アーレア・ヤクタ・エスト/1



「知っとるか? 都市に時折現れるっちゅう傘を差した女の子のこと」

 アルフレッドが唐突に持ち出した話題はここ最近になって都市で持ち上がり出したいわゆる都市伝説と呼ばれる内容についてだった。

「聞いた事はある。って言っても都市でも雨は降るし傘なんて差してても珍しくないだろ」

「それはそうなんやけど……まぁなんちゅうか妙なんや。実際に見たヤツに聞いたことあんねんけど、そいつは雨なんぞ降っとらんでも傘を差しとるらしい。しかも一人やなくて何人もおんなじ様な女がおるらしい。全員容姿も年齢も違うっちゅうのに女ってのだけは共通しててしかも傘を差してるのまで共通してるんやからなんぞ理由があるんやと思うやろ」

 捲し立てるような口調でずらずらとアルフレッドが話すのをベイルは半分聞き流しながら聞いていた。

 しかし、ベイルはアルフレッドの話す都市伝説について一つ知っている事があった。それは彼女ら傘を差した女達の俗称だ。都市のあちこちで見かけられるまるで傘を差して都市を揺蕩うかの様な在り方を指して彼女らは【ジェリー・フィッシュ】と呼ばれている。

 目的があるのか無いのか、意志の有無さえ不明な都市の幻影。ありふれてはいるけれど異様な存在。

 知ってはいる。けれど今は自身の関わりのない事に思考を割く余裕は無いとベイルは思考からそれを排除して視線を持ち上げた。

「そんな怪談話より、そろそろゲートに着く。お前が本当に役に立つか確かめないとな」

 血管街に十三あるゲートは名前の通りの門ではない。むしろ箱に近い形状の巨大な立方体であり、その中に収められた空間転位装置を指して門と呼んでいる。門の使用には企業あるいは協会の許可証か莫大な金額が必要になる。

 今回に限ってはバッカー協会のアルフレッドが同行している事で通行は出来るはずだが……。

 じろり、と大男を見やるとそれに気付いたアルフレッドは両手を肩の辺りに持ち上げてため息を吐いた。

「まだ疑っとんのかい。きっちり役割は果たすっちゅうねん、安心せぇや」

 帽子の上から頭を掻く動作をしてアルフレッドは先行して前を歩いて門の前に立つ二人の守衛へと近付いた。

「許可証を」

 無愛想な男が黒革の手袋に覆われた手のひらをアルフレッドの前に突き出す。

 濃緑のコートを纏い胸に銀色のバッジを備えた服装はアノヤ協会の制服だ。もう一人も同じ服装だが小柄な女であり、アルフレッドの方を目だけでチェックしている様だった。

「ほいほい許可証ね」

 言いながら一見紙屑かと見紛うほどにくしゃくしゃになった紙きれをアルフレッドは内ポケットから取り出して守衛の男に渡した。

 受け取った守衛の男は一瞬眉根を寄せ、怪訝な視線をアルフレッドへと向けるがすぐに丸まった紙屑を広げて内容の確認を行った。

「……」

 数秒の沈黙の後、男は顎だけで『通ってよし』と示した。

「通ってええってよ」

 言ってアルフレッドが振り返る。

「そうか」

 答えて後に続こうとすると目の前を銀色が遮った。唐突に飛び出てきたそれは、もう一人の小柄な女の持つ大剣だった。

「待て」

 短く告げて鋭い視線を向ける女に対し、ベイルは撫然とした態度で向き合っていた。

 男の守衛の方は視線すら寄越さず止める様子がないのを見て、ベイルはコートの両ポケットに手を入れたまま視線を返す。

「そこの大男は同行者の事を申告をしていない。検める必要がある」

「なら今見た通りだろ。俺はアイツの仕事仲間だよ」

「どうだかな。長く守衛を務めているが今は都市中が騒がしい、人間が化物に変異する様な事件も多発している。更には先日の一〇二番街に発生した【蒼の十字架】の件もある。素性の分からない者を簡単に通すという訳にはならない」

 女の言う事は最もだった。しかも先程の剣筋を見るにそれなりに手練れだと分かる。

 ──この女は確実に俺を疑っている。

 どう返すべきかと逡巡していると、アルフレッドが割って入ってきた。

「あースマンスマン! 言うの忘れとったわい。この真っ黒いニイちゃんもワイのツレやねん」

 すると女はぎろりと殺意すら籠った目でアルフレッドを見た。

「貴様も胡散臭いな。脳の中身を監察官に検閲してもらうか?」

「そんな怖い顔やめてぇな! ネエちゃん美人なのにおっかいなぁ。あ、そうだ名前なんて言うんや? 折角だし連絡先交換せぇへん? バッカー協会の直属請負人ってたら中々優良物件やと思うんやけど」

