第2話
唐突だが、篠塚さんは美人だ。
篠塚美奈さん。
高坂とも仲が良く、女子の中では一際顔立ちが整っている女子だと思う。
高坂も満更では無さそうにしているし、既に二人を恋人同士だと思っている男子もいる。
篠塚さんは明るくてサバサバしているけれど、たまに見せる女子らしさが可愛らしいと思う。ただ、残念なのは高坂のことが明らかに好きで他の男子は眼中に無いというところだろうか。俺はちっとも残念には思っていないが、他の男子は違うらしい。
がっくりと肩を落としては「高坂じゃ勝てねぇよ」と闘志を萎ませて諦める。それでもまた「やっぱり、篠塚って良いよな」と気持ちを復活させるのだから、諦めが悪いというか単純というか。
なんにしても、俺を含めてきっと男は単純にできている。
可愛い女子を見れば付き合いたいと思うし、見込みがないとわかれば落ち込む。まぁ、そんなものだと思う。
篠塚さんは確か風紀委員で、身だしなみがしっかりしていないと怒られるときもあるとか。それを狙って制服をわざと着崩したりする男子も居るくらいには、篠塚さんは人気だと思う。
高坂が俺に篠塚さんの話ばかりするから、自然とどんな人か覚えてしまっている節もある。だけど、俺が気になっているのは――篠塚さんの隣でのんびりと笑っている坂上さんの方だった。
唐突だが、坂上さんは普通だ。
坂上真央さん。
身長は篠塚さんより低く、モデル体型というわけではない。太っているわけでもないが、細すぎるということもない。
顔はほんのり丸顔で、髪はいつもひとつ結び。長さは背中の半ばくらいまでで、色は深い黒だろうか。篠塚さんは明るめの茶髪なんだけれど、坂上さんは染めたことが一度も無さそうな純黒だ。
別段、美人ではなく愛嬌のある顔だな、と思う。何かに例えるなら、犬のマルチーズみたいな感じだ。
丸い黒目に太くも細くもない眉毛。小動物のようだな、と思う。
篠塚さんは忙しくて、声をかけられることが多々あるが、坂上さんはそれにさっぱりとした態度で頷いて篠塚さんを引き止めることもその場にずっと居座ることもない。移動教室なら篠塚さんを置いて先に行くし、篠塚さんがどこかに行くときものんびりと送り出すだけ。ぼんやりしているというよりは、のんびりしているように見える。
成績も運動神経も普通で、特に目立つことはない。園芸委員で花壇をよく手入れしているせいか、たまに頬に土がついている。
ああ、そうだ。
たまに花びらを髪につけていたりする。花びらだけじゃなくて、葉っぱをつけているときもあった。
それから、なんだっけ。――そうだ、悔しそうな顔をすることが結構あるかな。
――高校生活二年目の春。
そんな普通で大人しい坂上さんに俺は恋をしてしまった。
だけど、俺は高坂みたいにモテるわけでも何でもないし、正直言って家族のことが原因で恋愛をしようという気にはならなかった。
自ら動いて恋愛をする。それがどんなに労力のいることか。
二人いる兄貴は女に振り回されっぱなし、もう二人いる姉貴は我が儘で女の裏話をよくしてくる。恋愛するのはとても大変で覚悟がいることだと知ってからはしようという気になれなかったし、まずそんな方向に向かうことがないのも事実だった。
美形、美人。
兄姉は見目麗しく成長したが、末っ子の俺はいたって普通で鏡を見てもお世辞にすら格好いいとは言えない顔だ。
平坦で地味な顔。姉貴は「ありがち」だと言うし兄貴は「凹凸が少ないな」なんて言うし。そんな顔の良い奴等の中で生きてきたからか、劣等感なんてどこかへ飛んでいってしまって高坂と居るのも全然平気だった。
俺は高坂とは違うし、そもそも同じ人間なんて居ない。そう思えば劣等感や嫉妬なんてどうでもよくなる。俺は俺で、普通に生きて行けばいい。
そりゃあ、モテてみたいと思うことだってある。だけど、モテたらモテたで大変だと言うことも兄貴を見て知っている。
とりあえず、のらりくらりとマイペースに過ごしていたらいつかチャンスは来るんじゃないかな、と兄貴に言ったら「チャンスは掴み取るもんだろ」と笑われてしまった。
夏休みが近づいて、坂上さんに会えなくなることも「ちょっと寂しい」くらいで是が非でも行動しようなんて思ってなかった。
