第3話後篇 "星室官"
後篇 "星室官"
『いつまでこんな事を続ける気だ?』
事態は急変した。
最初からあまり余裕のある任務ではなかったが、それでも一週間くらいは猶予があると見ていたのに……
「だが、やる事は変わらないはずだ」
もうすぐ21時だ。決して早い時間では無い。俺はすぐに大学の女子寮に向かって、クレアを叩き起こした。
「お、おじさん……?!どうしたんですか……」
「今宵にも星室官が来る。すぐに集会に向かって、リリー嬢だけでも救出するぞ」
「えぇ!?わ、分かりました……そういう事は早く言ってくださいよ……もう寝るところだったのに」
「寝るのが早すぎる。大学生なら23時までは起きてろ!」
「早寝して怒られたのこれが初めてですよ……」
寮を離れて、講堂に向かって歩き始めたところで俺は気づいた。
「待てよ。そういえば俺たちは、一体どこに向かえば良いんだ?我が姪よ、どこで集会があるか知ってるか」
「言ったじゃないですか。関わってるグループが違うって」
「クソ……じゃあ、君は普段どういう面子と絡んでるんだ?」
「腕自慢の奴らですかね」
あぁ……そんな感じはするな。主に身長とか。
「そりゃ知らない訳だな……どうすれば」
「あっ」クレアが突然、手をパンと叩いた。まるで何か閃いたかのように。
「そうだ。さっき言ったメンツで、いつも自警団みたいな事をしてるんですよ。今日は私の番じゃないけど、見回ってる奴らが何か知ってるかも」
「事態が好転してきたな!ちなみにそいつらがどこにいるかは分かるか?」
「……分からないです」
「ダメじゃないか」俺は頭を抱えた。
その時である。
何か熱狂的な叫び声と共に、大学の敷地内のどこかから、赤い光が放たれた。まるで火事のように、暗い夜空が、その周囲だけ赤く染まっていく。
「……あれじゃないか?もしかして」
「あっちは取り壊し中の旧礼拝堂のはずです!」
「よし、急ぐぞ!」
俺たちはすぐに、その光が放たれる方へと走り始めた。
──────
同時刻
セントベリー
(セントレア大学所在地) 郊外
その狩人は、街を俯瞰できる丘に立っていた──平和な街には似合わぬ、重武装の部下二人を引き連れて。
「これより『カリスト小隊』は作戦行動に移る。武器のチェックを」
狩人はそう言うと、自らも手に持つ弓を確認した。
星室裁判──それはボーデン王国の中で、唯一国王と議会に匹敵する権力を持つ司法機関だ。
国のあらゆる事件に対して強力な介入権を有し、貴族、議員、時には王室の問題にまで介入する。
そしてその力の源が、星室裁判の法廷
の執行人である"星室官"だった。
「すでに説明したけど、今回の被告は航空祭で介入し損ねたのと同じ『ゲニウシスト』の一派です。……何としてでも諜報部よりも先に介入し、そして殲滅する」
星室官の狩人は、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。
「この国の癌を裁くのが……我々の使命なのだから」
─────
セントレア大学の旧礼拝堂は、少し珍しい、円型の構造になっていた。
中心の1番底の広場部分に演説台や聖職者の収まる席があり、その広場を取り囲むように信徒が座る多段式の席がある。
