第28話 最終話

どう考えてもマイアットの回避は間に合わない。


ヴァンデットはそう確信していた。


直撃の瞬間──。


周囲の爆破に加えてヴァンデットとマイアット頭上を覆っていた数々の破片も砕け散ったことで、一時的に二人の周辺が砂埃に包まれる。


視界を覆われながらも、確実にマイアットを貫いた感触がヴァンデットの左腕にはあった。


トンプソンと共にヴィクトリアを相手する過程で不安を覚えた右腕での攻撃は控えている。


だから今回は左腕を振るった。


そこに乗せたパワーはヴァンデットの全力だった。


二撃目を考えない、相手に思考を許さないような超速の一撃。


「な、にぃ……!?」


それなのに驚きの声を上げているのは、マイアットではなくヴァンデットだった。


晴れつつある視界の中で最初に見えたのは、健在な様子のマイアットの顔だ。


同時にヴァンデットは左腕に激しい痛みを自覚する。


見れば、骨まで抉られたようなスジが数条引かれている。


そのスジの行き着く先は、マイアットの指だった。


そしてその指は、ヴァンデットの肘あたりで止まっている。


ガクン──。


突如ヴァンデットの身体から力が失われ、動きができなくなる。


そのまま膝をつく中で視界に映ったのは、マイアットの胴を貫いている自身の左腕だ。


やはり、攻撃は命中していたのだ。


マイアットは胴に大きく穴を穿たれて上下半身は紙一重で繋がっているような状態だったが、それでも彼女は健在だった。


攻撃で吹き飛ばされなかったのは、異常な力でヴァンデットの腕にしがみついたからだろう。


その過程でヴァンデットの腕は大きく抉られ、傷ついたようだ。


それを可能にしたマイアットの左腕もボロボロの状態だ。


吹き飛ばしの威力に耐えたのだからそれだけでも十分なのだが、そこから動き出せるのは人形の強み。


ぎこちない動きを見せつつも、マイアットの左腕はヴァンデットの顔面を掴む。


「離、せテメ、ェ……!」


「人形に成り果てた私にも、あなた方からの学びがありました……」


「何を言って──ぐ、ぅ……!」


マイアットの語りに対するヴァンデットの発言は許されなかった。


ヴァンデットがなんとか目線だけを動かして背後を見る。


するとそこにはミラの姿があった。


砂煙の中どうやって忍び寄ったかは知らないが、マイアットの支配下であればそれも容易だったのだろう。


ミラの全身が激しく損耗していることから、爆撃の中を抜けてきたのは明白。


そんな彼女の腕はヴァンデットの腹を背部から差し貫いている。


「クソったれ……が……」


ズブ……と体内から腕が引き抜かれる嫌な感覚も、マイアットによる支配によって塗りつぶされていく。


「犠牲を厭わない行動を選択していなければ、私はここで負けていたでしょうね……。この肉体を大きく消耗したのは痛手ですが、あなたを手に入れられたと思えば安い犠牲でしょう……。あとはミラ、あなたはラーナを滅ぼしてきなさい……」


