第20話 支配v.s.支配

ブゥンンンッ──。


レッケンドが角鋼を横に振るう。


ダートはマイアットから視線を外さないまま、レッケンドの懐に入り込むようにしてそれを回避。


直後、ダートの頭上を恐るべき勢いで通過する高質量物質。


そしてダートは大ぶりで隙だらけのレッケンドに触れながら命令を下す。


「マイアットを壊せ」


ガクン、とレッケンドの身体が揺れる。


するとレッケンドは目が虚なまま目標をマイアットに変更。


ダートを無視して彼女に向けて走り出した。


「言うことを聞かない人形ですね……」


今度は真上からマイアットを潰すべく角鋼を振り下ろしている。


マイアットはそれを見ても動揺を示さず、ごく小さな動きでレッケンドの攻撃をサイドに回避した。


彼女のそばの地面が衝撃波を残して大きく抉れるが、彼女を傷つけるには至らない。


攻撃を終えたレッケンドはそのまましばらく動きを止めると、再びダートに向き直った。


「鬱陶しいな……」


「一時的とはいえ、あなたの支配もなかなかのものですね、ダート……。ただ、この人形の支配権は常に私にありますし、人形風情が私を完全に御しきれることもないことくらい想像できませんか……?」


「それはそうだろうな.それも理解した上での調査だ。しばらく付き合ってくれれば、すぐにでもヴァンデットを元に戻してお前らなど一捻りだ」


「あらあら、未だにヴァンデットの死を受け入れられませんか……?あれはもうすでに私の人形に成り下がりましたので、その可能性は皆無だと断言しておきましょう……。あなたのそれも、続けたければどうぞ続けていてください……」


「ああ、遠慮なくそうさせてもらうさ」


ダートは視界の端で暴れるヴァンデットを横目に戦略を練る。


彼がここに辿り着いた時点でヴァンデットはすでに持ち味を失っていた。


ヴァンデットの本気を知っているダートから見れば現在のヴァンデットは木偶にも等しい壊れたオモチャのような動きだが、そこに秘められたパワーは健在であり、その一打一打は環境を破壊していく。


そんなヴァンデットを主に相手しているのはグレッグ。


グレッグはその身のこなしを生かして攻撃を回避しつつ、隙を見ては一撃を加えるような戦い方をしている。


そしてもう1人のエイベをアイゼン及びミラが対処している形だ。


彼らの中でアイゼンこそ負傷が少ないものの、グレッグは軽症でありミラは重症だ。


戦力の配分として理想的なのが、あの形なのだ。


それを見て、これは完全に裏切ったなとダートは思う。


ダートは彼らのことを元々仲間とも思っていないが、先程までのトンプソンを交えたやり取りでアイゼンが利を取った結果、彼らの中ではマリスは隠れ蓑としては不十分に成り下がったということだろう。


その上でヴァンデットの処理を選んだということだ。


現にイノセンシオは倒れており、ヴァンデットも尋常ならざる状態だ。


アイゼンが彼自身の願望を成就させるためにはトンプソンとヴィクトリアを残した状態で他の邪魔者を排除することが必須で、トンプソンを消した上でリベラに勝つとしても、最後に立っているべき人間の数は限られてくる。


