6. 冒険者・ベテラン時代
「いらっしゃい。また大物を仕留めたんですってね」
モンスター討伐の旅から帰ってきて、まず最初に訪れるのは彼女の店。
カウンターテーブルの向こうにいる彼女の笑顔を見ると、長旅の疲れもすぐに癒えてしまう。
そして、彼女は今日も綺麗だ。
「そ、そんなに見つめないでっ」
彼女が頬を染めてそっぽを向いてしまった。
もっと見ていたかったのに、残念だ。
オークの襲撃があってから三年。
俺も彼女も23歳になっていた。
町はすっかり復興し、なんなら前よりもずっと栄えている。
だけど、驚くことに彼女はいまだ独り身だ。
もちろん俺も……。
「きみが立派な冒険者になってくれたおかげで、町に立ち寄った旅人がウチを利用してくれることが多くなったの。有名人がお得意様だと助かるわぁ♪」
オークの群れを撃退したということで、俺達の町は脚光を浴びた。
戦いに貢献した冒険者は騎士団からお呼びが掛かり、当時一緒に戦った仲間で今では騎士団に所属している者もいる。
俺もお呼びの掛かった冒険者の一人だったけれど、騎士団の誘いを受けることは王都に行くことを意味するので、迷うことなく固辞した。
冒険者仲間からは奇異の目で見られたが、俺にとって出世よりも大切なものがこの町にはあるのだ。
離れることなんてできやしない。
「昔、きみに立派な冒険者になって帰ってきてって言ったことがあったわね。あれ、いくつの時だったかしら? もうずいぶん前になるわね」
……そんなこと言われたこともあったな。
俺がまだ冒険者になる前の話だ。
あれからもう8年も経つなんて、信じられない。
「……きみ、まだ冒険者を続けるの?」
彼女からの意外な言葉。
その言葉にどんな意味があるのか、俺は計りかねた。
「すっかりベテランになっちゃって。遠くの町から名指しでモンスター討伐の協力要請なんてしょっちゅうだもんね」
彼女は日課の商品整理を進めながら、チラチラと俺に視線を送ってくる。
「店に来てくれてる時はカウンターしか間にないのに、なんだかずいぶん遠い人になっちゃった気がするなぁ」
……遠い人、か。
確かに俺もずいぶん名前が知られたものだ。
十年前はこの町のパン屋で粉
でも、俺の心はいつもこの町に――この店にあった。
いつだってきみのことを忘れたことはないんだ。
それはきっと、これからも同じ……。
「私、また領主様のご子息からプロポーズされちゃった」
まさかの不意打ち。
ここにきて、プロポーズの話をされるとは。
しかも、前に誘いを断ったと噂の領主の息子からとか……。
「あの方、数ヵ月に一度は同じ話をしてくるのよね。私よりもずっと相応しい女性がいくらでもいるでしょうに……ねぇ?」
彼女がジト目で俺を睨んできた。
しかも、俺に同意を求めてくるなんてどういうつもりだ?
何と言っていいかわからず、俺は答えに
「ふんっ。冒険者って本当、不器用な人が多いわね」
そう言うと、彼女は荷物を抱えてカウンター奥の倉庫へと入って行ってしまった。
一人店内に残された俺は、気もそぞろにポーション棚に向かう。
彼女がいまだに身を固めないのは、なぜだろう。
再三に渡り領主の息子のプロポーズを蹴ってまで……。
まさか誰かを待っている?
誰を? ……俺を?