すでに返答すらままならないヴァンデットには、これらの言葉はもう雑音としてしか認識できない。


それでも晴れゆく視界の端にラーナの姿を捉えると、ラーナの顔は絶望に塗られていた。


「これだけ状況を揃えられたのは、賞賛に値します……」


マイアットの指示を受けて、人間の限界を超えた動きを見せるミラ。


「ヴァンデットの一撃は、ともすれば私を消しとばす可能性を秘めていました……」


マイアットは戦いの終わりに名残惜しさを感じるように、滔々と言葉を綴る。


「ですが、あなた方の最大の賭けも失敗に終わりました……」


ラーナは状況に対応するために両手で地面に触れようと動くが、それよりも早くミラが超高速でそこへ至っていた。


「すでにヴァンデットも私の支配下にあります……」


間に合わないと悟ったのか、ラーナは防御姿勢に切り替える。


「人格を残したミラならそのまま突っ込んでいたところでしょうが……」


ラーナは、どこの肉体であれば失っても影響が少ないかを考える。


考えの結果、ラーナはしっかりとミラの攻撃姿勢を確認しながら、そちらに左腕を突き出した。


左手を高威力の爆弾に変えるためには、顔面からなるべく遠くへ離さなければならない。


いくらラーナとはいえ、顔面への致命的なダメージは避けるべきなのだろう。


それは迫り来るミラを待つ姿勢だが、ラーナの視界を覆い隠す障害にもなるわけで、


「ミラは今や私の傀儡……」


ラーナはミラの一瞬の動きの変化を捉えきれなかった。


突き出した左手。


広げられた五指。


そこに、親指を除いた四指をへし折って直進してくる物体がある。


ラーナが痛みを感じるより先に、それは彼女の額に激しい衝激を加えた。


あまりの威力にラーナの顎先が跳ね上げられて頭部は後傾し、後方に吹き飛ぶ形となる。


その過程で、ミラが蹴り終わった体勢をとっていることがラーナの目に映った。


「今更私が直接攻撃などという愚を犯すとでも……?」


「ぎ……ッ!」


ミラの蹴りで放たれていたのは、そこら中に転がる瓦礫の一つ。


それは大きくラーナの額を抉り取ったが、反射的に顔を仰け反らせていたおかげで意識を刈り取られるまでには至らなかった。


抉れたというのは、そこを軌道に瓦礫が通り抜けたということ。


回避が間に合わずに直撃していれば、頭蓋が陥没して脳漿をぶち撒けていただろう。


「やはりあれでは仕留められませんか……。それでも頭部へのダメージは相当なものでしょう……」


そんな状態でもラーナが痛みから生じる眩暈を振り払いながら見たのは、追撃の姿勢を見せるミラではなく、勝ち誇った様子のマイアットでもなく……遠く崩れ落ちたヴァンデットだった。


二人の視線が交差する。


ラーナとヴァンデットがはっきりとつながった最初で最後の瞬間。


一瞬のことだったが、ラーナにはヴァンデットのニヤリと嗤う様が見てとれた。


言葉はなかったが、意思は受け取った。


「ま、こういう最期もありなのかなー?」


頭部の裂傷に指を突っ込みながら、ラーナは呟く。


彼女の人生史上、最高最大の威力を誇る爆弾──ヴァンデットの命の散り様を見届けながら。



            ▽



それはヴァンデットがマイアットを吹き飛ばした直後のこと。


「マジで言ってんの?」


ラーナは背中側から覗き込むようにしてヴァンデットの発言に彼の正気を疑う。


「ああ……。トンプソンにはもう少しいけるとかなんとか言ったが、俺様はすでに限界を超えているからな。この勢いを一度でも止めれば、それ以上動けることはないだろうよ」


「動けないだけなら、一旦休むとか?」


「俺様は一度マイアットの手に落ちて支配を受けている状態だ。それを跳ね除けて動けているのはスキルの補助があるからだ。ダートの機転がなけりゃ、それ以前の話だったんだが……」


「……ん?」


ダートに関してヴァンデットの呟くような言葉はラーナには聞き取れなかった。


「……暴れまわろうとする身体を抑えつけるので必死な状態とでも理解しておけ」


「あぁー、了解!」


「その抑制も、負傷が重なったことで効かなくなってくてる。テメェもマイアットに支配された俺様に殺されたくはねぇだろうが?」


「今のヴァンデット如きなら、あたしも簡単にはやられないと思うけどー」


「うるっせぇ、そういうことを言ってるんじゃねぇよ!」


「うそうそ、分かってるって!それにしても、どーゆー風の吹き回し?」


「自分の命の使い方は自分で決めるってだけだ。どうせ残り少ねぇ命なら、有効に使ってやる。マイアットにもダメージを与えられて、テメェも爆弾を作れる……一石二鳥だろうが」