好きだな、可愛いな、とは思っても付き合えるなんて夢は見ない。卒業するとなれば少しは気持ちを伝えたいと行動に出るかもしれないが、今は無理やり動いて気まずくなったりしたくない。
見てるだけで、いい。
坂上さんはのんびりしていて、見てるだけでも幸せにしてくれる。
もしかしたら夏休みの間にもどこかで見かけるかもしれない。
我が儘で強欲で本当に手のかかる兄姉がいたら、ちょっとやそっとのことで怒る事もない。だから高坂からは「ある意味大物だな」と尊敬されるくらいだった。
「高坂!バスケしに行こうぜ!」
隣のクラスの奴が教室に入ってきてそう言うと、高坂は顔を上げた。
運動は好きでも嫌いでもないけれど、昼休みバスケはちょっときつい。本読みたいし。
「おう!飯食ってからなー」
快活に返ことをして、高坂は俺をちらりと見る。浅く首を振ると、納得したようににかっと笑った。高坂のこういうところが、モテる理由なんだろう。相手に強要しない、というところ。
「俺も混ぜろ!」
「みんなでやろうぜー」
便乗してくる他の奴等を横目で見つつ、卵焼きを頬張る。
これは……うん、まずい。姉貴の試作品の卵焼きだ。まずいけれど、食べれなくもない。毎日食べさせられるとなれば、断りたくなるレベルではある。
ちらっと視線を教室の前に向けると、坂上さんはプチトマトを口に入れた。
もぐもぐと動く唇が可愛い。あ、こうして改めて見てみると坂上さんは小顔だ。
視線を外して弁当に向けると、どこかから見られている気がして顔をあげる。が、誰も見ていない。気のせいだったか、と気を取り直してまたまずい卵焼きを頬張る。
「よっしゃ、行こうぜ」
忙しく弁当を平らげた高坂は席を立ち、がやがやと賑やかな男子を連れて廊下へと繰り出した。
バスケットってそんな楽しいか。漠然とそんなことを思っていると、後を追うようにして篠塚さんも出ていった。
――お、やっぱり恋人同士みたいだな。
残りのご飯を食べて、手を合わせて食後の挨拶。挨拶だけはしっかりと。そう教えられているからか、欠かしたことは一度も無かった。
弁当箱を包んでかばんに仕舞うと、携帯のランプが点滅した。
赤、しかも点滅が長い。長女だと画面を見なくとも分かる。
恐らく、弁当の感想だ。あのまずい卵焼きの。
無視したら後で文句を言われるだろう。けれど、注意はしても良い筈だ。学校にいる間は電話はしないで欲しいとちゃんと俺は言ったんだから。
今日は弁当を作ったからどうしても気になったのかもしれないな。
そう思うと、出ないという選択肢は消える。
「仕方ないなぁ」
ぼそっと呟いて席を立ち、早足に廊下に出る。確か、空き教室は鍵が開けっ放しになってたはずだ。携帯を握ってそこに向かうと、予想通りドアは開けっ放しになっていて、空き教室へ駆け込んで後ろ手にドアを閉めた。
「もしもし?」
「ごめんね。どうしても気になってさぁ」
「だと思ったよ」
「で、どうだった?彼氏にも同じの渡したんだけど……」
「姉貴、砂糖入れなかったでしょ」
出汁ならまだしも、甘い卵焼きにする筈のものに砂糖が入っていないと言うのはどうなんだ。
味が無かった。普通にまずい。卵そのままの味というのが正直な感想だ。
「だからあれだけ入れる調味料は確認してって言ったのに」
「うーん……朝はね、眠いから」
ぼんやりしながら作ったらしい。確かに、寝起きはあまりよくない。彼氏の為に頑張ったというところは何だか健気に思えるが、だからといって美味しかったと嘘は言えない。姉貴の為に。
「というか学校で電話はかけて来ないで」
「ごめーん」
「俺が学校では電話取らないって言ったの忘れたの?」
「あ、忘れてた」
「……切るよ」
あはは、と軽く笑った姉貴に溜息を吐き出して、携帯を仕舞う。
もし通話が見つかったら没収だ。だから触らないって言ったのに。……まぁ、今回は仕方ないか。
しょうがない兄姉達のことは別に嫌いじゃないし、逆に好きだと思っている。
教室に戻ろうとドアに近づいたその瞬間、座り込んでいる女子に気がついてぎょっとした。
――坂上さん?
