第23話 漁夫の利

『あなたは何としても長生きしなさい。何事に於いてもプレイヤーとして参加することは寿命を縮めますから、傍観者に徹するのですよ』


あれは、いつ誰に言われた言葉だろうか。


この言葉だけは片時も忘れたことがない。


だからこれまで、情報屋という肩書きで生きてきたのだ。


これからもその言葉に従って生きていくのだろう。


だが、それを誰に言われたのかという記憶だけがすっぽりと抜けている。


あの時優しく語りかけてくれたのは──。


「なぁ、そろそろ諦めたらどうなんだ?お前がやると言ったんだから、攻撃くらい仕掛けてくれないと俺っちも困るってもんだぜ」


「やると言ったのは、バチバチに打ち合うって意味じゃないからね?これまで貧民街で俺が色々手助けしてやったのに、そこに対する感謝はないわけ?」


ルドは自分に与えられた言葉とはまったく逆の行動をしていることに驚いている。


ここまで何とか面倒ごとには巻き込まれないように生きてきたはずだ。


それでも──どれだけ回避したとしても、それは否応なしに襲来してくる。


「リベラ抜きに考えたら、そこは感謝してるさ。ただここは戦場だ。俺っちとお前は違う陣営同士。そんな前提は抜きにして戦わなきゃなんねぇんだ」


デイビスたちとの戦闘もとい彼らからの逃亡劇が始まってから、短くない時間が経過している。


ルドが未だに逃げおおせているのは、デイビスたちが負傷によって万全の状態ではないことに起因する。


そうでなければ、荷物を抱えたままでの逃亡など数分と保たずに終わりを迎えていただろう。


加えて、ルドの行動が逃げの一択だということも大きく影響している。


貧民街での彼の生き方は、彼のスキルの発現及び性質に対して如実に変化をもたらしてきた。


悪路でも自在に動ける身のこなしから、それを補助するアビリティに至るまで、彼を構成するすべては長生きすることに特化した内容となった。


しかし、今はそれがどうだ。


ルドの獲得した能力の範疇を超える事態が彼に降り注ぎ、世界が延命を阻止しているかのようではないか。


「おっと、ヴィクトリアに当たっちゃうよ?」


「チッ……」


ルドは荷物を盾にデイビスたちの攻撃を牽制する。


彼らにしてもルドにしても、ヴィクトリアは重要な要素だ。


これを失えば、ルドの未来は暗い。


「そろそろ見逃してくれないかな?俺に対して感謝してるんでしょ?今までも散々、散々、散々、君たち3人には良くしてあげたじゃないか」


「感謝感謝うるせーな。ヴィクトリアを渡して俺っちに従えばお前の未来は明るいって言ってんだろ?」


「まだまだ不安定な足場にいる君たちの下に付くことはないかな。とりあえず、俺に対しての感謝はあるんだね?」


「まぁ、多少はな」


「それが分かればいいんだ。じゃあさ……」


「あ?」


「君たち3人が仲間内で殺し合うのが一番いいんじゃないかな?」


「……ああ。確かにそれが、一番だよな」


デイビスの返答に、思わずルドの顔は綻んだ。



            ▽



「さっきのマイアットとは違げぇな!まさかテメェが本体なんてこたぁ……ねぇよなぁ!?」


真っ直ぐに突き出されたヴァンデットの拳を、マイアットは紙一重で躱す。


その際、ヴァンデットの腕を側面から強打することも忘れない。


これによってヴァンデットはバランスを崩し、マイアットはそこへすかさず拳を叩き込む。


ヴァンデットの身体が浮く。


それほどの威力を伴った一撃は、さらなる追撃への序章でしかない。


回避不能と判断したヴァンデットは次なる攻撃に合わせ、拳を振るった。


空中姿勢で十分な身体の捻りは加えられず、拳にそれほど多くのエネルギーを乗せることは叶わなかったが、それでもマイアットの拳にピッタリと自身のそれを合わせることができた。