「まーねー。んじゃ、最高の仕上がりにしといたげる!」


「手は抜くんじゃねぇぞ。……とにかく、次の攻撃に全力を注ぐ。これで決め切らなきゃ後がねぇ、そう──」


「──思わせるってわけね、了解了解」


「仕込みは済んだか?」


「ばっちり!」


「そりゃあいい」


上空を見上げながら、ヴァンデットは満足げに笑った。



            ▽



なにもマイアットが弱かったわけではない。


永く人間を辞めていたことで、その考えには至らなかっただけだ。


自ら命を捨てるという、その可能性に。


そんなマイアットも、その一歩手前までは至るができていた。


ヴァンデットの拳を受けるという行為──身を切るところまでは。


この行為によって、マイアットはヴァンデットとラーナの最大の策を封じることができた。


できてしまった。


だからマイアットは勝ちを確信した。


それも当然か。


これこそがマイアットの想像した通り、彼らの最大の策だったのだから。


マイアットを葬り去るための、ヴァンデットの残り少ない力をふんだんに使った一撃。


命中しても命中しなくても、それは最後の攻撃だった。


そうして力を失ったヴァンデットは容易にマイアットの支配を受けることになり、彼の攻撃手段は完全に失われた。


徐々にヴァンデットの力が失われていくなかで、そこからがマイアットの意図しない彼らの正念場だった。


ここでのミラの出現は、マイアットが大事に備えて行ったものだ。


ミラの攻撃は的確にヴァンデットの体力を削ったわけだが、それが今回マイアットの勘違いを引き起こす最大の原因となった。


ヴァンデットとしては、この時点でどのようにして屈服する様を見せつけるかが課題であった。


下手に演技などをしてしまうと、その後の動きを警戒されてしまう恐れがある。


そんな折にミラから叩き込まれた攻撃は、マイアットからすれば確実に動きを止めて支配しやすくするという意図があった。


それは結果的にヴァンデットの支配への追い込みが自然に行われることにつながり、マイアットは自ら首を絞めることとなる。


この時砂埃のためラーナが攻撃を仕掛けなかったのは、そうすることでラーナがヴァンデットに価値を見出していると錯覚させるため。


もとより、彼女は上空に撒いた破片や爆破の数々でマイアットを仕留めようとは考えていない。


ヴァンデットに瓦礫爆弾を放り投げさせたのも、マイアットが彼に集中するように仕向けるため。


戦うための土俵は作ったからここへ上がって来い。


こっちはヴァンデットを使ってお前を倒すぞ。


そういう意図をマイアットに汲み取らせるためだったのだ。


マイアットの勘違いも相まって、これらの策は見事に彼女を釣り上げた。


彼女に勘違いを引き起こさせたのは、なにもラーナとヴァンデットが幸運だったわけではない。


適材適所、各場面に必要な行動を取ることができたからだ。


命を消耗品として撃ち出す彼らは、命を惜しむマイアットを上回った。


あとはタイミングの問題だった。


この時ラーナにとって予想外だったのは、ミラによる強襲。


しかし咄嗟に自爆する姿勢に変更することで、後手に回っているということを演出することができた。


あとは流れだ。


正直ミラが近接で攻めてこようと遠隔で攻めてこようと関係なかったのだが、一度マイアットには自爆攻撃を仕掛けているわけだし、それに対応してくることは想像に難くない。


とは言うものの、待っていましたと言わんばかりの行動はマイアットに疑念を生じさせてしまう。


だからラーナは敢えて身を削る方を選んだ。


片腕ぐらいならいいだろうという気持ちで、なおかつ顔面を守るような位置に左手を配置した。


顔面の正中さえ射抜かれなければ、たとえ眼球を片方失うことになろうと問題なかった。


顔面は謂わば楕円形だ。


ある程度の傾斜さえつけることができれば、予測される瓦礫での遠隔攻撃は対処が可能。


最も危惧されたのは何もせず様子を見られるということだったが、マイアットは結果を急いだ。


ここまで全てが噛み合ったことで、マイアットの未来は絶たれた。


そしてラーナに見届けられる形で──。


「じゃあねー、ヴァンデット」


──ヴァンデットの輝きに飲み込まれた。


最期まで、マイアットが人間の機微に気づくことはなかった。


「なんだ!?」


「これは……お下がりくだせぇ!」


激しい衝撃波が周囲に拡散する。


ラーナがマイアットに放った攻撃の際に一時後方へ撤退していたことが、アイゼンとグレッグを救った。


それほどの規模の爆発が、中心街を席巻する。


その煽りを受けて、ミラもバランスを崩して地面に転がった。


「おろ、マイアットが死んだら停止する感じ?」


ラーナは空中姿勢から器用に体勢を整えて着地する。


そのまま転がったまま動きを見せなくなったミラに近づき、


「ま、こういう方法もあったんだけど」


顔面と左肩の傷口から血液を塗りたくった。


「ヴァンデットがああもやりたいって言ってたし、結果的にはアレでよかったかなー。新しい世界を見たって感じだけど、んー……」


ラーナがトンプソンの方を確認すると、未だにヴィクトリアとのやり取りが微かに見える。


「んー、止まる人形と止まらない人形の違いは分っかんないなー。でもまだ手こずってるみたいだし、応援にいくかな!」


