2話
結論から言うならば、『ヤキニクファイト』は荒れに荒れた。野菜しか食べぬビーガンなる主義を持つもの。そこそこ食べて満足するもの。焼く時間も惜しいと見えて生肉にかぶりつくもの(もちろん腹を壊し、すぐさま病院送りになった)。
この大会のルールは至極単純で、決められたメニューの中から好きなように注文し、合計の金額がもっとも高いものが優勝となるといったものだ。
予選が行われ、そこを勝ち抜いた十名が本選へとコマを進める……のだが。
「……なぜにお前たちは早々に脱落しておるのだ」
私の非難を籠めた視線に臆することもなく、明坂と伊勢崎はぺろりと舌を出した。
「いやあもう少しいけるかと思ったんだがねえ」
「焼き菓子ファイトならもっと食べられたんですが」
「昨日夜中に食べたラーメンがなかったらね」
「もう十分お腹いっぱい食べましたし」
「そもそも僕はあまり肉が好きじゃないんだよなあ」
「もういい! もうやめろ!」
この馬鹿たれ二人の話を聞いていると本選に進んだ私がひどい愚か者に思えてくる。この二人は先述した、そこそこ食べて満足するものであった。
私はともに予選に臨んだ者たちがばたばたと自滅していったので、腹四分といったところで本選へと挑むことになっていた。
「だがまあ、役得だろう?」
悪びれることなくにやける明坂。むう、悔しいが確かに。無料で焼肉を食べられること自体は嘘偽りなく。事実、予選にて脱落した者たちも一様に幸せそうな面持ちである。
『肉の村松』の店主らしき恰幅の良い男性(村松氏であろう)はそんな人々を眺め、これまた幸せそうな笑みを浮かべている。
……なんとなくだが、ヤキニクファイトがどうして開催されたのかは分かった気がする。確かに今この空間には得も言われぬ充足感のようなものが広がっている。
「結局のところ人のお金で食べるご飯は幸せだということですね」
「間違ってはいないがこの後二人で反省会だ伊勢崎」
とても良い微笑みで身もふたもなくそう言った後輩に、私もとても良い微笑みを持って応える。お説教である。
「えっ、二人で、えっ」
伊勢崎は嬉しそうに頬を緩めた。説教に喜ぶとはマゾなのだろうか。いやしかし、たとえマゾでも可愛い後輩である。大丈夫、わかっているとも。そんな意味を込めて、うむ、と頷くと、伊勢崎は頬を染めてうつむいてしまった。
「テコ入れのようなラブコメはそれぐらいでいいだろう。そろそろ本選みたいだよ、タン」
明坂はいつもの助平顔でにやにやと笑っている。どうやら本選が始まるようだ。特設ステージに十個の網焼き器が置かれ、火が灯る。
正直、ここまできたら欲が出てきた。運よくまだまだ腹には空きがあるし、いっそのこと金五十万円を狙ってみるのも一興である。
「それではいってくるよ、諸君」
「いってらっしゃいませ」
気取って颯爽と歩いていく私を、いつの間に買ったのかソフトクリームを舐めながら見送る友人と後輩。うん、お腹いっぱいになった後のデザートはそれはそれは美味しいでしょうな。早くも心が折れそうになりながらも、歩みを止めることはない。それもひとえに金五十万円のために! 勇者はいつだって孤独なものなのである。
「準備は出来ましたか?」
係りの者が声をかけてくる。席に着いた私はそれに大仰に頷いた。が、準備も何も喰らうだけである。それ以外のことは何もない。
周りを見回すと、びっくりするほど巨漢ばかりでひどく萎える。自分がいかに場違いかひしひしと伝わってきた。
「おいおい、アンタそんな細い体で大丈夫かい。無理して倒れんじゃねーぞ」
隣に座る浅黒い大男がそう言う。煽りの言葉かと思い、何を、とそちらに目をやると、本気で心配そうな顔をされた。……そこまでに私がここにいる状況は不可思議なものらしい。
ええい、私も男だ。肉を食って倒れるなら本望である。
腹をくくった私の前にメニューが置かれる。カルビ、ロース、ハラミなど、スタンダードな肉類の他にも、焼き野菜や海鮮類、ライスにスープ、デザートもある。これらを好き勝手に注文し、制限時間一時間で最終的にもっとも会計の高かったものが優勝である。
戦略としてはやはり値段の高い肉を多く注文するべきなのだが、そればかりでは正直胃がしんどくなるので、上手く他の品も織り交ぜながら注文するのが良いだろう。
「それでは『ヤキニクファイト』決勝戦、開始でーす」
間延びした開始宣言。途端に注文の声が機関銃のようにこだまする。私も負けじと肉肉肉米野菜肉と注文する。
「はいお待ち!」
どどんと置かれる肉の皿。光沢のあるその肉肉たちの美しさたるや、貧乏学生の私には、それこそ目も眩むような光景である。
だがしかし、今はその美しさに心奪われている場合ではない。すまないね、カルビちゃんにロースちゃん。今はただ君たちを食べることに専心せねばならないのだ。
肉を網の上に置き、ジュウジュウやる。そうして、焼き目のついた肉を口に運ぶ。たまらない! カルビの溶けるような甘味。ロースのしっかりした食感。それに加え白飯をかっ込む幸せ!
