第27話 最後の突貫

マイアットは自身の左手の感覚が突然消失したのを自覚した。


その左手は今しがたラーナに触れた部分でもある。


疑問より先に、反射的にそちらへ視線を向ける。


まず視界に映ったのは、撒き散らされる何か。


その何かの向こうには、本来そこにあるはずのものがない。


そう、自身の手首より先が。


視界内を多数覆う何かは、破片を撒き散らす左手の残骸。


そしてラーナの左肩から吹き出す血飛沫や肉片の数々だろう。


ここまでマイアットは決してラーナに触れられてはいない。


だから、この事象は何かの間違いかとも思ったのだ。


触れられてはいないが、触れてはしまっていた。


要は、触れた部分が爆ぜたのだ。


それはつまり、


「狂っている……!」


ラーナは自身の肉体を爆発物として変換できるということ。


マイアットが肉体を軽んじるのは替えがきくから。


しかしラーナはそうではない。


狂っているとは、そういうことだ。


この爆発だが、範囲こそ小規模とはいえマイアットの手を消しとばすには十分な威力を備えていた。


その威力は当然ラーナの肩を大きく抉り、彼女のシルエットを非対称にさせる程度にはダメージを与えている。


それを平気で行えるラーナの精神に、マイアットは恐ろしさを覚える。


そんなラーナは、左肩からの血飛沫で顔面の左半分が真っ赤に染まっていながらも嗤っていた。


左腕はダラリと垂れ下がっていることから、もう恐らく彼女の左腕は機能しない。


それでも、痛みなどないかのように笑みを浮かべているのだ。


「これは……」


今更ながらマイアットに後悔の念が生まれる。


一瞬でも気を抜いた結果が、この有様だ。


いや、違う。


どうやってもこのような結果を迎えていただろう。


しかし失敗の原因の一部に自身の気持ちの弛緩があったことは、マイアットにとって大きな痛手だ。


そうでなければもう少し軽い傷で済んでいたのかもしれない。


これ以上痛手を被らないためには──。


「っ……!」


マイアットは反射的に後方へ離脱しようとする身体をなんとか抑え込み、ラーナを蹴り飛ばす選択をした。


「へぐっ!?」


それはラーナの顔面を捉えたが、無理な体勢からの攻撃だったため大きなダメージは見込めない。


それでも軽く彼女を吹き飛ばす程度の役割は果たしたようだ。


ラーナは飛ばされながらも右腕で地面に触れて体勢を戻しつつ、器用に着地した。


その振動でラーナ左肩は思い出したかのように再稼働。


傷口からはドクドクと血液が溢れ出している。


前傾で、かつ左肩を大きく下げた体勢のラーナ。


やはり大きなダメージがあったのだろう。


「あーあ、惜しかったなー」


そんなラーナから漏れたのは、痛みに呻く人間の声ではなかった。


「何が、でしょうか……?」


「あのまま後ろに逃げてくれてたら、背後の地雷の海にご招待だったのにー」


やはり、あの場でのマイアットの選択は間違っていなかったようだ。


この発言を聞くに、ラーナは触れられる前提で行動していたのだろう。


たとえ触れられた場所が顔面でさえ、彼女は自爆を厭わなかったはずだ。


ここでマイアットは考える。


マイアットの失敗は、ラーナとのタイマンに持ち込まれたこと。


そして、彼女の異常性への認識が甘かったことだ。


遠距離攻撃ができない現在のマイアットにとって、ラーナは最も相手にしてはならない類の人間だった。


マイアットに限らず誰にとってもそうなのだが、こと現状においてラーナは残しておくべき存在ではなかったのだ。


現状というのは、マイアットの動かせる肉体が他にないということ。


魂の分断および移動は、ヴァイスの手助けがあったからこそ。


今のところ、マイアットが使えるのはルドの肉体が最後だ。


ラーナが危険な存在だということを認識できていれば、こんなことにはならなかっただろう。


これもマイアットの失敗。


遠距離爆破による移動阻害で時間稼ぎが可能、かつ触れてもマイアットに対してメリットがないラーナは明確な脅威だ。


唯一の天敵といっても過言ではない。


傷を負ったとはいえ、果たしてそれによる影響はラーナにあるのだろうか。


多少動きが鈍るだろうが、それでも触れられる隙が多くなるだけだ。


触れても自爆されるのなら、それは隙とは言い切れない。


むしろわざと隙を与えてきている可能性の方が大きい。


そう考えれば、先程のラーナの迂闊さも納得がいく。


ラーナのキャラクターも、敵を欺くために用いられているのだろう。


かなり抜けているように見えるが、実際の彼女は抜け目のない戦略家だ。


このコマをトンプソンに取られた時点で、マイアットはアドバンテージを失ったばかりか、大きくディスアドバンテージを負うことになってしまった。


これ以上戦い続けることは、マイアットにとって不利でしかない。


果たしてラーナは継戦拒否を許してくれるだろうか。


とはいえ、ラーナがダメージを負ったことは明白。


何もなく放置可能ならば問題にはならないが、死ぬくらいなら好き好んで自爆を選ぶだろう。


この認識は恐らく間違ってはいない。


ラーナに関しては最悪を想定しても、し過ぎではないということだ。


あっさりとマイアットの想定を上回ってくるのだから。


未だ背後でミラに手を焼いているアイゼンとグレッグを巻き込むべきだろうか。


グレッグはアイゼンを守りながら動かざるを得ず、やや戦いにくい立ち回りをしている。


アイゼンはどこまでいってもサポート系に特化しているのだろう。


「さて、どうしますかね……」


ラーナから攻めてこないのは、思考する時間を確保するという点では助かっている。


無論それはラーナにも言えるわけで、加えて彼女は爆弾を準備する時間にも使える。


マイアットはこれ以降、ラーナの考えを見抜いた上で動けなければ即詰みだ。


「裏を掻いた方が……?いや、それさえも見抜いていそうでありますね……。あれこれ考えても仕方がないのかも……おや……?」


「ねぇーえ、そろそろいい感じ?あたしは準備できたけど!」


時間にして一分にも満たない経過だったが、ラーナ的にもそろそろ限界だろう。


好きに暴れさせるのはマイアットにとって不都合でしかない。


「あるじゃないですか、武器が……」


ジリ──。


行動開始のためにマイアットは頭を後傾しつつ、右足を軽く浮かせる。


こうすることで、マイアットの重心は必然的に後方へ移動することとなる。


これを見たラーナの頭には、マイアットの行動がこう予測された。


逃げる選択を取ったか、アイゼンたちを巻き込む選択を取ったか、だ。


マイアットはラーナの初動をギリギリまで引きつける。


そのままラーナに動きがないことを観察しながら、彼女が罠を張って待つ戦法を取ったことにあたりをつける。


「釣れないですね……」


ラーナはどうやら接近戦に持ち込んでくる気はないらしい。


一つ目のプランは失敗。


それもそうだ。


近接を仕掛けてラーナにメリットはない。


あるのは、マイアットにとってのデメリットのみ。


近接では相対的にマイアットが負けている。


ラーナの反応速度を超える攻撃を仕掛ければ御し切れるかもしれないが、それでもリスクが高い。


だからこの作戦は破棄し、マイアットは右足を所定の位置に着地。


右足の爪先は一つの瓦礫に触れている。


マイアットはそのまま瓦礫をラーナに向けて蹴り放った。


「わ──」


予想外の行動にラーナは驚くが、それでも膝を曲げて姿勢を低くして瓦礫を躱す。


それはラーナの頭上を通り抜けて遥か後方へ。


「──って驚いちゃったじゃん!」


だがラーナはこれも一応予想していたようで、身を屈める過程で右腕を地面に触れさせる。


これまでマイアットがラーナとの戦いの中で大きな怪我を負わなかったのは、ラーナに十分な爆弾作成時間を与えなかったからだ。


移動を繰り返す中でラーナが足で触れて作り出す爆弾は、直撃を避ければ多少傷を負う程度のものだった。


マイアットが手掌で触れて相手を支配・人形化させるのと同様に、ラーナのスキルも腕を使った方が効率が良い。


どの座標を爆破領域に設定したか不明だからこそ、まだマイアットはその場を動かない。


「さて、どこまで上手く立ち回れるでしょうかね……?」


それはマイアット自身に対して向けられた発言。


ラーナとの頭脳戦に勝つにはまず、彼女が痺れを切らせるまで待つ必要がある。


マイアットがラーナと戦ってきて感じたこの直感は、大いに的中することとなる。


ラーナはマイアットの瓦礫による遠隔攻撃を、その場凌ぎの悪あがきだと認識していた。


その後この場を脱出するための足掛かりの攻撃だ、と。


そしてアイゼンたちを全て傀儡に変えて襲ってくるだろう、と。


しかしマイアットはラーナの予想を裏切り、瓦礫を続けて射出し始めた。


まさかの継戦方法に、ラーナは判断が遅れる。


「気づかれてる!?」


ラーナは地面に触れたが、その地面に接している瓦礫にまではスキルが及ばない。


人体であれば余すところなく爆発物に変換できるのは、ラーナの性格が大きく影響している。


ラーナは地面と瓦礫を別のオブジェクトとして認識してしまっているために、瓦礫をスキルの効果範囲に含めることができないのだ。


マイアットの攻撃手段に、ラーナは自身のスキルの全容が暴かれたと判断した。


実の所それは勘違いで、マイアットはラーナが触れていない瓦礫を武器として選んでいるだけだ。


ラーナは慌てて行動指針を変更し、マイアットの足元を爆破させようとスキルを発動──。


「うぇっ?」


──しようとした瞬間には、すでにマイアットは瓦礫の打ち出しと同時にラーナに迫っていた。


瓦礫を処理するべきか、それともその後の行動を狩ってくるマイアットに対処すべきか。


ラーナは当然、後者を選択。


高速で迫る瓦礫は二の次に、マイアットを観察する。


正確に頭部を射抜く軌道も、軽い回避で頬を傷つけるまでに抑える。


どこからでも撃ち込んでこい。


そう考えるラーナの予想は再び裏切られることとなる。


マイアットは攻撃を叩き込む直前で、サイドステップ。


そのままラーナの手をすり抜ける形で背後に廻り、最大速で駆ける。


それを追うように顔を向けたラーナの視線の先では、すでに脱兎の如く走り抜けるマイアットの姿が。


「ちょっと逃げ足早いじゃん!最大威力で──って、あ、そっちはー……」


ラーナは半ば諦めたような、やってしまった時のような声を漏らす。


そしてハッと思い出したようにマイアットを追う。


そこそこ距離を離されたこともあるが、それ以上にマイアットがトンプソンたちに接近しているということで、ラーナは一旦高威力の爆弾作成は断念している。


一応小規模の爆弾は各所に設置しながら追うものの、機敏に切り返しを繰り返すマイアットには当たらない。


「むぅ、これはやらかしたかなぁ……って、トンプソン、どゆこと?」」



            ▽



「どうした?」


「今しがたラーナに思念を飛ばしたのだが……」


「思念、だと?」


「まぁ、そういう類のスキルだ。しかしラーナを呼び出す前に、マイアットがこちらに来てしまったようだ」


「チッ……」


トンプソンとヴァンデット側からは、ちょうどラーナがマイアットを取り逃しつつある瞬間が確認できている。


「少々面倒なことになってきたが、向こうも急いでいると見える。どうする、ヴァンデット?」


「俺様はひとまずラーナと接触する。その後、マイアットを処理するつもりだ。今の状態じゃ少々手札が足りねぇからな。ところで、そこで動きを見せねぇヴィクトリアはテメェの何なんだ?」


「ふむ……仲間──と言えば聞こえはいいが、要は私が生かしておきたい人間だ。マイアットを待っているのかもな」


「俺様に消されるとマズいのか?」


「……すまない、ヴィクトリア殿のことは私に任せてくれ。君にマイアットを消してもらって、その上でヴィクトリア殿が支配から逃れうる可能性までは考えていない。私が巻き込んでしまった以上、私がきっちりケリをつける。あくまで私がトドメを刺す……ここは譲れない」


「なら、せいぜい俺様の邪魔だけはするんじゃねぇぞ。テメェの尻拭いまでしてやれるほど、こっちにも余裕はないんでな」


「ではアビリティプレートを出してくれ。念話が使えるスキルを渡しておく。一方的な思念会話になるが、これを使ってラーナと疎通を図ってくれ。今しがた、その旨は彼女に伝達しておいた……ピック」


トンプソンの手の中に黒いプレートが浮かぶ。


「ピック……使い方は?」


「相手を意識して遠くに言葉を飛ばすイメージだ。なに、それほど難しいことではない」


軽く互いのプレートを触れさせ、リーブでそれらは消える。


「そうかい。じゃあな、死ぬなよトンプソン」


「……ん?ああ、君もせいぜい長生きすることだ」


ヴァンデットはそのままマイアット方面へ、そしてトンプソンはヴィクトリアを明確な敵と判断して見据える。


ジリ──という音と共に、ヴィクトリアの足元の砂埃が跳ねる。


トンプソンの行動を見て、こちらも動きを見せる構えのようだ。


「さて……死んでもらおうか、ヴィクトリア殿!」


トンプソンが吠え、拳が激突した。



            ▽



『ラーナ、今からマイアットを消し去る仕込みだ。マイアットをトンプソン側へ抜けさせるな』


ラーナは脳内に響く声に未だ違和感を拭えないままも、トンプソンからの指示もあったことで、素直にこれに従うべく行動を開始した。


「……?」


マイアットは後方のラーナが突如動きを止めたことに気づいた。


追いつけないことに諦観が生じたのか?


