第26話 満身創痍

それはどこにでもある、ちょっとした不幸な話──。


元々俺様はスラムを牛耳る立場にいた。


そこでは何でも手に入れられた。


それこそ、金にも女にも困ることはなかった。


スラムでは俺様が法だ。


誰も俺様には逆らわなかった。


貴族が国を支配するなら、国がその国土として認めていないスラムを支配するのが俺様だ。


言うなれば、裏の貴族ってところか。


生活苦からスラムに落ちた連中──所謂国民じゃなくなった者どもを俺様は束ねていたんだ。


束ねるとはいえ、所詮スラムは寄せ集めのクズの集まりだ。


いくら寄って集ったところで、精鋭を選りすぐった国家には太刀打ちできない。


不穏な動きをしない姿勢を示すことに加え、こちらから使い捨ての人材を斡旋することで、ようやく俺様のスラムは存在を許されているような状態だったんだ。


俺様の生まれたトラキア連邦では、複数の国家が存在していた。


それが原因で、連邦内での小国同士の小競り合いは絶えなかった。


どこの国が覇権を握るかって話で、人間界の中では最も不安定な情勢を抱えた連邦国家だったわけだ。


それぞれの国は俺様たちみたいな裏の組織を使って互いの国を監視し、お偉方の暗殺なんかはどこでも日常的に行われていた。


裏の人間ってのは、使い捨てにしやすいコマだ。


行き場を失った人間はどこにでも居たし、貴族連中も使い勝手が良かったのだろう。


俺様もいいように使われているように演じた。


とはいえ、俺様がどうこうできるのは1つの国内に留まる程度。


いずれ俺様自身も使い捨てにされる未来は容易に想像できたし、最終的にはそうなった。


特にきっかけがあったわけじゃねぇ。


いつの間にやら小国同士が肩を並べようって話になっていて、スラムもならず者連中も一斉に処分する流れになっていたんだ。


後で聞いた話では、勇者の召喚魔法を完成させた国が争いに終止符を打ったってことらしいが、今となっちゃどうでもいい。


ある時、俺様も含めて大半のならず者が駆り出される事態が訪れた。


曰く、大きな力を持った人間が組織を立ち上げ、大国として名乗りを上げようとしているのだと。


大国の名は、エリミナ。


それに収拾をつけられたなら、お前たちにも国をやろうというという話だった。


いかにも眉唾ものの話だったが、前金として提示された金額が金額だっただけに、俺様も信じざるを得なかった。


日陰者として鬱屈とした生活をしていくのにも退屈していたしな。


ちょうどいい転換期と考えて、意気揚々と現場に向かったわけだ。


そこは本来広大な湿地が広がっていてあまり人間の住みやすい環境ではなかったわけだが、実際はそうじゃなかった。


どこの国よりも巨大な壁に囲まれた、文字通り大国然としたものがおっ立ってたんだ。


短期間でこんなものを作り出せる存在など聞いたことがない。


俺様は、なるほどと思った。


そりゃあこんなものを仕上げちまう存在は厄介だよな、と。


前段階で聞かされていた情報は、まだガワとしての国の土台が出来上がっただけでエリミナにはそれほど国民は多くないようだった。


しかし放っておけばいずれ、交通の要所としての発展は回避できないものになるだろう、と。


だから、国の重要人物を早急に排除しろという指令だった。


そいつらさえ処理できればまるまる国を戴けるようなものだからな。


そんで俺様たち以外にも多数の人間がやってきていたものだ。


この時点で多数の国の思惑が絡み合っていると考えて、俺様は少し行動を変更した。


国の貴族があそこまで大金を提示してきたのは、速度を競う状況だったからこそ。


