第21話 終盤戦
「どうした、動きが鋭くなっているぞ?」
「……」
超至近距離でマイアットの手を逃れ続けるトンプソン。
彼女の能力を知っている人間なら不用意に接近するなどあり得ない行動だが、トンプソンはそれを可能にする。
二人でダンスでも踊っているのかという感想も出そうな距離で、それでもマイアットが触れることは能わない。
彼女がいくら攻撃を仕掛けても、フェイントを織り交ぜても、その全てが徒労に終わっている。
攻撃は時に弾かれ、時には当たると思い込んで反撃を受ける。
「にもかかわらず、君の顔が晴れないのはどういうことなのかね?」
マイアットを飲み込むようなトンプソンの瞳は、彼が圧倒的強者だということを伝えてくる。
彼がちょこまかと嘲笑うように周囲を跳ね回るたびに、マイアットの精神の安定が徐々に崩れていくのだ。
トンプソンの攻撃が止むことはない。
だが、マイアット自身負けるという恐れも感じていない。
焦りは感じるが、死自体に恐れはない。
だからこそマイアットは攻撃が当たらないと分かっていても、当たるかもしれないという淡い希望のもと攻撃を繰り出す。
触れたら、勝ち。
そう、触れてしまいさえすればマイアットはどんな人間もおもちゃに出来る。
その慢心が彼女の成長を妨げていた。
「ぐっ……!」
トンプソンの刺突が正確にマイアットの肩関節を蹂躙する。
ズブ……。
その指先は鋼のような硬さでもあり、ナイフのような鋭さも兼ね備えている。
それは当然のようにマイアットの肩を抉り、トンプソンの指の第二関節あたりまでがすっぽりと埋没していた。
「不思議なこともあるものだ。同じ攻撃なのに、今度は腕が飛ばなかったな。そこには血液も吹き出すし、痛みもある」
トンプソンは指先を傷口の中で丸めると、そのまま上腕骨頭を引っ掴んで半ば強引に胴体を蹴り飛ばしながらマイアットの腕を引きちぎった。
くぐもった悲鳴を上げながらマイアットは地面に転がり、やや引き攣った表情で立ち上がる。
「鬱陶、しい……」
そこにはダート戦で感じられた余裕はもはや存在しない。
「返してやろう」
トンプソンはマイアットの右腕を彼女に向けて雑に投げやった。
マイアットはそれを拾うと、肩に押し当てて元通りに直してしまった。
それを見てもトンプソンは驚かないどころか興味深げに眺め続ける。
「あなたは、私の何を知っているのです……?」
「それを知りたければ、もう少し君のことを教えてくれ」
トンプソンは地面を蹴る。
そしてマイアットの側まで近づくと、真っ直ぐに拳を振り抜いた。
「っ……!」
拳の風圧で塵芥の砂煙が舞い散り、それが一時的にマイアットの姿を隠す。
「今度は反応できたか。ただし、もうその腕は使い物にならんな」
砂煙が明けると、そこには直立防御姿勢のマイアットが立っていた。
マイアットは右腕を盾にする事でトンプソンの攻撃を受け止めていたのだ。
だがその威力を殺しきれず、足底で地面を擦りながらそこそこの距離を後方へ滑っている。
そしてその腕は、傷一つない綺麗なものだ。
これを見ているダートは、どういうことだと不思議に思う。
使い物にならないとは何事か、と。
「やはり、あなたは危険ですね……。速度でもなく力でもない……」
「人形に近づいているが、感情への影響はなさそうであるな。さて君の身体は、あとどれくらい人間の部分が残っているのかね?」
「その観察眼が、厄介極まりない……」
「君は人形をこそ、それに近ければ近いほど巧みに操るのだろう?そのスキルの影響か、君の傷ついた人間部分は人形の成分として置換されるようだな。先ほど私の攻撃を受けた右腕は、もう人間のそれではないはずだ。肉体が人形に寄れば、当然操作性も増すということだ。より俊敏に、より強靭に」
「……」
「しかしそれは、君が人間から遠ざかる要因でもある。君が私の攻撃を受けて苦い顔をするのは、そういう理由であろう?」
