第4話 針金(2)
なあ、ミッツ。どうして死んじまったんだ。
あれから眠れねえ。テレビにかじりついて情報を集めたが、結局、詳しいことは何も分からなかった。ミッツ、あんたは銀行強盗をやっつけて、その次の日に死んじまったんだ。
俺をテレビから引きはがそうとした看守を殴っちまって、今日は独房だ。俺は布団の上に胡坐をかいて、ぶつぶつつぶやいている。
なあ、ミッツ。どうして俺に何も言ってくれなかったんだ? あんた、何かに悩んでたのか? それとも、ここを出た後に何かあったのか? だとしたらどうして、死ぬ前に人を救ったんだ?
ミッツ?
脱獄したところで、逃げおおせるのは無理だ。でも、俺にとっては違う。ほんの二、三日の猶予があればいいんだ。そうだろ? ミッツ。
てなわけで、俺はフェンスを越えた。有刺鉄線にはしびれたぜぇ、あれは痛い。
でも痛がっている暇はなかった。強烈なサイレン、こっちに迫って来る足音。何年振りかってくらいの全速力で走ったさ。ミッツ、あんただったらきっとわけねえんだろうが、俺にとっちゃとんでもないことなんだ。
ムショは林の奥にあったんだな、知らなかったぜ。何度か木の根元にゲロをお見舞いしてから、それでも俺は逃げ切った。褒めてくれ、ミッツ。
暑いのを我慢して、作業着の中にシャツを着ておいてよかった。無地のシャツだからダサいかもしれないが、俺みたいな年齢のやつが白シャツでうろついていてもおかしくないだろう。というわけで作業着を上だけ脱ぎ捨てる。
まずは情報だ。と言っても俺の頭じゃ、図書館に行って新聞を読むか、それともミッツの地元に行って聞き込みをするかくらいしか思いつかねえ。いずれにしても移動するために金がいる。
真っ当に稼ぐのは無理だ。だが、罪を重ねるつもりもねえ。なあ、ミッツ、俺がどうしたと思う? そうそう大正解! うひゃひゃ。誰も答えてねえけど。
神は自販機の中にいる。これ大事な、覚えておけよ。
比較的栄えているところを目指したさ。商店街の自販機。工場の敷地内にある自販機。運よく、駅付近で自販機を四台も発見。釣銭受けをガサゴソ。そうして今俺の手元には八百円もある!
ミッツ、とりあえず、俺は電車であんたの地元を目指すことにした。おおまかな地域はテレビで言っていたから問題なし。この時点で俺が思っていたのは、あんたの家族に何かがあったんじゃないか、ということだ。あのきれいな奥さんが、あんたのいない間に他の誰かといい仲になっていたとか。息子さんが事故で死んでいたとか。捨て鉢になったあんたは銀行強盗にアタックしたが死ぬことはできず、結局自死を選ぶ。どうだ?
それで今、あんたの家の近くにいるぜ、ミッツ。
駅から見てすぐ分かった。警察の黄色いテープが張ってあるからな。すぐ近くには銀行もある。きっとあそこが、あんたが活躍した銀行なんだろう。
とはいえ、さすがに今、のこのこ警察の前に出ていくのはまずい。辺りをうろつくのも早いうちに切り上げた方がいいだろう。要はスピード勝負だ。
若い姉ちゃんが俺の近くを通り過ぎた。
「あの」
道中、頭ん中で練習したとおり、声を掛ける。こういうところは割と真面目なんだ、あんたなら知っているだろう? 姉ちゃんは不快感丸出しの表情で俺のことを見る。そりゃそうだ。汗で汚れた白シャツのじじいが声を掛けてきたんだから。
「週刊誌の者だがね。ちょっとあのお宅のことを――」
スタスタ行ってしまった。ミッツ、俺にだってわかるよ、俺がどこからどう見たって週刊誌関係者になんか見えないって。でも他になんて言える? 身分を明かさず(偽らず)に「ちょっと聞きたいんだけどサ」なんて言って、返事がもらえると思うか? ――まあでも週刊誌の人間を名乗るよりそっちの方がよっぽどいいだろう。オーケー、ミッツ。次からはそうする。
次は買い物帰りのおばはんだ。エコバッグはそれほど膨らんでいないから、多少の立ち話なら問題ないだろう。な、やっぱり俺はこういうところで真面目なんだよ。
時間にして小一時間、ってところか。
俺にしては頑張った方じゃないか、なあ、ミッツ。何人かに声を掛けたところで、あんたんちから警察がぞろぞろ出てきたもんだから、切り上げたのさ。姿は見られていないはず。大丈夫。
かなりの収穫があった。人間、気になることがあれば、やっぱりしゃべらずにはいられない生き物みたいだぜ。そういう意味では、俺はかなり人間らしいんじゃないだろうか。
話が逸れた。
ミッツ。知らなかったぜ。あんた、もう奥さんも子どももいないんだな。
あんたと追いかけっこしている間に、そんなことがあったなんて俺はつゆ知らなかった。
大きな事故としか聞かなかった。ただ、一瞬にしてあんたは家族を失ったわけだ。血反吐を吐く思いだったんだろうな。俺にはまともな家族が無かったが、どれだけ狂った頭でも、多少の想像は付く。
だから、あんたも、ちょっとネジが外れちまったんだろ? な、ミッツ。
警察をやめて、自警活動を始めて、ひたすら犯罪者を狩る。そうしないと、生きていけなかった。違うか、え?
