力的だと思うか」
「はっ。そうかもしれないです……」
「しっかりしてくれよ」
「いつもは名前を出せば、皆言う事を聞かざるを得ないのですが」
「良い勉強になったな」
俺が頭を撫でると、銃の持ち手の方で腹を殴られた。ぐふっ。
なんで貴族の俺の方が、勤め人の彼女よりこういう事に詳しいんだろうな……
「どうするんですか?帰りましょうか……」
「それは無いな。もうちょっと奥に踏み込んでみようか」
俺はそう言って、貧民院の奥の扉──恐らく調理場にでも繋がっているのだろう──に歩いて行こうとした。
「おい、どうする気だ」
すると近くにいた浮浪者の一人が立ち上がって、俺の腕を掴んだ。
「ペトコフさんに何かする気なら……」
「その手を離せ」
瞬きする暇も無かった。カリソドが
それを見るや否や、長銃の銃口を浮浪者に押し当てた。
「お、おい!冗談だろ」
「離せ。その汚い手を」
氷のように冷たい声。
「よせ!」
今度は俺が掴んで止める番だった。
「事を荒立てても良い事は無い」
「……そうしましょう」
カリソドは意外と従順にそれを降ろしたが、貧民院の空気は一気に変質していた。まさに一触即発。襲われてもなんとかなりはするが……
その時だった。奥の扉からバタバタと音が聞こえてきて、あまり裕福ではなさそうな、されども浮浪者ほど貧しくもなさそうな男が現れた。
年は中年。穏やかな顔つきだ。
「い、一体何があったんだ?」
男はただらぬ雰囲気を感じ取ったのか、俺たちに懇願するように言った。
「ま、待ってください!どこの誰かかは知りませんが、私は皆んなに食事を配ってるだけなんだ……!何もやましいことはしてないんです」
「大丈夫だ」俺はカリソドを睨みつつ、出来るだけ優しい声で語りかけた。
「ただ俺たちは尋ね人があるだけでね。君がここの管理人の……あぁ、ペトコフ殿か?」
「ええ、そうですが……」
「これだけ見て教えてくれ」
俺は"スザンカ"の精巧な似顔絵を出して、ペトコフ氏に突きつけた。
「この女に見覚えは」
「ありません」
「やけに解答が素早いな。これだけ人がいるのに」
問い詰めると、浮浪者の一人が口を挟んだ。
「ここには女は滅多に来ねえ。ここに来る前に凍え死んじまうからな」
……一応、筋は通ってるか。
俺には人の嘘を見抜く高等スキルなど無いので、これ以上突っ込むのも無理だろう。
「……そうか。邪魔をしたな」
俺が踵を返そうとすると、カリソドが怪訝そうに言った。
「良いんですか?」
「これ以上やっても拷問だぞ?悪役にはなりたくないね」
そう言って、俺が完全にペトコフ氏に背を向けた時だった。
貧民院の重苦しい空気の中、破裂音が響いた。
────
緊張が爆発する。均衡が崩れる。
その瞬間、それまで息を潜めるようにしていた浮浪者達は一斉に外へ逃げ出した。
ペトコフが背を向けたリチャードに対して、拳銃を抜いて発砲していたのだ。
そして次の瞬間。それを見たカリソドも、長銃でペトコフの肩と膝を撃ち抜いていた。
崩れ落ちる管理人を見下ろしながら、リチャードが呟いた。
「驚いた。ここまでするとは」
「クソッ……なんで立ってる……!?」
地面に倒れたペトコフの眉間に、リチャードの剣が突きつけられた。
────
銃というのは、武器としてはあまり上出来な物では無いように思える。
それを用いる時に発せられる意志が単調すぎるので、ある程度剣を習えばカキンと防げてしまうのだ。
「そう、今の様に」
「そうなんですか……?全然簡単そうには思えないんですけど……」
俺は、剣をくると回して鞘に納めると、うずくまるペトコフ氏に顔を近づけた。
「カリソド!殺さないでくれて助かったよ」
「えっ?あ、ありがとうございます!
殺したら質問できませんからね」
「ローゼン城の犬どもめ……」
さっきまでの優しそうな感じとは打って変わって、ペトコフは敵意剥き出しでうめいた。
「しつこく追い回しやがって……彼女が……スザンカが何をしたって言うんだ!」
「それを言うなら、どうして俺は質問しただけで背後から銃を撃たれなきゃいけないんだ?ちょっとショックだったんだが」
「スザンカはどこです?」
カリソドが銃口を突き付けても、彼の態度が変わる事は無かった。
ペトコフはなく吐き捨てるように、
「もう逃した」
「どこにです?」
「誰が……教えるか」
「そうですか……」
カリソドは不意に銃の持ち手でペトコフの頭を殴りつけた。
「うわっ……今ので死んだら笑えないな」
「ローゼン城の人員に来てもらいます。私たちよりも拷……質問が上手い方々がいらっしゃいますから」
「ローゼン城には拷問が得意な人がいるのか……」
「質問!質問です!」
「まあ、真面目な話をすると……」
俺は地面でのびているペトコフ氏を見下ろしながら言った。
「今考えたんだが」
「なんですか?」
「……見つからないオリガのグループって、大公国内の人間が匿ったりしてるんじゃないか?」
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