いやいや、そんなまさか。
そんなことが……そうだとしても……。
俺が冒険者である以上、俺は彼女に何もしてやることができない。
……できないんだ。
俺が勇者からパーティー加入の要請を受けたのは、それからすぐのことだった。
◇
俺がこの町と周辺の小さな界隈を必死に守っている間。
世界では、勇者と魔王による壮絶な戦いが繰り広げられていた。
この三年間の勇者の怒涛の進撃によって、魔王率いるモンスターの軍勢は勢力を著しく弱めていた。
しかし、魔王はまだまだ力を残しており、その側近も強い。
各国は勢いを欠いている今こそ魔王打倒の好機だと考え、勇者に周辺諸国の最強戦力を結集させて、勝負に出ようという腹積もりだった。
俺に白羽の矢が立ったのも、自然な流れと言えるのだろう。
「……」
その日、道具屋に入店した俺を彼女は黙って迎えた。
いらっしゃい、といういつもの掛け声を聞けないだけで、こんなにも寂しい気持ちになるなんて。
そしてその気持ちは、カウンターの奥にいる彼女の表情を見てより強くなった。
「勇者様のパーティーに加わるそうね」
彼女から向けられる冷めた眼差し。
明らかに怒っている様子が見て取れる。
「町長から聞いたわ。旅先は異大陸の魔王の領土だって。海を越えて敵の領土で魔王の主力を叩く決死の作戦なのでしょう? 帰ってくるのに何年かかるか……そもそも生還できるかすら怪しいそうじゃない」
店内には重々しい空気が流れていた。
どんな危険なモンスターと相対した時とも違う、耐えがたい空気。
彼女の言っていることは事実だ。
俺も国のお偉いさんから同じことを聞いている。
命懸けの決死の作戦なのだ。
「きみは本当に落ち着かない人ね。騒動の度に町からいなくなって、遠くへと行ってしまう。お得意様が来ない時期は売り上げが落ちちゃうのよ?」
彼女の目に涙が浮かぶのが見える。
俺のせいで彼女を泣かせるのは、これで何度目だろうか。
我ながら困ったものだと思う。
でも、今の俺にはひとつだけ確信がある。
もし魔王を討伐することができたなら、魔王に支配されていたモンスターは姿を消すだろう。
そうなれば、モンスターを討伐する必要はなくなる。
冒険者という生業も無用の長物と化すことになる。
ずっと彼女に
それを伝えるには、魔王を倒す以外に道はない。
だから俺は選んだ。
長い旅に出て、勇者と共に戦う道を。
「見送りになんて行かないから」
彼女はすでに俺の顔を見てもいない。
うつむいて、テーブルの上をじっと睨みつけている。
「注文されていたハイポーションのセットはそこに置いてあるから、それを持ってさっさと出て行って」
きっと俺は彼女の気持ちを裏切ったのだろう。
俺は彼女が何を言ってほしいか、この数年どんな言葉を求めていたのか、俺自身察しながらも口にするのを避けていた。
冒険者だから――いつ死ぬともわからない命だから。
それを理由に、
「さて。馬鹿な人のことなんて忘れて、領主様のご子息に返事でもしようかなっ」
いつもの彼女の声じゃない。
必死に取り繕っているのが手に取るようにわかる。
今まで十数年間、彼女の声を聞いてきた俺だからこそわかることだ。
そんな彼女を見て俺の覚悟は決まった。
「え?」
俺は、彼女に一方的にある約束を宣言した。
それを聞いた彼女は、今まで下を向いていた顔を上げて俺を見入った。
ずいぶん驚いたようで目を丸くしている。
「必ず帰ってくる……だからその時に伝えたい言葉がある……ですって。何、私にそれをずっと待っていろってこと?」
彼女が怪訝な顔で俺を見入る。
今度ばかりは無茶な注文だと思うよ。
きっと
でも、必ず生きて帰ってくる。
それだけは違えないと誓うことができる。
「……馬鹿。何を伝えたいのか知らないけれど、帰ってくるっていう約束……破ったら承知しないからね」
彼女の口元が緩んだのを見て、俺は安堵した。
「でも、さすがに私がお婆ちゃんになるまでは待てないからっ」
そこまでは待たせないさ。
だけど、この約束がきっと俺に力を与えてくれる。
きみがここで待っていてくれるなら、俺はきっと迷わずに帰ってこれる。
「いってらっしゃい」
いつもと違うその言葉が、俺の背中を押してくれた。
入り口の扉が閉まる時、ふとカウンターテーブルの方を振り返った。
すると――
「待ってる」
――彼女が小さくつぶやくのが、確かに俺の耳に届いた。
◇
時が経っても、忘れない思い出がある。
彼女の笑顔とあの道具屋のことは、何年経ってもはっきりと覚えている。
夢の中で彼女は俺に言ってくれるのだ。
「いらっしゃい」
だから俺は戦える。
地の果てだろうと、海の底だろうと、空の彼方だろうと、どこへだって行ってやる。
俺には帰る場所があるから、帰り道も迷いはしない。
そう。帰るんだ。
彼女の待つあの約束の場所へ。
◇
……五年後。
俺は懐かしの我が町へと帰ってきた。
町は思いのほか変わっていない。
俺の帰る場所も変わらず、あの頃と同じ姿でそこに在った。
ドアノブを掴み、扉を開ける。
店の中には――
「おかえりなさい」
――金色の髪が変わらず美しい彼女の姿があった。
優しい微笑みに迎えられた俺は、言葉よりも早く指輪を取り出し、部屋の中央にひざまずいた。
そして、誠意を込めてあの言葉を伝えた。
「……」
彼女は無言のままカウンターテーブルから出てきて、俺の前に立つと――
「はい。不束者ですが、末永くよろしくお願いします」
――満面の笑みで答えてくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます