うさぎかめん

 むかしむかし、近所にうさぎとかめがいました。

「おいら、足の速さなら誰にも負けねえぜ」

 うさぎが自慢げに言いました。

「さあ、それはどうかな?」

 かめは、何やら意味ありげに言いました。

「それなら、あの山のふもとまで競争だ」

「こっちは構わねえが、うさぎさんよ。あんた、もし、おれさまに負けたら、鈍足の象徴のかめに負けたと、子々孫々まで語り継がれることになるんだぜ? いいのかい? 後悔しても知らねえぜ?」

「い、いいとも! だいたい、俊足のおいらが、かめさんごときに負けるわけねえし」

「よし。では、受けて立とう」

 こうして、うさぎとかめは、近くの山のふもとまで、競争することになりました。

 名誉スターターは、村長のふくろうさんです。

「オン・ユア・マーク!」

 パーン!

 号砲が鳴り響くやいなや、うさぎはその場でピョンピョン跳び跳ね、かめを挑発しました。一方のかめは、おもむろに重い甲羅を脱ぎ捨て、山のふもと目掛けて一目散に全力疾走。

 慌てたうさぎは、その場跳びをやめ、かめのあとを追って、山のふもとに向けて全速力で走り出します。

 しかし、スタートの出遅れを取り戻せぬまま、一足先に、かめがゴールイン。

 数秒遅れて、うさぎもゴールイン。

「オー・マイ・ゴッド!」

 うさぎは頭を抱えました。

 重い甲羅を脱ぎ捨て、細マッチョなアスリート体型になったかめは、ごほうびのコーラをおいしそうに飲み干すと、ドヤ顔でこう言いました。

「ほうら、言わんこっちゃない」

「なあ、もしもし、かめよ、かめさんよ」

「なんだい、うさ公?」

「さすがに、こんな結末では、後世に何の教訓も残らないだろ?」

「いや? 『能あるかめは細マッチョを隠す』という立派なことわざができると思うが?」

「そんなことわざ、後世に残したいか?」

「お前、何が言いたい?」

「狡猾なかめが、細マッチョという事実を隠して騙し討ちをしたという黒歴史が、二十一世紀の小学校の道徳の教科書に……」

「見苦しいぞ、うさ公! この期に及んで、負けうさぎの遠吠えとは、見下げ果てたやつめ!」

「かめは卑怯。かめは卑劣。かめは外道。かめはペテン師。かめの陰謀。かめの悪知恵。かめの裏切り。底意地の悪いかめ。根性が腐ったかめ。情け容赦ないかめ。極悪非道のかめ。かめの覚醒。最後のかめ。かめの夜明け。かめかめエブリバディ。ウェルかめ……」

「そこまでだ! よし、分かった! そんなに再戦したいなら、受けて立とうではないか!」

「じゃ、今度は、甲羅つきで」

「な、なんだと?」

「甲羅あっての、かめだろ? 甲羅がなければ、ただの細マッチョ甲殻類、いや、甲殻類ですらないな。ただの不気味な細マッチョ生物か」

「ちっ、痛いところを突きやがって。てか、かめは甲殻類ではなく、爬虫類だぞ? ちなみに、爬虫類の爬は、爪に巴と書く。と、まあ、それはどうでもいいが、うさ公、きさま、そうまでして勝ちたいのか?」

「勝ち負けの問題ではない。信義の問題だ」

「屁理屈を言うな。うさ公よ、もしも、甲羅を背負ったかめに負けたら、今度こそ、きさまは、未来永劫、『鈍足のかめに二度も負けたトンマでマヌケなウスノロ詐欺師、略して、うさぎ』という汚名を背負うことになるんだが、いいんだな?」

「別に、いいけど?」

「ようし! では、この細マッチョ養成甲羅ギプスを装着したまま、今一度、きさまと競争してやろうではないか!」

 今度も、名誉スターターは、村長のふくろうさんです。

「オン・ユア・マーク!」

 パーン!

 号砲が鳴り響き、両者、同時にスタート。今度は、うさぎが絶好のスタートを切りました。まさしく、文字通り、脱兎のごとき、ロケットスタートです。そして、重い甲羅を背負ったかめが、先行するうさぎを追いかける形になりました。

 かめの中身は、鍛え抜かれた細マッチョのアスリート。でも、重い細マッチョ養成甲羅ギプスを背負った状態では、本気の俊足うさぎに敵うはずがありません。両者の差はみるみる広がりました。

 うさぎはかめに大差をつけ、完全なるひとり旅状態で、中間地点に到達しました。うさぎは後ろを振り向きましたが、かめの姿は全く見えません。恐らく、ギニアのオスマンさんの視力でも、かめの姿は小さな点にしか見えなかったでしょう。

 その時です。うさぎは、突然、走るのをやめて、コース脇の草むらにごろりと寝転びました。しかも、あろうことか、うさぎは、草むらでグーグーといびきをかき始めたのです。

 うさぎは、重い甲羅を背負ったかめをなめ腐って、余裕のよっちゃんで昼寝をしてしまったのでしょうか?

