アビサス・アビサム・インヴォケート/6



「エルゴスムの娘だって!?」

 都市で生きていてエルゴスムの名を知らない人間は恐らくはいないだろう。エルゴスムという人物の遺した異聞技術は現在【エルゴスムの遺産】と呼ばれ異聞局の管理下にある。実態は不明だが少なくとも生存不能域を包囲する封印塔にはその遺産が応用されている。しかし知られているのはそこまで。名前と用語だけを定めて人を統制するのが都市のやり方だからだ。

「だけど……どうしてお前がそんな事を知ってんだ? エルゴスムに関する情報なんてそれこそ限られてる。そもそも異聞局の連中がエルゴスムに子どもがいるなんて情報を見逃すはずがないしな」

 こんな情報は知っているだけで異聞局の監査対象になってもおかしくない。もしかせずとも厄介な事に巻き込まれたとしか思えない。

「この話を聞いた以上、お前はあたしに協力するしかないぞ?」

「当たり前だ……くそっ」

「代わりにあたしはお前の“復讐”とやらに協力してやるよ。色々と入り用だろ?」

 そう言ってムルムルは今しがた弄っていた機械にハンマーを思い切り叩きつける。そしてガンガンと何度も殴りつけているというのに機械は砕ける事なく変形、、していき──やがて一振りの剣へと成っていた。

「未だに慣れないなお前の武器の製造工程は。どうなってんだそれ」

「『物の機能を損なわない形状変化』っていう異聞技術だよ、扱いは難しいがね」

 へっ、と鼻で笑いながらムルムルはハンマーに視線を落とす。

 企業の中には使用料さえ払えば誰でも使う事が出来る異聞技術もある。都市の中には高額な使用料を取られる事も厭わずに武器製作に心血を注ぐ者も多い。ムルムルもその一人であり、彼女の扱うハンマーはその異聞技術を用いて作製された最初の作品にして愛用の工房道具であった。

 都市じゃ異聞技術の使用料を払えるほどの稼ぎがある工房は一流だ。だが一流は単なる一流で終わる人間が多い。一流を超えた才能や作品を生み出した奴は本人そのものが“芸術”と呼ばれる鮮烈なる“都市の色”として扱われる。ムルムルの作る武器であればを目指すのも容易だろうがエルゴスムと繋がりがあると知られない為にその道は避けているのだろう。

「そら、持ってけ」

 ムルムルに渡されたは彼女が槌を当てるまでは機械の塊だったが、今や東洋の片刃湾刀を模された形状へと変貌していた。製造の過程か彼女の趣味なのか刀身から柄までの全体が漆黒で統一されている。それに重厚感のある見た目とは違って異様な軽さだった。

「今んところそいつがあたしの最高傑作だ。ヴェルト社の次元制御、バーティカル社の重力制御。二つの異聞技術をあたしの腕で無理矢理くっつけてやった。こんなヤバい代物持ってんのも使えんのもお前くらいだろーな。ちなみに銘はムルムルの黒刀だ」

「名前がダセぇ……普通に黒刀でいいだろ。まぁ名前はともかく確かに話を聞いてるだけじゃヤバそうな武器だな。使ってみないと分からないけど」

 受け取った黒い刀を腰のベルトに差す。しかしそれを聞いていたムルムルが苛立ちを覚えた様子で立ち上がった。

「あたしの腕を疑ってんのかよ? そこらの落ちぶれた工房もどきと一緒にしてるならこの場でぶち殺がすぞ」

「違ぇよ。一応ブランクがあるから俺自身に不安があるだけだって」

 なにせ一年近く遺跡の奥底でぶっ倒れてたせいか、目覚めてから一週間経った今も感覚は鈍いままだ。恐らくは黒い萌しあの力の影響もあるのだろう。断言は出来ないが以前の自分とは違う様な感覚が付き纏ってきている。

「おいおい……異聞局の“黒鬼”とまで呼ばれたお前が随分弱気じゃねぇかよ!」

 黒鬼。なんて呼ばれていたこともあったか。でもそれは──。

「────まぁいいや。言っておくけどエルゴスムの娘がこの都市に来てるって以上、都市はいずれ気付く。なんでか知らないが【ハイエナ】の連中をこき使ってたスェズ運送も壊滅して、ここに来る途中一〇二番街を封鎖しているアノヤ協会も見かけた。もう都市は動き出していると思っていいだろうな。こういう雰囲気は何度か覚えがある」

「お前がそう言うならそうなんだろうな。辺獄戦争の時はあたしは企業にいたし、血管街の事はお前の方が分かってんだろーし」

 辺獄戦争を始めとした都市の事件の多くは血管街で起きている。巻き込まれるのは力の無い住民、金の無い浮浪者、仕事を選ぶ事の出来ない請負人達。いずれにせよ明日の命すら約束されていない者達だ。企業や異聞局の高官達は血管街で無残に死んでいく人々の事など存在しないかの様に振る舞う。

 大企業という偉大なる塔は血管街を巡る終わることの無い死と嘆きと苦痛の上に築かれている。

 その多くを見てきたベイルはいつしかそんな風景に慣れ、希望も絶望も抱かなくなった。そのはずだった。

「楽観的だな。都市じゃ誰もそんな風には生きられないってのに」

「なんだ荒れてんな?」

「悪い……」

 口をついて出た言葉に自分自身で驚いていた。とっくに分かっていた事に今更腹を立てているのはどうしてだ。希望を持つのも、何かに絶望するのも無意味だって俺は知っていたはず。

 気付くと、珍しく心配した様子のムルムルが俺を見上げていた。

「酷い汗だぞ、大丈夫かお前?」

「平気だ……気にしないでくれ」

「……そうか」

 それ以上の言葉は交わさずにベイルは外套を羽織りムルムルに背を向けた。都市が動き出している以上、行動は早いに越した事はない。向かうとすればアノヤ協会が封鎖してる一〇二番街だろう。エルゴスムの娘──シイナの手掛かりがありそうなのはそこだけだ。

 

 

 

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