アビサス・アビサム・インヴォケート/1


 都市異聞局外苑区企業群地帯。

 異聞局を中心に広がる地帯であり、【異聞技術ストレンジ・アート】を有さない百以上の小さな企業や研究所と工房が集まって出来ている。

 その中の一つの四階建ての小さなビルディング【タイニーハート社】は人工臓器の培養研究を行なっており、小さい企業ではあるがこれまでに人工眼球の量産技術を確立させるなどの功績で外苑区から中央区画への移転許可が出されている。

 しかし先日、タイニーハート社は雇用している社員の一人により密告を受け、現在は業務停止の措置を取られ、更には異聞局による監査が行われようとしていた。


「異聞局企業群三級監査員【インベル】だ。貴社には異聞技術の未登録かつ不正使用の疑いがかかっている」

 インベルと名乗る異聞局監査員の制服である金の刺繍の入った黒スーツに身を包んだ男はそう言って奥へと進もうとしたが、そこへ一人の男が慌てて立ち塞がった。

「わ、わたしの会社にその様な事実は無いっ……監査員さまもその様な戯言に徒労を味わいたくはないでしょう?」

 グレーのスーツに身を纏った太った中年男を見て、インベルは記憶にあるT・Hタイニー・ハート社の社長の顔を思い出す。

「あんたが社長だな。確かに近頃は偽の密告も多い。だがそれは俺が監査をやめる理由にはならないな」

 インベルの足が再び動き出そうとするのを見て中年男が叫んだ。

「恐らく! 恐らくですが……他社の差し金では無いかと……! 我々の技術を妬む他社が使い捨ての密告要員を雇ってこんな事を……!」

「先刻も告げたがそれは監査をやめる理由にはならない」

 無情にもインベルはそう切り捨てる。だが、彼のスーツの端を掴んで止める者がいた。

「エスト一級監査員、止めないでください」

「いいから。小僧には荷が重い様に感じるよ」

 インベルは目の前の中年男性に対しての冷徹な態度と違い畏まった口調で、かつ身を強ばらせながら背後に立つ小柄な若い女性に問いかける。だが背後の気配はそれを許さなかった。

 エストと呼ばれた女性は背丈はインベルの半分程度、異聞局指定の金刺繍の黒スーツの上から更にファーの付いた黒い長外套を羽織り腰まである銀色の長い髪を後ろへと流した精緻な人形を思わせる女性だったが、彼女の直属の部下であるインベルは彼女の見た目の裏にある“狂気”を知っている。

 だからこそインベルは今回の監査を手早く済まそうとしていたがそれもエストに止められた事で無意味になった、と静かに瞑目し後ろへと下がった。

 代わりに前へと出たエストは状況を飲み込めていない脂汗を浮かべる中年男性の前に立つとその目にはインベルにしか分からない喜びの色が宿っていた。

「都市規則第五項、『無効となった密告に対しては密告者が処罰の対象となる』」

「そ、それが……?」

「知らないわけはなかろう?」

「……勿論です」

「なら話は早い」

「……?」

 困惑する男をよそにエストは長外套の内へと手を突っ込む、そして再び手を抜いた時その掌の上に鍵の付いた小さな箱が乗っていた。

「その箱は……?」

 男の質問に答える事なくエストは続けた。

「使い捨ての密告なんて手法は大企業だからこそ取れる手法だよ。企業群に分類されてる同士でそんな潰し合いをしてなんの意味がある?」

 心底不思議そうに告げるエスト。だが何も分かっていない様に見せているだけだ、と後ろにいるインベルは理解していた。

「な、なら大企業の連中が我が社の技術を奪おうとしているに違いありませんっ! 一級の監査員がそんな都市の歪みを許していいのですか!?」

 その発言を聞いてエストは口の端を歪める。

「では私たちがこの目で見て、君の会社の技術を特許として認めてあげよう。ただし──それが技術と呼べるモノならばの話だが」

「そ、それは……!」

「願ってもないことだろうに、泣いて喜ぶべきところだろう?」

「わ、分かりました……ご案内致します……!」

「ふむ」

 そうしてエストとインベルは「我が社の技術は最上階のシェルターで管理している」という男の後について四階へと到着した。

 古いエレベーターに乗ってたどり着いた先は壁全体が黒く照明も最低限の非常灯の明かりのみ、更に冷蔵庫の中の様に室温が低くなっておりフロアの最奥には巨大な鉄扉が備えられていた。

