第2話 飛行機雲
『空に赤い橋をかけよう』
「見てください叔父さん!まるでここは天国ですね!」
「うん、そうだね」
それが空のようだという意味で天国なのか、それともとても楽しいという意味での天国なのか、俺には判別できない。
姪のクレアは俺よりはるかに背の高いその身体でぴょんぴょんと、ボーデン王国の首都で行われている《航空祭》の会場を飛び跳ねていた。
「可愛い姪っ子よ……嬉しいのはわかるけど、子供みたいに騒ぐのはやめてくれないか……?俺にも世間体って奴があるんだ」
「騒がないなんて無理です!ライト社の最新試作型はばたき機ですよ!!」
「……?」
「見てください、この前衛的な翼を!翼のデザインは『万能人の再来』とも言われるアレストロが担当して、サントス社の最新型魔力推進機と組み合わさる事で今までにない加速性を…っ!」突然早口で喋り出した。彼女は俺の知る限り、飛行機オタクなのだ。
俺はその『最新試作機』とやらを見た。一言でいえば、なんだか有機的なデザインだった……翼に血管みたいなのが絡みついている。
アレストロ・デリアとして知られる芸術家の作品は今までも何度か首都で見た事があるが、どれもなんだか悪趣味なものばかりだった。
俺も歳を取って、流行について行けなくなったって事か?
「いやいや、そんなはずは……」
「どうしたのですか?おじさん」
「何でも無いよ、姪っ子。あと"お兄さん"だ。連れて来たんだから、ちゃんと呼んでもらうぞ」
「それを言うなら、私の事も甥っ子って呼ぶって約束したじゃないですか」
彼女の身長は190センチ。俺が見上げるデカさだが、そのせいで女扱いされることは少ないらしい。ここまでのサイズの女性の服はそう無いので、彼女が着ている服は大抵男物だった。
そしてどうしてか彼女は、男物の服を着ているときは男として扱われたがる。
「わかったよ、クレア。……まあ、羽ばたき機や飛行船を見てはしゃぐのは勝手だ。だが、本当の目的を見失うなよ」
「分かってますよ。ゲニウスシストの捜索でしょ?」
……俺たちはただ観光にきたわけじゃない。
俺の建前上の立場は、ただの地方の小地主だ。だが前の職場の関係で、たまに王国の諜報部から協力を求められる事があった。主に俺が協力するのは、王国内に蔓延る危険思想……焚書主義の取り締まりだ。
最近、焚書主義者は俺たちが住む王国の中枢に入り込むようになって来ていた。
今回の政府からの依頼は、この飛行機祭に、参加者として潜りこんだ可能性がある焚書主義者の発見、及び排除するだった。
王室は懸念しているのだ。焚書主義者達の中から、当時と同じように既存の秩序の全てを破壊する『第二のゲニウス・アルドラ』が現れるのを。
「見当はついてるんですか?」
「あぁ。あの男だな」
俺が示したのは、少し離れた小さなブースで赤い羽ばたき機の整備をしている男だ。
「どうしてそう思うんです?良い人そうですよ」
「良い人そうに見える奴こそ、ヤバい奴である可能性も高まるんだ」
「えぇー?ちょっとひねくれてますよ」
「今のは冗談だが、彼が怪しいのは本当だ。彼の周りに『湖面』が反応してる。炎の兆候だ」
俺はペンダント型の魔力走査機である『湖面』を見せて言った。『湖面』は焚書戦争が起きる以前、魔法使いの適性を見分ける為に使用されていた。
今ではこういう事くらいにしか利用されない……専門技術や個人の個性としてならともかく、人々の営みから魔法が姿を消してから500年以上が経つ。
「でも、それだけだと捕まえる根拠にはなりませんよね。『湖面』は万能じゃ無いですし」
「直接話すしかない。ちょっと接触してみよう」
俺が歩き出そうとすると、クレアがガシッ!と俺の腕を掴んだ。普通に力が強くて怖い。
「何だよ」
「おじさんの格好じゃあ怖がられちゃいますよ!そんな、黒いスーツに剣なんて……まるでヤクザですよ!」
「ヤクザだって?どう見ても善良なる一般人のはずだぞ」
「そもそも地元の地主って時点でちょっとヤクザですから、あんまり間違ってないかもですけど」
「ド偏見だぞ」
「と言うわけで私が話を聞いて来ます。こう言う時の為に、私を連れて来たんじゃなかったんですが」
「いや、でも君の図体だと、俺と同じかそれ以上にビビられるんじゃないのか?」
「はぁ……背が低い分器の大きさも示してくださいよ」
「何だと!?」俺は憤慨して言った。