それなら先手を取っているってことで、俺様は他国の妨害に終始した。


それが予想以上に効を奏したみたいでな、次々に送り込まれてくる連中は思いの外御しやすかった。


それにしても、送られてくる連中はならず者ばかりだった。


使い捨てにしては多すぎるなと、きな臭く思った矢先に事件が起こった。


突如降り注いだ光に、誰も彼も訳が分からなかった。


事件というのは俺様たちに限った話で、これはもとより計画された作戦だったんだ。


気づけば、そこには俺様の傷まみれの肉体と夥しい死体の数々。


周囲の風景は破壊尽くされて一変していた。


要は、狙いは俺様たちだったって話。


連邦内のゴミを一掃する名目で、今回の作戦は打ち立てられた。


用意された莫大な資金も、国の不穏分子を消し去るための必要経費ってことで渋られることは無かったらしい。


これは連邦を上げての共同作戦。


結果的に、それは大成功に終わった。


破壊された街も全てハリボテで、「国民」への人的被害も皆無だったようだしな。


巨大な国に見せかけたものを作り出すのも、複数の魔導士をかき集めれば困難な話じゃない。


複数の国が協力する可能性を完全に失念していた結果が、この末路だった。


俺様のスキルが発現したのもこの頃だな。


その後住民を失ったスラムは次々に解体され、それぞれの国は続々と治安を取り戻していった。


俺様はその事件をなんとか生き残ったものの、その後は貴族どものオモチャだ。


獣相手だったり、人間相手の殺し合いの見せ物として長い間働かされた。


剣闘士とは名ばかりで、扱いは奴隷と変わらない。


貴族どもも俺様を使い潰すつもりだったんだろうが、スキルのおかげで思い通りにはならなかった。


それが気に入らなかったんだろうな。


死ぬかもしれないことは多々あったが、それでも俺様は死ななかった。


孤軍奮闘こそ、俺様の得意とするところになっていたしな。


それから俺様は指定された期間を生き残ることを条件に、解放の約束を取り付けた。


いつでもそばにあるのに手の届かない青い空を夢見て、俺様は身を削り続けた。


ようやく解放されるという最後の戦いで現れたのは、どこぞの騎士長とかいう奴だった。


もちろん負けるつもりもなかったし、負ける可能性も皆無だった。


だがそれは、お互いが素の力で戦った場合だけだ。


その時は、外部からの様々な干渉があった。


俺様には身体能力を著しく下げる魔法が、騎士長には強化の魔法が。


そんな状態で俺様が勝てるはずもねぇ。


結果は火を見るよりも明らかだった。


多少溜飲が下がったのは、騎士長が終始辛そうな顔をしていたことだ。


そして試合の直後、こそっと謝辞を述べてきたこともそうだ。


役職と命令の間で葛藤していたんだろうな。


まぁ仕方ねぇかって感じで、俺様は騎士長の剣に倒れた。


所詮は日陰者の見た淡い夢だったんだな、ってな。


死を受け入れる直前、あの扉が現れた。


そして問うんだ。


気づけば俺様は貧民街に転がっていた。


そこからは前回のような失敗はしまいと、必死で生き続けた。


貧民街の連中は、それはもうどうしようもない奴ばかりでな。


それでも、貴族みたいなクズはどこにもいなかった。


色々やっているうちに俺様を慕う連中も現れた。


スラムにいたときはこんな感情を持ったこともなかったが、初めて家族だと思える人間に出会えた気がしたんだ。


しかし気づけばどうだ。


周りにはもう誰一人残っちゃいない。


使いたくなかったスキルにも頼って戦っている。


というより、スキルがなければ生きてもいないだろう。


俺様は失うために仲間を集めたのか?


