BAR

韋駄天

紅き日と蒼い月

仕事終わりの静かな夜。

私が思う最高の一時。

店内に流れる優しいピアノとトランペットのジャズが耳に心地よく当たる。

ここは楽園。

それ以外の良い表し方を知らない。

まぁ…またの名をBARだ。

今日は一段と疲れた。

こんな疲れた日はビールに限る。

店内に入ると同時に足早にカウンター席に座り、マスターにビールと頼みゆっくりと店内を舐めるように見回す。いつ見ても絶景だ。薄暗く静かでどこか物足りないように見えるBAR。だがその切なさがまた良い。

何も言わず丁寧に置かれたキンキンのビール。

この渡し方もなんというか、もう全て最高なのだ。

オシャレ。上品。美しい。気品がある。どこをとっても褒める言葉しか見つからない。

ジョッキを持ち、1口グビっと飲む。これだ。昔はよく「ビールは苦いからやめておけ」と言われたものだが……それが美味いと感じればそれでいいのだ。疲れの溜まった身体の隅々に染み渡るような快感が私を襲う。

そしていつの間に置いてある柿ピー。

正直言うとビールに合うものというのはチープというかB級というか、どこか安っぽいのが丁度いいのだ。少しわかりにくいとは思うが…ともかく柿ピーくらいのものが結局1番合うのだ。

柿ピーの柿の種を1口ポリっといただく。なんとも言えない和風な辛み。そこに後追いするかのように口に入れるのがほんのりと甘いバターピーナッツ。

世の中は矛盾が沢山ある。だがその矛盾さえも超えてくるものがたまにいるのだ。その筆頭こそ『柿ピー』毎度食べる度こんなに美味しかったのかとついつい手が伸びてしまう。しかもそれが無料のサービスとして提供されるとは…末恐ろしい。

そこに流れ込むビールもまた格別。

ただ『飲む』のと、他の何かを頬張って『呑む』とでは顔どころか性格も変わったかのような切り替えを見せてくれる。単体で出た時ではあたかも自分が主役かのように振る舞い。ツマミと共に出た時はツマミをとんでもなく持ち上げる役になる。何故こんな器用なことができるのか?恐らくビールが会社に入ったらみんなから引っ張りだこであろう。

そして残るこの余韻…

今まで生きてきてこの瞬間を幾度も立ち会った。だがこの余韻でガッカリするようなことは1度もない。フーっと鼻に通る麦の香り。最高以外の言葉が見つからない。いやもう言葉すらいらないのかもしれない。

そしてこう考えている間にいつの間にか柿ピーは無くなっていた。

不覚だ。

もしビールであれば「おかわり」と言うだけでいい。なんの迷いもなくそんなこと言える。いや言いたい。だが柿ピーは別だ。元々無料の付け合せのものをもう1回頼むのは私のプライドが許さないのだ。そこで私はカウンターからメニュー表を取り出す。

メニューを見た瞬間、まるで宝物庫だと思ったことは心に秘めておこう。そんなことよりも、こんなに種類があるものかと驚いている自分がいる。しかもどれも魅力的だ。だが一際目立つものを見つけてしまった。

『チーズクラッカー(今だけキャビア乗ってます)』

んん?どういうことだ?いや私にだってチーズやクラッカーの意味は分かるさ。もちろんキャビアの意味も。違うんだ。「今だけキャビア乗ってます」?何を馬鹿げた…そんな高級なもの食えるか!と思い直ぐに値段を見た。

値段はなんと3枚で790円…

ギリギリ今日の出費内で済む。これは頼むべきだろう。否…確実に頼もう。

こんな事を考えながらビールもいつの間にか空になっていた。そしてふと考える。ビールをおかわりして果たしてキャビアクラッカーと合うのだろうかと。

マスターに声を掛けクラッカーを頼み同時に合うお酒は何かありますか?と聞いた。するとマスターはあるカクテルを作り出した。

あまり詳しくは無いが酒飲みとして知識は多少あった。シェイカーの中にグレナデンシロップ、赤ワイン、レモン汁を少々、そしてジンと氷をいれ振り始める。グラスに注ぎ赤く光るカクテル。マスター曰く名は『レッドデイ』。カクテル言葉は「情熱のある刺激的な日々」だそうだ。

改めて思う。カクテルとはなんと素敵な物か。感動すら覚える。そうカクテルとは普通の酒では味わえない楽しみ方である『五感』をつかってたしなめるのだ。和菓子が五感全てを使って頂くものというのを知っているだろうか。見た目の視覚や味の味覚、匂いの嗅覚、食感などの触覚はともかく聴覚とはなんなのか。咀嚼音と思う人も多いだろう。まぁ間違いではないが、実はその菓子の名前の響きなのだ。いやぁ…昔の人はよく考えたものだ…