アイゼンの理想では彼及びヴィクトリアの生存が最低条件であり、そこに加えられる人数は最大でも三人だ。


それならマリスに残ったままでも可能な話かもしれないが、ヴィクトリアの覚悟を見るとそれも難しいと判断したのだろう。


そして彼らは本来の力を発揮していないヴァンデットを見て、最も勝つ確率の高い選択肢を引いたのだ。


それに対してダートは未だヴァンデットの復活を信じている。


しかし、今のところその確証は得られていない。


だからこそダートは、ヴァンデットを人形たらしめた元凶を討つことで元に戻そうとしているわけだ。


それにしてもタイムリミットは存在する。


まずアイゼンたちがヴァンデットを完全に殺してしまった場合、ダートの願望は成就されず、リベラでの勝利は絶望的なものとなる。


グレッグが攻撃性全開のヴァンデット気質の人間ではないことが彼らの戦闘を長引かせているが、何か一つでもピースが噛み合えば、状況は容易に変化しうる。


そして次にマイアットのアビリティないしスキルが人間を文字通りの人形に変化させてしまうものの場合、不可逆なそれを戻す手段は存在しないに等しい。


たとえそんな手段を持ち合わせた人間がリベラにまだ生き残っていようとも、マリスに与するメリットはほとんどない。


こちらの場合はすでにリミットは過ぎてしまっているということになり、マイアットの相手をしていられる状況ではないのだ。


ダートが自身のスキルにより人形の支配権を一時的に強奪可能だということは判明したが、基本的にそれらはマイアットの支配下にあるため、支配権を上書きすることは難しいだろう。


となればマイアットを殺して人形を非支配状態に置く。


その上で支配権を書き換えて仕舞えば良い。


「お前自身、戦闘に不向きだからこそ人形を多用するんだろ?」


今度はレッケンドを半ば無視しつつマイアットに近づくダート。


「ええ、それは否定しませんよ……」


マイアットはそんなダートを撒こうと、走る速度を上げていく。


しかしそれでもダートは徐々に距離を詰めていく。


これによってレッケンドも同時に引き離すことができ、擬似的に一対一の状態を作り上げる。


ダートはマイアットへ詰めながら背後のレッケンドを確認する。


「お前の支配は人間の能力を完全に引き出せるものではないらしい。能力発動のリスクを考慮すると、『人間を操り人形にする』というのがお前の能力の限界だな」


「さて、どうでしょうか……?」


「それもじきに分かるだろう……なっ!」


ダートは自身へ向けてスキルを発動。


Governing統制』──それは自身と接触したものや繋がりのあるもの、一定視界内のものに対して言葉による制約を強いるスキル。


一瞬だけダートの身体能力が人間の限界を超えて解き放たれ、彼の踏み込んだ箇所の石畳が抉り飛んだ。


超常の速度でダートがマイアットの眼前に瞬時に移動し、その速度に乗せた最大の一撃で彼女を切りつける。


振り下ろされたのはダート十八番の毒ナイフ。


デイビスにこそ完封された毒攻撃だが、あのような能力がそうどこにでもいるわけがない。


特にマイアットはその能力を人形関連に特化していることが明らかで、これに対する防衛手段は持ち合わせていない。


これには驚きで目を見開くマイアット。


彼女が見せる数少ない感情表出の場面をダートはしっかりと確認し、彼は自身の攻撃の完遂を予測する。


しかしそんな危機に瀕してでも、マイアットの視線はそのナイフの軌道を捉えていた。


そして彼女は、頭部を確実に破壊する速度と威力のナイフのその腹を、両手のひらで受け止めた。


「なに!?」


それは白刃取りと呼ばれる防衛技術。


ダートもこれには驚きを隠せない。


先程までの彼の目には、攻撃に反応できていないマイアットの姿が映っていたからだ。


人間は突如訪れた恐怖に対して多くは硬直してしまうか、自身では予期せぬ動きを見せる傾向がある。


しかしマイアットに一切のはそれらがなく、ダートのナイフに対して顔を向けることもなくそれを受け止めたのだ。


その速度に反応できたことに加えてその威力を受け止められた技術とパワー、そして攻撃を止めただけでなく直後にはすぐにダートへ反撃を見せようとしている彼女の動きにダートは恐怖した。