「おかわり!」「こっちもだ!」
早くも第一陣を突破した戦士たちが次を寄越せと次々に声を上げる。私も負けてなるものかと、おかわりを要求する。
――私の『ヤキニクファイト』はまだ始まったばかりだ!
◇
やっぱり『ヤキニクファイト』には勝てなかったよ……。
食べ始めて四十分。正直もう限界であった。
「先輩! さっきからお箸が動いていませんよ!」
いつの間にやら私の隣に来ていた伊勢崎がそんなことをのたまう。いやでもしかし、もう勘弁してほしい。
例によって例のごとく、自滅した者たちの阿鼻叫喚が聞こえる。今や特設ステージに残っているのは私を含め五人となっていた。
残っている四人にここまではなんとか食らいついていたものの、じりじりと離され始めている。それを見ながら伊勢崎はおろおろしていた。
「このままじゃ負けてしまいますよ!」
「うむ……もう無理だ。私のことは置いて先へ行きなさい」
「しょうもないことを言っている場合ですか! 北海道は目の前ですよ!」
「何故ここで試される大地が出てくるのだ……」
そのネタはわからなかった。だが伊勢崎は真面目な顔で頭を振った。
「賞金で北海道に行こうって約束したじゃないですか!」
「えっ、知らない。なにそれ」
「明坂先輩とそういう話になりました」
私の優勝賞金(未定)が、私の知らないところで使い道が決められていた。私は真剣にこの二人との付き合いを考えた方が良いのではないのだろうか。
そんなことを考えていると、伊勢崎はぐぐいっと私に顔を近づけてきた。
「先輩、想像してください」
「な、なにを想像するというのだ」
「北海道の嬉し恥ずかし三泊四日です」
伊勢崎の真っ黒な瞳に、吸い込まれるように釘付けになる。彼女の眼は強い強い引力を持って私の意識を決して放すことはない。
「向こうに着いたらまず何をしますか? いきなり地ビールで乾杯もいいですね。温泉巡りをするのも楽しいかもしれません。やっぱり北海道なのですからグルメを堪能するのも良いでしょう。たくさん歩き回った後、ちょっといい旅館に泊まりましょう。寒い中、温かい温泉にゆっくり入って、疲れを癒すのです。そうして出てきたら、温泉上がりのわたしを眺めながら、日本酒とタラバ蟹とズワイ蟹を心ゆくまで楽しむのです―――どうですか?」
―――む。不覚にも、すごく面白そうだと思ってしまった。
今現在、ガツンと肉を喰らっていることもあって、サッパリした蟹料理がひどく魅力的に思えた。だって蟹である。金持ちにのみ許された贅沢。それが蟹である。食卓に鎮座する王のごとき風格。肉厚でぷりぷりした身。濃厚な蟹味噌。ポン酢でサッパリいただくあの瞬間! ああ最高だ!