いや、違う。


『Companionsh水魚之交ip』のスキルは、自身への戒めだ。


それは二度と失わないという誓いでもあったはずだ。


だが、俺様はそれを守れなかった。


ダートからはすぐこっちにはくるなと言われたが、俺様の命もそう長くない。


あいつらの信じたボスがこんな体たらくじゃ、あいつらに顔向けができない。


少なくとも、こんな状態であちら側へ行くわけにはいかないんだ。


それなら、俺様は──。



            ▽



「ねぇねぇ!もっと派手に殺し合えないの!?キモいんだけど!」


まともに攻撃を入れられない状況が続き、ラーナにはフラストレーションが溜まり続けている。


それもそのはず、アイゼンたちが防御一辺倒の動きを繰り返しているのが原因だ。


ラーナの爆撃は、奇襲にこそ向いているスキルだ。


逆にいえば、そこを丹念に観察されれば、いかな強力なスキルとはいえ対処は難しくないのだ。


感情的になりやすいラーナの動きは実にわかりやすく、いいように遊ばれる形となっている。


「ラーナ、これで分かったでしょう?あっしらとやり合っても楽しいことはありやせん。なので、他の場所行くことをお勧めしやすよ」


諭すように言うのはグレッグ。


「ここまでコケにされて引けるわけないじゃん!あたしは三人ともバラバラにしないと気が済まないわけ!」


「この調子じゃ、いつまで経ってもその望みは叶うこたぁないでしょう」


「あぁもう、腹たつなぁ!さっさとあんたら殺して、あたしはトンプソンと遊ぶの!だから正々堂々殺り合いなよ!?」


「そう言われましても……ん?」


グレッグの目に、接近する人物が映る。


ちょうど良いと言わんばかりに、グレッグは続ける。


「ほら、ラーナ。遊び相手が来やしたよ?」


そう言った後、ようやくグレッグも、その人物がルドということに気がつく。


なぜこのタイミングでルドがやってくるのかという疑問はあるものの、うまくラーナをあてがうことができればリベラでの勝利はグッと近づくはず。


その考えで、グレッグはアイゼンとミラに目配せをした。


「なんでルド?まぁいいか、ちょうど手頃に殺したい人間が欲しかったし!あんたらは後で相手してあげる!」


ラーナはそう言うと、グレッグたちを無視するようにルドへ向き直った。


アイゼンはそれを見て、すぐさま移動を開始する。


目指す先は、ヴィクトリアのいる場所。


遠目ではあるが、彼女がトンプソンとやり合っている姿が見える。


何があったかは知らないが、アイゼンはそれが気が気でないのだ。


ヴィクトリアを保護する名目で動いていたトンプソンがヴィクトリアを攻撃しているという状況は、あまりにも異常だ。


そう考えている先で、今にもラーナとルドが接触しようとしている。


ラーナは両手を構えて、ルドに触れるつもりのようだ。


触れて爆発物に変換してしまうハラだろう。


そんなに殺し合いがしたいなら勝手にしていればいい。


アイゼンがそう考えてその場を後にしようとしたその時、ルドがラーナの腕の中をするりと抜けた。


「はぇ!?」


意表を突いた行動に、ラーナが間抜けな声を上げる。


アイゼンはルドの動きを回避のつもりかとも考えたが、そうではなかった。


ルドはそのまま背後も気にせずアイゼンに向かってきている。


「ミラ、アイゼン様から離れねぇでくだせぇ!」


即座にミラはアイゼンの前に出る。


ルドの侵攻を妨げるようにグレッグも対峙したが、ルドはやはり回避を選んだ。


ルドは攻撃姿勢からその場で即時停止し、再び初速から最高速度でステップを繰り返してグレッグを翻弄する。


本来人間であれば多大な負荷がかかる人間離れした動きだが、人形と化したその肉体は人間の限界を超えている。


ルドは無理な動きで関節が異音を立てて軋み続け、その度に細かい破片を撒き散らす。


中身にマイアットが詰まっていることを露とも知らないグレッグは違和感を抱きつつもルドの動きに対処しようとするが、フェイントにはどうしても身体が反応してしまっている。