とも思ったが、あのラーナがそんなことをするはずがない。


実際、マイアットが回避を続けているとはいえ、細かな爆発で機動力を削いできている。


動きを止めた方が照準も合わせやすいのだろうが、そこそこ距離が空いて仕舞えばそれも意味を成さなくなる。


だとすると、恐らくは前方から迫ってくるヴァンデットと関係があるのだろう。


「ヴァンデットを巻き込まないように……?」


単純だが、マイアットはそう判断する。


マイアットの目論みとしては、トンプソンおよびヴァンデットを巻き込んでラーナの遠隔攻撃能力を使いづらくすることがまず一つあった。


そしてもう一つ、支配下に置いているヴィクトリアと合流することが狙いだった。


とはいえ、ヴィクトリアだけではトンプソンもヴァンデットも処理できてはいない。


どちらか一人でも処理できていればマイアットの勝利も近かったのだが、そう上手くはいかないらしい。


どうやらヴィクトリアは慎重に事に対処する性格のようで、自ら攻めるタイプの人形ではなかったようだ。


マイアットの支配にも、いくつか段階がある。


軽い支配であれば、人形は元々持ち合わせていた性格に従って行動するのが一般的だ。


ヴィクトリアは現在この状態である。


それより強い支配──つまり、完全にマイアットの意のままに行動させる場合は、少し違った動きを見せる。


この場合であれば人形の人格は完全に抑制されているために、性格に沿った予想外の行動に出ることがない反面、命令以外の行動を取らないというデメリットも存在する。


マイアット一人では状況が好転しない現状なので、今は何としても動かしやすい人形が欲しいところだ。


完全な傀儡として操るには、それこそ人形と密な連携が取れる場所にマイアットは存在していなければならず、なおかつ人形の複数体運用が難しくなるという一面も備えている。


これらは状況に応じて使い分けられ、強い支配は主に自身に対しての使用が主だ。


自らが直接操る肉体であれば、肉体に宿る性格など邪魔なものでしかない。


ルドから肉体の支配権を奪い取るまでの過程がいい例だ。


こういうこともあって、マイアットがメインの肉体──トンプソンが義体と呼称している──を使えるのも、基本的に一体ずつというわけだ。


ひとまずトンプソン側からヴァンデットは離れてくれている。


ヴァンデットとラーナを引き離し、なおかつヴィクトリアを使ってトンプソンを早期に処理することがマイアットにとっては最善の未来だ。


一応、トンプソンやヴァンデット、そしてラーナの下手な連携に期待して戦うことも念頭には置いているが、複数人相手では予想外の出来事に対処しづらい。


考えを巡らせるのも一瞬。


そろそろヴァンデットと接触する。


凶悪な表情で迫ってくるヴァンデットは、直情的な性格。


下手な小細工なしに攻めた方が彼にとって有益な結果をもたらす。


だからマイアットは、ヴァンデットの予備動作を見てから回避し、そして彼を撒くつもりだった。


「やる気のようですが、相手はしていられ──!?」


言葉を詰まらせたのは、ヴァンデットの背後およびマイアットの進むべき方向が全域に爆ぜたからだ。


「ヴァンデットごと私を……?」


その疑問は、次のヴァンデットの攻撃で塗り替えられることとなる。


虚を突かれたとはいえ、その程度で萎縮して止まるマイアットの肉体ではない。


そのまましっかりと動きを捉える。


明らかにヴァンデットはマイアットを直接殴る動きだ。


しかしそう見えたのも一瞬で、直前でその拳は軌道を変えた。


それは真っ直ぐ地面に吸い込まれ、ラーナの爆発にも比肩する威力でクレーターを作り出す。


それと同時に撒き散らされる瓦礫や石片の数々。


ラーナの爆破と相まって、夥しい数の飛来物がマイアットを覆い隠す。


それらはヴァンデットにも襲いかかっているが、もちろん彼はそんなことは関係なく地面を蹴っている。


肉体を犠牲にできるのは何もマイアットの特権ではない。


そのメリットを封殺する──つまり、自爆も厭わないラーナやヴァンデットの精神は、マイアットにとって脅威でしかないのだ。


爆破現場に突っ込むのは得策ではない。


一度確実にヴァンデットを引き離す必要がある。


逃げる場合も、対空時間を最小限に抑えて動かなければ、ラーナに足元を狩られる。


マイアットはそういう判断のもと、一時後方にステップを踏んだ。


それは合理的な判断だった。


傷を負いつつも短期間でこの場を後にする利よりも、肉体の損傷を抑えるという実を取るならこの選択肢しかない。


これにはヴァンデットもニヤリと嗤う。


「守りに入っちまったなぁ!?」


続けてヴァンデットは真っ直ぐにマイアットを追う形で地面を蹴る。


そこから叩き込まれるのは、先程と同様の地面への打撃。


「くっ……!」


単純なぶん殴りであれば、マイアットの肉体操作を駆使すれば回避もしやすい。