……あと、少しだけ、ほんの少しだけ、風呂上がりの伊勢崎後輩を見てみたいと思ってしまった。
とは、言うものの。
「しかし伊勢崎よ。現実問題、私は限界なのだ」
満腹というよりも、肉の食べ過ぎで胃もたれというのが正しいかもしれない。それこそ先ほど言っていたように、ポン酢の合うものが食べたい腹持ちである。
「お困りのようだね、お二方」
そんな時、待っていましたと言わんばかりに軽薄な声が聞こえてきた。何奴と思うまでもない。声の主は明坂であった。だが、今日一番の助平顔をしている。嫌な予感しかしない。
「僕にいい考えがある」
「やめろ、聞きたくない」
「脂っこい肉に辟易しているというなら、サッパリしたものを食べれば良いんだよ、タン」
「やめろー聞きたくなーい」
私の拒絶など聞こえないかのように、明坂は言葉を続ける。こいつが何を言いたいのかだいたいわかった私は、やっぱりこの男の助平顔にはろくなことがないとしみじみ思う。
「明坂先輩、その心は?」
拒絶し続ける私を見かねて、伊勢崎が明坂の言葉の続きを促す。
「簡単な話だよ。レモン汁で肉を食べればいい」
「なるほど」
「そしてレモン汁で食べるのに非常に相応しい肉の部位があるよね?」
「なるほど!」
にんまり、心底楽しそうに笑いながら。それを言うために生まれたとばかりにいい笑顔で、明坂はとうとう言った。
「もうわかっているだろう、『タン』?」
――死ね! すべからく死すべし! そんなしょうもないことを言うために使った時間を悔やみながら昇天せよ!
いつもの私ならばそれぐらいは言ってやるのだが、正直そんな気力もない。
しかし伊勢崎後輩は天啓を得たとばかりに驚愕している。
「確かにそれならばサッパリとお肉を食べることができますね。明坂先輩にしては実に名案です! 先輩、タンを食べましょう、タンを!」
「いやだ」
「えっ」
丹野正一、今まで生きてきて最速の即答であった。
私が答えてから実に五秒ほど時が止まる。沈黙を味わったあと、伊勢崎後輩が恐る恐るといった風に私に声をかけてきた。
「ええと、先輩? すみません、何故かお聞きしてもよろしいですか? もう本当に何も入らないほどお腹いっぱいですか? あ、それともレモンはお嫌いですか?」
「いや、そういうことではない」
「……それでは、何故?」
不思議そうに聞いてくる伊勢崎に、私は目を逸らしてぽつりと答えた。
「……共食いになるだろう」
またも、沈黙が下りてくる。たっぷり十秒ほど黙り込んだ後、伊勢崎は一つ深く溜息を吐いた。そして――
「――しょうもないっ!!」
伊勢崎後輩、心からの叫びであった。ええい、仕方なかろう。タンがタンを喰らうのは、なんだか嫌なのだ。
明坂は腹を抱えて笑っている。こいつ、間違いなく私が嫌がることを知っていたに違いない。
伊勢崎は頭を抱えながら俯いている。恐らく私に浴びせかける説得と罵倒の言葉をリストアップしているのであろう。
しかし私にも譲れないものはある。断固戦うぞ、私は。いつでも来い、とばかりに身構える。伊勢崎の顔がつつつと上がっていく、そこに見えるであろう狐の怒り顔を想像していた私は――ひどく動揺した。
うるんだ瞳で私を見つめてくる伊勢崎後輩がそこにはいたのだ。そして、とどめはこれだ。
「先輩は、わたしと、北海道に行きたくないですか?」
ずるいわ。それはずるいわ。構えていた身体から力が抜けていく。悔しいが、この一瞬で決着はついてしまった。
示し合わせたかのようにタンの乗った皿が運ばれてくる。頼んでおいたよ! と、明坂がサムズアップする。お前は後で覚えておけ。
網にタンを置くと、ジュウジュウいい音がし始める。私は緩慢な動きで空いた皿にレモン汁を注いだ。タンはすぐに頃合いになり、網の跡がきれいについている。
箸で一つ掴み、レモン汁に付ける。レモンの爽やかな香りが私の脳髄を刺激する。これならまだ胃には入っていくだろう。
伊勢崎と明坂の期待する二つの視線を意識しながら、箸で掴んだ肉を見やる。へえ、アンタもタンって言うんだ。ええい、南無三。