「ちぃっ!」


ダートはすぐさまナイフを手放し、ナイフを振り下ろした力を殺さないように空中で前転。


そこから高威力の踵下ろしをお見舞いする。


その踵からは、仕込んでいた刃が顔を見せている。


しかしこれも空を切る結末となる。


マイアットは白刃どりの直後ダートに攻撃を加えようとしていたが、彼の次弾を見て考えを改めた。


そこから彼の脚長を一瞬で把握すると、彼の攻撃より早く一歩だけ後退したのだ。


それはギリギリマイアットの鼻先を掠め地面に突き刺さる。


ここまで大振りなら、たとえ速度が高かろうと攻撃直後のダートを捕らえることなど容易い。


「さようなら、ダート……」


そのままマイアットは両手で包み込むようにしてダートの頭部を両側から固定し、スキルを発動する。


「は……な……ァ……」


何かを言おうとしていたダートだったが、その途中で全身から力を失い、ガクンと項垂れて動きを鎮静化させた。


マイアットはそっと手を離すと、もうそこには今までのダートの姿はない。


Puppeteer人形使い』──触れた生物を傀儡と化し操るマイアットのスキル。


加えて、その生物の肉体を傀儡人形に変質させることも可能。


「あなたがいくら優秀であろうと、私の支配からは逃れられません……。あとは私がきっちりと使い潰して差し上げますから、無駄に死ぬよりも有益な人生だと思いますよ……」


先程までの戦闘は彼女にとってもはや興味がなく、今や目の前の人形が愛おしくさえ見えているのだ。


そんなダート人形に優しく愛でるように話しかけるマイアット。


「あなたはヴァンデット同様、素晴らしい人形になってくれそうです……。これでフェイヴァの勝利も──」


突如、彼女の視線が何も無い空中を見つめていた。


両足はしっかりと地面を捉えているが、見える視界がおかしくなっている。


「……?」


理解が追いつかない彼女に、顔面及び頸部の痛みが現実を理解させようと主張し始める。


「やはり、人間ではないな」


耳に届くダートの声に、マイアットは完全に状況を理解。


「不思議なことも──」


マイアットは、へし折れて本来あるべき場所から大きくずれた頭部を両手で掴むと、


「──あるのですね……」


バキバキと音を鳴らし、頭部をもと居た場所に戻していく。


マイアットはそのまま数回首を左右に捻ると、何事もなかったようにダートに向き直った。


「これは俺の身体だ。お前が俺以上に俺の身体を支配できるわけがないだろ?」


「……」


「ある種の賭けだったが、これでお前の能力の全貌を把握できた。おっと、お前は邪魔だな……」


律儀に命令を遂行しようと接近を続けていたレッケンドが、ようやくダートに追いついてきたようだ。


ダートは再び自身にスキルを発動すると、単調な動きのレッケンドに一瞬で詰め寄る。


そして真下からレッケンドを蹴り上げた。


今度こそダートの攻撃はレッケンドに命中し、そのまま宙に放り上げられる。


それでもうめく事もなく動きを見せようとているレッケンドのそれは実に人形らしいが、そんなことはお構い無しにダートはナイフを振り抜いた。


シュバッ、とレッケンドの首のあたりを刃が通り抜ける。


ダートはそれだけを行うと、ゆっくりとマイアットに向けて歩き出した。


彼の背後では2つのパーツに分かれたレッケンドが地面に墜落し、無様な最後を遂げた。


はずだった。


しかし首を失った胴体は頭部を探すように地面を這っている。


ダートはそれを横目に確認して動きを止めた。


その視線の先では未だに胴体が動きを見せているが、それが頭部にたどり着くことはなく、程なくして動きを止めた。


「なるほどな」


それを見届けると、再びマイアットに向き直る。


「ひどいことをしますね……」


「面白いことを言うじゃないか。お前の首をへし折ったことか?それとも、あいつを殺したことか?」


「どちらかといえば後者ですね……。せっかく彼を私だけの人形に転生させてあげたというのに、あなたは一瞬でも人形になって喜びを感じられなかったのですか……?」


「他人に自分の身体を自由にされるっていうのは気持ちが悪いだけだ。それを俺が言えた義理じゃないがな。さて、そろそろ俺たちの戦いも終局のようだな。何か言い残したいことはあるか?」


誰が見てもダートが勝ち誇っているようにしか見えないが、実はそうではない。


実際マイアットの能力を確認できたことに対する収穫は喜ばしいが、遠くで傍観を続けるトンプソンに対する警戒は怠っておらず、こういう勝ち盤面の状況にこそイレギュラーは起こりやすいので気は抜けないのだ。


