第6話 針金(3)

 なあ、ミッツ。俺は刑務所に逆戻りだよ。

 でも、場所を変えられちまった。前よりもゴツい壁、前よりもキツい監視。うーん、やっちまったなあ。うひゃひゃ。

 独房で布団に転がるたびに、思い出すぜ。図書館で調べたことをな。

 ミッツ。あんたが命を絶った理由だよ。

 新聞を見たとき、人質をとった犯人の粗い画像を見て思ったんだよ。

 ――あれ、こいつどこかで。

 俺はそんなに頭がいい方じゃねえけどよ、人の顔を覚えるのはわりに得意だ。女の子が髪を切ったり、いつもと違うアクセサリーを付けたりしていると、すぐに指摘できる。もっとも俺の場合、感心されるよりも気味悪がられる方が多かったけどな。うひゃひゃ。

 話が逸れた。

 あの事件、あんたが犯人を確保したっていう英雄譚のイメージが強いが、実際には二人も死んでるんだよな。犯人は、俺みたいな小物じゃなかったってことだ。要求が通らなければ一人刺し殺して、別の人間を人質にする。また要求が通らなければ、そいつも刺し殺して、さらに別のやつを人質にする。正真正銘のサイコ野郎だ。

 それで、その犯人だ。

 インターネットで調べて確信したよ。ネット掲示板を探れば、犯人の卒アル写真がすぐに出てきやがる。それを見て分かった。ああ、あいつだって。

 

 

 そうだろ?

 自分が救った人間が、他の人間を殺めてしまった――なあ、ミッツ。あんたどんな気分だったんだ。自警団になってまで悪を狩ろうとしたのに、新たな悪を生かすことにつながってしまった。

 たぶん、普通の感覚をもった人間ならば、どうしてそんなことを気にするのか分からないんだろう。「未来が見えるわけじゃないんだから」とか「見殺しにする方がおかしい」とか。でも俺たちみたいな、ネジの外れちまった人間からすれば、何の慰めにもならないんだよな。

 ミッツ。犯人を取り押さえたときに、あんたも「あいつだ」と気付いたんだろう? そして、それに耐えられなかった。

 ああ、因果だね。

 それで、それはきっと俺のせいかもしれないんだ。考えてもみろ、あの少年は「銀行強盗の人質にされる」っていう、普通の人間ならばまず経験することのないキョーレツな恐怖体験をしているんだ。それがあの子の何かしらに影響を与えて、ここまでゆがめてしまったのかもしれない。事件があると、犯人の家庭環境や性質がよく取り上げられるが、同じくらい、こんなトリガーがあるんだろうな。

 何が言いたいかって言うと、やっぱり、俺のせいかもしれないってことだ。あれ、これはさっきも言ったか? まあ、いい。俺のやったことが回り回ってあんたを殺した。なんて因果だ。

 だから、俺が落とし前をつけなきゃならないんだ。

 あのサイコなやつに、自分のやったことの重みを突き付けて、分からせてやらなきゃならねえ。

 最初に思い付いたのは、俺があの少年に復讐するってことだ。今まで培った――培ってはいないのか?――ピッキングやスリのテクニックを駆使して、あいつをどん底まで追い込んでやる。どうだ、ミッツ。なんとも映画向きだろう? 観客はすさまじいカタルシスを感じるし、上映が終わればスタンディングオベーションだ。ヒュー、ワオッ!

 ただ問題は、これは映画じゃねえってことだ。俺がピッキングを始めれば御用、スリを始めれば御用、さらにあいつを追い詰める方法も考え付かないときた。そもそもあいつを追い込んだところで、すっきりするのは俺だけだ。それであいつが後悔するとは思えねえ。俺に対する怒りや反発心を引き出すだけだ。そうだろ、ミッツ?

 じゃあどうすればいい? 俺があいつに語って聞かせようか。俺たちの罪深さ、罪を償うことの大切さ、これからの社会を生きる前向きさ――オエッ、何の宗教だ。そもそも俺はカウンセラーじゃねえ。それに、あいつがこれまでどんな経験をして生きてきたのかもしらねえ。こう言われるのがオチだ。

 ――何も知らないくせに。

 ああ、俺も何回口にしただろうな、このセリフ。

 なあ、ミッツ。あんたはえらいよ。こういう言い訳に走らず、ひたすら自分の罪に向き合ったんだから。

 で、俺は一つ考えた。とてもシンプルで、だけど俺にとってはヒジョーに勇気のいる方法だ。俺の弁護士や、看守たちに頼み込んだよ。みんな渋い顔をしたが、絶対に不可能な話じゃないらしい。