そうして私は、自らを口にした。
初めてのタンは、レモンの味がした―――
結論から言うならば私は優勝すること叶わず、私の隣に座していた大男が七万八千円分喰らって優勝した。なんでやねん。
◇
「まあタンを食えたからといって優勝できるわけではないからねえ」
明坂はからから笑う。その首根っこを掴んで締め上げてやりたいが、いかんせん今は体力気力ともに空っぽである。運が良いな、見逃してやろう。
結局私は一万円もいかない程度しか食べていなかったようで、優勝争いになど、はなから参戦できていなかったらしい。私も伊勢崎も舞い上がって周りが見えていなかったということだ。
件の伊勢崎は怒り極まる――かと思いきや、ケロッとしている。楽しかったので良し、だそうで。
「まあ、確かに。肉をたらふく食えたのだ。それ以上を望むなど罰が当たるな」
この先五年分くらいの肉を食べることができたのだから、文句など何一つあろうはずがない。タンを食べさせられたこと以外は。
「ま、お疲れ様。面白いものを見せてもらったよ」
言いつつ、明坂は煙草を取り出した。自分でくわえた後、私にも一本差し出してくる。
「他人事だと思って好き勝手してくれた恩は忘れんからな」
素直にそれを貰い、肺に煙を吸い込む。食事の後の一服は格別である。私と明坂、二人でなんとなく黙ったままぷかぷかやっていると、伊勢崎が不機嫌そうな声で言った。
「先輩、わたしにも一本ください」
「なに? お前、吸う人じゃないだろう」
「いいから、ください」
有無を言わせぬ圧力に負け、伊勢崎には私が一本与えてやる。慣れない手つきでライターを着火し、煙草に近づける。
「吸うのだ。吸いながら火をつけるのだ」
「ん、んん。……ぐえっ! げほっ、がはっ!」
「おわっ!」
盛大に咳き込む伊勢崎。いろんな意味で大丈夫か。おおよそ女子が発してはならない感じの叫び声であったと思うのだが。
げほげほと咳き込む伊勢崎。明坂は彼女の手から煙草を取り、私は彼女の背中をさすってやる。まあこうなることは予期できた。
しばらくの後、伊勢崎はようやく落ち着いた。
「……すみません、お恥ずかしいところをお見せしました」
確かにかなり恥ずかしい姿であったが、できるだけ迅速に忘れてやるのが優しさというものであろう。私はこう見えて良き先輩なのである。
明坂も何事もなかったかのようにそっぽを向いて煙草を吸っている。
「でも、残念です。わたしはどうも煙草を吸えない人らしい」
少し拗ねたように、つまらなそうな口調で伊勢崎はそんなことを言った。そうかね。でも、それがいいだろう。口にはせず、私はそう思う。
「さておき、嘘から出た真ではないけれど、北海道には行きたいね」
明坂がいつものごとく軽薄な声音で言う。彼らの北海道への愛はどこから来るのだろうか。しかし実際のところ、私も行きたい。が、優勝賞金もない今、そんなことは夢のまた夢である。
「面白そうだとは思うがね、いかんせん先立つものがない」
そう言った私に、明坂は悪戯っぽくにやりと笑った。
「そんなことは些細なことさ、タン。わかっているだろう?」
明坂はちらりと伊勢崎に目線をやる。伊勢崎も心得たとばかりに、にっこり笑った。
……ああ、ああわかっているとも。
三人で顔を見合わせ、そうして誰からともなく言った。
『――【面白き』はすべてにおいて優先される!』
三人の声がぴったりと重なる。明坂は満足そうに頷き、伊勢崎は嬉しそうに笑っている。
私はやれやれとばかりに溜息をこぼし、タラバさんとズワイさんに挨拶しにいくのも良いかな、などと考えた。
それに、風呂上がりの伊勢崎が見れるのならば、金策に励むのも悪くはないだろう。
そんな馬鹿げたことを考えながら、私は膨れた腹を一つ撫でたのだった。
了
如何にして私は自らを喰らう羽目になったか 或いはタラバとズワイの抗い難き誘惑 帯屋さつき @obiya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます