2話
「ひどい顔ね、アンナ」
学校に着くなり、私の前の席に座るエチカが振り返りつつそう言った。口さがない彼女のことだ。私は本当にひどい顔をしているのだろう。
「何かあったの?」
「……なんでもないわよ」
ふううううううん、と、エチカはわざとらしく語尾を伸ばす。
なんでもない、というのは嘘だった。正確には、『何もなかった』、だ。
ルチアーナにはぐらかされたあと、何も言えずに、何も聞けずに二人して黙って歩き続け、学校に着き、そして今に至る。
ルチアーナは既に皆の人気者だ。彼女は学校に着くなり年上から年下の学友に囲まれ、今も楽しそうにクスクス笑っている。
気にしているのはわたしだけのようで、なんだかとても気に入らない。そんな思いが顔に出ていたのか、エチカがニヤニヤと笑う。
「ルチアに恋してるみたいね」
「怒るわよ」
こわい顔でそう言っても、エチカはへらへらしている。子供扱いされているような気持ちになったが、ここで食ってかかってもそれこそ子供じみていると思い、わたしはため息を一つついた。
わたしのルチアーナに対する気持ちはひどく身勝手なものだ。傷付いていて欲しい。辛さを見せて欲しい。そんな、自分勝手で醜いものだと、自覚している。
それはきっと自分の気持ちに起因しているものだとわかっている。いつまで経っても子供から抜け出せないわたしを尻目に、大人びた笑みを浮かべるあの子のことが気に食わない。そんな感傷だ。
「でも、嫌いじゃないんでしょ」
エチカはさらりとそんなことを言う。わたしは否定も、肯定もしない。結局のところそうなのだ。こんなにも気に食わない相手なのに、物知らずで天然で、時に焦がれるように憎らしいルチアーナのことを、わたしは嫌いになれないでいる。
「嫌いとか、そういうのじゃないじゃない、あの子は」
「わかるわよ。そういうことを言ってる自分が惨めになるくらい、ルチアはいい子よ」
エチカは半ば本気で同情しているような目をわたしに向ける。
「でも学校でたまに会う分にはいいけど、一つ屋根の下で一緒にいるのはしんどいだろうなとは思うわ」
慮ることなく、さらりとそう言うエチカに嫌味はない。本心から言っていて、そして決して貶す意味を持たない陰口だった。
「おっと、噂をすれば」
エチカが芝居染みた言い方でそう口にする。二人してルチアーナのことを見つめすぎたらしい。視線に気づいた彼女がこちらにぴょこぴょこ近寄ってきた。
「噂? わたしの話をしていたの?」
「ええ。ルチアは可愛いねって」
「ありがとう! エチカもとても素敵だわ」
うへあ、とエチカが嫌な顔をする。軽口を叩いたら、返す刀で致命傷だ。
「ギブ。流石に真正面からお姫様されて耐えられるほど頑丈じゃないって」
「あんたが悪い。わかってた結果でしょうに」
交わされる会話の意味がわからないルチアーナは、微笑んだまま疑問符を浮かべている。渋い顔をしているエチカとわたしを困ったように交互に見ているので、仕方なくわたしは助け舟を出してあげた。
「嘘よ。別に大したことない話をしていただけ」
そんなことより、と続けようとしたわたしは、ルチアーナの顔を見てその先を口に出せなくなった。
「──嘘?」
ルチアーナがそう、呟く。ささやくような吐息交じりの声。騒がしい教室の中で、なぜだか彼女の声だけクリアに聞こえる。
息を呑むという表現が最も正しいだろう。わたしは言葉に詰まってしまい、ただルチアーナを見上げている。
彼女はいま、微笑んでいなかった。
「……ルチアーナ?」
「なぜ、嘘を吐いたの?」
彼女の声は、真っ直ぐにわたしを責めていた。いつもは柔らかな声音も今は硬く、大きな青い瞳でわたしのことをしっかり見ている。
いつもは天使と称される彼女が怒ったところを見たことはない。きっと怒り方も知らないのね、なんて軽口を叩いた時も、ルチアーナはクスクス笑っていた。
でも今はきっと本気で怒っている。いつもの笑みは欠片もない。無表情で、よくできた人形のような表情でわたしを睨み付けている。
そんなに怒らせることを言ったつもりはない。困惑のあまり、彼女の問いに答えられない。
「聞こえないの、アンナ?」
「聞こえ、てるけど」
重ねられる問いに、オウム返しのようになんとか返す。初めて見る彼女の顔にかき立てられ、徐々に鼓動が早くなって行くのがわかる。理由はわからない、わからないけれど──ルチアーナが怒っている。それだけでわたしはこんなにも不安になってしまう。
なぜ、嘘を吐いたのと彼女は言った。でもそれは理由を聞いているのではない。ルチアーナは、嘘を吐いたという行為自体を責めている。
「嘘って……そんな大袈裟な」
エチカが困ったように口を挟む。いつもおちゃらけている彼女も焦っているのか、周りに助けを求めるように視線がせわしない。
でも、そうだ。エチカの言う通り。ルチアーナの反応はあまりにも大袈裟だ。何か勘違いがあって、わたしの言葉が曲がって伝わってしまったのではないか。
「ルチアー ──」
「ほら座りなさい! いつまでもお喋りしていないの!」
ナ、と言いかけたところで先生のシスターが教室に入ってきた。教科書を掲げて着席を促している。彼女の声に気を取られた一瞬、ルチアーナはさっと自分の席の方へ向かっていってしまった。
その背中に声をかけようとして、そして止まる。
一瞬だけ目に入ったルチアーナの表情。
彼女は泣き出しそうな顔で、どうしたら良いのかわからないといった顔で、でも確かに、困ったように薄く微笑んでいた。
ミス・ルチアーナはモノを知らない 帯屋さつき @obiya
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