「……流石にそこまで言い当てられては、隠しても仕方がありませんね……」
「人間を辞めた結末がどういうものかまでは推測しきれんがな」
「いいでしょう……。ダートには話しましたが、私が完全な人形になることは人形として完成されてしまうということ……。永劫の時間を生きる不動の置物として苦痛に苛まれ続けるというのが、このスキルを発現したリスクであります……。多くの命を弄んできましたが、私のそれは生きるために必要なこと……。ここであなたにやられるわけにはいかないのですよ……」
「特段、君のそれを責めはしないさ。同情もせんがな。このまま人間としての生を終えるのが嫌なら、限界まで人間を辞めればどうかね?そうすればリベラを勝ち抜けるかもしれんぞ?たとえ勝ったとして、そこで君が果たして人間で居続けられるかどうかは不明だがな」
「勝つためには──生きるためには手段など選んではいられないということですか……。まぁ、仕方ないでしょう……。あなたが私をどこまで理解できているかは分かりませんが、あなたの口車に乗って差し上げましょう……」
マイアットは自身を抱きしめるように両腕を回すと、小さく震え始めた。
トンプソンはそれを黙って見守る。
そしてその最中で、一瞬だけ視線をヴィクトリアへ送った。
ヴィクトリアはそれだけで何かを理解して、直立不動の姿勢からいつでも動けるような姿勢に変わる。
ダートも何かが起こることを予見しているようだ。
トンプソンのマイアットを焚き付けるような発言の結果、鬼が出るか蛇が出るか。
マイアットを無理をさせることによって弱い部分を叩こうというのがトンプソンの意図だが、その反面、彼女に諸刃の刃を切らせることにもなる。
ヴィクトリアにしてもダートにしても、なぜトンプソンがこのまま押して行かないのかという部分に疑問は残る。
ハイリスク・ハイリターンをとらなければならない状況──それは、ひとえにヴィクトリアとの連携を見破られないためだ。
戦闘を続けることで相手を観察することに長けているトンプソンだが、相手がその部分で劣っているとは限らない。
長期的に継戦すれば、いずれトンプソンにもボロは出てくるだろう。
これまでの戦闘にしても、状況的優位を先に掻っ攫うことで相手に不自由を強いるという戦闘スタイルを取るのがトンプソンだ。
ダートの考えがまとまらないタイミングで仕掛けたのもその一つ。
それはトンプソンが長く生きていく上で身につけたアビリティでもスキルでもない技能であり、リスクをとってでも維持したいシロモノだ。
だからこそマイアットがその状況に対応できる前に、また別の新しい状況を設定するのだ。
そして不慣れな状況に対応しきれず視野を狭めたままにすることも狙いの一つ。
これによってマイアットの注意をトンプソンのみに集中させ、戦闘を補助するヴィクトリアの存在を隠す。
トンプソンが挑発的にマイアットの切り札を切らせ流ように仕向けたのは、こいつさえ倒せば問題は解決する──こいつ真っ先に処理しなければならないという思考へ彼女を誘導するため。
それが功を奏しているかは、これからの彼女の動き次第。
三人が見守る中で、マイアットはピタリと動きを止めた。
何かが完了した証だろうか。
「……放します……」
俯きながらマイアットが何かを呟いている。
そして次は、トンプソンを見据えながらはっきりと。
「人形たちよ、暴れなさい……」
マイアットの支配下にある人形の目に赤い光が宿る。
近いところで言えば、エイベとヴァンデット。
そして──。
「ひゃっ!?」
ヴィクトリアは身を屈め、見えた未来の結末を回避した。
先程までヴィクトリアの首があった場所を剣閃が通過する。
トンプソンがヴィクトリアの方へめをやると、彼女のそばをダートが勢いよく駆け抜けているところだった。
「くそ、さっきより……!」
走り抜けた先で空を切ったナイフを握りながら、ダートは抑制しきれない自身の肉体をなんとか抑え込もうと震えている。