トンプソンの存在はダートがマイアットとやり合っている最中から把握はできていた。


どうやらトンプソンは漁夫の利を狙っているようで動きを見せておらず、ダートはそれをもって現状がまだ油断ならない状況だと理解している。


トンプソンにとってダートのこの状況は、介入すべき段階ではないということを示しているからだ。


「先程あなたは私の能力を把握したとおっしゃいましたが、私もあなたに触れてあなたの能力を理解しましたよ……。あいにくと人形とまではできませんでしたが、それでも十分な収穫があったのですよ……。たとえば、これ……」


マイアットがダートの腕を指さすと、それはダートの意思に反してナイフを握り、そのまま太ももに突き刺した。


「どういう、ことだ!ぐっ……!」


ダートは刺さったナイフを急いで引き抜くと、半ば傾いた姿勢で立位を維持する。


「あなたは私を理解しようと努めたのかもしれませんが、気を緩めたのがあなたの敗因です……。一瞬でも私の能力を受け入れようと考えた……いえ、考えてしまったのなら、それは人形になることを肯定する行為なのですよ……。あなたの能力は正直に言って私を脅かすものでしたが、本当に私に対抗するのであればその考えを持つべきではなかったですね……」


「なんだその力は!リスクもなくその力は道理に反しているぞ!」


「もちろんリスクは存在しますよ……?私は人間を人形に変え続けなければ──この力を放出し続けなければ私自身が人形になってしまいます……」


「それの何がリスクだというんだ……?」


「このまま私が人形として完成されてしまった場合、それは朽ちることがなく、あらゆる手段をもってしても滅ぶことのない存在に成り果ててしまうことが分かっています……。そしてそうなった場合、私は身動きすらできず死ぬことすらできない状態で永遠を彷徨うことになってしまうのですよ……。これが私に課せられたリスクです、お分かりいただけましたか……?」


「そんなもの、無限に人間が投下される貧民街では際限のない話だ。お前もそれを楽しんでやっているんだろ?到底それをリスクとは言えんな……!」


「どう理解されようとも構いませんよ……。ただあなたが私に触れられてしまった以上、ここからはあなたの中で私とあなたのせめぎ合いが続きます……。あとは人形にならないように、あなたのスキルであなた自身を必死に律しながら行動されると良いかと……。そのような状態でまともに私と戦えるとも思いませんが……」


「だったら……!」


そうなる前にマイアットを倒して仕舞えば良いだけのこと。


ここからダートは全身に指令を下し続けながら戦い続けなければならない。


しかしスキルの発動にも限界はある。


自身の身体に無理を強いるというスキルの都合上、どうしてもスキルの効果を受けた部分の酷使は免れない。


現に先程の2回の発動で両足にガタがきている上に、ナイフで負傷もしているのだ。


これでさらにダートのリミットが縮まった。


それでもダートはスキルを多用して戦わなければならない。


すでに劣勢なのは理解しているが、ヴァンデットのためにも負けるわけにはいかないのだ。



            ▽



「トンプソン様……」


しばらく動きを見せないトンプソンに、ヴィクトリアは不安を禁じ得ない。


彼が状況を把握することに努めているのは彼女にも分かるが、どうしても何かしなければならないという気がしてソワソワしているのだ。


「落ち着かれよ。まだその時ではないのだ。だがいずれ、確実にその時はやってくる。そこまでは正確に戦況を読みつつ我慢するのだ」


「はい……」


2人の視界の中では2つの戦場が動いている。


片方はダートが関わっている側。


「ダートの方は少し状況が変わったようだ。彼も我々の監視には気づいているし、下手な介入は状況を悪化させかねんな」


「一対一に持ち込めたようですが……?」


「側からみればダート有利にも見えなくもないが、おそらくは逆だ。彼は一度マイアットに触れられている。彼の動きには違和感が生じ始めているから……っと、言ったそばから自傷したぞ」


「なんと……」


もう片方はヴァンデット殺害を目指すアイゼン側。


「とはいえ、あそこはお互いに削り合っているから傍観だな。グレッグの方は攻めあぐねている様子から早期決着はないだそうが、いかんせんアイゼンの方も遅々としているな。デイビスが彼らに──特にミラに対してやり過ぎたことが原因だな。さて、戦況を読み切れないがどうするか……」