「坂上さん?」
思わずそのまま口に出してしまったことに自分でも驚いた。目で追っていたからなのか、すぐに坂上さんだと気付いてしまった自分がすごく恥ずかしい。
うわ、どうしよう。変に思われただろうか。
それにしても、なんでここに――そう思ってハッとする。
「もしかして、聞いてた?」
学校では極力家族の話をしないようにしていた。見た目が良いから話すといろいろと面倒なのもあるが、家族と話している時や家族の話をしているときは高坂いわく「にやけてる」らしい。家族が好きだ、というのは悪い事ではないが、気恥ずかしいものでもある。
「ご、ごめんなさい」
「……ええっと、どうしよう。あ、怒ってる訳じゃないよ」
サッと青ざめた坂上さんに、慌てて弁解の言葉を放つ。
もしかして怒っていると思われてしまっただろうか。そうじゃなくて、にやけているらしい顔を見られてしまってないかどぎまぎしていたのだが。
「何でここに?」
空き教室に何か用事でもあったのか。
そう思って尋ねると、坂上さんはぐっと涙を堪えているような顔をした。
「梶川くんが、出ていくのが見えて……」
――それは、どういう意味だろう。
俺が出ていくのが見えて、追いかけて来たということか。もしかして、坂上さんは他に聞かれたくない話があったのかもしれない。
それは、つまり、高坂関連。よく女子からお願いされるそれらと似たものなんだろうか。
聞いたら落ち込むかもしれない。でも、そういうことならちゃんと断りたい。
坂上さんの潤む瞳に心臓を鷲掴みにされたような気がした。
「俺を追ってきたって事だよね。それは、どうして?」
問いかけて、数秒待ってみる。
坂上さんは答えなかった。沈黙を作って、黙り込んで、何も返ことをしてくれない。
ずきずきと痛む胸が、既にお前は恋愛をしているんじゃないかとはっきりと示していた。
するつもりは、なかったのに。あまり触れないようにしてきたのに。坂上さんの表情ひとつで、胸がこんなに痛んでしまう。
――仲を取り持ったりは出来ないよ。
俺がそう言うと、坂上さんはぽかんと口を開けて見返した。それを見て、その考えが違うと悟る。
やばい、違ったのか。勝手に勘違いしてしまった。
「あれ?違ったのか……じゃあ、なんでなんでだろう」
思ったことがそのまま口に出ると、坂上さんは放心した表情で俺をじっと見つめた。
「梶川くんが、好きです」
――え?
するり、と出てきた言葉は思いがけない告白で。
いや、いつから?
そうじゃない、え、どういう。
混乱する頭の中で、もう一度それがリピートされた。
好きです。
――俺のこと?
「お、俺……?」
高坂じゃなくて、俺のこと?そんな、ことが。ある、のか……?