『トンプソン様!』
トンプソンはヴィクトリアの声でハッとし、目前に迫ったマイアットの右手を上受けで弾く。
虚を突かれたせいか防御行動としては不十分で、トンプソンの体勢が後方へ傾く。
これにより空いたトンプソンの腹へ続けてマイアットは掌底を叩き込む。
だがこれもバックステップすることでトンプソンは触れられる前にすんでのところで躱す。
これらの攻防はほんの一瞬で行われ、マイアットの口頭による指示ではどうしても伝わる前に行動が開始されてしまっている。
だからトンプソンは一旦ヴィクトリアへ回避を依存することをやめ、自身の判断でマイアットの攻撃をいなす。
というのも、すでにヴィクトリアはダートの攻撃により不動を解いているため、期待はできないからだ。
そしてダートが彼女を狙おうとする動きが垣間見える。
ヴィクトリアも心配だが、トンプソンはひとまず目の前の障害に視線を戻した。
バックステップでトンプソンが宙へ一瞬浮き上がっている間、マイアットは地面を蹴っていた。
マイアットは一回の踏み込みでトンプソンの背後まで瞬時に移動すると、確実に支配すべく両腕を彼に突き出した。
それはトンプソンが着地するよりも遥かに早い速度で行われている。
マイアットの異常な身体能力の向上に驚くも、トンプソンの身体が彼女より早く動いてくれることはない。
「ぬぅ……!」
トンプソンは腕を後方へ振ることで腰を捻り、彼女の姿を視界に入れる。
ぶん回した拳はマイアットの右頬を強打するも、彼女は微動だにせずそれを受け止めた。
吹き飛ばすことさえできれば次の行動に移れたかもしれない。
トンプソンがそう思った時には、すでに彼女の両手がその腕を包み込むように抱きしめている最中だった。
「さようなら、トンプソン……」
マイアットが触れた先から、トンプソンの腕がパキパキと音を立てて制御を失っていく。
▽
「ねぇ、こいつ急に強くなってるんだけどぉ?」
人形と化したエイベはここまで、艶かしい動きでミラとアイゼンを翻弄してきた。
具体的に言えば、全くもって攻撃が当たらない程に。
それが今度は文字通り目の色を変えて、動きに強靭さを増している。
そんなエイベが攻防の中でミラに触れると、彼女の肉体に異変が生じた。
「……!?」
「ミラ、その姿はどうした!?」
アイゼンもこれには驚きを隠せない。
エイベの攻撃を振り切りながら、ミラは自身の肉体を観察する。
走る脚も覚束ないが、次第にそれを自分のものとして取り入れていく。
「こいつのスキルかなんかで性別が変わってるっぽいぃ!股になんかキモいの生えてるしぃ……」
アイゼンもエイベを追い立てるように足を早める。
「肉体以外の変化は?」
「スキルも問題ないかなぁ。むしろ男の身体になって筋力とか上がってる感じぃ」
「そうか、それなら早急に決めるぞ。とりあえずはグレッグの方が心配だ。傷はまだ癒えぬだろうが、我慢しろ」
「それはいいんだけどさぁ。ここでスキル使っちゃっていいのぉ?」
「構わん、一旦ワシがそいつを引きつける。その間に、確実に殺れ」
アイゼンは返事も待たずエイベに接近を仕掛ける。
それに対してミラは徐々に距離を開けていく。
これによりエイベからミラとアイゼンの距離が等間隔となり、エイベが完全に二人の間に挟まれる形となった。
そしてミラとの距離よりもアイゼンとの距離が近くなった瞬間、エイベは急速反転してアイゼンに狙いを変えた。
「やはり反応が異常だ。人間のそれではないな」
迫るエイベを前にして、アイゼンは動揺もなく感想をこぼした。
そんな中、アイゼンへ迫る蹴り。
アイゼンは真っ直ぐにそれを見据える。
そして続ける。
「我が騎士ミラ=サリファよ、貴様の全霊でもって不倶戴天の敵を討滅せよ」
「任されたぁ!」
アイゼンのスキル『
それは自身の民に対して機能する王権であり、その時々に見合った効果を発揮してくれる。