一瞬の鬩ぎ合いに時間が止まる。


衝突により生じたエネルギーは、お互いを吹き飛ばす衝撃波として拡散。


二人は地面を擦りながら後退るも、停止すると同時に再び死力の尽くし合いが開始される。


凄まじい速度に任せた大ぶりなヴァンデットの攻撃は、回避に専念したマイアットには当たらない。


攻撃こそ主導を握っているヴァンデットではあるが、小刻みなカウンターは彼の身体にダメージを蓄積させる。


ヴァンデットはそれが鬱陶しくて仕方がない。


捉えたと確信した攻撃でさえ、マイアットの身体を傷つけるには至らない。


異常な硬度を保っていることに加え、最小限の動きでヴァンデットをいなしているのだ。


各行程に必要な動きの差はヴァンデットには焦りを、マイアットには余裕を。


「ところで、あなたの部下が姿を消したようですが……?」


その余裕がマイアットの口を饒舌に転がす。


フェイヴァ兵が人形から肉体へと魂を戻すも、未だに彼らとのリンクは切れてはいない。


マイアットは適宜彼らから情報を受け取り、中心街を荒らしつつ周辺域をコントロールしている。


先程そんな彼女に届いたのは、マリスの兵が挙って自害したという俄には信じられない内容であった。


「あぁ!?あいつらはどこへも行かねぇよ!」


「あら、そうですか……」


マイアットの受けた印象としては、ヴァンデットの返答は違和感のないものだ。


間違った情報を握らされたか?