ドーム型の屋根はガラス張りで、そのまま星空が見えるようになっていた。
「……洗礼(バプテスマ)にはいい夜だね、リリー」
赤く照らされる夜空を見上げながら、ダエナが言った。
その隣にいるリリー=ステンズは虚な目で、礼拝堂の中央に焚かれている大きな炎を見つめている。
「私、これで自由になれるんですね」
ふと、リリーがつぶやいた。
「"炎の子供たち"に加われば、もうあの家に戻る事も無いんですよね……」
「あぁ、そうさ」
ダエナはリリーの後ろに回り、手に肩を、首筋に唇を添わせてささやいた。
「もう、何も悩むことは無い。炎は浄化する。全ては焼け落ち、君は生まれ変わるんだ」
「あぁ……」
リリーが恍惚とした表情を浮かべたその時、信徒の一人が話しかけた。
「同志ダエナ」
「あぁ、君か」
「準備は整った。今日"炎の洗礼"を受ける者達も、全員揃ってる」
「そうか。それでは始めよう」
ダエナはそう言って、儀式の準備をしようとし始めたが、ぴたりと動きを止めた。
「……戦える信徒を集めてくれ」
「どうした?」
「邪魔虫を始末する」
「何だお前は?」
「おい、止ま……」
礼拝堂の入り口で何か物音が聞こえたと思うと、警備に当たっていた信徒が礼拝堂の中に投げ込まれた。
中にいた信徒達が一斉に身構える。
続いて入ってきたのは、身長約2メートルで派手な髪色をした大女と、三つ揃いの黒スーツに、紺のクラバットを締めた男だった。
クレアとリチャードだ。
「さて……お開きの時間だ」
─────
「あの人は!」
リリーの顔が恐怖に歪む。
「お引き取り願いなさい」
ダエナがそう言うと、手に松明や棍棒を持った信徒が現れ、俺たちを取り囲んだ。
「お、おじさん……これって作戦通りですか?」
「作戦通りじゃないが、想定通りだ」
俺は落ち着き払った顔で言うと、腰にぶら下げた剣ではなく、懐から拳銃を取り出した。
「こうやって取り囲んでおいて、何をする気だ?俺は士爵だからな。自己防衛のために武器を振るっても罪にはならないぞ」
「ですが、勝手に私たちの同志を傷つける理由にもならないのではありませんか?」
俺は拳銃を天井に向けて一発撃った。
取り囲んでいた信徒達が動揺するのが手に取るように分かる。
もしかしたら落ちてきた弾が誰かに当たるかもしれないと不安だったが、幸いそれはなかったようだ。
「今の通り、こいつは本物だ。そして俺は諜報部に伝手がある。もしここで"何らかの事件"が起きたとしても、俺は罪を心配する必要が無い」
「……」
「俺の要求は、ステンズ伯爵閣下の孫娘にして次期継承者のリリー=ステンズの引き渡しだ。それにさえ従ってくれれば、君たちがどんな儀式をしようが知った事じゃない。止めるのは俺の仕事じゃないんだ」
「ダエナ……」
中央の焚き火の近くにいたリリー嬢が、不安げに言った。
ダエナはそれを一瞥すると、
「それは出来ない。リチャード=ブラックウェル」
彼女は悩むそぶりもせずに言った。
まるで、そう言うのが台本で決まっていたかのように。
「そうか?それは残念だ。己の理性ともう一度向き合ってみる気はないか?