その一瞬の隙はルドにとって大きなアドバンテージとなり、徐々にグレッグがそれに追いつけなくなる。


ルドはこれを繰り返し、大きくグレッグの動きが鈍ったタイミングを狙って一気にグレッグを引き離した。


距離をとるように動いていたアイゼンとミラだったが、その距離は短期間のうちに詰められる。


「あー、下手こいたぁ!あいつルドじゃないじゃん!」


今更ながらトンプソンの言葉を思い出したラーナが声を上げる。


「……?」


「やっば、トンプソンに怒られるぅー!」


頭を抱えて苦悩するラーナを横目に、グレッグはルドを追う。


「ミラ、貴様の全霊でもって我が敵を討滅せよ!」


流石に危機感を持ったアイゼンは即座に『Regalia王威』を発動。


ルドはもう目前だ。


「ルドぉ、申し訳ないけど死んでもらうねぇ?」


ミラの言葉はのんびりだが、『Regalia王威』の効果を受けた彼女の肉体能力は飛躍的に向上している。


グレッグでは御しきれなかったルドの動きも、今のミラなら動きを見届けてから反応しても間に合うはずだ。


そんなルドは、再びグレッグを撒いたような動きをミラに対して示し始めた。


「それじゃ間に合わないかなぁ?」


いくらフェイントを入れても、ミラはそれに付き合わない。


というより、ルドの動きを予測して先回りする動きさえ見せる。


やはり狙いはアイゼン。


ミラはそう確信する。


あと数秒でグレッグも追いつく。


そうすればいくら小賢しい動きを見せるルドでさえ問題なく処理できるだろう。


ミラがそう予想していると、間に合わないと判断したのか痺れを切らしたのか、ルドはミラに拳を向けてきた。


フェイントを掛けられても面倒だから、ミラはカウンターでルドを止めることを選択する。


今のミラであれば見てから動いても間に合うのだから、そう考えるのも仕方のないことだった。


真っ直ぐミラを貫こうと突き出された拳を、ミラはあえて両手掌で受け止めた。


前腕を両サイドからガシリと掴み、ルドの拳は直撃することなく勢いを殺される。


ミラにすれば確実にルドの動きを削ぐための行動だった。


この直後、ルドでは回避しようもない攻撃が彼を襲うだろう。


その光景を見た全員がそう思うはずだ。


実際、ルドの攻撃は徒労に終わっている。


そう攻撃は、だ。


顔の目の前で受け止められたために、ルドの指先はミラの頬に触れられる場所まで迫ってしまっていた。


「なんとも無警戒ですね……」


パキパキパキ──。


ビクンと跳ねてミラの動きが停止した。


しかしそんな異常は誰にも察知されないまま、状況は進む。


それから一瞬の後に行われた動きは、予想の範疇にはないものだった。


ミラはルドの腕を離し、近くまで迫ったグレッグ腹部へ拳を叩き込んだ。


「ぐっ……ミラ、どういうつも──」


くぐもった声を上げながら宙に浮かされたグレッグは、それを言い切るまでもなく追撃の蹴りを受けて激しく吹き飛ばされる。


一方ルドはミラの静止などもとよりなかったようにアイゼンへ迫る。


まだ宙にいるグレッグは、到底間に合わないと理解して歯噛みする。


グレッグは走馬灯のように流れる時間を感じながら、今にもルドの凶刃に倒れんとするアイゼンを見据える。


それは、絶対に届くことはないということをグレッグに見せつける時間のようで、彼にとっては非常に苦痛の時間。


早くこの苦痛から解放してくれという思いと、この時間の終焉はアイゼンの命の終わりであるのだから終わってほしくはないという思いが、グレッグの中で鬩ぎ合う。


「あっしは、なんて無力な……」


グレッグを絶望が襲う。


しかしグレッグが諦観から目を閉じる直前、肉薄していたアイゼンとルドの足元が爆ぜた。


それと同時にグレッグは地面に叩きつけられ、時間感覚が正常に戻される。


グレッグが痛みを無視して頭を上げた先では、爆発の余韻がアイゼンとルドを傷つけている。


「ごめん、調整出来なかったわー。でも死んでないっしょ」


「ラーナ、何を……!」


「早く行ったら?今のルドはマイアットだから、触れられたら終わりなの分かってる?」


グレッグはハッとして、即座に身体を動かす。


ルドは今のラーナ攻撃で動きを鈍らせている。


アイゼン同様で、こちらの場合は激しく吹き飛ばされてはいるが、立ち上がろうとしている姿から存命なのは確認できた。


先程の爆発はアイゼンを大きく傷つける結果となっているものの、ラーナの攻撃はアイゼンを殺す目的のものではなかったようだ。


そんな中、動き出そうとしているミラとルドの足元が次々と爆ぜて、彼らの機動力を奪う。


グレッグは敵ながらラーナに感謝しつつ、アイゼンの元へ。


器用に爆発はグレッグだけを避け、彼のアイゼンへの到達を容易なもの変えてくれる。


「あーあ、何やってんだろー。でもマイアットは潰さないと怒られそうだし……ね!」


ダンとラーナが地面を踏み抜くと、一際大きい爆発音が響いた。


爆破箇所は、ルドとミラのちょうど中間。


ラーナは爆発をコントロールし、二人の動きを制限しつつ誘導もしていた。


爆発から逃れようとする過程でルドはラーナ側に、ミラはアイゼンとグレッグの側に。


「身内のことは身内でやっててー。あたしはマイアットをぶっ殺す!」


やれやれといった動きで、ルドはゆっくりとラーナへ身体を向ける。


「あなたの動きは不規則で読めませんね、ラーナ……。一体どうしたいのですか……?」


「どうしたいもこうしたいも、あたしはいっぱい殺したいだけ!」


「そうですか……。ではなぜトンプソンに付くのですか……?私の下でも構わないでしょう……?」


「だって、あんたのところにいてもつまんないじゃん。あたしは人形の友達より魔人の友達がいいの!」


「はぁ……あなたは使えると思いましたが、邪魔するのであれば仕方ありませんね……。ところで、ヴァイスはどこに埋めたのですか……?」


「言うわけないし、あんな面白いオモチャ返すわけないじゃん!

そうそう、ヴァイス君ね、最初は強がってたけど最後には泣き喚いてたよ?」


「それを私に伝えてどうしたいので……?」


「ううん、特に意味はないよ。ただ、どんな人間でも結局死を前にしたら醜く泣き喚くんだなって。あんたもそうあってくれると助かる!」


「狂っていますね……。とにかく、あなたにはどんな言葉を尽くしても意味はないのでしょう……。であれば、身体に直接聞きましょうかね……」


「せめてウケる死に方してよね」


「では……」



            ▽



「ヴィクトリア殿、目を覚ませ!」


トンプソンが叫ぶ。


しかし、物言わぬ操り人形と化したヴィクトリアがそれに応えることはない。


ヴィクトリアは無機質な殺人兵器として、目の前の敵を屠るという命令にのみ従って動く。


「くっ……ラーナがマイアットを消してくれれば、ある程度救う手段を探れそうだ、が!?」


ヴィクトリアの鋭い回し蹴りが、ガードしたトンプソンの左腕の上から衝撃を叩き込む。


トンプソンも反撃をするにはするが、ヴィクトリアは全てを読んで回避。


そこから再び攻撃が繰り出される。


回避されると分かっていて、トンプソンが攻撃を繰り出すのは単なる愚だ。


だが、何としてもトンプソンは彼女を引きつけておかなければならない。


それは、デイビスやヴァンデットへの配慮もある。


少なくとも彼らが絶命していない限りは用途を見出しているトンプソンにとって、現時点で負けを確信してはいない。


だが、勝ち切れる状況でもない。


トンプソンにとっての勝利とは、ヴィクトリアを生存させつつ自身もリベラを生き残ることだ。


しかしその勝利条件の半分は現在絶望的な状況だ。


攻撃を受けた際に感じるヴィクトリアの質感は、人形のものではないことがわかる。


どのタイミングでヴィクトリアが支配を受けたかは不明だ。


怪しいのは、リベラ開始直前のルドによるヴィクトリアへの接触。


早ければ、もうすでにそのタイミングで仕込みが始まっている。


一旦彼女をルドに預けた事実もあるし、今更原因を探っても仕方がない。


歴然たる事実は、彼女がマイアットの支配下にあって、トンプソンと敵対していること。


「マイアットの破壊で支配が解除されるなら良いのだが……」


それは単なる願望。


ラーナがタイマンに持ち込んだようだが、彼女が勝てる確証はない。


加えてトンプソンの抱える多数の負傷がその願望の成就を困難にさせる。


現在のヴィクトリアはご丁寧に『Future visi未来視on』を使いこなしている。


ヴィクトリアはこまめに停止を重ねることでそのスキルを発動できる瞬間を確保し、トンプソンの全ての行動を見抜いている。


元々のヴィクトリアの肉体能力が高くないことが唯一の救いだが、それでも動きを予知されているのは脅威だ。


これでは意表を突いた攻撃など容易に水泡に帰するし、下手にデイビスやヴァンデットと関わろうものなら、先手を打たれてしまってあらゆる思惑など意味をなさないだろう。


だからこそ、反撃を喰らうと分かっていても攻撃を繰り出し続けるのだ。


マイアットの支配は、肉体に限界までの能力を引き出させるものだ。


トンプソンはヴィクトリアに対して強力なスキルを与えてはいない。


せいぜいこの戦闘で使われているのも『Future visi未来視on』くらいなものだが、単一のスキルでこの威力だ。


ヴィクトリアが将来ここまで成長する可能性を示しているようで、トンプソンにはこれを壊すことはとても惜しいのだ。


トンプソンは一般的な魔人のように人間に対する破壊願望は抱いていない。


それは、そうあれと後付けにされた感情だからだ。


当初こそ、そういった感情を持ち合わせていたのかもしれない。


でもそれは遥か過去の話。


トンプソンはむしろ人間という存在に期待してすらいる。


ヴィクトリアはトンプソンが気まぐれにチョイスした人間だが、そんな彼女には十分な可能性が秘められている。


可能性がある限りは、トンプソンは人間を見捨てない。


全世界を貧民街のような冷遇世界に変化させ、それでも醜く生き続ける人間を見届けるがトンプソン願望。


狂った愛情がトンプソンの行動原理。


リベラという催事はよく出来たものだ。


トンプソンは心からそう思う。


停滞は死だが、こういった戦いは人間に進化を促す。


おそらく貧民街の成り立ちも──。


ついにトンプソンの反応速度を超えた攻撃が叩き込まれた。


ヴィクトリアの爪先が、トンプソンの脇腹の傷口を正確に射抜く。


「ぐふッ……!」


ヴィクトリアの身体のしなやかさが、鞭と化した脚による威力を後押ししている。


ヴィクトリアは即座に脚を後方に戻すと、動けなくなったトンプソンの首をへし折る軌道を描いて、再び蹴りを叩き込んだ。


「ッ!」


間一髪でヴァンデットが攻撃の間に舞い込み、その攻撃を肩口で受け切った。


「おらぁ!」


ヴァンデットによる反撃の攻撃は最も簡単に回避され、ヴィクトリアはステップを踏んで距離をとった。


「なぜ、ヴィクトリアは攻撃をやめなかった?」


トンプソンは自問する。


ヴィクトリアは追撃の直前、攻撃の溜めの瞬間にスキルを発動していたはず。


そうであれば、ヴァンデットの介入もわかっているようなものだ。


それでも攻撃を仕掛けたのは、


「確実にダメージを叩き込むためか」


そういうことだとトンプソンは理解する。


実に合理的な支配人形だ。


「っ……何を言ってやがる?テメェ、今ので死ぬところだったぞ」


「!?」


トンプソンは迷わずその場を離れた。


それは攻撃が繰り出されたから。


誰から?


そう、目の前のヴァンデットからだ。


ヴァンデットの拳はトンプソンの頬を掠め、出血させる程度の傷を刻んでいる。


「チッ……クソッタレが!」


「……どういうことかね?」


ヴァンデットはヴィクトリアを見据えながら、背後のトンプソンに腕だけで攻撃を仕掛けてきた。


「見りゃ分かんだろ?もう右腕は使い物になんねぇってことだ」


右腕はヴァンデットの意思に反して痙攣するように動いている。


「あとどれだけ保つ?」


「さぁな、すぐかもしんねぇし、運が良ければ耐え切れるかもな」


「私は君に何をしてやれる?」


「気遣いは不要だし、テメェの手は借りねぇ……と言いたいところだが、そうもいかねぇ。……俺様に考えがある。ラーナっつったか、あのイカれ女を呼べ」



            ▽



「あっは!あたし今、生きてる!生きるって、とっても痛いんだよ!?」


ラーナはマイアットが接近すれば、問答無用で地面を爆ぜさせている。


その爆発の煽りを受けて自身が傷つくことなどお構いなしだ。


その度に全身が傷まみれになるわけだが、傷を負えば負うほどラーナは軽快に踊る。


これはラーナのするべき戦い方ではない。


至近距離での爆破は当然、自身を傷つけることにつながるからだ。


本来、ラーナのスキルは遠隔ないし設置によって最大の威力を発揮するシロモノ。


それを考えもなくブッ放すのは、ラーナの頭のネジが多少なりイカれているから。


しかし今回ばかりはデメリットだけが目立つわけではない。


小細工なしの純粋な爆破は、単純に身体能力が向上しているだけのマイアットではダメージまでは免れない。


人形化しているといっても、極度に硬質化しているわけではないからだ。


痛みを感じず関節可動などの制約を半ば無視できる肉体は便利だが、許容を超えたダメージは着実にその肉体を蝕んでいく。


「ダメージを負うほどに強くなるスキルですか……?」


マイアットもダメージ受けているが、ラーナのそれも相当なものだ。


ラーナの攻撃はマイアットを狙ったものとはいえ、その余波は確実にラーナに刺さっている。


それでも──というより、それによってラーナの動きは鋭さを増し、攻撃の精度も増す。


「そんなわけないじゃん、ウケるんだけど!あんたにはこの痛みが分かんないんだね」


「言っている意味が理解できませんね……」


「あっそ、やっぱあんたに付かなくて良かったわー」


「そうですか……。では、そろそろあなたとの関係も終わらせたいところですね……」


ラーナもマイアットも、触れてさえしまえば大ダメージを見込める能力を持ち合わせている。


だからこそリスクが高く、少しの隙程度では相手を圧倒するには至らない。


互いにそれが分かっているから、削り合いの耐久レースが続く。


マイアットには人形化リミットが課せられていて、一方ラーナにも出血その他諸々から人間としての生命リミットがある。


少しの判断ミスが形勢逆転を許してしまうという現状。


そんな緊張感が、派手な行動に移れない原因となっている。


とはいえ、それはマイアットに関した話。


ラーナはそんなものクソ喰らえと言わんばかりに、全力でスキルを振るう。


攻めにしろ防御にしろ、いずれにせよ体力は削られる。


そんな中でそれを感じさせないラーナの動きが、ややマイアットを圧倒しつつある。


「触れたいなら触れてきなよ!」


「それができないから困っているんですがね……」


マイアットが攻めあぐねているのも当然。


周囲には、ラーナが爆発物にしやすいオブジェクトが多数転がっている。


そして地面そのものも爆破対象だ。


トンプソンでこそラーナのスキルの性質を見抜いていたが、それは魔人の特性によるもの。


魔人は人間よりもマナの影響を受けやすく、魔法の操作においては人間よりも遥かに秀でている存在だ。


そんな魔人がマナの感受性豊かなのは歴然とした事実だが、未だトンプソンの正体はバレていない。


マナの動きが見えるという説明もヴァンデットとラーナに限ったものだ。


それを知らないマイアットは常にラーナの動きを観察して、ラーナが一度でも触れた場所があればそれを記憶し、時間をかけて動きを止めている瞬間があれば遠隔攻撃を警戒する。