アイゼンたちは爆発の向こう側なので、ラーナの行動には気づけないで居る。


彼らにあまり興味のないラーナだったが、今後面倒ごとを起こされても困るので、嫌がらせも兼ねて妨害工作を行っておくことにした。


「マイアットに支配されたって時点で未来なんて無いんだけどねー」


最後はミラの周囲に爆弾を仕込んで終了だ。


メインターゲットを始末したことで、ラーナにはどっと疲労が押し寄せている。


それも、今後の楽しみを思えば我慢できるほどだ。


しかし未だ傷口は絶えず活動的に血液を噴き出しており、ともすれば貧血にも至ってしまいそうな状態だ。


それが脳裏にあるので、ミラへの仕込みが完了すると、ラーナはトンプソンに向けて走り出した。



            ▽



『ダートが世話んなった。じゃあなトンプソン、残りの人生を楽しみやがれ』


その言葉を最後に、ヴァンデットからの念話は届かなくなった。


同じタイミングで起こった大規模な爆発。


それに巻き込まれたのかもしれない。


「ヴィクトリア殿が止まらないと言うことは、未だマイアットは健在か──」


もしくは不可逆の変質だろうか。


「こちらも、仕上げだな。とはいえ、攻め切れない現状は如何ともし難いな」


トンプソンは息荒く滴る血を拭いながらヴィクトリアの攻撃を回避する。


攻撃を当てることに比べれば、回避自体はそう難しくはない。


攻撃にはスピードが要求されるため、ヴィクトリアが『Future vision』を併用して攻撃を仕掛けようとすると、どうしてもそのタイムラグのために攻撃が届かなくなるのだ。


一方で回避面においては、トンプソンのスタミナが負傷によって衰えを見せ始めてることも関係して、ヴィクトリアはスキルを使った完全回避が可能だ。


それに留まらずヴィクトリアは攻撃後の隙を狩ることさえ可能なため、迂闊な攻撃をトンプソンは仕掛けられない。


そういう経緯で、トンプソンは攻撃を仕掛けられない、ヴィクトリアは攻撃を当てづらいという状況が作り出されいた。


様々な状況からトンプソンは負けているわけで、あと一歩何かが足りないのだ。


そんな折にトンプソンの元へ現れたのは、ラーナ。


「トンプソン、まだやってたの?」


ヴィクトリアがラーナを見て一気にその場から飛び退くと、直後その場所が爆ぜた。


「ああ、情けないことにな。今の私では決め切れん」


「殺したくないってこと?」


「いや、ヴィクトリア殿は殺すさ。ただ、彼女の『Future visi未来視on』──動きを止めている間だけ少し先の未来が見えるそのスキルが私を阻むのだ」


「何それ、つっよ!」


「まぁ、そんなスキルだが弱点もある。動きを止める隙さえ与えなければ、攻略もできる」


「やりゃあいいじゃん」


「……見れば分かるだろう?」


「その状態じゃ難しいかー。立ってるのがやっと、って感じ。トンプソンはヴァンデットみたいにマイアットに支配されているわけ?」


「ああ、それはない。支配を受けているのは、そこのヴィクトリア殿だ。ところで、ヴァンデットはどうした?」


「マイアットを巻き込んでドカン、よ。ヴァンデットらしく、あいつを跡形もなく消し去ってね。ま、そんだけ」


「そうか」


「運がいいのか、アイゼンとかは巻き込まれなかったみたい。あいつら後は好きにやってなよって感じだけど、殺した方がよかった?一応、置き土産は置いてきてるけど!」


ラーナが親指を向けた先では、アイゼンとグレッグがミラに駆け寄っているところだった。


「邪魔さえしなければ優先度は低いが、贈り物があるなら与えておけば良いだろう」


「了解!んじゃ、何したらいい?」


「ヴィクトリア殿のスキルが発動できないほどの手数で持って彼女を止める。ただし、爆破で彼女を傷つけるな」



            ▽



「今のは!?」


「分かりやせんが、恐らくルドを巻き込んだ爆発かと……」


爆風に押され、体勢を崩して転がるアイゼンとグレッグ。


「ラーナがやったのか?」


「ヴァンデットごとやるとも思えねぇですが」


二人は体勢を立て直しながら結末を見守る。


「いずれにせよ、砂煙が晴れたら分かることか。ヴァンデットとルドのどちらかが大ダメージを負っていた場合、直ちにトドメをさせるように構えておけ。一応、お前には『Regalia王威』を掛けておく」


「了解しやした」


アイゼンのスキルによりグレッグの身体能力が向上する。


二人は未だ、ルドのことをルドと認識している。


一応ラーナの発言でルドをマイアットと呼称する場面もあったが、それはすでに記憶の彼方だ。


「さて、どうなる……?」


徐々に砂埃が密度を減じ、現場が露わになる。


するとそこには、


「なんだと!?」


何もなかった。


その中心に存在しているべき二人の姿はない。


あるのは、クレーター状に大きく穿たれた大地だけ。


周囲を見渡しても、他に見えるのは倒れ伏したミラの姿だけだ。


アイゼンの予測ではミラが大規模爆撃をかましたということだが、彼女の姿は付近にはない。


「嵐のようにやってきたかと思えば、その直後の自爆……と言って差し支えねぇんですかね」


「さぁな、そこまでは想像するしかないだろう。ひとまず言えるのは、ヴァンデットとルドは共に姿を消した。死んだにせよ逃げたにせよ、あれでは大ダメージは免れないはずだ。ワシらも今のうちにミラを回収して、ラーナを追うぞ」