更なる疑問がマイアットの中に燻る。


だが、それでも構わない。


一時的にでも姿を消したというのなら、この状況を使わない手はない。


「下らねぇこと考えてる暇があったら、ちっとは有効な攻撃の一つでも入れてみろや」


「強がりますね……」


すでにマイアットは部下たちをこちらに向かわせている。


先ほどの報告と合わせて、一般陣営も概ね殲滅し終えたという情報も得ている。


数的有利はフェイヴァにある。


とは言っても、残された兵力も数百程度だが。


それでも、互いに潰しあっているマリスとアイゼン一派を飲み込むチャンスであるのは確か。


だから焦ってはならない。


このヴァンデットさえどうにかしてしまえば勝利は確実なのだから。



            ▽



「さて、フェイヴァの残党も中心街に向かってるし、そろそろ終焉かな。そしてデイビスたちの共喰いも同様だね」


ルドの視線の先で、デイビス、ガフキー、ベスが殺し合っている。


彼らはそれが正しいと信じて、ルドの言葉に従って行動しているのだ。


なぜ自分たちがそんな状態に置かれているのか、彼らは理解していない。


そしてそこには無駄な会話も小細工も存在しない。


目の前の敵を殺さなければならないという、たった一つの目的のみが彼らを突き動かしている。


まずはガフキーがベスの凶刃に倒れた。


邪魔者はいなくなったというかのように、デイビスとベスが肉薄する。


数度斬り結ぶと、次はベスが膝を屈した。


ルドの予想を超えない結末だ。


そのあまりの呆気なさに、ルドは不快感さえ覚えるほど。


「は……?なんだよ、これ……」


腹を貫かれたベスがデイビスにもたれ掛かるように倒れ込んだあたりで、デイビスは声を漏らした。


デイビスの両手は生ぬるい血液が滴っている。


それは生きた人間から吹き出したものだと理解できる。


彼の胸の中で動きを止めているのは、紛れもなくベス。


近場に転がってピクリとも動きを見せないのはガフキー。


一瞬、デイビスの思考はパニックで停止した。


なぜこんな状況に陥っているのか。


そこに至る記憶が一才存在しないのだ。


しかし、全身から発せられる身に覚えのない傷からの痛みが、これが現実だということを強制的に理解させようとしてくる。


デイビスは停止した思考で、右手の曲刀をベスから引き抜いた。


今この瞬間まで、その武器によってベスは支えを得ていたのだ。


それを失ったベスは、一才の人間らしい動きも見せずにデイビスの足元に転がる。


それは、見慣れたベスの醜い下顔面。


「ひっ!?」


カラン──。


デイビスが動揺して放り投げた武器が地面に落ちる乾いた金属音で、さらに彼の思考を覚醒に導く。


「は、はは……おい、待てよ……。待てって、冗談……だよな……?」


段々現実感を覚えてきた肉体が、その現実を振り払うように小刻みに震える。


その震えは両脚へ伝播し、ついに立つことさえままならなくなったデイビスはその場に崩れ落ちた。


「いやぁ、お疲れお疲れ。最低の見せ物だったよ、デイビス?」


背後から投げかけられる不愉快な声に、デイビスは首だけをそちらに向ける。


ルドはデイビスの曲刀を拾い上げながら、ニヤついた顔で血に濡れた刃の部分を眺めている。


「てめぇ……!」


小馬鹿にしたようなルドの顔を見ると、デイビスの中に沸々と怒りが湧き上がってくる。


「なに怒ってるのさ?自業自得でしょ?」


「なん、だと……」


デイビスはルドの言葉を素直に受け止めきれない。


状況こそ理解し始めてはいるものの、現実を受け止めきれていないのだ。


「君たちは俺に恩を返しただけだよ。だから悔いも嘆きも絶望も必要ないのさ。君はただ単に、正しい行動をしただけなんだから」


「何を言ってやがる……」


「理解する必要はないよ。だってここで君は死ぬんだから。すでにマリスの残党は死に絶え、程なくしてフェイヴァの残党も中心街で果てるだろうね。そしてあとは、君たちのように邪魔者を一人づつゆっくりと消していくだけさ」


ルドは呟くように次の言葉を続ける。


「そして俺は、あの人に会いにいく……」


「あぁ?あの人、だと……?」


突如現れた聴き慣れぬ単語に、デイビスは疑問が生じてやまない。


「ん?誰、あの人って?俺そんなこと言ってないんだけど?」


デイビスの言葉を受けて、ルドはキョトンとしている。


「何言ってやがる?今お前の口から出た言葉だろうが」


ルドの様子のあまりの不自然さに、怒りを通り越して悍ましさが湧き立つ。


全くもってデイビスには意味のわからない状況だ。


「死にそうになってるから幻聴でも聞こえたのかな?……まぁいいや。ここで君は死ぬ……いや、僕が殺す。大事なお仲間もいなくなっちゃった訳だしね。こんなところで俺に合わなければ、君たちももう少し長生きできたと思うんだけどさ。とにかく、運がなかったと思って諦めてよ。貧民街での君たちとのやりとりは、そこそこに楽しかったよ。じゃあね、デイビス──」