それがこのような範囲攻撃になってくると、事情が異なってくる。


それに、直前まで肉体への攻撃か地面への攻撃か分かりづらいことも厄介なところだ。


地面への攻撃だと踏んで下手な攻めを見せれば、手痛いダメージを負うこととなる。


加えて、マイアットの前方への進行を妨げるような爆破。


必然的に、マイアットの回避は後方へと向かわざるを得ない。


ヴァンデットの一度目の攻撃以降再びマイアットに迫ってきているラーナを見れば、マイアットも彼らの狙いに気付くことができる。


二人がこれらの攻防で仕留める気はない。


というより、最大の狙いを進めるための策。


今更気づいても、失った時間は戻ってこない。


ここまでたった二手。


それをヴァンデット優位に進められたというだけで、ラーナはすぐそこまで迫り、マイアットは挟撃される形となった。


その上で振われるヴァンデットの拳。


マイアットはギリギリでそれを肉体への攻撃だと見極め、しゃがんで回避。


回避直後、その眼前にはヴァンデットの脚。


拳の勢いで腰を回転させ、そこから放たれた後ろ回し蹴りだった。


恐らく回避されることを予め予想した上での連撃だろう。


マイアットはそのままボールのように蹴り飛ばされる。


蹴られた先は、ちょうどラーナの軌道上。


「っ……!」


触れられれば終わりという緊張感は、マイアットの胆力で拭い去られた。


飛ばされる最中、マイアットは右手掌で地面に触れて、思い切り身体を跳ね上げる。


それは、ラーナの直上を通り抜ける形でマイアットへ回避を可能にさせる。


これに対して、ラーナはマイアットを無視。


追撃が来るものだと予測していたマイアットは、思考が鈍る。


ラーナの視線だけはきっちりとマイアットを追っているが、この行動は解せない。


そのままラーナが軽いジャンプからヴァンデットの背に掴まったところを見て、マイアットはようやく二人の行動の意味を知る。


「そういう──」


ヴァンデットはグッと身を屈める。


未だマイアットは空中だ。


着地を狙うヴァンデットという弾丸は、ラーナという武器を得て高速で弾き出される。


「──狙いでしたか……」


どう考えても、これは間に合わない。


マイアットは完全な回避は諦め、思考に徹することとした。


ヴァンデットにラーナが乗っているということは、彼女が地面に触れる機会が少なくなる。


それによる利点はあるのか?


ラーナとヴァンデットの二人で攻めた方が、こちらの動きを削ぎやすいのでは?


下手にチョロチョロされると邪魔だから回収した?


ラーナを支配されると面倒だからか?


いや、こちらにラーナに触れて得られる利益はない。


そんな思考も束の間、着地直前のマイアットへヴァンデットの拳が届く。


ただ、マイアットもむざむざダメージを負うつもりもない。


クリーンヒットの直前、先程と同様に左手で地面に触れると、手首の回転を無理やり胴にまで届かせる。


関節可動を超えた運動に手首が悲鳴を上げるが、これによってヴァンデットの拳はマイアットの正中ではなく脇腹を抉るに至る。


それに続く豪風は、容易にマイアットの身体を跳ね飛ばした。


「チィッ、まだそんな小細工を!」


直撃ではなかったことに、ヴァンデットは苛立ちを隠せない。


そんなヴァンデットに、ラーナが何かを手渡している。


それを徐に握ると、マイアットに向けて勢いよく投擲した。


マイアットの吹き飛ばされる速度を上回るそれは、数秒と掛からず到達。


「瓦礫による爆撃ですか……」


マイアットは宙に居ながらも、なんとかこれを弾く。


しかし弾き切ったとは言えないタイミングで瓦礫が爆発した。


当然それはマイアットを傷つけるが、受けたのは手先を失った左前腕部分。


失ってもいいというわけではないが、最もダメージの少ない部分を犠牲にして致命的な部分は回避に成功した。


続けて投擲してこようとしたヴァンデットが一瞬動きを止めたのが見えた。


それも当然。


マイアットは身体の捻りで吹き飛ばされる方向を調整している。


空中で姿勢を立て直しつつ着地するべき場所を確認すると、そこはマイアットの予測通りアイゼンたちの付近だ。


トンプソン側への移動は阻害されてしまったが、まだミラという武器は残っている。


これを見てヴァンデットは動きを止めたわけだ。


しかしそれも束の間、続く二撃、三撃目の投擲が開始される。


距離が離れることで投擲精度は如実に下がり、今やそれらはマイアットには当たらない。


むしろ、アイゼンらの動きを妨げる結果となっている。


距離としてはヴァンデットとマイアットの間に五十メートル程の隔たりがある。


そして、ミラとマイアットの間の距離は十メートルもなくなっていた。


飛来するマイアットと、謎の投擲物にアイゼンとグレッグは慌てる。


「アイゼン様、一旦お下がりくだせぇ!