二人には現状分かっていないが、支配力を増したマイアットによりエイベはその能力を遺憾無く引き出されている。
エイベがスキルを発動させたのも、そういった理由からだ。
もちろん身体能力も強化──というより本来のもの、もしくはそれ以上のものが引き出されている。
エイベ自身そこまで攻撃的な性格ではないものの、彼の露出させた筋骨隆々の上半身はそこに秘めたるパワーの存在を暗に示している。
彼の戦いの真髄は、相手を翻弄し隙を突いてダメージを与えることにある。
それを可能にするのは、彼の肉体の柔軟さにある。
艶かしい動きで攻撃を回避するほかに、身体のしなりを活かして鞭のような動きで攻撃することで、読めぬ軌道から想定外の威力で攻撃が突き刺さるのだ。
当たれば容赦なく骨を砕く威力の蹴りは、間違いなくアイゼンの首をその軌道に納めている。
しかしそれが命中することはなかった。
アイゼンとエイベの間には、いつの間にかミラが割り込んでいる。
そしてミラはエイベの攻撃を左手で悠々と受け止めていた。
「痛ったぁ……!」
その左手はデイビスによって傷つけられた部位だ。
ポーションである程度回復しているものの完治には至っておらず、ミラは顔を歪めつつ涙目で耐える。
ミラは受け止めた手でエイベの右脚を握り潰しながら、彼の身体を持ち上げる。
これによりエイベは釣り上げられた魚のように宙に浮かされる形でバランスを崩した。
「けど、これなら逃げられないよねぇ?」
ミラはエイベに暴れられる前に、その腹部へ問答無用の一撃を叩き込む。
その右拳はエイベの腹部を易々と貫通し、そこにあった腸管や脈管系、そして脊椎も含めて前方にぶち撒ける。
すぐさまその腕を引き抜くと、蹴り飛ばす形でエイベを遠くに放った。
「やっば、今回は相当強化されてるよぉ。それだけあいつが厄介な敵だったってことかぁ」
『
今回は敢えて窮地に立たされることでミラにエイベの処理を託した。
本来ミラの攻撃力は相手を瀕死にする程のものではない。
せいぜい少ないダメージを与える程度のもの。
それが強靭な筋肉に覆われた相手とあっては、ダメージなど見込めなかったはずだ。
だがアイゼンのスキルを受けて、そこに尚且つエイベによる性別変換がかかっている。
もろもろの条件が重なり合って、ミラの拳はエイベに穴を穿った。
「まだ動けるんだ、すごいよねぇ」
アイゼンとミラの視線の先で、エイベが起き上がる仕草を見せている。
しかし腹部から下方への神経回路は物理的に遮断されているので、上半身だけで動き出そうとしている始末だ。
マイアットのスキルは人間の支配をこそ可能にするものの、人形のようにその全身を動かせるわけではない。
脳を支配して、その神経に繋がれた末端を動かすことが人間に対する効果だ。
エイベは肉体を人形成分に変換されているわけではないので、当然動かすことが可能なのは神経が繋がっている上半身のみ。
生命兆候が消失していない限りは、痛みも出血も無視して動くことができている。
しかし受けた傷の具合や出血量から、傍目に見てもエイベの寿命は短い。
「ミラ、まだ『
「りょうかーいぃ」
ミラの姿が消える。
そして直後、エイベのそばにミラが出現していた。
エイベは人間では不可能な速度でミラの動きに反応するも、ただそれだけだった。
エイベの肉体は万全の状態ではないのだ。
グシャリ、とエイベの脳漿がぶち撒けられる。
ミラの足元で最後にビクンと痙攣すると、エイベはそれまでだった。
人間であっても人形であっても確実な死。
それがエイベに訪れた。
「わっ!?」
彼の死によりそのスキルが解除され、ミラの姿が細い女のそれに戻る。
同時にアイゼンのスキルも目的を遂行したことで効果を失った。
「痛ったぁ……」
強化が解除されたことで、ミラの身体にはその反動が宿り、酷使した左腕が痛みを主張している。
「ミラ、そのまま動けそうか?」
アイゼンがミラの元まで歩き、無惨な死体を横目にグレッグを確認している。
グレッグはなんとか攻撃を貰わずに立ち回っているものの、彼の苦しそうな表情から逃げ回ることが精一杯な状況だということが理解できる。
これは急いで加勢しなければならない。
「いたた……うん、まぁ大丈夫そうだよぉ。『
「それならいい。次はヴァンデットだ。済まないが、お前にはこれからも無理をさせる」
「気にしないよぉ。報酬さえたんまり貰えたらねぇ」
「任せておけ。では、行くぞ」
二人は次なる強敵へ脚を走らせる。
数十メートル先では、暴れ回るヴァンデットが休むことなく地形を変化させている。
ここまでの戦いでは、グレッグがヴァンデットからクリーンヒットをもらったことは一度もない。
ただ、攻撃の余波で飛び散る瓦礫片がグレッグを少しずつ傷つけ、時折やってくる大きな破片も少なくないダメージを蓄積させる要因となっている。
それは、グレッグが攻撃を紙一重で躱し続けているから。
いや、紙一重でしか回避できない状況に追い込まれているからだ。
マイアットが支配を強めたあたりから、それは顕著になっている。
アイゼン一行はマイアットの能力は知らない。
だがヴァンデットが会話の通じない獣に成り下がっていることから、彼が何かしらの攻撃を受けて理性を失っているのだろうということは読み取れていた。
アイゼンの目的のためには邪魔者は少ない方が良い。
マリスもフェイヴァも、可能であればアイゼン一行とヴィクトリア以外の人間は全て消し去るべきだと考えている。
アイゼンは初めからマリスに下るつもりもなく、あわよくばヴァンデットの寝首を掻こうと画策していた。
しかしリベラは当初の予想ほど甘いものではなく、デイビスなどの端役に対してすら後手に回ってしまう始末だった。
その末のトンプソンの登場。
無謀な条件を叩きつけられ、アイゼンは頭が狂わんばかりだった。
これまでの人生がうまくいっていたばかりに、現在の状況はアイゼンにとって耐えられるものではなかったのだ。
それでも長年夢見た不老不死は諦められるわけもなく、ヴィクトリアの出す条件に従うほかなかった。
だから全てを滅ぼす思いで中心街へ急いだ。
そこに現れたのが理性を失ったヴァンデット。
これはアイゼンにとってチャンスだった。
凶暴性の裏側に理性的な側面を持ち合わせているヴァンデットが素の状態であれば、直接交戦することは避けただろう。
しかし、その時見たヴァンデットは激しく傷つき、なぜまともに動けているのか不思議なほどだった。
だからその場で処理することを選んだ。
一旦ヴァンデットをグレッグに預け、むしろ動きの機敏そうなエイベをアイゼンとミラで受け持った。
ヴァンデットをよく知るのはグレッグであり、アイゼン一行の中で最も長生きする可能性が高かったのが同じくグレッグだったからだ。
グレッグが一番負傷が少ないというのも関係している。
そしてアイゼンは厄介そうなエイベをミラと共に処理している間に、外側からヴァンデットを観察し続けた。
その最中、エイベとヴァンデットが謎の強化を得て暴れ出した。
これでアイゼンの計画はご破算となり、更なるフラストレーションが彼を襲った。
なぜこうまで上手くいかないのかと憤りつつも、なんとか切り札を切ってエイベは処理できた。
残る大きな障害はヴァンデットだけだ。
「グレッグ、ヴァンデットへのダメージはどうだ?」
「何度か毒を傷口から注いだんですが、一向に効果がないようで。先ほどからヴァンデットの攻撃も増すばかりで、致命的な攻撃は入れられておりません。誠に申し訳ない話でさぁ」
「いや、お前がそいつを今まで抱えてくれて助かった。そいつがさっきの男と同じ状態なら、おそらく最も近い敵を標的にするはずだ。ここからは3方向から攻撃を仕掛けて削っていく。ワシとミラで隙を作ったら、お前がそいつの首を落とせ」
「畏まりやした」
▽
トンプソンは左手を振り上げた。
そして、そのまま迷いなく自身の右腕を切り落とす。
