5. 冒険者・中堅時代

「いらっしゃい。あら、今日は相棒さんは一緒じゃないの?」


 店の扉を開いて最初に目にしたのは、カウンターの奥で金色の長い髪をリボンで結わっている彼女の姿だった。

 ポニーテールに結び終わった長く美しい髪。

 それをうなじからかきあげ、ジト目で俺を見据えてくる。


「ま、別にどーでもいいけど」


 俺が答えようとしたら、口を開く前にそっぽを向かれてしまった。

 興味ないんだったら聞くなよな……。


 彼女が言う相棒とは、俺の所属する冒険者パーティーの女戦士のことだ。

 俺と一緒に前衛を務めるパーティーの要で、気が合うこともあってずいぶん長い間一緒に依頼クエストをこなしている。

 今日は他のパーティーに助っ人として加わっており、町の近くで確認されたモンスターの痕跡調査のため別行動中だ。


「‥…まぁ、きみももう20歳になったわけだし。そろそろ結婚とか考えなきゃなんでしょうけどっ」


 どうしたんだ急に?

 いきなりの結婚なんて話題を持ち出すなんて……。

 むしろ俺に言わせれば、いまだ独り身の彼女の方が心配だ。

 少し前には領主の息子のプロポーズまで断ったって噂だし、彼女は所帯を持つ気がないのだろうか?


「ところで相棒さん、髪が短いけれど趣味なの? それとも戦闘では長い髪が不利だから短くしているだけ?」


 興味がないとか言ったくせに、またあいつの話に戻ったぞ。

 突然そんなことを訊かれても困るな。

 あいつがどんな理由で髪の毛を短くしているのかなんて、俺が知るわけないじゃないか。

 そもそも、あいつとはパーティーの仲間というだけで特別親しいわけでもない。

 なんでそんなことを訊いてきたんだ?


