アビサス・アビサム・インヴォケート/7
都市の構造は大きな六角形と
十つの円形の区画は旧時代の文献にある
血管街からも見える楽園の上空は黒い光に満ち、天高く聳える漆黒のビルディングが威容を放つ。あれこそが異聞都市第三位企業の統治するビナーエデンだ。
旧時代におけるゴシック建築を模したビナーエデンの尖塔を一瞥してベイルは足下に視線を動かした。
「……」
「た──たすけてくれへん……?」
眼下に這いつくばる大男が聞きなれない口調でベイルへと手を伸ばす。大男の腹の下には大きな赤い鞄が下敷きにされておりベイルは男の所属組織を察した。
「バッカー協会の直属請負人か」
都市における凡ゆる事に対して取立てを行う事を専門とした組織。七四番街に協会事務所を構えてはいるものの直属請負人達は血管街の至る所へと駆け回っている。この大男も何らかの任務の途中なのだろうが──
「食いモン恵んでくれぇ……」
明らかに行き倒れていた。
「協会の職員がなんでこんな所で行き倒れてるんだよ」
こんな間抜けがバッカー協会の一員などと到底信じられなかったが、抱えている鞄は確かに本物の協会職員が持っている物と同じであり、大男の服装もバッカー協会の特徴と一致している。黒いスーツに赤いネクタイ、深い黒色のベーシックハット。加えて男はスーツの上に灰色のロングコートを羽織っていた。
「サイフ落としてもーて……」
「……お前本当に都市の人間か?」
間抜けにも程がありすぎる。今まで生きてこられた事の方が間違いだとしか思えない。
「頼む後生や! 何でもええからメシ……」
「めんどくせぇ──」
とは言え、コイツがここで死んだ場合バッカー協会の連中は最後に誰と接触していたか調べ上げて追ってくる可能性がある。不服極まりないがここは要求に従っておくのが良いかもしれない。
「おい、そこの食堂でいいよな?」
「ほ、ホンマか!?」
◇
「いやぁ助かったわニイちゃん! ありがとな! にしても一〇五番街なんぞ風俗くらいしかあらへんと思っとったが案外うまい店もあるもんなんやな! 特に魚料理が」
満足げに爪楊枝を咥える大男が図体と同じく大きな声で礼を述べる。対面に座るベイルは珈琲を啜りながら男がいましがた食べ終えた物が魚ではない事を黙ったまま睨み付ける様な視線を大男へと向けていた。その視線を受けて大男はぽんと手のひらを叩いて口を開いた。
「そや、自己紹介しとかんとな。ワイはバッカー協会直属請負人のアルフレッド・アクゼル言うモンや。ここに来るまで色々あったもんでのぅ、協会からの任務を果たしたはええんやけど帰り道でサイフ落として探しとったらいつの間にかカメリアの請負人連中に囲まれとってな。それがもー大変やったんや! 奴ら都市の上流の方の下請けやっとるからか知らんがやたら偉そうでな、こっちはサイフ探しとるだけやっちゅーのに問答無用で襲い掛かって来るし、そんなこんなで逃げ回ってる内に行き倒れてしもうたっちゅーワケ。さすがに五日間も昼夜問わず逃げてたらそら腹も減って動けんくなっちまうわな! わはは!!」
奇妙な口調を用い怒涛の勢いで喋る大男──アルフレッドはひとしきり喋り終えると目の前の水を一気に飲み干して大笑いした。
「今のが自己紹介なのか……?」
「あん? それ以外のなんやっちゅーねん」
アルフレッドの反応を見て、話すだけ無駄かと諦めてベイルは思考を切り替えた。
「俺の名前はベイル。フリーの請負人をやってる」
「そんだけかい。ジブン随分冷めてんなぁ」
アルフレッドは不満げに目を細めて睨め付けてきたが、おかしいのは自分ではなくこの男の方だ。
「お前みたいな奴の方が珍しいんだが……」
「まぁ請負人になったのは最近やしなぁ。言うてもこんな風に迷子になる事多いせいで怒られてばっかやけどな! ベイル言うたか? とにかくよろしくな! わはは!」
アルフレッドは笑っていたが都市で生きる人間にとって任務の失敗は笑い事じゃない。下手すればそれだけで死に直結する事だってあるくらいだ。それを笑って済ませる程度には実力がある請負人なのか。いや、この男にそんな雰囲気は無い。ただ楽観的なだけの一番嫌いなタイプの人間だ。
だからといってこれ以上関わるつもりの無い相手の事情など知った事ではないが。
「じゃあ俺はこれで」
珈琲を飲み終え支払いに足るだけの金銭をテーブルの上に置いて席を離れる。
「ちょ、ちょ待ちぃや!」
がたがたと騒々しく立ち上がったアルフレッドが後を追ってきた。こちらとしてはもう関わり合いになりたくない訳だが。
「まだなんかあるのか?」
「なんかって……まだ何の礼もしとろんやろがい! なんかやって欲しい事とか欲しいモンとか無いんか? まぁワイの出来る範囲やけどな」
「何も無いって。強いて言うなら関わらないでくれないか」
「かぁ〜! そりゃないわ。これでもバッカー協会の直属請負人やぞ? 多少の無理難題は何とか出来るで?」
「しつけぇな。何も無いって言ってんだろ、こっちは人探しで忙しいんだよ」
「お。人探し!」
アルフレッドの表情がパッと明るくなる。その変化に何か嫌な予感を感じざるを得ない。
「こう見えて人探しは得意やねん。それを買われてバッカー協会に入れた訳なんやけどな! で、どんな奴探してんねん教えてみ?」
「お前には関係ないな。そもそも協会の人間を簡単に信用する訳ないだろ。それもバッカー協会を──」
「なんやそんな事か、それなら何も問題あらへんで。実を言うと訳ありでな、協会には戻っとらんのや。なんとなくやけどニイちゃんも訳ありやろ? 協会にわざわざ告げ口するつもりはないから安心せぇ」
「そんな口だけの言葉のどこを信用しろと?」
「頑固なやっちゃな……ならこれでどうや? お互いに素性の詮索はしないっちゅー事で。ワイもニイちゃんの人探しには同行するがどんな奴を探してるかは聞かん。それにワイは連れてるだけで便利やで? バッカー協会の職員っちゅーだけで大抵の組織は見逃してくれるで?」
「……」
確かに、これから都市を動き回る上ではアルフレッドの利用価値はあるかもしれない。だが探している人間が人間なだけに容易に信用も出来ないのが現状だ。それにこの男の訳ありの内容も気に掛かる。それでも都市を動き回る間だけでも利用はした方がいいか……。
「──分かった。その条件でいい、ただしお前の面倒ごとに巻き込まれるつもりはないからな?」
「よっしゃ、決まりや! なら早速行こうやないか。まずはどこから行くんや?」
「封鎖されてる一〇二番街だ」
「……ベイル、お前さん相当な訳あり物件やな」
アルフレッドが僅かに顔を青くして呟いた。
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