 いいえ、違います。うさぎは、ほんとうに眠ってしまったのではありません。眠ったふりをして、たぬき寝入りをしていたのです。

 しばらくすると、甲羅を背負ったかめが、息を切らせながら、ようやく中間地点に到達しました。かめは、コース脇でたぬき寝入りをしているうさぎに気づきます。

「おいこら、うさ公! なに余裕ぶっこいて居眠りしてやがるんだよ? 舐めとんのか、ゴルァ?」

 うさぎは、かめが大声を出しても、グーグー。

 かめにわきの下をくすぐられても、すやすや。

 かめが鼻先でおならをぶっこいても、お姉さんを侮辱する陰湿なモラハラ発言をしても、うさぎは、身動きひとつしません。

「さては、うさ公め、わざと負けるつもりだな?」

 かめは思いました。きっと、うさぎは、第一レースでかめがうさぎの裏をかいて甲羅を脱ぐという奇策を弄したせいで、かめが子々孫々まで不名誉な汚名を着せられる羽目にならぬよう、かめを挑発して再戦に応じるよう仕向けた上、わざとレースの途中で昼寝をするふりをして、重い甲羅を背負ったかめに勝たせて、かめの忌まわしい黒歴史を帳消しにしてやろうとしているに違いない、と。

「うさ公め、しゃれたまねをしやがって」

 かめは、ぽつりとそうつぶやくと、涙をポロポロと流しました。そして、念のために、すぐそばに落ちていた竹筒をうさぎの口に噛ませた上、うさぎが身動きできないよう、近くに生えていたツタのツルで、うさぎの体をぐるぐる巻きに縛り上げたあと、山のふもとのゴールに向けて、のろのろと歩き始めました。

 さあ、いよいよゴールが近づいてきました。重い甲羅を背負ったかめは、沿道につめかけた無数の観客に向けて、にこやかに手を振りながら、ゴール地点に向かって、悠然と歩んでいきます。

 そして、ゴールの直前、ついに、かめは、サングラスを外し、ラストスパートをかけました。

 かめ、余裕しゃくしゃくのドヤ顔で、華麗なるウイニングラン。

 その時です。かめの後方で、観客がざわめく声が聞こえました。歓声と悲鳴、怒号と罵声が複雑に入り交じった重層的な声が、かめの背後にじわじわと迫ってきます。

 それは、まるで、エクトル・ベルリオーズの幻想交響曲、正確には、『ある芸術家の生涯の出来事、五部の幻想的交響曲』作品十四の第五楽章「魔女の夜宴の夢」(別訳「ワルプルギスの夜の夢」)のグレゴリオ聖歌『怒りの日』の、おどろおどろしい旋律のように、かめの甲羅を震わせます。

 かめは振り向きました。

 すると、驚いたことに、ツタのツルでぐるぐる巻きにされたうさぎが、鬼の仮面を被って、全速力でかめに迫ってくるではありませんか。

 いいえ、それは、仮面ではなく、激しい怒りのせいで真っ赤に染まった、うさぎ自身の顔でした。

 そうです。うさぎの鬼気迫る鬼の形相が、鬼の仮面に見えたのです。

 沿道の観客の怒号や罵声は、うさぎにではなく、かめに向けられたものでした。

 ずるいぞ、かめ! この卑怯者! 悪漢め!

 がんばれ、うさぎ! 負けるな、うさぎ! 今夜は、かめ鍋だ!

 おぞましい無数の声が、地鳴りのように鳴り響きます。

 かめは焦りました。

「やべえ! うさぎにとっ捕まったら、確実に食われる!」

 かめは、すっかり、パニック状態です。

 一方のうさぎは、まるで鬼神が乗り移ったかのような恐ろしい顔で、目を血走らせ、竹筒を噛み締めた口からは、おぞましい重低音のうめき声を洩らしながら、かめの背後に、ぐんぐんぐんぐん迫ってきます。

「ウウウウウゥー、ヴヴヴヴヴァー」

 うさぎよ、あと少し! かめの背中は、すぐそこだ!

「フグォアアアアアァー! ムグゥオオオオオァー!」

 卑劣なかめ! 鬼畜なかめ! 卑猥なアタマを引っ込めろ!

 かめの心臓は、身の毛もよだつ荒々しさで、煮え立つほどに熱せられた血液を、かめの全身に巡らせます。

 その鼓動は、若きフランツ・シューベルトがヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテの詩に触発されて一気呵成に書き上げたドイツ歌曲リートの傑作『魔王』作品一(ドイッチュ番号三四八)のように、無慈悲で冷酷なリズムを刻みながら、かめの肉体と精神を容赦なく蝕んでいきます。

 その時、沿道の群衆の中にいたひとりの少女が、突然、高く澄んだソプラノボイスで、こう歌いはじめました。


 もしもし かめよ かめさんよ

 せかいの うちに おまえほど

 ひきょうで ずるい ものはない

 どうして そんなに ずるいのか


 沿道につめかけた他の観客たちも、ひとり、またひとり、少女の歌声に合わせて、歌い出します。


 もしもし かめよ かめさんよ

 せかいの うちに おまえほど

 ひきょうで ずるい ものはない

 どうして そんなに ずるいのか


 ついには、男も女も、老いも若きも、全員、肩を組み、声を揃えて、かめをののしる歌を大合唱。


 おいこら かめよ かめこうよ

 そんなに きたない てをつかい

 うさぎに かって うれしいか

 みにくい かめよ はじをしれ


 みにくい かめよ はじをしれ


 みにくい かめよ は~じ~を~し~れ~~~~


 かめの鼓動は、イーゴリ・ストラヴィンスキーのバレエ音楽『春の祭典』第二部「生贄いけにえの儀式」六「生贄の踊り(選ばれし生贄の乙女)」の不協和音と変拍子に彩られた不規則で荒々しい旋律のように、激しく鳴動します。

 かめは、とうとう、なりふり構わず、重い甲羅を脱ぎ捨て、不気味な細マッチョ生物の本性を現しました。

 身軽になったかめは、うさぎの猛追を振り切り、得意げに両手を高々と挙げて、ゴールテープを切りました。

 一方のうさぎは、ゴールの寸前で力尽き、担架で医務室に運ばれました。

 かめ、二戦二勝。

 その夜、村の住民たちは、アツアツのかめ鍋に舌鼓を打ちながら、うさぎの健闘を讃えつつ、かめの冥福を祈りました。

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