第35話 弥生の気持ちを知ってしまいました……。

 別荘に戻ると、すぐさま俺は弥生に引きずられるようにして学習室に連れて行かれた。そして、弥生の個別指導が再開されたんだが……。


「こんな簡単な問題もわからないんですか? 中学生でも解けますよ? 信じられませんね」


 弥生の教え方が午前中と全く違う。言葉にトゲがあるというか、態度が冷たいというか、ともかく、さっきとまるで雰囲気が違う。


「もしかしてだけど……怒ってる?」

「怒られるようなことをした自覚があるんですか?」


(これは完全に怒ってるな……)


「特に自覚はないんだけど……。ごめん」


 理由不明なまま、取り急ぎ謝罪してみれば、弥生が「はぁ……」とため息を吐く。


「自覚がないのに、謝るんですか? それは、むしろ謝罪する相手に失礼では?」


 ド正論。返す言葉もない。


 弥生が怒っている理由は、状況的に考えて、休憩時間の時に起きたが原因だ。そう考えれば、思い当たる理由は一つだけ。


(熊さんの時のことか? ……ああ、つまり、そういうことか)


「ごめん。弥生が怒ってる理由わかったよ。でも、誤解だ。裸絞ってのは格闘技の技のことでエッチな意味じゃないんだ。よく考えてくれ。俺がエリカにエッチな経験の有無なんて聞く訳ないだろ?」


 今にして思えば、エリカは裸絞の意味を勘違いしていた気がする。きっと弥生もエッチな質問だと勘違いしたんだろう。


 もし、俺がそんなセクハラまがいの行為をエリカにしたのだと勘違いしているのなら、弥生が怒るのも当然だ。


「裸絞くらい知っています。ユキさんは全然わかってないです」


(違うのか……。そうなると怒ってる理由が皆目見当もつかない)


「すまん。正解を教えてくれ。今やってる問題より難しい気がする」

「教えません。そもそも私は怒ってるわけではありませんので。嫉妬しているだけです。……あ、いえ、何でもないです」


 嫉妬。不意に口から溢れ出してしまったであろう、その言葉で、俺は弥生の気持ちを全て理解してしまった……。


「そういうことだったのか。お前の気持ちも知らないで俺は今まで……。弥生、お前——」

「言わないでください! まだ今は何も言わないでください。これ以上は怖いです……」


 弥生が俺から目を逸らし、水着の上に着ているカーディガンのすそをギュっと握りしめる。その表情からハッキリと不安が見て取れた。


 だが、ここで話を終わりにするわけにはいかない。俺はコイツの不安を取り払ってやらにゃあならん。


「安心してくれ。俺は、お前からエリカを奪ったりしないから。お前のエリカへの気持ちは痛いほどわかったよ」

「え? なんでそういう話になるんですか?」


 なんでも何も、そりゃそうなる。「自分の友達が他の友達と仲良くしていて、つい嫉妬してしまう」なんてよく聞く話だ。


「だって、弥生はエリカが大好きなんだろ? じゃなきゃ俺に嫉妬なんてしないもんな」

「え? あれ? あの……。もちろんエリカさんは大好きなんですけど……」

「だろ? まぁ、少し寂しい気もするがな。弥生の一番は俺だって勝手に思ってたから」


 弥生の一番の友達は俺だなんて、まったく勘違いも甚だしい。だが、エリカに負けたのなら仕方がない。やっぱり性別の差には大きな壁があるってことだ。


「いや、合ってるですけど、その認識……」

「俺に気を使うなって! 別に二番目だって構わねぇよ、銀メダルなんだから!」

「何なんですか、この結末。……も〜、私のドキドキを返してくださいっ。ユキさんのバカ、アホ」


 弥生が膨れっ面で、ぶちぶちと俺をののしってはいるが、さっきまでの冷たい表情は、すでに消えている。


 だが、彼女はもう一度不安げな表情を見せると、俺にこう尋ねてきた。


「もし熊さんが出たとして、ユキさんは私のことも守ってくれるんですか?」


 わざわざ答えるまでもない質問だが……。


「当たり前だ。弥生も俺が守る。前に言っただろ? 弥生も家族みたいなもんだって。あれはその場のノリとか、冗談じゃなくて本心だ」


「あの……先ほど私はエリカさんのことが大好きだと申しましたが、もちろんユキさんのことも私は同じように想っています。……大好きです、ユキさん」


 面と向かって言われると、中々、気恥ずかしいもんだが、弥生の表情は真剣そのもので茶化すような感じでもない。


「まぁ、なんだ。その……。俺も弥生が大好きだぞ……?」


 たとえ恋愛的な意味じゃなくても人に好意を伝えるってのは恥ずかしいもんだ。だからだろう、俺の声はだいぶ小さかったし、顔は茹蛸ゆでだこみたいに真っ赤に違いない。


(考えてみたら、エリカたちにも面と向かって好意を伝えたことなんてないんじゃないか?)


「ん? 聞こえませんでした。今、何か言いましたか?」


(弥生の奴、急に耳が遠くなりやがった。まぁ、たしかにボリューム小さめだったか……)


「だから! 俺も弥生が大好きだ!」

「……了解しました。でしたら、今日はこのくらいで勘弁してあげましょう」


 そう言った彼女は優しく微笑んでいた。


(あれ? 俺としたことが、もしかして弥生に揶揄からかわれたのか……?)

 

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