これはまた面倒なことになりやした!」


ただでさえミラに手を焼いているところに、厄介事でしかない事態が舞い込んだのだ。


そうなるのも仕方がないだろう。


現在アイゼンが少々やりづらくミラと対峙しているのは、アイゼン自身が環境影響を無効にするスキルを備えていないからだ。


その点はミラに一任していたために、くだらないところでアイゼンが足を引っ張る存在に成り果てている。


それにグレッグが、ミラが元に戻ることを信じて動いていることも関係している。


そういう甘さが、彼らの行動を後手に回す。


とはいえ、いつでもミラに致命的な攻撃が入れられたわけでもない。


そうやっているうちに、ただただ無為な時間だけが経過し、結果的にマイアットが飛び込んでくるという不幸がアイゼンとグレッグの元に舞い込んだ。


「奴め、ミラに何をするつもりだ!?」


マイアットがミラの側まで駆け寄るのを見て、アイゼンが吠える。


アイゼンもまた、ミラが元通りになることを期待していた人間だ。


「限界を超えて暴れ回りなさい……」


マイアットはミラのその頭に触れて命令を下す。


ミラの瞳から完全に人間としての光が失われる。


これにより、マイアットが意のままに操ることのできる傀儡の出来上がりだ。


文字通り殺人兵器と化したミラが、アイゼンの前に立ちはだかるグレッグに迫る。


アイゼンの目に、絶望の色が濃くなる。


マイアットからすれば、ここに至って何をまだ甘いことを言っているのだという印象だ。


それに一度マイアットの支配を受けて仕舞えば、元に戻る可能性などゼロに等しい。


そんな例は、後にも先にもヴァンデットだけだ。


今もなお彼がマイアットの支配に抗って動けているのは奇跡に近い現象なのだ。


そんなヴァンデットは、マイアットを屠るべく再び彼女の元へ走り出している。


「あれで仕留められりゃあ世話なかったんだがな。仕方ねぇが、俺様の方法でカタをつける」


「本当にいいの?もうちょい頑張ればいけそうじゃない?」


「無理だ、あいつは使えるコマを増やしてやがる。すぐやらねぇと、あいつらもマイアットの手に落ちるだろうよ。それに、言っただろうが……!」


「ああ、マイアットに支配されてるって話ね。別にあたしは構わないんだけどさー」


「下手な気遣いなんかするんじゃねぇよ」


「あたしは万全のヴァンデットと殺し合いたかっただけ。ま、そーゆーことなら仕方ないか!」


「テメェは最高のタイミングで仕掛けりゃいい」


「あいあい!」


「あとは幸運でも祈ってな!」


ヴァンデットの前方には、ミラに戦闘を任せて佇むマイアットの姿がある。


「来ましたね……」


二人の視線が交錯する。


「ああ、テメェはここで消し去る……ラーナ!」


ヴァンデットの声に合わせて、無数の細かい石片がマイアットの頭上を覆う。


「……!」


同時にヴァンデットの肩からラーナが後方へ飛び退く。


ラーナは着地するや否や両手を地面に触れ、マイアットの背後を爆破。


「あとはよろしくぅ!」


同時にヴァンデットも両手に握った瓦礫爆弾をマイアットの左右へ放り、すぐさま彼女へ詰める。


上空と左右、そして背後を抑えられたマイアットは、これによって正面のヴァンデットを相手するしかなくなってしまった。


「くたばれ人形野郎!」


今までのお遊びだったと言わんばかりに、異常な加速を見せるヴァンデット。


最後の力を振り絞っていることはマイアットの目からも明らかだ。


「退路は無し……。これを凌げなければ、私も終わりということですか……」


今回は地面を殴るといった小細工は無いだろう。


純粋な身体能力を振り翳されることが、マイアットにとって最も厄介なことだ。


これこそがヴァンデットの真骨頂。


タイマンで、なおかつ身体機能で大きく上回られる相手に対しては本来マイアットは無力なのだ。


そこを人形化などの搦め手で補っているから対等以上にやりあうことができるわけで、ことヴァンデットにおいてそれは通用しない。


ラーナの出現によって、状況は完全に掌握されている。


つまり、この場面はそれ以外の方法──相手の土俵で戦うしかないのだ。


マイアットは覚悟を決める。


目の前に迫るのは、全てを破壊する剛腕。


「最小限の犠牲などと、今は言っていられませんね……」


マイアットの呟きをかき消すそれは、必殺の軌道でもって振り下ろされた。

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