常人であれば精神のすり減る作業だ。


ただしそれも常人であれば、だ。


魂を分断する苦痛に耐えられるマイアットには精神的労働など大した問題ではない。


一番の問題は、肉体の脆弱さと時間的制約。


肉体的損耗は、ラーナの攻撃的なスキルのおかげで進行する一方だ。


時間的制約は、人形化の進行によるもの。


多数の人間に触れられるリベラの序盤から中盤ならまだしも、終局を迎えそうな現在ではその数も限られている。


最も避けるべきは敵勢力の逃亡だ。


時間を稼がれてしまえば、マイアットは程なくして自滅する。


マイアットがこの状況を打開するには、体力に制限がないことを活かして攻撃を繰り出し続けるのみ。


そしてそれをできるだけ短時間で行う。


絶えず戦闘に引き込み続けさえすれば、いずれは勝てる。


そのはずなのだが、ラーナは一向に隙を与えてくれない。


「動ける範囲が狭まっている……」


ラーナは、マイアットが見ていることにも気づいているのだろう。


殺人馬鹿だが、愚かではない。


よく見れば、ラーナが意味もない動きを繰り返しているわけではないことが分かる。


ラーナが触れたもの、踏んだ地面、あらゆるものは爆発物に変換されていると考えるべきだ。


スキルにも限界はあるだろうが、少しの見落としが重大な隙を生むことにつながる。


カイネスが良い例だ。


あのように下半身を吹き飛ばされては、いくらマイアットといえどひとたまりもないだろう。


先程の挑発といい、動きに制限がかかっていることといい、いずれ攻めなければならないのは確定している。


ラーナの踏み込んで来いという考えがマイアットには容易に想像できる。


しかし、これといったタイミングが見当たらない。


このままではマイアットがラーナの術中に絡め取られるのは明白。


であれば、肉を切らせるほかないだろう。


「ここで確実に処分して、続いて他の面々も同様に……」


マイアットはラーナには聞こえない程度にやるべきことを声に出し、行動に移る。


ここでマイアットは、あえて今まで観察していた記憶を無視するように動いた。


思わずラーナの顔が綻ばんとしているのが見える。


やはり観察されていたのだ。


しかし今回はそこの裏をかく作戦だ。


マイアットは、一瞬だけ自分の踏みしめるべき地面に視線を送る。


爆発物が仕込まれているであろう場所を踏みにいくのは少々リスキーである。


だが、そんなことも言っていられないのが現状。


罠にかけるつもりなら、逆にそこを利用してやる。


その考えのもと、マイアットはラーナの表情を観察する。


一瞬の隙。


ラーナの視線がその地面に対して動くのを── 勝ちを確信した人間の気が緩むのをマイアットは見逃さなかった。


そのまま着地すると見せかけ、その直前で人間にはできない関節の動きで着地地点を無理にずらす。


マイアットはラーナの表情が驚きに変わることさえしっかりと視界に収めつつ、その足を起点に地面を蹴って一気にラーナとの距離を詰める。


「わっ!?」


予想だにしない動きを見て、ラーナの体勢が崩れた。


今回はそれだけではない。


崩れた体勢を支えようとしたラーナの片足が、不安定な瓦礫を踏んだのだ。


それでもなんとか片足でバランスを取ろうとするラーナの動きは、不安定な姿勢を長引かせる結果となった。


むしろ状況を悪化させるような動きを見せてくれたラーナに対し、そして自身の幸運に対しマイアットは感謝しつつ、これで決めると言わんばかりに腕を大きく振るった。


しかしその攻撃は外れる。


決してラーナが回避したわけではない。


完全に姿勢制御を失ったラーナが尻餅をつくように倒れたのだ。


その動きが、マイアットの腕から逃れるように働いた。


それでもラーナが即座に動き出せない事実は変わらないわけで。


次で最後だと、マイアットは再び腕を振るう。


なんとか動き出そうとするラーナの姿が見えるが、もう遅い。


数瞬の後。


マイアットの掌が逃げ出そうとするラーナの肩に、触れた。


ここでマイアットは勝利を確信する。


殺害を目指して大きなリスクを冒した賭けだったが、どうやら自分はその賭けに勝ったらしい。


まさか人形支配まで可能になるとは考えてもいなかったのだ。


少なくともラーナに、支配を逃れうるだけの能力はない。


あれだけ爆破に能力を割いているのだから。


こんな思考も一瞬。


そういう考えもあって、マイアットはこの時すでにラーナから注意を逸らしていた。


マイアットの頭の中は、次に処理するのはトンプソンにするべきかアイゼンにするべきかの思考に移り変わりつつある。


ただ一点、未だそこにはマイアットの予想だにしない状況が存在していた。


ここでマイアットが気を抜いていなければ、ラーナの狂喜じみた表情に気づけたかもしれない。

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