アウタ・ウィアム・インフェニアム/1



 都市生存不能域。かつては異聞都市序列五位のゲブラーエデンが没落しエデンとその周囲の血管街の区画も巻き込む形で封印塔に隔離された。今もなお色濃く残る辺獄戦争の影響によって内部は魔境と化している。死を許されぬ罪人回死者リビングデッドや遺産技術の余波が生み出す恐怖由来の怪物ども、エデンを訪れていた請負人や暮らしていた市民達が取り残されていた。更には遺産技術を狙う採掘者達がどこかの大企業の異聞技術を用いてこの生存不能とされる領域で活動し、侵入と略奪を繰り返している。

 ──未だ取り残されたままの市民と請負人達はこの地上に現出した地獄から抜け出せないまま三年の月日が経つ。それだけの時間があれば、地獄にも秩序が生まれ始めていた。

 


 ◇

 


 荒廃した街並みの一画、以前は大通りであった街道の真ん中に一人の人間が剣を地面に立て堂々と正面だけを凝視している。

 その人物は腕捲りした黒いシャツの上から白いマントを羽織り美しい金髪をざんばらに切った若い女だった。

 彼女の名前はダリア。携えた銀の長剣と騎士の如き崇高な精神を持つ類稀な請負人にして、協会の長を務めていたが封鎖後はその肩書きも無いに等しくなっていた。

 通りにはダリア以外の生物の存在は無い。しかし異様な雰囲気が通り全体を包んでいた。

 

《──来ます!》

 首元に装備された通信機から緊張した声音が響くのを聞いて頬を汗が伝った。右手の剣を強く握り、来たる存在へと身構える。数秒後、それは出現した。

 無数の人間の手足を備えた蚰蜒げじの様な姿で体長は八メートルはある。醜悪な風貌、人の恐怖を煽る動き、まさに化け物だ。

「気色悪いな」

 正直、虫は苦手だ。己の為にしか生きれない無軌道な生き物を私は嫌悪する。

 だが化け物自体は生存不能域内ではそう珍しくは無い。地面に突き立てていた剣を平行に構え化け物を見据える。いつもの事だ。

 無数の手足を鞭の様にしならせ蚰蜒は街道を一直線に進行してきていた。手足の多さから速度もさながらだが、それ以上に体積による突進の破壊力の凄まじさが予測される。

《測定ロゴス濃度九.九%! マズイです!》

 緊迫する声が通信機から漏れた──対峙する化け物は体積と速度からして暴走する列車の様なものだ、人間など容易く踏み砕かれてしまうだろう。


 ──そんな超常の化け物に対しダリアは剣を構えたままその場から動かなかった。波濤の如く迫る怪物の体躯を前にダリアは堂々たる気迫で迎え撃たんとしていた。


「化け物風情が。我が護るべき土地を穢さんとするか」

 眼前にまで迫った蚰蜒の化け物を見上げ、平行に構えた剣を垂直に持ち直す。

 接触の瞬間、化け物の頭部を捉え剣を振り下ろした。雷鳴にも似た轟音が伴った斬撃が化け物を穿つ。僅かに体が地面に沈み込む感触。

 全力を出せば剣の方が持たないとは言え、六割程の力を出してもか──!

 化け物は止まる様子を見せず、私の剣を押し返そうと剣がめり込むのも気にせずに前進を続けようとしている。

「力は同等か……! セリィ、シズク! 今だ!」

 事前に決めていた合図を叫ぶ。すると近くの二階建ての建物の屋上から二人の人間が飛び出し、化け物の体の上に降り立った。剣を携えた二人は、化け物の体の上をまるで一種の解体作業の如く手際の良い動きで化け物の手足を切り落としながら並行して走る。

「セリィ、今回は私が勝つ」

「あらシズク、今回も私が勝つに決まってますわ」

 軽口を叩き合う二人の速度が勢いを増す。更に化け物の手足が二人の剣技によって宙を跳ねて失われていき、次第に化け物の勢いは衰えていく。そして完全に停止するとずずん、と大きな音を立てて街道にその巨体を沈める。

「やりましたわ!」

「いや私がやった」

 いがみ合う二人を一瞥して私は剣を天に掲げる。

「とどめだ」

 眼下の化け物の頭部目掛けて再度剣を振り下ろす。昆虫の外殻を持った頭部が砕かれ緑色の体液が飛散し、絶命したと確信する。

「ふ──ぅ」

 血払いをくれて剣を鞘に収めて汗を拭おうとすると、ばっ!と眼前に二つのハンカチが出現した。

「ダリア姉さん、私が拭いてあげる」

「お姉さま、私のハンカチをお使いくださいませ」

 いつの間にか戻ってきていたセリィとシズクが私の顔にハンカチを押し当ててぎゃいぎゃいと騒ぎ立てていた。

「姉さんの汗を拭くのは私!」

「いいえ私ですわ!」

「よさないか!」

 ごん、と鈍い音が二つ鳴ってセリィとシズクの二人は涙目で私を見つめてきたが、悪いのはお前たちだろう

「痛い……」

「痛いですわ……」

「全く、二人とも気を緩め過ぎだ。もしまだ化け物が残ってたらどうする? そもそもさっきもだな────」

「逃げますわよシズク」

「うん。姉さんの説教が始まる……!」

 そう言って二人が走り去ったのに気付いたのは数秒が経ってからだった。

 眼前から消えた二人の背を離れた所に見つけ思わず笑みが漏れる。

「ふ……仲が良いのか悪いのか」



 ◇



 街道から離れ帰路に着いていたダリア達三人は道中でもう一人の仲間であるリシルと合流していた。

 リシルは先刻の戦闘では通信役を務めていた少女で、歳はまだ十三になったばかりだ。元々は大企業勤めの家庭で育った箱入り娘だが、緊急隔離後に私たちの仲間になった希有な心の持ち主でもある。前線に立つのは厳しいだろうが、エデンの上質な教育を受けていただけあって通信役であれば彼女の能力はリント協会の中でも彼女の右に出る者はいないだろう。

「団長、お水どうぞ!」

 私のことを団長と呼ぶのはリシルだけだ。彼女曰くリント協会が本で読んだ騎士の様で、それを率いているのが私だかららしい。私はそれほど出来た人間では無いというのに。彼女抱く私へのイメージとの乖離が未だに拭えないせいか、この三年でそう呼ばれるのは慣れたと思ったが未だに若干の恥ずかしさがある。

「ああ。ありがとう」

 リシルから水の入った金属製のボトルを受け取ってダリアは乾いた喉を潤す。生存不能域内では貴重な水だが、三年の内に安定して手に入れる方法が確立した現在ではこうして気楽に水を口にする事が出来る。

 緊急隔離後──かつてのエデンの姿は微塵も残っていない。跋扈する化け物、人喰い、採掘者とかいうならず者。エデン内に本部のあった協会も連日連夜の戦闘で生き延びているのはそう多くはないだろう。

 三年前、隔離が実行された日。私たちはエデンに残された住民の為に戦う道を選んだ。力のある私たちが居住区近辺の化け物や採掘者達を退ける事で欠片でもかつての日々を取り戻したかった。それは私のエゴだと非難されても仕方がなかったが、それでもリント協会のみんなは着いてきてくれている。

 だから私は示さねばならない、いつの日かこの地獄が終わる事を。

「団長?」

 黙り込んでいた私をリシルが不安げに覗き込んでいた。

「何でもないよ。今日のは少し強かったからな、疲れただけさ」

 正直言えば、少し強いとは言ったが武器が十全なら大した相手では無い。そろそろ武器のメンテナンスも必要な頃合いだろうか。となれば遠征をしてどこかの捨て置かれた工房でも見つけなければならないな。

「姉さんの武器、メンテナンスしないともう危ないと思う」

 後方を歩いていたシズクが私の右に来てそう告げる。

「ふ……やはり分かるか」

 見抜かれていた事に驚いて苦笑するしか出来なかった。

「当たり前。姉さんが全力を出せてたら私たちの出番は無かった。特にセリィ」

「なっ……! 私だって分かってましたわよ! でもそれを言ったらお姉さまが困ると思って言わなかっただけですわ! シズクはそういう物の機微ってものが分からないからいつもお姉さまを困らすのよ!」

 いつの間にか左側に来ていたセリィがふんぞり返って言い放ってシズクを睨み付けた。

「セリィ、私はいつでもいいよ?」

 言いながらシズクは腰の長剣に手を伸ばす。セリィもそれに応じて剣を抜こうとしていた。

「こら」

 本日二度目の拳骨を二人の頭に食らわして諌める。

 二人が喧嘩するのはいつもの事だ。何を争っているのかは知らないが、私の事を姉と慕ってくれるのは嬉しい。

 二人は私がリントの協会長に就任する以前からの部下だ。付き合いはここでの三年を含めてもう七年になる。

 シズクは腰まである長い黒髪で頭頂部で纏めたリボン結びの髪型が可愛らしい十七歳の小柄な少女で、セリィはシズクよりも二つ歳上で元々の綺麗な長い茶髪を私を真似て金髪に染めた長身で女性らしいスタイルをしている。

 シズクは血管街の出身で物心ついた時には親はおらず、五三番街で暴れ回っていた所を捕えられ殺されそうになっているのを私が引き取る形でリント協会に入った。その頃は手の付けられない狂犬の様だったがある時から今ではそのナリを潜める様になった。

 セリィは別のエデンの重役の娘だったらしくお嬢様の様な口調はそこで身についてしまったらしい。エデン出身者が請負人になる事は普通あり得ない事だが、彼女の一家が血管街を訪れた際に人攫いに襲われたのを私が助けた事でセリィは請負人になる事を決めたと言っていた。無論、親からは猛烈な反対を喰らい半ば家出同然でリント協会に入ってきた。残念な事に彼女の親は辺獄戦争に巻き込まれ命を落としてしまっている。

 リシルも含め、三人とも親がいない身の上だ。お互いを姉妹の様に大切に思い合っているのだろう。私自身、協会のみんなは家族の様に思っている……だからこそ私がみんなを守らなければならない。


 考え事をしている内にリント協会の事務所が見えてきた。とは言うものの以前はエデンの大通りに構えていた事務所だが、今は旧五二番街の一画へと移転している為殆ど廃墟と変わらない表構えだ。それに人員も三年前は四十名在籍していたのが──今では十八人になっている。いなくなった二十二人は離れていったのでは無く、戦いの中で命を落とした。いつかこの地獄を抜け出してほしいと残った者達に願いを託して──。

「それじゃ私は居住区のみんなに今日の収穫を渡してきますね!」

「ああ、そちらはリシルに任せた。私は工房のある区域に向かう編成を考えておこう」

 明るく告げてリシルは居住区の方へと走っていく。居住区はリント協会の構えられている通りの裏にある廃墟群にある。住んでいるのは元々の血管街の住民とエデンから私たちが避難させてきた一部の人間だ。はっきり言って人間関係は良くない。無理もない話だろう。かつては上流にいた人間が血管街の人間と同等の扱いを受けなければならないのだ。元エデンのリシルが取り持つ事で保たれているが不安は拭いきれない面がある。

「不安、ですわよね」

 セリィが静かに呟いた。シズクもそれに頷く。やはり考える事は同じらしい。

「この共同生活も限界が近いのは間違いない。むしろ三年もよく保った方だ、工房の件は早急に実行に移さねばな」

 居住区の建物に入っていくリシルの背を見届けて私も協会に戻ろうとした矢先、シズクが「こんなのおかしい」と漏らす。

「シズク──!」

 セリィが振り上げた平手を私は制止してシズクに向き直る。

「……何がだ?」

 私の問いにシズクはきっ!と鋭い視線を向けてきた。

「どうして姉さんばかりが何もかもを担う事になるの……!?」

「担うだなんて私はそんな大袈裟には捉えていないよ。手の届く範囲に物事があっただけで、それに自分だけで全てをこなせるとは思っていない」

「でも結局は姉さんが何とかする事になってる!」

「それはシズクの勘違いだ。私一人ではどうする事も出来ない事はある。みんながいてこその私だ。お前たちがいなければ私なんてとっくに生きる事を諦めていたさ」

「でも……でも……!」

 徐々に俯いていくシズクの声が震え、地面に小さな水溜まりを作っていた。

「もう、よしなさいなシズク。その為の私たちでしょう?」

 見かねたセリィがシズクの背を撫でながら彼女を宥めていた。その姿は本当の姉妹の様でつい微笑ましくなってしまう。

「シズクが私の事を大事に思ってくれて嬉しいよ。さぁ、家に帰ろう」

「うん……」

「今日の夕飯はシズクの好きなD社のカレーにしてあげますわ」

「うん……」

 そうして今日も生き延びた事を分かち合う。いつかは地獄を抜け出す事を夢見て今日が終わっていく。そんな日々に慣れ切ってしまっていた。そんな日々がまだ続くのだと思ってしまっていた。


 終わりの鐘は唐突に、劇的に、絶望と共に鳴り響いた────

 

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