「ぐぅ……!」
切断面からは血飛沫が舞い散り、マイアットを汚す。
トンプソンはそこから脱兎の如く走り出す。
「懸命な判断ですね……」
マイアットの手元にはトンプソンの右腕の2/3ほどの長さが握られている。
しかし彼女は興味を無くしたのか、それは投げ捨てられた。
マイアットは即座にトンプソンを追う。
再び深い踏み込みから、直線距離を一瞬で詰めた。
トンプソンは負傷で動きが鈍っている。
そして出血も完全には止められてはいない。
だからこそマイアットは攻撃の手を緩めず回復の機会を与えない。
マイアットは速度に乗せて腕を振るい、トンプソンはそれを見て迷わず回避を選択する。
先程のマイアットの防御力を見ては反撃もままならない。
急ブレーキをかけてその場で飛び上がることで、マイアットの腕はトンプソンには触れずにそこを通り抜けた。
直線的な攻撃だからこそ可能となった回避方法だが、おそらく次はないだろう。
最小限のジャンプののち着地しつつ、ポケットから取り出したハンカチを使って右腕の断面の直上を縛り上げた。
吹き出す血液の量が一気に少なくなる。
これによりトンプソンは一つの懸念材料を減らす。
残った左腕だけで攻撃は難しいが、この状況で攻撃など愚の骨頂だ。
攻撃を仕掛けた場合、カウンターを食らって即お陀仏な未来が見える。
そもそも防御など意味を為さないのだから、回避に徹するのが理想だろう。
相変わらず攻撃を繰り返すマイアットを見て、トンプソンは彼女も必死な状況だということを理解する。
マイアットの何か一発入れたら勝利が確定するという状況と、自身の首を絞めて効果を上げるスキルは彼女を焦らせる。
トンプソンにしても勝ちを狙える状況でもないが、攻撃を捨てることを考えればなんとかできないこともないのだ。
お互いにリミットがあるという現状で、あと一押しがあれば勝負を決め切れるだろう。
マイアットは攻めを、トンプソンは受けを主体に戦闘が続いていく。
トンプソンに幾度となく攻撃の手が伸びてくる。
ご丁寧にトンプソンの右側を狙った攻撃は膝や爪先での蹴り上げで弾く。
これが可能なのは、マイアットの全身が鋼鉄になったわけでも不動の能力を得たわけでもないからだ。
トンプソンは攻撃の軌道を読み、攻撃の先端を的確に突くことで軌道を逸らす。
左側の攻撃に対しては腕も使用可能なので、右側にこそ注意を払えば対処は可能だ。
だがマイアットの攻撃速度は大きく増しており、一筋縄ではいかないのは確かだ。
それでも能力にかまけて繰り出されるマイアットの攻撃は、戦闘技能の下地がないことからトンプソンには当たらない。
そこにトンプソンは心の余裕が生まれる。
彼から少し離れた場所ではヴィクトリアも逃亡劇を続けている。
こちらもまだ余裕がありそうだ。
ダートも操られるのは不本意なのか必死に耐えているが、完全にそれに抵抗をできてはいない。
ヴィクトリアは回避をした後一瞬だけ立ち止まり、未来視を発動させて次の動きに繋げている。
練度としては不十分なヴィクトリアのスキルと、同じく効果が不完全なダートへの支配。
この絶妙なバランスがヴィクトリアの立ち回りを可能にしていく。
なおかつ極限の状況下でのスキルの連発は彼女に強制的な成長を促し、徐々にダートへの優位を確立していく。
そんな状況を重く見たのか、マイアットは唐突に攻撃を止めた。
「ぬっ!?」
そしてすぐさまヴィクトリアに直行する。
それは彼女がダートから逃げようと動いているタイミング。
マイアットはヴィクトリアが何かしらの方法で攻撃を回避する術を持ち合わせていることを見抜いていた。
だからこそ注意がダートに向いてなおかつ動きの脆そうな、そんな機会を窺っていた。
マイアットの軌道上にはヴィクトリアがいる。
未来視を使用していない状態でヴィクトリアが回避不能なのは必至。
トンプソンは絶望の未来を予測した。
「……?」
