アウタ・ウィアム・インフェニアム/2
瞳が熱い。燃えてしまいそうな程の熱を持った血が体内を駆け巡っているのを感じる。
目の前の惨劇に私は怒りを抑えられそうに無い。この内に滾る溶岩の如き感情をどこへ向けたら良い?
この剣は──誰を斬る為にある?
欲に取り憑かれた狂気の目をした集団が私の前にわらわらと蠢く。彼らはみな、鬼気迫る表情で私を非難していた。
「お前たちがいつまでも役立たずなのだから仕方ないだろう?」
「そうだ! 私たちは都市の貴重な人材なのだ! お前たちごときが死んで我々が助かるなら何も問題はない!」
「全く、これだから請負人の様なエデンのおこぼれで生きてる下級民は困る」
「無能な統率者の無能な部下どもだ。そんな連中がいくら死のうが構わんだろうが」
────私は、確かに無能だったかもしれない。私の至らなさがお前たちを非道に走らせたのかもしれない。お前たちの信に報いる事の出来ない私を非難する事は許そう。
だからと言って、彼女に罪は無いはずだ。
彼女がお前たちにどんな害をもたらした?
彼女のおかげでどれだけお前たちが生き延びてこれた?
彼女とお前たちのどちらが人間だ?
なぜ、彼女が犠牲にならねばならなかった?
僅かに残った理性で私は問い掛けた。
「教えろ……誰が、彼女をこんな目に合わしたんだ……!」
◇
数時間前。
いつもの様に協会に戻った私をみんなが迎えてくれていた。
「協会長、お疲れ様です!」
「相変わらず無傷ですか、これじゃ医療班の出番ないじゃないですか〜。まぁ無い方が良いんですけど……」
「え。今日はセリィさんが夕飯担当なんですか? やったー!」
セリィとシズクも各々と言葉を交わし談笑している。それを横目に私は自らの書斎へと向かった。先刻、シズクに全てを担っているつもりは無いと言ったが、私には彼女らを守る義務がある。考える事ややるべき事は山積みだ。
書斎に腰を降ろし、周辺の地図を机に広げた。地図は血管街五〇番から五九番までの地図と旧ゲブラーエデン西部区域のものだ。
改めて地図を眺めて察したが、この周辺には工房が殆ど存在しない。理由は明白、ゲブラーエデンには工房の武器では無く企業の武器が流通していたからだろう。それも辺獄戦争の原因となった歪な力──リバイアスから抽出された武装【
遠征のメンバーは居住区の防衛ができるだけの人員を残して考えなければ。そうすると、遠征に行くのは私とシズクとセリィの三人で行くのがやはりベストだろう。リシルには悪いが今回は残ってもらおう。
メンバーの選出を終え書斎の椅子を倒して少し休息を取っていると、不意にドアをノックする固い音が鳴った。
「どうした?」
「お姉さま、リシルがまだ帰ってこないんです」
ドア越しに声を掛けると返ってきた声はセリィの物だった。少し不安げな声だ。私はドアを開けて他の職員たちに聞かれぬ様セリィを書斎に入れた。
「リシルが?」
「ええ。もしかしたら何か面倒ごとに巻き込まれているのかも……」
多少過保護に思う節もあるが普段であれば一、二時間で居住区への分配を済ませて帰ってくるリシルが三時間以上戻っていないとなると、その心配も杞憂ではない可能性がある。
いつ限界を迎えてもおかしくない共同生活だ。今日が
「シズクには黙っていろ。また余計な心配を増やしたくはない」
「隠していてもあの子はいずれ気付きますわよ?」
「だろうな」
「……まぁ私はお姉さまの言う通りにするだけですわ」
書斎から直接外へと繋がる通路を使用して協会から裏通りに出ると、外は既に暗くなり始めていた。生存不能域の夜は非常に危険だ。リシルの無事は勿論だが、長く留まれば私たちの無事も保証されていない。
居住区は裏通りの道を四度曲がった先に出る袋地に残された十階建ての集合住宅にある。そして、次の角を曲がれば居住区が見える────
「なんですの……コレは!?」
「くそ……リシル!」
到着した居住区の前で私とセリィは唇を噛んだ。居住区の入り口には夥しい量の血液が飛散しており、血管街の住民の死体ばかりが転がっている。元エデンの住民らしき死体は無い。その時だった。
「正気か!? どうしてそこまで残虐になれるんだお前たちは!」
「うるさい!」
「よせっ! ぐあぁぁッ!!」
「そんな! ──いやぁぁぁぁ!!」