「俺の身長は低くないぞ!君がデカすぎるだけだ!まあ………いいだろう。それなら君が行ってこい。いいか?兆候を探れ。翼に刻まれた炎の紋章についてそれとなく尋ねろ」
「わかりました」
ずんずんと歩いていく姪の後ろ姿を見ながら、俺は葉巻……と見せかけて葉巻のような形をしたチョコを取り出した。葉巻なんて身体に悪いものは吸わないが、格好つけるのは重要だ。
「ふう…チョコ美味しい」
俺が葉に包まれたチョコを食べ終わろうとしていると、クレアが帰ってきた。
「どうだった?」
「名前はアレックス。イースト上がりの職人です。本人は『焚書主義』については何の事か知らないって言ってました」
「はーん……」
考えられるのは三つ。
一つ目は、本当に違う可能性だ。だが、これに関しては排除しないと話が進むまない。今までに培ってきた『魔力の癖』を信じるしかないだろう。
二つ目は、焚書主義という名前は知らないものの、同じ思考に辿り着いている可能性。
……三つ目が最悪だ。自分の事を焚書主義者だと認識した上で活動している可能性。最も大きな被害を出す可能性が高い。
「うーん……運営から参加者の個人情報を入手すべきですかね?」
「無理だな。《飛行機祭》のコンテスト部門は人数が多い上に、審査に必要な提出書類が少ないことで有名だ」
「でも、あの人を拘束する事はできないんですよね」
「証拠がないからな。だが、湖面が反応したのはあの男の周辺だけだ。彼で間違いないだろう……俺たちで何とかするんだ」
「はい……!ところで、どうしてさっきからタバコの中身を食べてるんですか?」
その日の午後9時。俺たちは一度ホテルに帰った後支度をして、関係者以外の立ち入りが禁止されている整備区画に忍び込んだ。目指すのはアレックスのドッグだ。
俺たちが辿りついた時には、飛行デモンストレーションが始まろうとしていた。
飛行デモンストレーションには多くの物見客が集まっている。焚書主義者が何かやるとしたらその時だ。
「まったく、ギリギリじゃないか」
「おじさんが報告書打つの遅すぎなんですよ」
「何だと?君が大きすぎて上手く忍び込めないのが大きな要因だと思うけどな」
俺たちの口論を止めたのは、レンチが何かに叩きつけられる音だった。
「今の、人が殴られた音じゃないですか?」
「急ごう」
俺たちはドッグの中に踏み込んだ。
個別ドッグの中には目を血走らせたアレックスと、頭から血を流して倒れ込む運営スタッフの二人がいた。
「何が『このエンジンは安全性に問題がある』だ!これが無けりゃあ、俺の作品は完成しない!」
アレックスはぶつぶつ呟きながら、機体の周りをうろつき回った。
「あの人、まだ息があります!」
一緒に扉の影に隠れていたクレアが、考え無しに飛び出した。
「あぁ、我が姪っ子よ……」
俺は思わず顔を手で覆ったが、すぐに切り替えて自分も飛び出した。
「……何なんだあんたら?勝手に入って来て……」
男は憔悴した目でこちらを見てくる。
「俺は政府の者だ。すぐにその人から離れろ……逮捕する」
俺は腰に下げていた長剣の鞘を持ちながら言った。
「逮捕?逮捕だって」アレックスはそわそわしながら呟く。まるで何かに取り憑かれているようだ。「そんな事されたら……こいつを飛ばせないじゃないか」
「おじさん!とりあえず応急処置はしました」
見ると、クレアが既に包帯を怪我人の頭に巻いていた。
「よし……あと俺はお兄さんな」
「な、何だよお前たち……ん?お前は昼のデカ女……」
アレックスの意識が一瞬クレアに逸れた瞬間、俺は素早く接近し、鞘に収まったままの剣で彼を強かに打ちすえた。
「うっ……」
蹲った瞬間に取り押さえ、これまた用意しておいた手枷と猿轡を付ける。
「これにて一件落着」
「意外と簡単でしたね」
「あぁ。他の人を呼ぶとしよう……その人のキチンとした治療も必要だろうし……」
俺たちが事後処理の算段を始めた時の事だった。
不気味な鳥の鳴く声が、赤い羽ばたき機から響いた。
「!?」
羽ばたき機の推進器が一人でに点火し、その真っ赤な翼を広げようとし始める。翼には炎の紋章が浮かび、加熱し始めていた。
「馬鹿な」
「おじさん!『湖面』が!」
そう言われた俺が焦ってペンダント型の湖面を見ると、激しく炎の兆候を示していた。
「しまった……」
見誤った。焚書主義の兆候を示していたのはアレックスではなく、他でもないこの羽ばたき機だったのだ!
「まずい、飛び立つ……!クレア、抑えろ!!」
あの鳥を飛び立たせてはならない。ロクな事が起きない直感があった。
羽ばたき機が翼を広げてドッグから飛び立とうと宙に浮かぼうとした瞬間、その尾羽をクレアががしりと掴んだ。
「熱い……!」クレアの手が焼ける音がしたが、彼女はその手を離さなかった。おまけに魔力推進機の力にも耐えている。
「うわっ……飛ぼうとする機械を引き戻すとかヘラクレス並みの筋力かよ」
「馬鹿言ってないで早く!」
俺は頷いて、剣を鞘から抜いた。
「分かっているとも。終わらせよう」
_________
その夜会風の服を着た男が剣を振るう様を見ていたアレックスは、確かに見た。
男の抜いた質素な十字架型の剣が、瞬きの間だけ濃紺に輝くのを。
そして、男が無造作に振るったその剣が、金属で作られているはずの羽ばたき機の赤い翼を、いとも容易く切り裂いたのを。
__________
羽ばたき機が、その赤い翼で空を舞うことは無かった。
俺が左翼を破壊すると、羽ばたき機は機能を停止した。
「熱かった……」
赤くなった手をブラブラさせながら、クレアが言った。彼女は役立ってくれた。何か返礼が必要だな。
「……今度こそ一件落着かな」
「手が熱いです……早く冷やしましょう」
「お疲れ。助かったよ。君を連れてきて良かった」
「え!?そ、それは光栄です!」
俺は呆然としているアレックスを見ながら言った。
「人を呼んで……今日は休もう。後の処理は王国諜報部がやってくれる」
翌朝。
俺たちは朝食を食べに、最近話題になっている街のレストランに向かった。
「あれっ?今日はホテルのレストランじゃないんですか?」
「昨日は頑張ってくれたからな。せめてものお礼にと思って。幾らでも食べて良いぞ」
クレアは、メニューを輝く瞳で見ながら言った。
「幾らでも!?」
「……もちろん」嫌な予感がした。
案の定、見ているだけで胸焼けがしそうな量と内容のメニューを口に放り込みながら、我が姪が言った。
「結局昨日は、どういう事件だったんですか?」
「あぁ……どうやらアレックスは焚書主義者というよりも、あの赤い羽ばたき機に取り憑かれていたようだったな。多分、そういう焚書主義者になる道筋だったんだろう」
「どういうことです?」
「彼の思想の主体は、彼自身ではなくあの機体にあったという事だ。証拠に、機体を俺が斬ったらぐったりしてたろ」
「うーん……それだったらどうしてアレックスはそんな物を思いついたんでしょう?まあよくわかんないですね!」
「君大学生だよな?そんなんで大丈夫か?」
「ヨユーです!うちの大学はボーデン王国一単位が取りやすいですから!」
「……」
「それにしても、どうして王国の諜報部は航空祭にゲニウシストが紛れ込んでるって知ってたんですかね?」
「最近のゲニウシストは、色々な行事で騒ぎを起こしてたからな。確証は無かったんだろうが、何か対策が必要だったんだろ」
正規の調査員ではなく、俺に依頼が回ってきたのもその為だろう。
「ふーん……意外といい加減なんですね」
「世の中意外といい加減なのさ」
俺は食事を終えていたので、葉巻型のチョコレートを取り出した。
「あっ、またそれ!タバコの中身を食べるのは身体に悪いですよ!」
「違う。これは中身がチョコレートなんだ」
それを聞くと、クレアがソーセージを食べる手を止め、ゲラゲラと笑い出した。
「なんだよ」
「チョコレート……?タバコが吸えないから?」
「そうだ」
「かわい〜!それって、おままごととやってる子供と大して変わらなくないですか!?」
「……」
「おじさんっていうより……小僧ですね!」
「……ここの勘定、割り勘でいいか?」
「はっ、はっ、だって面白かったんですよ……」
豪快に笑う姪から目を逸らして、俺は葉巻型のチョコレートを見つめた。
タバコは体に悪い。それに……火を付けるものを、口に咥える気にはなれないのだ。
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