そうは言うが、アイゼンの視界は悪い。


グレッグこそ環境影響を受けないスキルを保有しているおかげで常人よりも動きやすいが、アイゼンはそうではない。


何かが起こった時に反応できるのは、どう考えてもグレッグが先だ。


そう言う事情もあるので、グレッグはややゆっくり目にアイゼンを後方に置きつつ歩く。


爆発現場を横目に進むと、程なくしてミラの元へたどり着いた。


「どうだ?」


「傷も出血も多く見られますが、命に別状はないようで」


グレッグは警戒からミラに触れずに軽い確認をしているが、彼女はぐったりと動く様子を見せない。


「目を覚ますのか?」


アイゼンの言葉尻は、ヴィクトリアへの懸念からか逸る気持ちが漏れている。


「いえ、少しお待ちを……」


グレッグはアイゼンの内心を汲んでいるが、それ以上にミラが暴れ出しては困るということで少々時間をかけてでも観察を続ける。


ルドに操られていたということもあって、場合によってはミラの命を奪わなければならないのだから。


それでもやはり動きを見せる様子はない。


そんな観察の中でグレッグは違和感を覚える部分があることに気がついた。


ミラの体表には、擦りつけられたような血痕が無数に存在している。


それらはルドが出現するまでは見られなかったもので、恐らくは人為的なものだろう。


一体誰が、そしてどのタイミングでつけられたものだろうか。


ミラが大爆発の直前に砂煙の中に突っ込んでいったところまではグレッグも確認している。


可能性が高いとすれば、それはラーナだろうか。


ヴァンデット爆発の直後のラーナとミラの肉薄を、グレッグは確認できていない。


アイゼンとグレッグの認識は、爆発前に彼らの元を離れたミラが爆発後に原因不明で倒れていたこと。


そしてラーナが姿を消していたことくらいなものだ。


そのラーナはトンプソンの元へ向かっていると思われるため、グレッグも急ぎたい気持ちはある。


だから観察もほどほどに、ミラを担いで移動しようと考えた。


「今のところ異常は確認できねぇですが、暴れ出したらその時はあっしが止めます。ルドが死亡していても敵対するようであれば……」


「その時は仕方あるまいな……。ではグレッグ、急ぐぞ」


グレッグはアイゼンの同意を得て、ミラを抱き起こそうとした。


すると、ミラで隠れていた地面に血文字が描かれているのが確認できた。


グレッグはその文字列を追う。


同時にカタカタと異常な動きを見せ始めるミラ。


「『死にたくなきゃ、すぐにその場を離……』──アイゼン様!」


グレッグはアイゼンにタックルするような形でその場から飛び出した。


その場にミラを放り出して。


直感的にミラの全身に塗られた血痕の違和感を拭い切れなかったグレッグだが、それが功を奏した。


ミラを中心にした地面が爆ぜる。


Regalia王威』によりグレッグの身体能力が増していたこともあって彼らがそれに巻き込まれることはなかったが、


「な……!」


ミラの姿もなかった。


「グレッグ、これはラーナの仕業だ!絶対に許さん、いくぞ!」


アイゼンは憤っていた。


悲しみよりも、ラーナがミラの命が弄ばれたことに怒りが湧いた。


一方グレッグの感覚は少し違っていた。


あのラーナなら、殺せるときに殺しているはずだからだ。


ミラがラーナとの殺し合いの結果死んでいないというのなら、何か意味があるのかもしれない。


しかし今それをじっくり考えている時間はない。


グレッグは息を整え立ち上がる。


「ええ……ミラのことは残念ですが、まずはヴィクトリア様の元へ」


何やら胸騒ぎがして、二人は急ぐ。


今更周囲を警戒する必要はないだろうと、真っ直ぐにトンプソンらの元へ。


本来ならルドが出現した時点でそちらに向かえていたのところだったのだが、ミラが元に戻ることを信じた結果がこのザマだ。


「アイゼン様、環境影響の方は大丈夫で?」


「ワシのことは気にするな、先に行け!」


グレッグはアイゼンを慮った上で発言をしたが、無用な心配だったようだ。


それを聞いたグレッグはアイゼンに先行する形で現場へ。