聞き覚えのある声が聞こえ、私とセリィは同時に駆け出した。居住区の入り口を蹴破る様にして中に飛び込むと、一斉にこちらを捉える視線があった。各々が廃材や錆びた鋸、金槌などの落ちていた物を武器にして武装した元エデンの住民たちが何かに取り憑かれた様な瞳で私たちを見ていた。
──普通じゃない、一体中で何が起きている。
「皆さん、これはどう言う事ですか……?」
私が問い掛けると集団の男の一人が奇声を発しながら金槌を振り上げて襲い掛かってきた。
「失礼しますわ!」
それをセリィが男の胸ぐらを掴んで地面に押し付けて無力化する。
「セリィ、状況が分からない以上手加減するんだ。無闇に殺す訳にはいかない」
「ですが……!」
「分かってる。だからここは私に任せてセリィはリシルの元へ向かえ。さっきの声はおそらく三階あたりからだ」
「お姉さま──それは、いえ……私はお姉さまに従うだけ……!」
階段へと向かうセリィを武装した元エデンの住民達が襲おうとしたが、私がセリィの背を守る形で割り込む事で彼女を送り出す事に成功する。
「先刻の問いに答えるつもりはないのか?」
再び問い掛けつつ腰の剣を引き抜く。それを見て集団が一歩引き下がった。
「……貴様らの無能にはもううんざりなんだよ」
一人の男が小さな声で言い放った。
「生活の不満か」
やはり不安の種が萌芽してしまった訳か。いつになったら抜け出せるかも分からない厳しい状況に親しくもない人間と何年も一緒に置かれていた。私たちが最善を尽くしたつもりでも、彼らには足りなかった、私たちの様に強くは無かった──ただそれだけの事。
殺されてしまった人たちの仲間は彼らを信じる事はない。私から提案出来るのは二つだけだ。
「……あなた達の不満は理解した。だが私たちに戦う意志は無い。もしまだリント協会の庇護下に入る意志があるのなら武器を捨てて欲しい。私たちの元を離れるというのならその意志も尊重し、いくらかの食糧も分けるつもりだ」
私の言葉に数人が武器を下ろしかける。その時、耳をつんざく悲鳴が建物内に響き渡った。
「いやぁぁぁぁぁッッッ!!!」
「セリィ!?」
私の体は勝手に動き出していた。
武装した住民達を押し退けて階段を駆け上り、彼女が向かったであろう三階へと。そして辿り着いた先で、私はそれを直視した瞬間身を焦がす様な熱が体内を渦巻くのを感じた。
◇
時間は現在へと至る。
三階に到着した私が見たのは放心して立ち尽くすセリィ、武装した集団、あたりに転がる血管街の住民の死体。そしてその中の一つはよく見知った……私の事を唯一“団長”と呼ぶ少女もいた。
「──どうして」
惨い暴行を受けたのだろう、彼女の体のあちこちに見るに絶えない骨折と内出血の痕が出来ていた。
「どうしてだ……」
息絶えたリシルの亡骸を抱き集団を睨みつけた。
何故、彼らはこんなにも残虐になれるのか。己の利己の為だけに他者をこんな風に蔑ろに出来るのか。
何故こんなにも私に憎悪を抱かせるのか。
「教えろ……! でなければ最後の一人になるまで殺す……ッ」
セリィにはこんな私の姿を見られたくは無かった。だがもう抑えようがない────この怒りを失ってまで守るべきものなど何も無いのだから。
「誰も答えないつもりかッ!?」
集団は武器だけをこちらに向けて黙っていた。その目は敵を見る目などでは無く、もっとくだらない物を見るような目だった。まるで私たちの命などどうでもいいと言っている様だった。最早、私の理性の限界だった。
「いいだろう……貴様らが望むのなら教えてやる。私の守るべきものを奪った罪を!」
剣を抜いた瞬間、集団が騒めき出す。
もう何もかも遅い。貴様らが死んだところで何の償いにもならないが意味なく殺されたリシルと同じ……いやそれ以上の痛みを与えてやる。
「まだ分からないのかい?」
「────?」
場に不釣り合いな飄々とした声音が響いた。声は集団の奥の方から飛んできて、フロアに静寂が広がる。そして静寂を踏み締めるようにコツコツと床を鳴らして歩く音。
「君たちは命の価値を間違えた」
そして私の前に現れた緑のシャツの上に白いコートを羽織った白髪の男は淡々とそんな事を口にした。
「命の──価値だと」
「そう。都市の基本だろ? 都市じゃ価値の無いヤツから死んでいく。それは血管街だろうがエデンだろうが、生存不能域だろうが変わらない真実さ。そして価値の扱いを間違った奴も死ぬ。協会の長ともあろう人間がそんな事も分からないのかい?」
「下らない事を抜かすな。お前は誰だ?」
「そうだったな。自己紹介がまだだった。僕の名前はセレマ。君たちの様な一介の協会じゃ知らなくても仕方ないか」
セレマと名乗った男はそう言って不敵な笑みを浮かべる。なるほど神経を逆撫でするような男だ。だがそれが逆に私に冷静さを取り戻させた。
「お前の目的はなんだ。私たちの排除か?」
それを聞いたセレマは乾いた笑いで答えた。
「はは。君たちの排除なんて考えてないよ。僕はここの人たちに提案しに来ただけだからね」
「……何をだ」
「単なる命の勉強だよ。ここの人たちも君たちも命の価値を知らないみたいだったから」
ぞわり、と嫌な感触が背筋を撫でた。この男の悍ましさを全身が私に伝えている。
「貴様────!」
「君は頭の回転が速いなぁ?」
セレマがにこり、と微笑んだ。
その瞬間、私の内に滾る熱が最高潮に達した。
「うああぁぁぁぁッッ!!」
理性をかなぐり捨ててただ全力で剣を振り下ろしただけの一撃。技も何も無い。ただ殺す為だけの一撃だ。殺せさえすれば何でもいい、私ならそれが出来る!
剣筋は完璧にセレマを捉えていた。躱せるような剣速では無いのは私自身が知っている、相手は化け物ではなく同じ人間だ……この一撃を以て私の目の前から
「へぇ……?」
剣が至る直前、セレマが顔面に張り付いた笑みを僅かに崩すのが見えた。
直後、黒い腕が剣とセレマの間に差し込まれ私の手に硬い感触が伝わった。
セレマの傍にはた黒いスーツに頭を覆い隠す漆黒のヘルメットを被った人物がいつの間にか出現しており、私の全力の一撃は何の武装もしていないこの黒ヘルメットのスーツすら切り裂けずに止められてしまっていた。
「く、そォ……!?」
どれだけ力を込めても剣は微動だにしない。
──なんなんだコイツは!?
剣を退いて、飛び退くと黒ヘルメットは剣を受け止めていた右腕を埃でも払うかのように左手で払っていた。
「はは、
ベートと呼ばれた黒ヘルメットは何も言わずにネクタイを直す。
「怒ったのかい? ごめんって」
「セレマ。遊びの時間は程々にお願い出来ますか?」
ヘルメット越しに発された低い機械音声が静かにセレマを咎める。
「それもそうだね。本題に入るとしようか」
コートを翻し、セレマは私の正面にあった瓦礫の上に脚を組んで座り、ベートは少し下がって後ろ手に立つ。
「なんなんだお前たちは……!」
言葉を口にすると同時、腹部を凄まじい力が襲い私の体は宙に浮いていた。次の瞬間には壁へと叩きつけれており全身に鈍い痛みと内臓が押しつぶされた事で口から血が噴き出ていた。
「がは───ッ」
「あんまりいじめないでやりなよ」
「いえ、これからセレマが話すのに少し静かになっていただいただけです」
咄嗟に剣の腹で受けたつもりがその剣すら砕かれていた。ダメになった剣を放り投げる。明らかに敵わない相手だ。どんな手を使ってもこの場でこの二人に勝つ手段などある様に思えない。
だと言うのに私の内に滾る怒りと熱は衰えてはいなかった。
「さっき“遊び”だと言ったな、ふざけるのも大概にしろ……!」
「喋るなと言いませんでしか?」
ベートが再び前へ出ようとするのをセレマが制止した。
忌まわしい──私の守るべき物を奪った貴様らが許せない。リシルに何の罪があって殺されなければならなかった?。ただの遊びでそれを成したのなら悪辣に過ぎる。
これ以上、私から奪えると思うな。
この命を賭してでも守り抜く、それが私の────。
「……へぇ」
セレマの張り付いた笑みをが消え、氷の様な酷薄な笑みが浮かび上がる。
「漸くその薄笑いをやめる気になったか」
私の身体を熱が包む。そして炎が鎧へと変質していく、折れていた剣も炎によって新たな形へと構築される。
理解を超えた現象だが、この力が始めから私のモノであったことが理解できる。この力の使い方が分かる。
────燃ゆる心の炎。内に滾る溶岩の如き感情の矛先が定まったのだ。
「この剣は貴様らを斬る為にある」
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