「デイビスさん達を待たれては?」


「マイアットが生きている以上、彼らがここに辿り着いた時点で我々とは敵同士だ。だからこそ、彼らをあそこで遠ざけたという意味合いもある」


「そうだったのですね。ところで、ここにいない方々が今後の戦況に関わってこないということはあるのですか?」


「うむ、私もそこが解せないのだ。恐らくマリス陣営もフェイヴァ陣営も主力以外は上からの指示で動いているはずだ。それがここの戦いに不要だからなのか意図があってなのかは不明だな。現在のここの状況を鑑みると、多勢で攻め立てた方が有利な気がするのだがな」


「アルメニア協会からの示達を受けて、必死になっているのはフェイヴァ側だと推察します。一般陣営も同様で、それらに対してマリスは統率の面では遥かに有利。であれば優位を維持するためにマリスが攻めて来ることも考えられますし、劣位を挽回するためにフェイヴァが集まってくることも考えられますね。ですが、今のところそのどちらもない。違和感がありますね……」


口元に手をあてがい神妙に考えるヴィクトリアを見てトンプソンは内心笑みをこぼす。


「状況判断は的確だな。デイビスたちがその辺りはうまくやってくれているだろうから、そろそろ我々も動きを決めるべきか」


「狙うならマイアットから、ですよね……?」


「ほう、その根拠は?」


トンプソンは感心したようにヴィクトリアの次を促す。


「ダートの手の内は割れていますし、マイアットさえ潰せばデイビスさんたちは間違いなくこちら側です。私の夫らとの約束もありますが、そこに至る最大の障害は間違いなくマイアットです。先に厄介な方を処理しておく方が後々楽でしょう?」


ここに見えるヴィクトリアの表情は、貧民街到着当初の彼女のものではない。


そこには余裕すら垣間見える。


トンプソンという強者を侍らせていることによる増長とも取れそうな態度だが、人間は増長と挫折を繰り返して成長していく。


トンプソンにはそんな彼女の成長がただただ愛おしい。


人間とはこうあるべきなのだ。


トンプソンにとっては、彼女こそ至高。


世界に巣食う醜悪なゴミの如き人間を全員貧民街に落として這いつくばらせることも一興だが、それ以上に彼女のような人間が必死に生きていく様を見届けることもトンプソンの楽しみなのだ。


彼はドクターほど人間に対して負の感情を持ち合わせてはいない。


彼にとっては、平等な世界が構築されさえすればそれで良いのだ。


だから彼女のそれが間違いであったとしても、トンプソンは責め立てる気はさらさらない。


「よし、それでいこうか」


「よ、よろしいのですか!?」


自身の変化を実感していないヴィクトリアにとっては何気なく発した意見だったのだが、存外的を射ているとトンプソンは感じる。


ここまでのトンプソンは慎重になりすぎていた節もある。


慎重になりすぎることによって思考を鈍らせていたモヤがヴィクトリアの意見で晴れた。


「いつかは決めなければならないことだったからな。いずれにせよどんな選択をしても失敗は付き纏う。大事なのは失敗を恐れて何もせず傍観するのではなく、失敗をしても乗り越えていくという覚悟を持つことだ。だから私はヴィクトリア殿の考えを支持する」