アイゼンを置いていけば、現在のグレッグの身体能力ならそう時間はかからない。


不安を抱えながらも、それでも最悪までは想定していなかった。


だからその光景には絶句せざるを得なかった。


トンプソンはヴィクトリアを守るべく動いていると信じていたからだ。


初めにグレッグに気がついたのはラーナ。


「あら残念、遅かったじゃん」


「そん、な……!」


「すまないグレッグ、私ではヴィクトリア殿を守れなかったようだ」


トンプソンはそう平然と宣いながらグレッグに向き直る。


その過程でヴィクトリアは胸から腕を引き抜かれ、血を噴き出しながらゆっくりと倒れゆく。


グレッグにはその様がありありと見えた。


守れなかったと言いながらヴィクトリアを殺害したトンプソンのアンバランスな行動に、グレッグは一瞬眩暈を覚える。


が、精神を持ち直して目の前の現実を受け入れる。


ヴィクトリアは倒れた衝撃で少しだけ跳ね、そのまま地に沈む。


死。


全身を地に伏せてピクリとも動かない彼女の様子はまさしくそれだ。


ヴィクトリアが倒れ切ったのと同じタイミングで、アイゼンも到着。


「グレッグ、どうな……った……あ……」


息荒く駆けてきたアイゼンは、最も見たくない光景を目にしてしまった。


そしてそのまま倒れ込むように膝をついた。


両腕は頭部を抱えるように充てがわれ、絶望の姿勢をとっている。


しかしアイゼンの目に映っているのは、単に倒れ伏すヴィクトリアの姿だ。


トンプソンに心臓を貫かれた現場までは見ていないため、この場面だけ見れば死んだと確信する要素は少ない。


「グレッグ──」


トンプソンの手先から滴る血液からある程度は予測が立つものの、一縷の望みをかけてグレッグに状況の確認をしようとした矢先。


『アルメニア協会カラノ示達デアル。アルメニア協会カラノ示達デアル』


「──!?」


天から響いてくる何度か聞かされたその口説に、アイゼンは嫌な予感を覚えた。


『生存者数ガ規定ノ人数へ到達。コレニヨリ現刻ヲ以テ、リベラノ儀ノ完遂ヲ宣言スルモノデアル。同時ニ、リベラニ纏ワル全テノ解放項目ニ制限ヲ施ス』


「やったー、終わりじゃん!」


ラーナは純粋に喜びの声をあげる。


「うむ、無事生き残ることができて何よりだ。ヴィクトリア殿のことは感謝するぞ、ラーナ」


トンプソンとラーナは既に全てをやり切ったような印象を周囲に与えている。


「き、貴様……ヴィクトリアはどうなった!?一体どういうことだ!?何故わしのヴィクトリアが倒れてリベラが完遂なのだ!?おかしいであろう!」


それを見たアイゼンはトンプソンに向けて唾を飛ばしながら叫んでいる、というより喚いている。


どうやら様々な情報を処理できず、現状を受け入れられていないようだ。


グレッグはヴィクトリアの最期を見ていることから、アルメニア協会からの示達も併せて現状の理解は十分だ。


だからこそグレッグはアイゼンに何も言うことができない。


理解できていないうちが最も幸せということだろうか。


「ヴィクトリア殿はマイアットの支配下に置かれていた。ラーナの話を聞けば、ミラも同様の支配を受けていたようではないか」


「そ、それがどうしたというのだ!」


「マイアットの支配は不可逆の変質。どう足掻いても救える術は無かった。ヴィクトリア殿とミラのそれは厳密には違うのだが、まぁ結果は同じことだ。諦めるのだな」


「貴様が殺しておいて何が諦めろ、だ!いい加減に──」


「アイゼン様、おやめくだせぇ!」


グレッグは今にも飛びかからんとするアイゼンを羽交い締めで押さえ込んでいる。


「何故止めるのだ!?」


「手を出せば恐らく殺される、いえ、死なずに苦しめられるでしょう。ミラの件でもあっしらは助けられてるんでさぁ」


「どういうことだ?」


「まず、あっしらの足元には恐らく爆弾が埋め込まれてます。

ミラへの攻撃も、必要な対処だったのかと」


「気でも狂ったか!味方を何人も殺されているのに、何が必要なのだ!?」


「いつまでガキみたいに喚き散らしてるわけ?あんたは今グレッグに命を守られてんのにさー、ここにきて状況理解すらできないってウケるんだけど。ミラもおかしな動きをし始めてたでしょ?」


