第34話 俺が倒さなければ……っ。
川を挟んで向こう岸にある林からガサガサと大きな音が聞こえてくる。何が動いているのかわからないが、この辺りに人はいないため、林の奥にいるのは、十中八九、動物だ……。
さっきまで熊がどうのと話していたから不安を感じたんだろう、エリカが側面から俺にヒシと抱きついてきている。普段なら振り解くところだが、情けない話、されるがまま。
一方、アヤ姉とヒナはSPのように俺の前に立ち、林の奥にいる何かを警戒。大統領にでもなった気分だ。
そして、弥生は俺の手をギュッと強く握っていた。
(熊は出ない、と弥生は言っていたけど、まさか……?)
緊迫した状況の中で、エリカから伝わってくる心臓の鼓動が俺の心に平穏を与えてくれている。右手から伝わる弥生の熱が俺に勇気を与えてくれる。
だからだろう、俺の頭はクリアで自分が今、何をすべきなのか冷静に考えられる。
俺の精神は今、目の前にある小川のように清らかだ……。
(たとえ熊さんが相手だとしても、勝ち目がないわけじゃない。これは友人Pから聞いた話だが、熊さんは手が短く、自分の背中に手が届かないため、バックを取って後ろからチョークスリーパーを掛ければ余裕で倒せるらしい。……でも、格闘技未経験者の俺が熊さんのバックを取れるもんなのか? ……いや、取れる、取れないの話じゃない。コイツらを守るため、俺は何としても熊さんのバックを取らなければならないんだっ!)
覚悟を決めた瞬間、俺の体に巻き付いていたエリカの腕に力が込こもるのを感じた。
「安心して。ユキは私が絶対に守るから」
エリカは俺の肋骨が悲鳴を上げるほど腕に力を込めている。発言は強気だが、本当は恐怖に震えているんだろう。そんなコイツに俺を守らせるわけにはいかない。
「いや、守るのは俺の役目だ。昔、オヤジに言われたからな。『家族のことは任せた。お前が守れ』って」
失踪する直前、オヤジは俺にそう言った。
あの時は「父親なんだからオヤジも守れよ」と思ったが、今にして思えば、オヤジは俺たちの前から姿を消す気だったんだろう。
「ダメよ。危険だわ。私がユキを守る」
「いや、俺がエリカを守る。熊さんのバックは俺が必ず取ってみせる。バスケの部の力、見せてやるさ!」
「熊さんのバック? 意味わかんないけど、バスケで熊さんにどう対抗すんのよ。その点、私は剣道やってたし、ユキより戦闘力は高いはずよ。めーんっ! どー! こぉぉぉぉてぇぇぇーー!! って具合ね」
何を馬鹿なことを……。竹刀で熊さんが倒せるわけがない。たとえ木刀で殴ったとしても、皮膚の分厚い熊さんはノーダメージだ。
熊さんを倒すにはバックを取ってチョークで脳への血流を止め、意識を刈り取るしかない。
「悪いが剣道じゃ無理だな。そもそも今は素手じゃねぇか。言っておくけど、力なら男の俺の方が絶対にあるから。俺、右手の握力、六十五キロあるから」
ちなみに、左手の握力は六十一キロ。高校生にしては中々のもんだと自負している。
「なら私は反復横跳びで六十点だしましたー」
俺に抱きついたまま、エリカがシャカシャカと反復横跳びを始める。つまり、この俊敏性で熊さんのバックを取る、とエリカは言いたいんだろう。
だが、危険過ぎる。エリカにそんなマネをさせるわけにはいかない。それに、熊さんのバックを取ったあとの策がエリカにはないはずだ。
「反復横跳びが凄いから何だ。だいたい、お前はチョークスリーパーの経験あんのかよ?」
さも経験があるような口振りをしてしまったが、俺も経験はない。残念ながら、俺は休み時間にプロレスごっこをするような陽属性の人間じゃないんだ。
それでも、何となく要領はわかっているし、見よう見まねでいけるはず。
「チョークスリーパー? 何よ、それ」
それ見たことか。そもそもチョークスリーパーすらエリカは知らない。そんなんで、よく熊さんから俺を守るだなんて言えるもんだ。
「
「は、は、はだ、はだ、はだかー!? 裸で何をどうするってのよ!? そんな経験、私にあるわけないでしょ!」
「やっぱりな! あんまり野生の熊さんを舐めんなよ!」
「なによ! 意味わかんない! とにかく私がユキを守るの! 黙って私に守られなさい!」
「いーや! 俺がエリカを守る!
「む〜っ!」
「いくらフグみたいに頬を膨らましたって、俺は一歩も引かんぞ! 熊さんのバックを取るのは、この俺だ!」
「むーーっ!」
「はい。そこまで。いつまでユキさんに抱きついているんですか? いい加減、離れてください。私、そろそろ怒りますよ?」
密着したまま、あわや喧嘩に発展……というところで、俺たちは弥生に無理やり引き離された。
「未確認生物さんは、もうどっかに行ったみたいだよ? 結局、何だったのかなぁ?」
ヒナが両手を双眼鏡のように目元にあてて周囲の様子を伺っているが、どうやら危険は去ったみたいだ。
「何だったのかねー。でも、危ない動物かもしれないし、一旦、別荘に戻りましょ」
アヤ姉の提案はもっともだろう。反対する理由もない。
こうして、俺たちは別荘まで戻ることになった。あとで林の奥にいた生物が別荘に侵入してくるとも知らずに……。
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