でも腑に落ちねえ。じゃあなんであんたは、今になって死んだんだ?
罪を償って出所。でも帰りを待っている家族はいねえ。以前と同じように「銀行強盗を取り押さえる」って自警活動に勤しむ。でも心の穴は埋められず――。
もしかしたらそんなもんかもしれねえ。俺はあんたじゃねえから分からんよ、ミッツ。でも、それだけじゃねえ気がするんだよな。あんたとは長い付き合いだからよ。
次は図書館だな。ここ数日の新聞紙をさらえば、何か分かるかもしれねえ。断じて、暑さを我慢できなくなったとか、そういうわけじゃねえからな。でも確かにここら辺で涼めるところと言ったら、図書館がベストだわな。喫茶店に入るような金はねえし、コンビニで立ち読みなんて時間の無駄だ。じっくり腰を落ち着けて、しかも調べ物ができる。
だから、ミッツ。
絶対に暑さのせいじゃねえからな。
最近の図書館は、冷房が効いていて本や新聞が置いてあるだけじゃねえんだな。しょうもない悪事に手を染める前に、もっと通っておくべきだった。ま、過去の俺に忠告したところで、絶対にそんなことはしねえだろうけど。
とにかく、何年振りかにパソコンをいじっているよ、ミッツ。ローマ字を思い出すのに苦労したが、とりあえず支障なく使えている。ついついアダルトサイトを検索したくなっちまうが、そんな気分を一生懸命抑えて――一回試してみたらアクセス制限で見られないことが分かったからじゃねえ。断じてだ。
中井光夫。中井光夫。中井光夫。
なあ、ミッツ。これだけあんたの名前を見ることになるとは思わなかったよ。
光夫だからミッツ。我ながら安直だが、悪くないだろう? ミッツ。こうやってすぐに呼びたくなる。なあ、ミッツ。
新聞を一通りチェックして荒い写真を眺めるうち、俺の中で一つの仮説が生まれた。今、インターネットを駆使してそれを確認しているわけだ。
それにしたって、最近のSNSは大したもんだ。それからネット掲示板も。
個人情報が芋づる式に入手できる。俺も今なら、これを使っていろいろできそうだ――でもな、ミッツ。あんたがいなきゃつまらないんだよ。
俺の仮説と、ネット上の怪しい情報たちを組み合わせる。調べているのは、あんたが行き会った銀行強盗についてだ。
――ああ、そういうことか。
思わずつぶやいていた。俺自身が認識しているよりも、声が大きく出ていたらしい。司書のおばはんがちらりとこっちを見やった。見んな。
うん、だいたい分かった。
なあ、ミッツ。だからあんたは、自分で命を絶ったんだな。
なんとも言えない気分だ。なぜなら、俺だって無関係じゃないから。苦い。苦いぜ、ミッツ。
肩を叩かれる。
――思ったより早かったじゃねえか。
警官が三人。
司書のおばはんか、それとも利用客の誰かか、それともさっきインタビューした人間の誰かが、通報したようだ。
俺は大人しく従う。しょっ引かれるなら、あんたがよかったよ、ミッツ。
図書館の外には、さらに三人の警官が立っている。総勢6名。うひょう、脱獄ってのは相当ヤバい行為らしいぜ。
刑期は大幅に伸びるだろうが、知ったこっちゃない。どうせ、娑婆に未練はないんだ。出たところで、どうやって生きていけばいいのかも分からねえ。それに、俺は満足している。なあ、ミッツ。あんたのことをこれだけ知れたからな。
それで、俺が次にすべきことも、なんとなく分かっている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。