廊下にへたり込んでもう一度考える。
俺のことが、好きなのか。坂上さんが、俺を。
――うわ、どうしよ。なんだその、予想外。
もう一回、聞きたい。もう一回だけ、今のセリフを坂上さんからはっきりと聞きたい。それを言ってもいいのかどうか悩んで口をぱくぱくとさせていると、坂上さんはしっかりと俺の目を見て返答を待つ態勢になった。
「ほんとに、俺?」
ああ、聞いてしまった。なんてあざといことしてるんだよ、俺の馬鹿。
熱くなる顔を手のひらで抑え、坂上さんを指の隙間から見る。
「……うん。梶川くんが、好き、です」
ぎこちなく、それでも真っ直ぐに。坂上さんは俺を好きだと言ってくれた。
こんなことってあるのか。チャンスが本当にくるなんて、嬉しすぎて泣きそうだ。
「どうしよ……初めて言われた」
告白されて、戸惑って。こんな体験が出来るなんて思って見なかった。両想いのしあわせが、俺に降ってくるなんて。
「あ、あの、えっと……梶川くん」
「うん……」
「つ、付き合って欲しいとか、思ってないから、だから、返事はいい……」
尻すぼみにそういった坂上さんに愕然とする。
ちょっと待った。なんで両想いなのに付き合えないんだ。どんな両片想いだ、それは。
慌てて待ったを掛けると、坂上さんは唇を噛んで俺に向き直る。
「……あのさ、坂上さん」
「……うん」
「俺、付き合いたい」
「え?」
「坂上さんと、付き合いたい」
坂上さんは普通だ。
篠崎さんといるからか、余計に普通に見えている。
だけど――俺が気になったのは篠崎さんの隣に居る、坂上さんの方だった。
目の前で喧嘩が始まったら、何かを言いかけて止める。
悔しそうに唇を噛んで、最後にごめんなさいとつぶやく。
いつも何かが起こると、坂上さんは間に入ろうとして、入れなくて悔しそうな顔をする。
ああ、勇気が出せないんだ。本当はどうにかしたいんだ。
いつものんびりしているのに、そういう時はいち早く行動に出ようとして、すんでのところでやめてしまう。
そのいじらしさが可愛くて、頑張れ、と言いたくて。だけどそう言ったら、坂上さんは無理をしてでも頑張ってしまいそうな気がして。
――二年生になった春。
坂上さんに恋をした。
雨上がりの公園の隅で、唇を噛み締めてぼろぼろと涙を流す坂上さんに。
通りかかっただけだった。坂上さんの後ろ姿が見えて、その先に小学生が居て。
ああ、そうか。助けたいけど、そうするのが怖いんだ。
だったら、俺が――
駆け出して、抱きしめた。泥まみれの少年は嗚咽を漏らして大きな声を上げた。
きみの味方がいる。
姿は現せなかったけど、確かに助けようとして、味方になろうとした人がいる。
その人はきっとこう言いたかっただろう。
「そうだよ。なにも悪いことしてない。きみはなんにも悪くないよ」
そう言って、抱きしめてあげたかっただろう。
正義感が強くて、だけど引っ込み思案で怖がりだから。
いじめられることの辛さは、本当によく知っている。兄姉のことがあって、沢山傷ついた時期もあった。
だけど、いつかはなくなるから。必ず味方がいてくれるから。
言い聞かせた言葉の全てに少年は頷いて泣いた。
「味方になる。俺がきみの味方になる」
ほら、見える?俺だけじゃない。
もうひとり、居てくれる。
スカートの端をぎゅっと握って、きみの為に動こうとして出来なくて泣いてる人がいる。
坂上さんのことは知っていた。何だか可愛らしい人だな、と思っていた。
だけど、今。この瞬間、俺は坂上さんにはっきりと好意を抱いた。
気弱でも、行動に出られなくても、しっかりとその気持ちは見えたから。
代わりに俺が動くから、泣かないで、笑っていて。
そんな坂上さんが、はにかみながら俺を見つめる。
「好き、好きです、梶川くんが、すき」
夏が、始まる。
寂しくなると思った俺の心に、うれしいしあわせが降ってきた。
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