そんな中、マイアットがヴィクトリアに触れる前に上空へ跳ね上げられた。
マイアットは勢いをそのままに、放物線を描いて飛んでいく。
その軌道変更があった場所に現れたのは、二人の人物。
「ダートさん、無事ですか?」
マイアットに触れるというアクションを起こしたことで、カイネスの隠密状態が解かれる。
「ヴィクトリアさん、危なかったね」
同じくカイネスのスキルで姿を消していたルドも姿を見せた。
カイネスはすぐさまダートの元へ、ルドはヴィクトリアの元へ駆ける。
「カイネス、すまないが今の俺は奴に操られている状態だ。制御しているが長くは保たん。お前はすぐにヴァンデットの方へ向かえ。グレッグたちは敵だ、殺して構わん」
「そんな……!ダートさんが長くないってことは、もう……」
「ああ、最悪の場合を想定して動く。だから今この場でお前はマリスを追放だ。あとは上手くやれ」
「……わかりました。ダートさん、お世話になりました。どうかご無事で……」
カイネスは何やら悔しそうな表情を浮かべると、振り返らずにヴァンデットの元へ向かっていった。
そんなやりとりをよそに、ヴィクトリアはルドの出現に驚いている。
「ルドさん、どうしてここに……?それにその傷は……」
よく見なくとも、ルドの全身はアザだらけだ。
ひどい拷問でも受けたのだろうか。
「色々あってね。マリスも俺を捕らえて嬲っておいて、命を助けてやるから協力しろってひどいよね。だから今は……」
ルドはそのまま手刀をヴィクトリアの首筋に叩き込んだ。
「ルド、さん……」
まともに防御も取れなかったヴィクトリアは昏倒して意識を失う。
「ルド、どういうつもりだ?」
これにはトンプソンもどういうわけかと敵意をルドに向ける。
「色々聞きたいこともあるだろうけど、今の俺はマリスに従わなくちゃならないんだ。だから一旦マリスに協力するという形でヴィクトリアさんは俺が預かっておく。俺を狙うなら敵同士だけど、わざわざ敵対したいわけでもない。ここから俺はマリスに敵対しない形で動くから、トンプソンもそのあたりを弁えて行動してくれるといいよ。一応これは脅しなんだけど、わかるよね?」
「ああ、理解した」
敵だと言っているのに、裏まで読んで信頼を預けてくるトンプソンにはルドも恐れ入ったという感じだ。
「理解が早くて助かるよ……。ダートも、これくらいなら俺の行動を許容してくれるよね?」
「いいだろう。ただし、現状で明らかな敵はマイアットおよびグレッグたちだ。ここでの協力が難しいのなら、カイネスに協力して奴らを妨害するくらいはやっておけ」
「はいはい。人使いが荒いんだから、ホント。じゃあ、あとは頑張ってね」
ルドはヴィクトリアを抱えて中心街から離れていく。
「まったく、上手くいかないものですね……」
ルドの消えた方向と逆方向からは、マイアットがゆっくりとこちらに戻ってきている。
「トンプソン、ここからはマイアットを倒すまで俺に協力しろ。長期的な戦闘は俺にとって難しい状況だから短期で攻める。協力を仰ぐ手前、前衛はこちらでやる」
「そういうことか。しかし、現時点で思考まで操られているわけではあるまいな?」
「それはない。普通の人間なら思考を奪われて終わりだけどな。俺はスキルで抵抗しているからまだ耐えられてはいるが、これもいつまで保つか。さて、奴も痺れを切らしている頃合いだな。安心しろ、お前を出し抜いたりはしないさ」
「いいだろう、協力してやる。ただし、マイアットを消すまでだ。マリスに与することはせん」
「それで構わん」
耐えず状況が移り変わる中、一人また一人とリベラの参加者は姿を消していく。
マリスもフェイヴァもその他も入り混じった、生き残るためになら敵でも利用するようなこの盤面。
そんな終盤に相応しい混沌が、そこかしこで渦巻いていた。
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