「ふむ」

 と頷くだけのエスト。インベルが辺りを見回し危険がないこと確認するとエストより先にエレベーターから体を出し、それに続いてエストが降りる。そしてエストが振り返ろうとした瞬間、

「このクソガキがぁッッ!!」

 エストの頭を男が材質不明な四角形の物で殴りつけた。

「貴様ッ!」

 咄嗟にインベルが銃を取り出して男へと向けるが、男は構う事なくエストの頭部をその四角形の何かで殴ろうとしていた。再度それが振り下ろされる前にインベルが発砲する。

 乾いた音が薄暗いフロアに共鳴し次いでどさっと男が動きを停止したが、致命傷を外していたのか男は狂った様に笑い出した。

「くは、あはあはあはふひひぃっ!」

「自分が何をしたのか理解しているのか」

 銃口を男に向けたままインベルが問いかける。

「──理解ぃ? それこそお前たち異聞局の連中が理解するべきじゃないのか……?」

 致命傷では無いとは言え肩を撃ち抜かれて出血している男がゆらりと立ち上がる。

「何もかもが不条理に満ちている、不平等な秤の上で毎日を踠いている!! 正しい思想などどこにもありはしない事を知っているか!? 私は知っている……正しいのは私だけだ。間違っているのはお前達だ! 何故この私がそこで血を流して地べたに横たわるクソガキごときに秤に掛けられなければならない!?」

「……狂人が」

 インベルが銃口を動かすと男は目を見開いてインベルを凝視する。

「狂っているのは私じゃない私以外だ! それをわからない奴が多過ぎる! だが人は一人では生きていけないのだ……理解が、そうだ理解が必要だった。みなと共有し分かち合うための理解が」

 男の雰囲気が変わったと同時インベルが再度発砲した。銃弾は男の頭蓋へと真っ直ぐ飛翔し撃ち抜く──筈だった。

「ああまただ……また理解が足りなくなった」

 銃弾はうわ言を繰り返す男の頭蓋にぶつかっただけで傷すら負わせずに地面へと落ちる。

「チッ!」

 通信機を取り出そうとインベルが懐に手を伸ばす。同時に男がその太った体型からは想像出来ない速度で駆け出した。インベルの一瞬の隙を突いて男は最奥の鉄扉へと辿り着くと掌にある四角形の何かを鉄扉の窪みへと嵌め込んだ。

「お前達も理解をする時が来たんだっ!」

 男の叫びと共に鉄扉がゆっくりと開かれ、辺りに不気味な重低音が響き渡った。

 どくん。どくん。

 一定の間隔で刻まれる拍子と生臭い鉄の臭いがインベルの鼻腔を刺激する。

 狂気の笑みを浮かべた男の背後には巨大な深紅の肉塊が部屋一杯に脈動していた。

「これが理解だ! そうだろうみんな!」

 肉塊へと向かって叫ぶ男。呼応する様に鼓動が鳴る。

「やはり私の事を理解してくれるのはみんなだけだ……今こそ一つになろう……そして世の中を理解で満たそうじゃないか」

 言いながら男が肉塊へと手を伸ばし、その中へと沈んでいく。男の体が肉塊の中に完全に沈み込むと肉塊の鼓動が更に大きくなった。肉塊と一体化を果たした男が肥大化した肉塊を肉体へと変質させて部屋から這いずり出る。その姿は皮膚の無い神経を剥き出しにした人間の様な悍ましさであり、まさに不恰好な肉人形だとインベルは心の内で感想を述べた。