「まぁいいわ。それより最近はまたポーションの品薄が続いていてね。結局今月もハイポーションの入荷ができていないの」


 彼女が困った顔で言うのもわかる。

 今や回復薬はハイポーションといった高級品質が必須になりつつある。

 従来のポーションでは、とても追いつかない状況になっているのだ。


 去年、新しい魔王の存在が確認された。

 ここ数年でモンスターの数が急激に増加したのも、魔王の勢力拡大による侵攻が原因だったというわけだ。

 各国では、共同して早急に新たな勇者の選定を行っているらしい。

 この国の騎士団も武力を結集して魔王対策を進めているが、俺のような泡沫の冒険者には所属ギルドの管轄する町を守るだけで精一杯だ。

 勇者が力をつけて魔王を倒すまで、なんとかこの町を守り抜かなければならない。

 そのためにも、ハイポーションは絶対必須なのだ。


「……ごめんね。私も頑張っているつもりなんだけど、どうしても商品の入荷が滞ってしまって」


 しゅんとする彼女を見て、俺はいたたまれなくなった。

 ハイポーションが入荷できないのは彼女のせいでは断じてない。

 だけれど、回復薬の類を提供できなければ冒険者の死傷が増えていくという事実が、彼女にプレッシャーを与えているのだろう。


 魔王の侵攻が進んだことで、この地方の交易路は事実上崩壊してしまった。

 数ある街道のすべてにモンスターが出現するようになり、流通を担う商隊が多大な被害を受けて以降、商人組合もまともに機能していない。

 モンスターの群れに攻め滅ぼされた町や村も後を絶たないと聞く。

 この町の周辺にも強いモンスターが増え始めていて、町の人達も不安に駆られながら生活している状況だ。


「え? この町は俺が守って見せるって? ……ふふ。頼もしいな、きみは」


 それは少しでも彼女の不安を和らげようと言った言葉だった。

 町を守るなんて俺の領分を超えた宣言だけど、決してその気持ちは嘘じゃない。

 でも、本当はもっと別の言葉を送りたかったんだ。

 だけど言えなかった。


 ……君は俺が守る、なんて。

 いつ死ぬかもわからない冒険者の俺が、独り身の女性に言える言葉じゃないんだ。





 ◇





 数日後。

 周辺警備に出ていた俺の相棒が、多数の冒険者パーティーの連中と共に死体で見つかった。

 総勢二十人の大所帯がまさかこんなことになるなんて。

 相手は、それ以上の数――まさに群れであることに疑いはなかった。


 俺はすぐに町から避難するよう伝えるため、町に残る知り合いの家から家を訪ねて回った。

 そして、最後にたどり着いたのは――


「いらっしゃい。……聞いたわ、あなたの相棒のこと。辛いでしょうね……」


 ――彼女の道具屋だった。

 彼女はすでに事態を聞き及んでいた様子だが、避難の準備もせずにいつもと変わらず店内で商品整理を行っていた。

 すぐに彼女を店から連れ出そうとしたが、彼女は頑としてカウンターテーブルから出てこようとしない。


「ごめん。私いけない」


 俺は彼女の言葉が理解できず、なぜだ、と怒鳴ってしまった。


「町にはギルドの冒険者が残ると聞いたわ。だったら、回復薬を提供できる道具屋の私が逃げるわけにはいかないでしょ?」


 俺は困惑した。

 ポーションなど、町に残る俺達・・にすべて渡せばいい。

 なぜ彼女まで危険を冒してこの場に残るのか理解できない。


「たかだか商人と甘く見ないで。これでも薬草やポーションの効率的な使い方は冒険者のきみ達より熟知しているつもりよ」


 確かに道具を扱う小手先の技術は彼女に分があるだろう。

 だけど、とても容認できることじゃない。

 今この町に近づいてきているのは、モンスターの中でも極めて獰猛で残虐なオークの群れなのだ。

 戦う力の無い彼女が奴らに捕まれば、どんな惨い殺され方をするか……。

 彼女がこの場に残ることは、他の誰が許しても、この俺が許せない。


「きみも残って戦うんでしょ。一緒に戦ってこの町を守ろうよ。私達が一緒に育ってきた、この町を……」


 彼女は笑顔で手元のブルーポーションを差し出してきた。

 俺がそれを受け取ると、彼女の手は震えていた。

 笑顔なのにその目には涙を溜めている。

 俺には、彼女の綺麗な顔が半ば死を覚悟したものに映った。


 ……断じて認められない。

 彼女の死ぬ未来など、断じて認めてなるものか。

 俺は覚悟を決めた。

 そして、彼女に改めて宣言した。


「命に代えても私を守る、だなんて……。きみ、本当に馬鹿ね」


 まさかの罵声付きでの返事。

 だけれど、彼女は心なしか落ち着いた様子だった。


「二人揃って生き残ろう、でいいの。死んだら許さないんだから……!」


 なるほど。彼女の言うことはもっともだ。

 俺がこくりと頷くと、彼女の手が俺の手を握った。

 暖かい手だ。

 命の宿る手だ。

 この手の温もり、必ず守り通してみせる。


 俺はありったけのポーションを受け取って、町を守る仲間達と合流した。





 ◇





 ……人間、死ぬ気になればなんとかなるものだ。


 冒険者に多くの犠牲は出たものの、俺達はオークの群れをなんとか撃退することができた。

 町の民家は半分以上が倒壊してしまった。

 家畜も多くが失われた。

 復興にはかなりの時間を要するだろう。

 でも、生き残った。

 傷だらけでボロボロではあるが、俺は彼女との約束を果たしたのだ。

 今はそれが、それだけが誇らしい。


「……いらっしゃい」


 戦いが終わった後、俺が真っ先に向かったのは彼女の道具屋だった。

 彼女はいつも通りカウンターテーブルの奥から俺を出迎えてくれた。

 目には涙が。

 口には笑みが。


「馬鹿……。ポーションはもう品切れよっ」


 俺は彼女の声を聞いた瞬間、緊張の糸が切れてしまった。

 店内に入って早々、ふらりとよろめいた俺は、足に力が入らずに頭から床へと倒れ込んだ。

 だけれど、頭を打つことはなかった。

 もう目も開けていられないが、とっさに何か暖かいものに包まれたのだ。

 柔らかくて、暖かい何かに……。


「こんな無茶して。きみ、本当に馬鹿なんだから――」


 彼女の声が耳元に聞こえる。


「――馬鹿につける薬なんてないんだからね」


 聞き心地の良い透き通った声。

 ずっとずっと聞いていたい、大切な人の声だ。

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