より賢い選択をする気は?」
「彼らは我らの信仰を犯す敵だ。
……始末しろ、"炎の子供達"」
「愚か者は、死ぬまで愚かって事みたいだな」
俺が向かってきた信徒の一人の肩を銃で撃ち抜くと、クレアが他の信徒と殴り合いを始めた。
「我が姪よ、その調子でやっててくれ」
「えぇ!?」
そう言うと、俺は信徒の間をすり抜け、ダエナとリリー嬢の前に立った。
「もう一度言う、これで最後だ。彼女を俺に引き渡せ」
「答えは変わらない。彼女は自分の意思で焚書主義に身を捧げ、我らの同志となる」
「チッ……なあダエナ、君は何者だ」
「私はこの団体の指導者だ」
「それだけじゃない、だろう?」
俺は言いつつ、拳銃をしまって剣の持ち手に手をかけた。流れ弾が後ろのリリー嬢に当たったら事だ。
「ただの焚書主義に傾倒した大学生が、ここまで大それた事が出来るはずがない。儀式の手順は大したものだし、何の心配もなくここで盛大にキャンプファイアーをしでかしているのを見るに、市の警備隊にも何らかの妨害工作を行ってるようだな」
「警備隊?彼らなら今夜中はここに来れない。我らの同志が、別のところで暴動を発生させている」
「やるな……やはりそこまでやるとなれば、素人じゃないんだろう?どこかの焚書主義者の残党……」
「……」
「わざわざ"炎の子供達"なんて名前を使ってるのを見るに、もしかしてイスパニア領の残党か?懐かしい名前だと思ったよ……奴らは愚かだった」
俺は意図して半笑いを浮かべて言った。
「黙れ。彼らを侮辱するな」
「おっと、反応があった。
つまりそういうことって訳かな?ならばこう付け加えよう。
彼らはチンピラとあばずれの集まりの、ならず者集団だった。彼らの炎は少しは熱いように見えたが、この王国に何の手傷も負わせずに消し止められた。君も同じ事だ」
「黙れ!!!」
ダエナはついに激昂した。
彼女は手に炎を浮かび上がらせると、それを巨大な槍の形にして次々と撃ち放った。
俺は素早く剣を抜き、最初の数発を叩き落とした。
次の炎槍を避けると、俺は素早く前進した。
ダエナはそれを見て警戒するように身構え、自分を守護するための炎柱を発生させた。
だが、俺はそんなことに全く目もくれず、彼女を飛び越えてリリー嬢の後ろに着地した。
「貴様!」
「おっと、動くな?」
素早く剣をリリー嬢の首筋に当てる。
「ダエナ、助けて……」
「貴様……!」
「はっはっは、戦いと恋は手段を選ばないものだよ……さて、この少女の命が惜しければ……」
その時だった。突然轟音が響き、旧礼拝堂の、東と西の壁の一部が突然破壊された。
「なんだ!?」
おい………嘘だろ。その可能性はあったが、まさかこのタイミングで!
……最悪の展開だ。
混乱する信徒達が、破壊された壁に視線を向けた次の瞬間。
左右の破壊された場所から、黒い重武装に身を纏った兵が一人ずつ現れ、信徒を次々に倒し始めた。
最初は100人以上いたはずの信徒達の数が、瞬く間に死体に変わっていく。
「何者だ……?貴様の仲間か?」
こちらを訝しげに見るダエナに、俺は早口で言った。
「クソッ!引き揚げだ!時間を稼げ。お前らも逃げた方がいい」
「何だと?」
さらにその時、入り口の外から、何かの機関が加速するような、加速し、しかも規則的な音が聞こえてきた。
「クレア!!逃げろ!!!」
俺は叫んだ。
「えっ?」
「星室官だ!!!」
クレアはまだ、入り口付近で乱闘を繰り広げていた。
彼女は俺の声を聞き、その場から身を翻した。
彼女に気を取られていた信徒達も、異常事態に気づこうとしたが……
それを一蹴するように、光り輝く何かが彼女達の中心の地面に突き刺さった。
そして、その付近が床を深く抉りながら吹き飛んだ。
「クレア!!」
俺が思わず大声を上げると、気が逸れたのに気付いたリリー嬢は、俺の腹に肘を打ち込んで素早く離れた。
「この……ガキ!」
俺は思わずうめいたが、すぐにクレアは立ち上がり、こちらに駆け寄ってきた。
「我が姪よ、良かった……」
「こんなに危ないなら先に言ってください……今度からおじさんと一緒に出かける時は遺書書いてから行きます……」
「本当にすまない……」
またしても入り口から、例の連続する音が聞こえてくる。
「おじさん!」
俺は剣を構えて前に出る。
握られた剣には、ルーンの刻印が浮かび上がる。
そして、俺はタイミングに合わせて剣を逸らし、飛来する光の矢を叩き落とした。
「私の矢を叩き落とすとは」
カツ、カツ、カツ。入口から声と足音が聞こてくる。
「少々厄介ですね。『カリスト小隊』、警戒体制」
それを聞いて、いつの間にか信徒を一人残らず始末した重武装の兵士が入り口に戻る。
そして、入ってくるその人物を迎えた。
「サイプレス……?」
俺は思わず呟いていた。
入ってきたのは、青い衣装の上から黒い外套を身につけた、銀髪の女性だった。大弓を携えている。
「えっ?知り合いですか?」
「いや、なんでもないんだ……」
俺は素早く拳銃を抜き、その女……星室官に向かって発砲した。
だが、それは黒い装備の男二人……カリスト小隊の武器で弾き落とされた。
「……待て!俺は……俺たちは無関係だ。ゲニウシストではない」
「だが、この場にいた。剣を持っている。発砲もした。裁く対象だ」
黒いカリスト小隊の男が冷たく言う。
……分かっていた事だ。奴らに説得など通用しない。
そして、大弓の女が厳粛に宣言した。
「これより星室裁判の名の下に、超法規的措置を執行する。カリスト小隊、焚書主義者は殺せ。あの二人は生捕りだ。……行動開始」
「生捕り?舐めやがって……!」
「クレア、止せ!」
俺が叫んだ時には遅かった。
カリスト小隊の兵士に叩きのめされ、姪は一瞬で気絶した。
「よそ見してる場合か?」
俺は黒い大鎌を振るうカリスト小隊兵の攻撃を防ぎながら、大弓の星室官とダエナの方を見た。
ダエナは片手を突き出し、凄まじい炎の力を集め始めた。そして、その炎を精霊のような少女の姿に変えて解き放とうとした。
だがそれをする前に、星室官は長弓から光の矢を放った。
何をする暇も無い。
光の矢は、炎のエネルギーを全て突き破り、ダエナを撃ち貫いた。
「ダエナ!!!!」
リリー嬢が叫ぶ。
「次はお前だ」
「させるか!」
俺は大鎌のカリスト小隊兵に蹴りを放って後退させると、長弓の星室官とリリーの間に立ちはだかった。
「彼女は家に連れて帰る」
「抵抗しないのを推奨します」
あくまで彼女の物言いは冷徹だ。
「悪いがお役所の言う事は気に食わない……リリー嬢!!ここから逃げ──」
「もう、嫌だ………」
「は?待て、早まるな」
リリー嬢は大粒の涙を流し、虚な笑みを浮かべた。
そして気でも狂ったのか(狂ったのだろう)、焚き火の中にその身を躍らせた。
「はぁ!?」
俺は思わず絶叫し、火の中にゆらめくその身を蹴り飛ばした。
火の中からは離れたが、彼女の服に炎が燃え移っていた。
俺は燃えるリリー嬢を見ながら絶叫した。
「この世間知らず!!これで全部無駄になった!!!」
「カリスト小隊、彼を拘束せよ」
黒い装束のカリスト兵が振るう武器をかわすと、俺は倒れているクレアの体を肩に抱きかかえ、旧礼拝堂の入口に回った。
‥‥…さすがは190センチ。重い。
「逃すと思うか?」
カリスト兵が大鎌を振り上げ、素早く接近してくる。
「悪いが今は付き合う気分じゃない」
俺はさらに飛び抜き、そして剣に更に力を注いだ。
剣に力が篭る。ルーン刻印の光が増し、刃を覆う。
────
「小隊兵、離れて!」
リチャードの剣が光り輝くのを見て、初めて星室官が動揺した。
「その剣は……」
彼の剣が振るわれる。
セントベリーの夜に、濃紺の一閃が走った。
ただし、閃光が走ったのは兵士の身体ではなくガラス張りの天井だった。
次の瞬間、既に崩壊しかけだった天井は、ガラスやそれを支えていた枠ごと粉々になって、その場の全員に降り注いだ。
星室官とカリスト小隊兵にとって命の危険を感じるようなものではない。
だが、咄嗟の防衛行動を呼び起こすには十分だった。
彼らの注意が頭上に向かった隙に、リチャードは旧礼拝施設から離脱した。
「あぁ……今回は大失敗だ……」
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