カクテルも同義。その各々に名前がありカクテル言葉まであるのだ。新たな六感目まで届きそうな衝撃と感動。なんとも素晴らしい。

目の前にその2つが置かれ早速一口いただいた。

甘酸っぱい味と芳ばしい香り、そしてスッキリとした味わいが舌に染み渡る。これは良い。

そこにキャビアのプチプチした食感がまた面白い。これこそまさに大人の味。

今日という日を忘れさせてくれるようだ。

思わずニヤついてしまう。

マスターにも顔を覗かれ思わず顔が火照る。

少し腹も膨れたところでそろそろ帰ろうかと思っていた時だった。

カランカラン。

店の扉が開く音がする。

女性の笑い声と共に気取ったような男声の話し声が聞こえ、どうせカップルだろうと気に留めず私は再びカクテルを堪能していた。

だがその考えは一瞬にして覆された。

入ってきた客は男一人、女二人。

そしてその男の顔を見て驚いた。

見知った顔。それはいつもの職場の同僚であった。

少し気まずくなり私は顔を背ける。

彼らは全く気づいてない様子。

そんな状態で私は考える。

(あの男……いやあいつは確か…)

そう。私の苦手な奴である。

せっかく仕事というものから思考を離して過ごしていたのに拍子抜けだ。

現実は惨い。

2人の女性はThe王道なメジャーなカクテルを頼む。そしてやはりあいつはセンスがないのかチューハイをグラスで頼みやがった。

しかもなんだあれは… あんな小さいグラスに入った酒をチビチビ飲んでいるのか?そんな小動物みたいな飲み方をして何が楽しいのだ?それにあのいわゆる「陽」的な雰囲気。

まるでオシャレなものに浸っている私が場違いみたいじゃないか。

私の頭の中で色々な感情が入り乱れイラつきが隠せない。

酒が入りその3人の騒がしさも増していく。気分が下がると酒も不味くなるのを実感した。レッドデイを飲み干し虚しさから思わず遠くをぼんやりと見つめ始める。

すると目の前に三角グラスのカクテルが置かれる。

マスターから声をかけられる。

「私からです。そう気分を落とさないでください。お酒とは時に敵となります。不味くなりあなたを突き放すでしょう。気を飛ばし都合を悪くするでしょう。ですが味方にもなります。お酒は飲んでも飲まれるな…もっともあなたはお酒に強そうですから私は心配してないですよ?」

マスターはニコッと笑ってみせた。

カクテルは綺麗で鮮やかな青紫のような色をしている。

「こちらはブルームーンと申します。意味はご存知ですか?月が2つに見えるほどの美しい夜。そんな夜に飲むカクテルです。」

マスターが丁寧に説明してくれる。

確かにこんなに青くて幻想的な色のカクテルは初めて見る。

1口飲む。あぁ……美味しい。

甘いけどほろ苦さもあり、それでいてフルーティーな爽やかな後味。レモンを強く感じる。

これはいいぞ。

私はまた思わずニヤつく。

マスターも続いてニコッと笑う。

私もつられてまた笑う。

いつの間にか先程までのモヤモヤはさほど感じなくなった。いやそれどころでは無い。

あの3人の騒がしさがどことなく心地よくなっていた。先程まで嫌と思っていた彼らのセンスの無さと常識の欠如に腹が立っていた私に、腹が立つほど心地よい。

先のマスターの話から理解した。

彼らの存在を認めた先には真のBARの姿があった。

勿論静かで華麗な世界観に美しさを感じるのも良い。だが今のような五月蝿さにも世界はありそれもまたBARにあるべき姿のひとつであると。それこそ2つ目の月なのだと。そう私は思った。

敵になり私を突き放した彼らはBARの美しさを上げるという意味では味方となった。

私は上手く飲まれてしまったという訳だ。

酒とはなんと不思議な飲み物であろう。

マスターはきっと全て分かっていたに違いない。私が何を思い、何を感じ、何を受け取ったか。

よほど私の顔がとても満足気になっているのだろう。マスターは横目で私の事をちらりと見てにこやかにグラスを拭いている。帰宅中の頭の中には笑うマスターの顔がくっきりと浮かんでいた。

それからというもの、あの店には足繁く通っている。

お酒も好きだし、もしかすると彼女のことも好きなのかもしれない。だが、そのどちらも答えを出すことはできなさそうである。まだしばらくは出そうもない。


今日もまた私はあの店で酒を飲む。

情熱のある刺激的な日々を過ごすために。

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BAR 韋駄天 @pipiropi

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