第2話 針金(1)
――なあ、ミッツ。こんなに暑いと草を抜く気にもならねえな。
俺がせっかく声を掛けてやっても、ミッツは返事をしねえ。いいよいいよ、こういう一方通行は慣れてんだから。ってわけで、俺は構わず話し続ける。
――でもよ、考えてもみりゃあ工場作業よりは楽だよな。ずうっと同じ製品を同じ箱に詰め続けるなんて気がおかしくなる。もうすでにおかしいっていうのは言いっこなし。文字通り箱詰めだ、うひゃひゃ。
ミッツはやっぱり返事をしねえ。筋肉質で、広い肩をちまちま動かしながら、手元の草をむしり続けている。太陽のせいでやたらと陰影がついた横顔は、どっかのアメコミヒーローみたいだ。それでも、だいぶ老けたなあ、ミッツ。
――おいそこ、何話してる。
看守が目ざとく寄って来る。ううむ、昨日より早い。やっぱりやつらも学習するらしい。
俺は襟首を引っ張られる。と言ってもそれほど強い力じゃねえ。パワハラ、モラハラ、セクハラの叫ばれる時代、看守(ホームジムカンカンシュ様、カタカナにすると笑える)だって受刑者にひどいことなんてできない。もし俺が看守で、俺みたいな受刑者がいたとしたら、三日以内にプッツンでボコボコにしている自信がある。だから、えーと何が言いたいんだ、とりあえず看守は俺たちにどこまでも寛容ってことだ。
ミッツと引き離されながら、俺は看守に言う。
――あんたは優しいねえ。
――何がだ。
――殴らねえし蹴らねえ。
――当然だ。
少しだけ振り返ってみる。ミッツは俺の方なんて見ちゃいねえ。黙々とぺんぺん草を抜き続けている。そんな冷たい子はお尻ぺんぺん、うひゃひゃ。
――なあ、迷惑かもしれんが、言っておくぞ。
看守が小声で言う。俺よりも若い看守。こいつはまだ優しすぎる。俺みたいなやつにも目を掛けて、こうやって忠告を授けてくれる。たぶん、将来それで痛い目を見そうな気がする。でも、こういうやつがいなくなってしまったら、きっと世界は終わるんだろう。
――ありがたく聞いておくよ。
――あんたとあの人が同じ刑務所で過ごすことになったのは、手違いだって前にも言ったろう? 本来、事件の関係者同士は関わらない方が望ましい。来週にはあんたかあの人かのどちらかが、別のところへ移される。
ああ、耳タコだよ、それ。よく分かっておりますわ。別のところへ移されるんなら、それまでにたくさんしゃべりたいのが人情じゃない? そういう話じゃないのかしら?
――だからそれまで、なるべく目につくようなことをしない方がいい。ただでさえ、あんたは評判がちょっと……そのぅ。
口ごもる様子が面白い。受刑者と看守って関係じゃなければ、こいつと仲良くなれた気がする。気がするだけだけど。
――あんたが俺のことを思って言ってくれているのはよく分かったよ。すまんかったね。
看守が、「分かってくれたのか」と言わんばかりに顔を明るくする。あのさあ、あんた、学習した方がいいよ。昨日も同じようなことを言って、今日その約束を俺が破っているってこと。あれ、昨日注意されたのは、別の看守にだっけ? そもそも俺、人の顔を覚えるのは苦手だったんだわ。てへぺろ。
ともかく、俺は看守から解放される。ここでさらにミッツへ話し掛けに行くほど馬鹿じゃねえ。いや、前にそれをやって結構シャレにならない懲罰を食らったもんだから、さすがにこれ以上挑戦できねえ。結局、ミッツと離れた場所で、どうしようもなくつまらない気持ちで草と戯れ始める。
ミッツと俺との出会いは、んーと、結構前にさかのぼる。
当時、俺は金に困っていた。なぜか? 働かなかったから。以上終わり。
金がないけど働きたくない。俺の脳味噌は、真っ当に働くって答えを出せるような真っ当なもんじゃなかった。それで手を出したのが、針金よ。
針金はいい。どんなに頑丈な針金だって、ポケットの小銭をかき集めれば買えるんだから。
ともかく、俺はその針金を使って、手ごろな家の鍵穴をゴリゴリやっていたわけよ。俺は頭がよくないから、別に下調べをしたわけでもねえ。それなりに金がありそうで、それなりにセキュリティが甘そうで、それなりに人気のなさそうな場所で、初めての犯罪行為に手を出した。
で、俺を捕まえたのがミッツ。
若手の警察官、あれ、警部補? 巡査? ああ、もうどうでもいい、とりあえず警察の一員だったミッツが、暗がりでピッキングに勤しんでいる俺を見つけてくれたってこと。
俺は罪を償った。執行猶予が付いたんだったか、それとも実刑だったか、全然覚えがないがね。
それで、セカンドチャレンジ。今度はスリに挑戦してみることにした。二度目ってことで、俺だって少しは賢く立ち回った。下調べをしたんだ。どの路線が何時ごろに混んでいるのか。コンビニで買った小さなメモ帳に殴り書きして、その分析を基に実行の機会を待った。
最近の日本は、みんな防犯意識が高い。最初、そのことにびっくりした。無防備に鞄の口を開けているやつなんてめったにいない。いたとしても、後ろでこっちがごそごそやり出すと、ちらっと視線を向けてくる。なんてスリにくい国なんだ。いや、他の国なんて行ったことすらないがね。