デイビスの目に、振り下ろされる自分の愛刀が見えた。


その軌道はデイビスの首や肩を通り抜けて、彼を二つのパーツに分断するだろう。


それを見ても、デイビスの身体は動かない。


いや、動く気すらないのだ。


自分は仲間を手にかけてしまった。


その後悔で、今更リベラを生き残る意味を失ってしまったのだ。


なおも刃はデイビスに接近している。


死ぬような経験の最中は、ゆっくりと時間が流れるという話を聞いたことがある。


なるほどこれがそうなのか。


死を前にしてもこんな呑気な考えをしていることに、デイビスは自分自身に呆れた。


あの世でガフキーとベスには何て言ったらいいんだろうか。


そんなことを考えながら死を受け入れる準備をしていると、ふと耳に届く言葉があった。


「──」


デイビスの両眼が途端にカッと見開かれた。


それは紛れもなくベスから発せられたもの。


死んだと思っていたベスが、死の間際に残した最後の言葉。


単にベスの肺に残された最後の空気が大気を擦る音だったのかもしれない。


だがそれでもデイビスにしっかりと届くものがあった。


覚醒した意識は、目前に迫った刃をしっかりと捉える。


ゆっくりと動く時間の中で、デイビスの身体だけがそれを無視して行動を開始する。


刃の向かう先に身体を傾け、そこに捻りを加える。


そして刃の側面を軽く叩くことで、軌道をずらす。


刃はデイビスの鼻先を掠め、前髪を切り裂きながら顔の真正面へ。


ここで、時間の流れが元の戻った。


急速に通り過ぎる刃を眺めながら、デイビスは傾く体でルドの振るった右腕を引っ掴んだ。


身体を浮かせ、その腕を支点に大きく腰を捻る。


すると、その勢いに押されてルドの身体までもが回転に加わった。


「なん──」


そのままルドは反応する前に身体を地面に叩きつけた。


デイビスは即座に立ち上がり、捻った腕から曲刀を取り上げると、それを掴んで真っ直ぐに刺し落とした。


「ぐあっ……生意気に!」


回避しきれなかったルドは、それを肩口に受けてしまう。


ただやられるだけでは終わらず、デイビスの腹部を蹴り上げた。


これによって、もんどりうって倒れ込むデイビス。


すでにデイビスの肉体には多くのダメージが蓄積しているのだ。


軽いダメージでもかなり響くのだろう。


先程何故急に動きを加速させたのかは不明ではあるが、虫の息なのは確かだ。


こいつはここで確実に殺す。


そう殺意を込めて再びデイビスの曲刀を拾おうとしたその時。


視界の端に高速で迫るトンプソンの姿を捉えたことによりこれを断念。


近場の壁を蹴ると、ヴィクトリアを隠している場所へ急行する。


どうせトンプソンはこちらを即座に追っては来まい。


そう判断して、中心街へ足を向かわせる。


ルドは無駄な傷を負ってしまったが、トンプソン・デイビス共にそれ以上に重症だ。


手負いの彼ら二人を処理することなど容易なはず。


それよりも、中心街で先手を打たれて状況を確定させられることの方が問題だ。


フェイヴァ兵が挙って動き出したことからも、そろそろ締めの段階に入っているのは明らか。


マリスとフェイヴァのどちらに軍配があがろうとも、そのどちらに対しても有利なカードを早急に得ておく必要がある。


ひとまずルドの手の中にはヴィクトリアがいる。


残された面々の中では力不足と言っても過言ではないアイゼンたちは、これで問題なくコントロールできる。


マリスが勝つのであれば、このままマリスに居座っていれば良いだろう。


あとはマイアットをどう攻略するかがカギだ。


理想は両陣営の共倒れだが、そう上手くはいくまい。


「まぁ、勝ってる陣営に降ればいいだけの話か」


ここまで考えても、結局はそうなのだ。


初めから陣営を確定させていない強みは、そういう点だ。


その利点の反面個人で動かざるを得ない状況は多いが、ルドにはこれまで培ってきた様々な技能が蓄えられている。


デイビスたちをコントロールしたのも、それらのうちの一つを活用したに過ぎない。


Patronizerお為ごかし』──今までに相手に売った恩を、自身の命令に従わせるという形で徴収するスキル。


貧民街でルドと接触する期間が長い人間ほど、その効果は絶大だ。


準備が早い人間が勝つ戦いなのだから、リベラが始まってからあれこれやってる者など愚の骨頂。


組織を立ち上げていたマリスとフェイヴァ、そして準備を怠らなかったルドが生き残っているのは当然の結果である。


それもこれも、


「あの人のおかげか……」


ポツリと自身が漏らした言葉を、ルドは認識していない。


何故こうにも“あの人”なる人物が出てくるのかという疑問も湧かないまま、ルドは中心街へ向かうのだった。



            ▽



「なんだぁ!?」


相変わらず決め手を欠いたまま拳を振るうヴァンデットは、漸増する地響きを知覚した。


同様に、アイゼン一派とカイネスもそこに意識を向ける。


ただでさえ視界の悪いなか、中心街を覆う全方位に立ち昇る砂埃がある。


砂埃の中に映るのは、人、人、人。


リベラ内のフェイヴァの全構成員が一挙に中心街へ攻め立てて来ているのだ。


それをしっかりと理解できているのはマイアットただ一人。


ヴァンデットとカイネスも、ダートがスキルを発動していることから、迫って来ているのは恐らくフェイヴァだろうとあたりをつけている。


『Companionsh水魚之交ip』──ヴァンデットは味方が命を落とすほどに身体能力を増す。


このスキルは、ダートの助けもあってその効果を最大限に発揮した。


このおかげで、ヴァンデットはマイアットの支配を跳ね除けることができ、現在も支配を受けずに済むに至っている。


ダートは死の直前、マリス所属の全兵達にスキルを介して自殺を強要した。


いや、ヴァンデットの力となるように促した。


その結果、ヴァンデットの勝利を切望した兵達は自らその礎となることを受け入れたのだ。


普段は主にマリス内の連絡用に用いていたこのスキルは、遠隔で部下に行動を強制することも可能だった。


これは非常事態の策として温存するはずだったのだが、状況が状況だったのでダートは使用を決意。


カイネスをマリスから除名したのも、ダートのスキルの影響下に置かないようにする措置だったのだ。


そのような経緯で継戦が可能になっているわけだが、ヴァンデットのスキルでもってしても、あと一歩マイアットに及ばない。


万全の状態であればマイアットに負けることはないと、ヴァンデットは思い上がりもなくそのように自覚している。


詰めの一手を探る目的の攻撃は、防御を最大にするマイアットに完封されている。


勝ちに拘るのであれば、マイアットがその状態で戦闘を継続させるメリットはないはずだった。


それもそのはず。


「そろそろ終の時間です……。目障りな方々には消えていただきましょう……」


マイアットはこの瞬間を狙っていたのだろう。


しかしヴァンデットに言わせてみれば、フェイヴァの兵の単品など雑魚そのもの。


大多数で迫ってきたとして、ヴァンデットをどうこうできるはずもない。


それに現在の彼はスキルによる身体強化も受けている。


そのような状態で負けるはずがないのだ。


「有象無象が集まって何ができるんだぁ!?」


だからそう吠えるのだが、そんなヴァンデットの脳裏に蘇る光景があった。


それはリベラの序盤。


ヴァンデットが雑魚だと確信していた一般陣営のとある四人組に大きく傷をつけられた場面だ。


あれは一般陣営の最高戦力だったのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。


それでも傷を負ったというのは事実だし、一般陣営よりは優れているであろうフェイヴァにあのような人材が隠れていないとも限らないのだ。


ヴァンデットはそれを思い出して警戒を深める。


警戒するということは、動きが硬くなるということ。


マイアットの思惑に沿った動きではないものの、これはヴァンデットの積極的な行動を抑制する一因となる。


加えて、マイアットへの注意を怠ることもできない。


ヴァンデットが何かしらの隙を見せれば彼女は即座に防御策を捨て、嬉々として攻撃に転じるだろう。


こういうヴァンデットの一連の思考からも、雑魚と侮るフェイヴァ兵が彼にとって全く無害な存在ではないということが分かる。


ヴァンデット自身もこれを理解しているし、衝突までの短期間で考えるべきことはあまりにも多い。


雑魚を蹴散らしつつマイアットの相手をするべきか?


雑魚を一旦フル無視して中心街から距離を置くべきか?


いや、それこそマイアットの狙いではないのか?


様々な思考が巡るなか、刻一刻とヴァンデットへの包囲網は範囲を狭めている。


一つの思考を挟むことで相手に一歩出遅れ、その遅れを取り戻さんとする思考や焦りが次の一歩を阻害する。


要は、追い詰められた状態で考えれば考えるだけ選択肢を狭めていくのだ。


「だとすれば……」


考え続けている暇などない。


この状況で出来うる最善は、予め障害となる可能性のあるものを、処理しやすい方から排除しておくこと。


その障害とはすなわちフェイヴァ兵に他ならない。


現状、マイアットをそこに含めることはできない。


というのも、ヴァンデットが不利な状況作り出されてしまっているから。


それなら、マイアットが不利となる状況まで持ち直すしかないわけだ。


そこまで考えて、ヴァンデットは一旦余計な思考は放棄した。


ヴァンデットは地面を蹴る。


それはマイアットに前触れも見せない行動のはずだった。


だったのだが、彼女はこれにしっかりと反応して見せた。


「短絡的ですね……」


マイアットはヴァンデットの背後にピッタリと付ける。


飛び出したヴァンデットの速度もさることながら、マイアットのそれも相当なものだ。


直後、ヴァンデットがフェイヴァの集団に着弾する。


隕石でも衝突したのかというような勢いで、人間も瓦礫も吹き飛んだ。


だが、着弾によりぽっかりと空いたヴァンデットの周囲の空間は、そこへ殺到する人間たちですぐに埋め尽くされることとなる。


ミンチになることも関係なしに突撃を繰り返すフェイヴァ兵たち。


人形化は解除されているはずなので、生身であることは間違いない。


それでも狂ったようにヴァンデットに傷をつけようとする様は、まさしく狂信者のそれだ。


ヴァンデットの攻撃の隙を突いて、幾ばくかの攻撃を叩き込むフェイヴァの面々。


そこにはマイアットのもの含まれており、フェイヴァ兵とは比較にならないダメージがヴァンデットを貫く。


「ぐっ……洒落臭ぇ!」


一旦マイアットに攻撃を向けると、ヴァンデットはすぐに別の地点へ向けて飛び出した。


マイアットを引き離してフェイヴァ兵だけを細かく処理するのが彼の狙いだ。


まだ完全にはヴァンデットを包囲しきれていないためか、彼の動きに導かれるように包囲網も形を変える。


それ即ち、まだヴァンデットに動きを許す隙があるということ。


そのまま次の地点へ到着すると、反撃を喰らわない程度に拳を振り回しつつ数人の兵を殺害してその場から脱出する。


あとはひたすらこれを続けるだけだ。


マイアットの接近を許すことなく敵の数を減らすのなら、この方法が最も効率的だろうという判断の元の行動だ。


もちろんデメリットがないわけではない。


派手に動き回るということは、それ相応の体力消費もある。


そして必ずしも反撃を喰らわないわけでもない。


これはいわばフェイヴァとヴァンデットの体力勝負。


どちらが先に相手の体力を削り切るか。


ヴァンデットとマイアットのタイマンなら、下手を打ちさえしなければ一方的にやられることもない。


だからこそ、状況を好転させるために雑兵を間引くことは必須。


薄氷の上を歩むような緊張感を持ちながら、ヴァンデットはヒットアンドアウェイを繰り返す。


一方、フェイヴァの多くがヴァンデットに向かうなかで、アイゼン一派及びカイネスも少なからず包囲をされていた。


攻撃力の低い彼らでは、思うようにフェイヴァ兵を処理しきれない。


更に、ここにきて連携を強めてきたフェイヴァに少々悪戦苦闘を強いられている。


「流石に鬱陶しいな」


カイネスは自身に向かう槍の穂先を弾きつつ、敵の動きを観察する。


「カイネス、奴らをどうにかするまでワシらへ攻撃はするなよ?」


現在四人はそれぞれ四方向へ警戒を維持しつつ、断続的に攻撃を仕掛けてくるフェイヴァの対処に当たっている。


それもこれも、この場での共倒れを防ぐためだ。


「俺に命令をするな」


「それは是と認識して問題ないな?」


「都合よく解釈するなよ?お前らがヴァンデットさんを攻撃していたことを俺は許していない。俺に協力したいというのなら勝手にすればいいが、それを差し引いてもお前らを攻撃しないという理由にはならないからな」


「明確な敵対意思がないことを確認ができただけ良しとする。ミラ、そろそろあれをやる。グレッグもそれに合わせて攻撃を開始しろ」


「はぁーい」


「了解でさぁ」


「何をするつもりだ?」


「ワシらはワシらでこいつらを駆除するだけだ。ヴァンデットを囲む連中とは違って、こいつらの狙いは時間稼ぎだ。こんな場所、さっさと後にするのがフェイヴァにとって不都合なのだ。貴様もヴァンデットの元に馳せ参じたくば、息を合わせろ」


「まったく、面倒なことだ」


やれやれといった様子でカイネスは姿勢を低くした。


いつでも動けるという意思表示も兼ねているのだろう。


それを見て、アイゼンは告げる。


「我が騎士たちよ、王に仇なす不倶戴天の敵を討滅せよ!」


ミラとグレッグの口元がニヤリと歪む。


Regalia王威』が二人に力を与え、それと同時に行動が開始された。


ミラ・グレッグ・カイネスは数十人いたフェイヴァ兵の中に入り込み、内側から蹂躙する。


「これほどとはな」


カイネスはミラとグレッグを見て素直に感心した。


明らかに常人の域を超えた身体能力を得ていることに。


そしてそれを可能にしたアイゼンへカイネスは視線を向ける。


この男そのものにはそれほどの戦闘能力はない。


だが彼のスキルは危険だ。


「あれは恐らく、特定条件下かつ制限付きでの強化スキル……」


カイネスはそっと呟き思考する。


アイゼンは無防備そのもの。


素直に攻撃を仕掛けるとすれば今この瞬間だろうが、その場合ミラとグレッグが黙ってはいまい。


攻撃を完了する前に阻止されるであろうことがカイネスには容易に想像できる。


だとすればスキルの解除を待って攻撃か、継続時間を把握するのが得策だろう。


そんなことを考えながら目の前の敵を吹き飛ばす。


敵が次々に処理されていくことで、カイネスの視界はクリアなものになっていく。


彼の視線の先で、今もなおヴァンデットは多くの敵に囲まれながら激しく動き回っている。


今では彼に迫っていたフェイヴァ兵は半数を切るほどに戦力を減らしているが、どう考えても減りが遅い。


それもそのはず、彼の身体に刻まれている傷が増している。


そこにスタミナの過度な消費も加わって、一度の行動で処理できる数が低下しているのだ。


「ヴァンデットさ……ん?」


カイネスは違和感を覚えた。


その違和感の対象は、ヴァンデットでもマイアットでもなく、フェイヴァ兵でもない。


ある一人の女だ。


誰もその存在に気が付いていないのか、その女が隠密に長けているのか。


女が集団の中でコソコソと動き回っていることに気付胃ているのはカイネスだけだ。


「なんだあの女は……」


どうにも危険な匂いがするが、兎にも角にも目の前の敵だ。


カイネスはそう思った矢先。


ヴァンデットの周囲を取り囲んでいたフェイヴァ兵が膨らんだ。


生身の人間が、文字通りの膨張を示した。


「!?」


ヴァンデットがそれに気が付いた時には、血飛沫が彼に襲いかかっていた。


そして──。


一方、膨張する人間はそれらだけではない。


集団の各所でフェイヴァ兵たちが次々に動きを止め、膨らみ、そして爆ぜた。


「何が起こって……?」


マイアットも予想だにしない事態に、状況を把握するために思わず動きを止めた。


それが、まずかった。


マイアットは自身の背中に触れるものを認識した。


条件反射でそちらに視線を向けると、


「あっは!爆弾になるってどんな気分かなぁ!?」


そこにいたのは、しばらくヴァイスと共に姿をくらましていたラーナ。


マイアットを見上げるラーナの顔には、狂ったような表情が張り付いている。


「くっ……!」


ラーナの能力は理解している。


だからこそ、マイアットは急いでラーナの手を振り払った。


しかし、その時にはすでにラーナはマイアットから距離を取っている。


それが意味するところは──。



            ▽



ルドは中心街の惨状を目にしていた。


「あらら、もう無茶苦茶だよ。フェイヴァは壊滅して、残りは中心街にいる面々と……」


そして視線は背後へ。


「……君たち二人、ってとこかな」


残された人間はすでに両手で数えられるほどだ。


その残り少ない人員の中でも、ルドの目の前の二人の傷は特に大きい。


片腕のトンプソンと、これまで散々負傷を繰り返してきたデイビス。


「そろそろ終局も近いようだ。こんなところで君は、勝利を確信して傍観者気分かね?」


片膝をついて息を荒くするデイビスをよそに、トンプソンは片腕ながらピンピンしているようにも見える。


「そんなとこかな。積極的に状況に介入することなんて愚行を、この俺が犯すわけないじゃないか」


トンプソンの発言を、ルドは鼻で笑う。


「ところでルド、そろそろヴィクトリアを返してくれないかね?」


「それはまだ早いかな。一時的にとはいえ、俺がヴィクトリアの安全を確保してたんだ。もちろんデイビスの手からも、ね。その働きに対する君たちの行動が足りないよ?」


「それならここでやりあうかね?」


「それが今の君たちにできるのかい?」


ルドはあくまで挑発するような姿勢は崩さない。


それは、トンプソンとデイビスの負傷状況をしっかりとルドが把握できているから。


人質を取られているというトンプソンたちの状況で下手に手出しするのは、彼らにとって得策ではないということがルドには分かっているからだ。


「なるほど、いいだろう。それで、君は我々にどのような動きを求めるのかね?」


「そうだね、それじゃあ──」

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