見かねたラーナが苦言を呈する。


「……っ!」


しかしそれでもアイゼンは納得がいかない。


『リベラヲ勝チ抜イタ者ハ以下ノ五名。アイゼン=フォン=エーデルグライト、グレッグ=マッド、トンプソン=カーマ、ラーナ=マイン、最後ニ……デイビス=ボンド』


「……は?」


間の抜けた声を漏らしたのはラーナ。


「え、なんでなんで!?意味わかんないんだけど!」


「どうした?」


ラーナの急な乱心に、トンプソンは疑問を投げかける。


「ヴァイス君死んじゃった!」


「う、うむ」


「んー……ま、どうでもいっか!」


「ヴァイスという子供も条件付きの不死だったのだろうな」


「そっかー。じゃあ地上で新しいオモチャを探すしかないね!」


ヴァイスのスキル『Ghost hunt霊魂不滅』は、対象の魂を操作するというもの。


肉体間の魂の移動や魂の分断、そして自己の死を他者の魂で肩代わりすることさえ可能だった。


しかし肩代わりに使えるのは今まで自身が触れた魂のみ。


ヴァイスはフェイヴァ所属の全ての人間の魂に一度は触れていた。


ラーナによって地中で死と復活を繰り返す中で、魂のストックは底をついた。


それはつまり、実質的なフェイヴァの崩壊を意味しているのだった。


「それにしても、デイビスも生きていたとは運がいい。リベラによる特殊環境も解除されて貧民街も元の状態に戻ったようだから、苦しむとはいえ死ぬことはないだろうな」


トンプソンは安堵する。


実際、デイビスはいつ死んでもおかしくない状態だった。


耐えられたのは──。


「ベスが生きろと言ってくれたから、だな……」


トンプソンたちとは離れた場所で横たわりながらデイビスは呟く。


「それに、ヴィクトリアも……。全く残念だぜ、あんなにいい女だったのによ」


殺そうと思えば殺せたはずだ。


しかしまぁ、まどろっこしい考えは今は無しだ。


せっかく勝ち残った戦い。


「疲れたな、少し休むか……」


デイビスは転がったまま視線だけをトンプソンに向け、アルメニア協会からの示達に耳を傾ける。


『コレヨリ転送段階へ移行スル。勝利者ハ希望スル転送先ヲ想像セヨ』


「ワシの……ワシの野望が……」


アイゼンはようやく事態を受け入れたのか、憔悴し切って一気に老け込んだようだ。


グレッグがどんな声をかけようとも、同じことを延々と呟き続けている。


「ラーナ、転送先を合わせようか。デイビスに対しても話があるから、こちらに来てくれ」


「はーい」


「トンプソン、待ってくだせぇ!」


その場を去ろうとした二人にグレッグは声を掛けた。


「既に死の概念が適用から外されているはずだが、ここで殺し合うかね?」


「何故ヴィクトリア様を殺したんで!?あっしの命であればいつでも差し出せたというのに!」


「ああ、なるほど。支配されていようともヴィクトリア殿の命さえ助かっていれば、地上でそれを治す術があったのではないか、というところか。まぁ、私も殺したくて殺したわけではない。殺さなければ──心臓を破壊しなければ、アイゼンのような愚者が一方的に利益を得る結末を迎えることは明白だった。しかしそれは避けられなければならない。特定の個人が優遇される世界など、あってはならないのだ」


「それは、トンプソン個人の願望でしょうが!」


「確かに。だがヴィクトリア殿の生存も君たちの願望であろう?彼女は貧民街での死は望んでも、地上での生は望まなかった。彼女の死は、もとより我々の中での取り決めに含まれていたことだしな。それにアイゼンの言う不老不死など、ロクなものではない」


「しかし約束では……!」


「約束?アイゼンのような権力者が約束を履行した試しはあるのか?最終的に踏み倒されるのは目に見えている」


「それでも、それでもあっしらは約束のために戦ったはずでしょう!」


次第にグレッグの語気も強くなる。


取り付く島がないことを理解しているからだろうか。


それともパッションでどうにかできると思っているためか。


「君たちは、戦った。しかし今ここに君たちが居られるのは、ラーナによって、ヴァンデットによって、それこそこういう戦いを強いたヴィクトリア殿によって生かされた結果だ。まぁそれは私にも言えることだがな。だからこそ、君たちも私もヴィクトリア殿を勝ち取ることができていないのだよ。勝ち取るという表現には語弊があるが、ともかく、誰も望む形の結末を迎えることはできていない。それは我々の弱さゆえだ。自分の弱さを、誰かのせいにするな」