それでも苦節数日、だるーんとしたリュックをだるーんと背負った女子大生発見! しかもそのジッパーが半開きと来た。これはもう、神が俺に与えたもうた絶好のチャンスだと思って、ゆっくりと手を挿し込んだね。で、一秒もしないうちにその腕を誰かがつかんだ。
もう分かるだろう? ミッツだよ。
俺はまたしょっ引かれて、また罪を償うことになった。これこそセカンドチャレンジだ。意味わかんねえけど。
なんか面倒になってきたからかいつまんで説明する。
三回目。当たり屋に挑戦。覚悟を決める、ビビる、逃げる、を何十回と繰り返した挙句、やたらと安全運転の車の前に「これなら大けがしないだろう」って飛び出したら、その運転手はミッツ。この時ばかりは、ミッツも肝を冷やした顔をしていたね。俺を張っていたわけじゃなくて、たまたまそうなったんだから。ミッツの車の助手席には超絶美人の奥様が、後部座席には幼稚園児くらいのかわいい息子さんが乗っていた。非番の日に、あれはちょっと申し訳なかったかもしれん。で、最近の車はドライブレコーダーがしっかりとついていらっしゃる。俺、あえなく御用。
次、四回目。俺は「これはちょっと、本気を出すべきかもしれん」と思い立ち、大きな肉切り包丁をネットで購入。どこか適当なコンビニに強盗に入るつもりだった。それで深夜、ポケットに包丁を忍ばせてうろついていたら、前方からやって来るミッツ! でもやっこさん、何を思ったのかその頃には警察をやめて、ちょっと自警団っぽい方向に走っていたらしい。そんなことつゆ知らない俺は猛ダッシュで逃走、ミッツは猛ダッシュで追跡。結局俺は捕まって包丁を没収されたわけだけど、もう警察でないミッツには俺を逮捕する権限もない。やつが一一〇番している間に隙をついて逃走。四回目にして、犯罪成功とはならずもミッツへの勝利は収めた俺だった。
最後! 五回目! なんだかいろいろうまくいって、俺は銀行のロビーで、小学生くらいの少年に包丁を突き付けていた。そこで決め台詞、「このガキの命が惜しかったら、有り金全部袋に詰めやがれ」――三回は噛んだ気がするがね。
ガキの親は泣きじゃくるだけで抵抗の様子は全くねえし、警察も迂闊に動けねえってことで、これは俺にとって初の犯罪成功じゃねえか? とうきうきしていた。そのときだよ、ミッツが突入してきたのは。
不意を突かれた俺は、ガキを手放すわ、包丁を落とすわ、もう散々だったね。あいつの突進を食らった背中は今でも痛む。俺のやった行為は相当やばかった。ピッキングもスリも当たり屋も銃刀法違反も真っ青の犯罪行為だった。それで、俺は今、受刑者としてここで草むしりをしているわけだ。
同時に、ミッツも逮捕された。なぜかって、自警活動をやりすぎたんだよ。立てこもり犯(人質あり)と警察がにらみ合っているところで、部外者が突入するなんてことは、あっちゃいけなかった。結果オーライで英雄みたいにミッツを捉える向きもあったんだが、やっぱり批判がそれを上回った。ミッツは子どもの命を危険にさらした、いい年こいてヒーローになりたいなんて夢を持った痛いおっさんにほかならず、本人が何も言い訳しなかったこともあって俺と同じこの場所へ放り込まれたわ・け・さ。
以上(異常?)、俺とミッツの馴れ初め、終わり。
結局俺はミッツのことが気に入っちまって、こうやって同じムショにいるのも何かの縁、おしゃべりしたくてたまらないんだが、看守たちの目は想像以上に厳しい。まずもって、ミッツが何も返事をくれないのがセツナイなあ。
そうして満足のいく会話が成立しないまま、看守の言っていた「来週」がやって来た。でもそれは、俺が思っていたものとはちょっと違っていた。
俺はこのままこの場所に残留。それは予想の範囲内だ。
ミッツは、出所。
出所。
どうやらやつは模範囚とか呼ばれる存在だったらしい。決められたルールを守る。反省文もちゃんと書く。迷惑を掛けた方々に頭を下げる。そういったことをそつなくできるやつだったってことだ。
それで、予定よりもだいぶ早い、出所。
いいなあ。早いなあ。そんな嫉妬が無かったと言えば嘘になるが、俺にとっちゃそれよりも、旧友がいなくなるような、そんな喪失感の方が問題だった。
心がぽっかり。いや、元からその辺には穴があったのかしら。どうでもいい。
ともかく、ミッツは俺の前からいなくなっちまった。
刑務所とはいえ、テレビを見るだけの自由時間はある。
ミッツが出所してから二日後、俺はあるニュースを見た。銀行の立てこもり事件――もちろん、俺が起こした事件じゃなくて、新たに起こった事件だ――で、ミッツが犯人を確保したこと。
あいつ変わってねえじゃん、と俺は嬉しくなった。同時に、「あいつ俺のマブダチなんだぜ」ってマブダチでもないくせに鼻高々だった。
さらに翌日、俺はあるニュースを見た。
ミッツが自ら命を絶った、ってニュースだった。
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