《みんなの命を感じるぞぉ。この形こそが理解の理想形だとみんなもよく分かってくれたんだな。さぁみんなで都市を理解しようじゃないか! その為にも先ず────》

 最早肉の鎧を纏った怪物へと成り果てた男だがその表情は恍惚としており虚ろな瞳でインベルを捉えていた。

《不理解者は食べてしまおうか》

「……対象を【危機存在クライシス・ビーイング】と認定。以降【ミートマン】と仮称し、アームド・プロトコルに移行する」

 インベルは銃を投げ捨てスーツの内から二メートル長の大剣を引き抜く。機械文明の発達した時代に沿ぐわない旧時代的な武装はインベルの嗜好では無く都市規則に則った故の装備である。インベルが柄を肩付近まで持ち上げ剣先をミートマンへと向けて構える。対してミートマンは依然恍惚としたままうわ言を続けていた。

《ああ、理解が脳を満たしていく────素晴らしい感覚だ》

「いつまで浸っているつもりだ」

 インベルが先手を仕掛け、ミートマンに正面から斬りかかる。途端、重い衝撃がインベルを襲った。

「──ッッ!?」

 突如発生した衝撃がノーガード突っ立っていたはずのミートマンの拳である事をインベルが理解したのは、ほぼ反射的に大剣の腹で受け止めてからだった。

《ん〜まだ理解を拒むのか》

 ミートマンが余裕の表情で顎を摩る。対照的にインベルの方は今の一撃で肋骨の何本かが折れ内臓も損傷したのか口の端から血液が漏れていた。

「……それが貴様の会社の技術か? 単純に膂力が上がっただけならサイボーグ化と大した違いはないな」

《くほっ! それは私への理解が足りない言動だ。まだまだまだまだ理解へは程遠いぞぉ? 見ろ! そして理解しろッッ!》

 ミートマンの纏う筋肉が泡の様にもこもこと盛り上がり、体躯は先程までの倍近くの四メートル以上にまで肥大化する。そして肥大化の限界に至ると途端ミートマンの筋肉は伸ばしたゴムが戻る現象に似た動作で収縮し、不恰好だった肉塊から洗練された筋肉を持つ人型へと変貌を遂げた。

《私への理解が進んだようだ────理解が進むほど私はより正しくなれる》

 自らの肉体の感触を確かめ、ミートマンは瞼の無い剥き出しの眼球でインベルに視線を向けた後、地面に両手を突いてしゃがみの姿勢を取った。

《さっきよりも私は速くなった。最早この私を止める者などいない。故に私だけが正しいッッ! お前の様な不理解者も私と一体化し理解させてやろうッ!》

 直後インベルの視界からミートマンの姿がふっ、と消える。

「確かに貴様は速い、そして膂力も一級に相当するだろう。だが所詮は企業群の有象無象の一つだと言うことを知る事になるだろう────」

 迫るミートマンに対しインベルは構えすら取らずに立ち尽くすのみ。ミートマンからはインベルが反応出来ていないか諦めたかの様に見えていただろう、ミートマンからすればインベルを殺すのに後数秒も必要無かった。だがその僅か数秒が遅い────否、むしろ遠ざかっていく様な感覚に囚われていた。

《……? 何故だ。いつまで経ってもヤツに届かない……?》

 眼前にいたはずのインベルの姿が宇宙における等速直線運動じみて今は遥か遠くへと流れていく。永遠に追いつく事のできない領域へと────

「今お前が感じているのは我々のみが知る技術の一つ。二十年以上前に世界に多大な影響を齎した【エルゴスムの遺産】だ。最早この声はおろか目の前にいる俺のことも知覚出来ていないだろうがな」

 完全に静止したミートマンの横を抜け、インベルは倒れ伏したままのエスト一級監査員の首筋に触れた。

「……死んでしまったか」

 何の感情も乗っていない声音でインベルが呟く。こんな時思インベルが思うのはいつも同じ事だ。


 都市ではどんな狂気も歪んだ感情も生物も力も、より大きな歪みの中へと引き摺り込まれているだけ。英雄も悪魔も等しく引力に逆らえず闇に呑まれて消えていく。

 繰り返すばかり、同じ所を延々と回り続ける壊れた歯車。それが都市というものだ。


「上司が死んだ時の報告書か──どうしたものかな」



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る