「そ、そんな……私なんかの意見でトンプソン様を危険に晒すのは……」


「そう思うのなら、『Future visi未来視on』で私を守ってくれ。ヴィクトリア殿が後ろから支えてくれていると思うと、私も安心して戦える」


「トンプソン様……」


ヴィクトリアは今までの人生でここまで認めてもらったという経験はない。


ここまで信頼を預けてくれるトンプソンに、彼女の淡い恋心は濃厚なそれへと変化した。


この方に尽くしたい。


その感情だけがヴィクトリアの中に溢出する。


「さて……」


そのような感情で少し呆けていたヴィクトリアは、トンプソンの言葉で現実に引き戻される。


「やってくれるかね?」


ここまでしっかりと目を見つめられて言われては、頷く他ないだろう。


だからこそはっきりと、


「はい!」


そう答えた。



            ▽



全身を酷使して戦うダートの視界に、厄介な存在が映った。


「チッ……」


ダートはそれが自身に降りかかる厄災だと理解して舌打ちをこぼす。


現在彼の身体は攻撃を行うたびに損耗し続けている。


早急にマイアットを殺害しなければならないという焦りと、どこまで身体が保つかわからないという不安が、彼の攻撃を荒くする。


言って仕舞えば、今のダートは常に全力で振りかぶるだけのパワータイプだ。


当たれば大きいが、その分反動も甚大なものだ。


ここまで攻撃を続けていてダートに分かったのは、マイアットの反応速度は人間のそれを遥かに凌駕しているということだ。


そしてその身体能力も同様だ。


壊しても壊れないマイアットの肉体──いや、壊しきれない肉体はダートの理解を超えている。


荒さの目立つダートの攻撃だが、その全てが無効に終わっているというわけではない。


時折命中するダートによる強力な攻撃による損害は、再生こそされるものの一定の効果をあげているようだ。


その効果自体ダートには予想がつかないが、マイアットは攻撃を受け続けることを嫌がる素振りを見せている。


もちろんそれが彼女の表情に現れているわけではないから確証は持てないものの、ダートの直感がそれを示している。


このまま押せばいけるかもしれない。


そう考えた折の、トンプソンの登場だ。


「奴め、実に嫌な場面で……」


「ダート!」


そんな厄介極まりない存在から届く声。


だが、どうやらそこにはダートを害する意思が孕まれているように感じられない。


「……!?」


ダートの思考が一瞬停止する。


どんな意図があるのかダートが全く理解できないでいると、そこにトンプソンによる文言が続く。


「替われ。そいつは我々が叩き潰す」


「な、に……?」


ダートにとっては、このような状況で何を言い出すのだという感覚だ。


「マイアットの情報を寄越せ。そうすればこいつは私が片付けてやる」


「何を勝手な!」


「であれば、邪魔だけはするな」


予想とは裏腹にトンプソンは最後にそれだけ告げると、ダートの側を何もしないまま走り抜けた。


ダートの目には、そのまま勢いに乗せて拳をマイアットに叩き込まんとするトンプソンの姿が見える。


「お、おい!?そいつには絶対に触れられるな!」


もう動き出してしまったトンプソンと、一時的にとはいえ命を見逃された自身の状況を無理矢理に理解して、ダートは叫ぶ。


実に嫌な男だと、ダートは思う。


ダートの判断が最も鈍るタイミングで乱入してきて、主導権を奪い取ってくる。


しかし、こうなってしまっては仕方がない。


ダートは一旦攻撃に全振りしていたスキルの範囲を、身体の維持に割り振る。


少なくとも、ダートが延命できたのは事実だ。


トンプソンがどのような手段でマイアットを圧倒する気なのかは分からないが、彼はもうすでにマイアットに肉薄する距離にまで至っている。


彼がダートの助言を聞き入れたかは不明だ。


先程までトンプソンはダートの戦いを観察していた。


だからといって、あの距離でトンプソンがマイアットの能力を把握できているとは到底考えられない。


あれは直接その身に受けることでようやく理解できるシロモノだ。


「奴がこのまま無駄に散るとも思えないが……」


マイアットに有効打を与えられるとも思えない。


それがマイアットと戦って痛感したダートの印象だ。


ダートはチラッと背後を見る。


そこにはダートから一定の距離を取るような形でヴィクトリアが立ち止まっている。


彼女は現在のリベラにおいて確保しておいて損はない存在だ。


だがトンプソンにこの状況を作り出された手前、下手な行動は慎まなければならない。


マリスは貧民街では悪党だが、それでも遵守すべき規範は存在する。


「チッ……」


ダートは目の前にわかりやすいエサが転がっているのに動けないという状況を作り出したトンプソンに苛立つとともに、素直に感心する。


奴がここまで考えた上で動いているのなら、どうりで上ばかり取られるわけだと。


「さて、ここからは俺がお前たちを観察する。悪く思うなよ?」


トンプソンとマイアットの衝突を前に、ダートは不敵な笑みを浮かべるのだった。

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