「……!」


「ま、生き残れたからいいじゃん!前向いて生きなって。それともなに?何でも思い通りに事が進むと思ってた?そうならなくて駄々をこねるって、流石にウケないよねー」


「不老不死の夢でも何でも、叶えられなかったのならそれは夢という範疇を出ない。夢から更に現実のものに昇華できない自身の弱さを悔め。それができないから、いつまでも君たちは弱い人間のままなのだ。貧民街の人間をよく見てみろ。全てを失ってもなお、強かに生き続けているぞ?それに比べて君たちは、何を失ったというのかね?」


それだけ告げると、トンプソンは身を翻して去っていった。


弱さというのは、残酷に現実を叩きつけてくる。


グレッグはトンプソンに対して何も反論することが出来なかった。


それが弱さを認められない人間の限界だった。


『コレヨリ転送ヲ開始。コレヲ以テ、リベラ全テノ工程ヲ完遂トスル。ソレデハ各人、地上ニ災ノアランコトヲ……』


協会は意味ありげな言葉を残しつつ、五人をそれぞれ希望する場所へ転送していった。


これによって、リベラ区域内での生存者は完全にいなくなった。


残されたのは戦禍と死体の山だけだ。


『続イテ、貧民街全土ノ人員二告ゲル。リベラ完遂二従イ、アビリティプレート内ノ全テノモノヲ回収シ……』


協会からの指示が貧民街に木霊する。


蠱毒ともいうべき催事は無事終了し、貧民街に日常が訪れた。


地上に比べれば非日常だが、それに従うのも貧民街の人間に課せられた使命。


貧民街脱出を志す者がいるなら、次回の催事に向けて爪を研いでいくだろう。


それにしても、ここまで大規模な催事は数百年ぶりのことだった。


これが偶発的なものなのか意図されたものなのか、それを知る人間はいない。


貧民街での生活という鞭と、貧民街脱出という飴。


これに踊らされる人間は過去にも現在にもあとを絶たない。


今回のリベラでも多くの人間が命を落とした。


二大勢力だったマリスとフェイヴァのそれら両方が姿を消したため、今後新たな勢力図が展開されていくことだろう。


それでも貧民街に住まう人間のやるべきことはいつも同じ。


苦しんで、そして生きるだけだ。


リベラによって遮断されていた区域が解放された。


我先にとナワバリを求めて雪崩れ込んでくる人間たちは、安寧を求めているのか、それとも闘争を求めているのか。


無数に転がる人間は数こそ多いものの、ここでは見慣れた風景。


死んでいるか、死にかけて苦しんでいるか、それだけの違いだ。


その中にはヴィクトリアの姿もあった。


人間たちは死体から武器を剥ぎ取り、衣服を剥ぎ取る。


異常な非日常も日常のものとして受け入れられる貧民街は、今日も平和だった。



            ▽



風が舞い込んだ。


それでも塵埃が絶えることはなく、大気の汚染は相変わらずそこにあるままだ。


「げ、げほっ……あ、が、ごほっ……ここ、は……?」


傷だらけの男を抱え、状況を受け入れられずに苦しむ女が一人。


風が吹くのは、いつだって誰かが迷い込んだ時だと決まっている。


しかしそれは、こと貧民街において新しい風にはなり得ない。


迷い込んだ人間は、苦しみという風に容易に飲み込まれてしまうからだ。


それ以降彼らは教室に溜まった埃のごとく隅に追いやられ、平等に冷遇され続けるしかない。


「誰か、ごほっ……助け……」


暗い路地裏で助けを呼ぶ声に応えてくれる者など存在するわけもない。


呼吸をすることさえも苦しみに変わり、そして最後には助けを呼ぶ声さえあげられなくなるのだ。


するとそこに幸運にも一人の男が現れた。


全身をコートで包み、目元以外が全て覆われた異様な風貌だ。


そんな姿であっても、たとえそれが悪人であっても、女は助けを求めずにはいられない。


「何でもする、から……どうか……」


しかし女の期待する返事がくるわけでもなく、


「ようこそ、貧民街へ!」


厳しい現実が口を広げて待っているだけだった。


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※小説家になろう掲載中の『Re:connect』(https://ncode.syosetu.com/n4020ff/)から、貧民街編を抜粋してお送りしました。

上記作品は作者の別作品『禍つ世界は斯く在りき』とは異なった世界線のお話なので、よろしければ。

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貧民街-spider web- ひとやま あてる @magdalena

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