 剣の切っ先を向けられたアルフレッドが一瞬たじろいだかと思えば何故か守衛の女を口説き始める。

「なぁなぁネエちゃん名前なんて言うんや? そろそろ教えてくれたってええやろ? それとも恥ずかしいんか? なぁにワイかてアルフレッドなんて似合わない名前やさかい。気にせんとはよ言ってみぃ?」

 言ってアルフレッドが上体を屈めて守衛の女の顔を覗き込んだ後、顔を蒼白に染めながら後退した。

「あ、ははぁ……じょ、冗談やん?」

 両手を上げたアルフレッドに対し、守衛の女はずらりと大剣の刃を見せつける。切れ味の鋭そうな銀の大剣だ。人間の肉など草を刈り取る様に容易く切り裂けるだろう。

「どうやら愚弄する事だけは一級らしいな。早々に──死ね」

 大剣を肩に担いで片腕と全身を利用する姿勢───あれはアノヤ流の戦闘術だ。まさかとは思うが今この女、本気、、になりやがった。

「くそ、面倒な事になった……!」

 外套の内に隠していた刀へて手を伸ばした所で、女の前に剣先が割り込んだ。剣先から辿って視線を持ち上げると、そこにはいつの間にかもう一人の男の守衛が立っていた。

「オルディア、その辺にしておけ。我らの剣は斯様な事に振るわれるモノでは無い。秩序の剣である事を忘れたか」

 低い声と共に放たれる威圧感にオルディアと呼ばれた守衛の女は静かに剣を収めた。見届けて男の守衛はベイル達を見やると顎で今度は『とっとと行け』と示した。



 ◇

 

 

「面倒の種だな、お前は」

 門へと入る直前に吐き捨ててアルフレッドを一瞥する。言われた大男は「わはは……」とばつの悪そうに苦笑いした。

「まぁ、結局は通れたんやからヨシとしようやないか……な!」

「良いわけあるか」

 幸い事なきを得たが、余計な連中に目を付けられる事になったのは変わらない。あのオルディアとかいう女も中々の手練れだが、なにより男の方は更に上だ。殺気の消し方、脚運び共に一流のソレだった。ブランクのある状態じゃ正面からやり合ったとして相討ちくらいにはなるだろうが、正直あの場で戦いにならなくて良かった。

「で、一〇二番街に行くっちゅう話やったけどなんで門を使うんや? 結局封鎖されてる区画には門じゃ飛べんぞ?」

「ああ、だから一度生存不能域を経由していく」

「なんやと!?」アルフレッドがぎょっとして大きな声を出した後、更に言葉を続けた。

「……生存不能域に入る手段持ってるんか?」

 周囲にはベイルたち以外誰もいないが今度は辺りを伺う様にこそこそと小声で話すアルフレッドにベイルは懐から一枚の長方形のカードを取り出して見せた。

「そいつは異聞局の管理IDやな……ベイル、オマエさん本当にナニモンなんや」

「しがない請負人の一人だよ」

「言うつもりは無いわけやな。まぁ乗りかかった船や、今更文句は言わへんよ。ワイかて色々隠しとるわけやしな」

「……そうだな。生存不能域に行く以上幾らかの戦闘は予測しておけよ?」

「あーそれなんやけど……」

「なんだ?」

「ワイはあんま戦闘向きやないねん。見ての通りバッカー協会でも下っ端の方やしな」

 言われてベイルはアルフレッドの格好を検める。質の悪い外套、草臥れた帽子、傷だらけの鞄。確かに上質の請負人には思えない姿である。

「なら戦闘は俺に任せろ。ただお前らの鞄は一応武器だよな、援護くらいはしろよ?」

「それなら任せんかい。ワイにはコイツがあるからな!」

 そう言ってアルフレッドはコートの内側に隠していた二つのホルスターから二丁の拳銃を抜いて見せる。

 はっきり言って銃器などあまり役に立たないが何も無いよりはマシだろう。

「回死者の足止めくらいにはなるか……」

 言ってベイルは門へと足を踏み入れ、アルフレッドも後へと続く。

 異聞局の管理IDを所持している者は門の行き先を自由に変更が可能となる。門の内部には意識構築空間が存在し、そこで管理IDを使用して行き先を七八番街から生存不能域へと変更する。

 次の瞬間には、別の場所へと到着していた。とは言え、見える景色は先程まで居た門の設置された密室と変わり映えしない空間ではあるが。違うのは建物自体が劣化しており、外には守衛が立っていない所だろう。

 生存不能域。都市から放逐された都市。都市の内部にありながら隔絶された広大な領域であり、都市の闇の集積地とさえ呼ばれている。

「着いたな」

「そうみたいやな。ここから一〇二番街に行くって言うとったけど、どうすんねん?」

「そうだな……今いるのが旧五〇番街あたりだから、とりあえずはここから旧五二番街の方へ向かうか」

「そこに何があるんや?」

「古い知り合いがそこに居るからな。まぁまだ生きてればの話だけど」

「隔離に巻き込まれた連中やな……胸糞悪い話やけど、生きとるとええな」

「ああ」


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