 一回だけ、五分だけの面会だ。

 誰の面会かって? ミッツ、冗談言うなよ。

 てなわけで、今俺は少年の前に座っているわけだ。ドラマでよく見る、穴の開いたプラスチック板。それを挟んで座っているのがどちらも犯罪者、っていうのが珍しい眺めじゃないか? だってどちらも同じ作業着を着て、同じように手錠をはめられて、同じように監視が付いているんだから。写真撮ってSNSにアップしたいくらいだ。

 少年は――さっきから少年少年言っているが、もうこいつも立派な成人なんだよな――能面みたいな顔をして座っている。うーん、やっぱりサイコ野郎だ。感情を一切表に出さねえ。いくら俺でも、覚悟がポキッと折れそうになる。でも大丈夫だ、ミッツ。お前がついてるからな。

 ――あー、どうも、こんちは。

 返事なし。

 ――覚えているかな? んなわけないか。

 返事なし。

 大丈夫、無言状態には慣れている。誰が鍛えてくれたんだっけ? なあ、ミッツ。

俺は少年に、自分が立てこもり事件を起こしたときのことを話す。

 ――そのときの人質が君、いや、あなただったんだよ。

 俺の目の前には、能面があるだけだ。たぶん、俺の話を聞いてねえ。俺もそうだったが、頭の中でチューニングができるんだ。聞きたくない話を、ラジオのノイズみたいに解体して、右から左。でも俺は、何としてもこいつに伝えねばならんのだ。

 俺は椅子の上に正座する。監視のやつが止めるべきか戸惑っているが、それは無視する。

 ――本当に、すまんかったっ。

 俺は頭を下げる。膝の間にこすり付けるように。

 ――悪いことをしたっ。

 これがこいつに届くかどうかは分からんが、こうやって心底謝罪することが俺にできる唯一のことなんだ。

 ――ごめんなさいっ。

 まず問題なのは、俺がこいつを怖い目に遭わせておきながら、一度も謝罪してないってことだ。何が罪を償うだ。俺は今まで何も償ってこなかった。

 手の間にガンガンと頭を打ち付ける。監視が俺の襟首をつかんで止めようとするが、構っていられない。

 ――あのとき、俺、いや、私はどうかしていたんだ――違う、それは言い訳だ。とにかく、私はあなたに、本当に怖い思いをさせた。それをずっと誤って来なかった。ごめんなさいっ。

 ガンガンガンガン。

 監視の怒声が響く。うるさい。

 目の前の少年はぴくりともしない。俺には、この声が届いていることを祈ることしかできんのだ。

 贖罪していないバカたれの俺は、頭を下げ続ける。いつの間にか、涙と鼻水で顔面がぐちゃぐちゃになっている。汚いだろうが、そんなこと知るか。

 もう一つ、これは俺の手本だ。この少年は、俺が怖い目に遭わせて、どうしようもなく歪んじまった。そうして、歪んだまま、まっすぐになる方法を知らずにここまで来ちまったんだ。なあ、ミッツ。俺にはあんたがいた。こいつにはいないんだよ。

 ――ごめんなさいっ。すみませんでしたっ。

 自分の語彙の無さを恨む。でも、どれだけ言い繕ってもしょうがねえ。俺にはこれだけの言葉しかねえんだ。

 この少年は大人の手本を見ずにここまで来ちまったんだ。俺と同じだ。人のものを盗んではならない、人に迷惑を掛けてはならない、人に刃物を向けてはならない。正しいやり方で稼いで、正しいやり方でお礼を言って、正しいやり方で謝罪する。それを知らずに生きてきたんだ。だから今、俺がここで、謝り方を示す必要があるんだ。

 なあ、ミッツ。あんたが死んだのは、俺に罪の償い方を考えさせるつもりだったんだろ?

 考えすぎか。でもいい。ありがとな、ミッツ。

 ――本当に悪いことをしましたっ。

 ガンガンガン。

 俺はここで謝罪する。そして、刑務所の冷たい部屋で罪を償う。

 その後、きっと俺は、ミッツ、あんたのことを考え続けるだろう。

 なあ、ミッツ。俺とあんたがもし別の出会い方をしていたらどうだっただろうな? なかなか仲よくやれてたんじゃないか?

 どんな出会い方ができるだろう? そんな妄想を俺は繰り広げるのかもしれない。そのときは、引かないでくれよ。ミッツ。

 心残りは、あんたに謝れなかったことだよ。なあ、ミッツ。俺は一回もあんたに謝ってないんだ。悪かった。悪かったよ。

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