第18話 不正の代償

「力の差は歴然ですね。そろそろ死んでくれると助かります」


今から引導を渡すというような表情で、全身に傷を抱えたイノセンシオがヴァンデットを見下ろしている。


それ以上に満身創痍のヴァンデットは、もはや原型が見る影も無くなった本営を背に息荒く座り込んでいる。


「ハァ……ハァ……!この程度で、勝った気になってるんじゃ、ねぇぞ……!」


イノセンシオとヴァンデットの戦いが始まり、すでに数時間が経過している。


強固な造りをしていたマリス本営こそギリギリ原型を残しているものの、中心街は爆心地の如く荒れ果てている。


中心街を取り囲む建物は悉く骨組みだけを残す様相で、ここを初見の者がいれば、これが人間の手で行われた惨事などとは到底信じられないだろう。


その間、マリスもフェイヴァも着実に戦力を減らしており、トンプソンたちのような弱小派閥も例外ではない。


「口だけでは何も解決しませんよ?まぁそれも、これで終わりです。あなたの醜い顔を見納めと思うと寂しい気もしますが、これも戦いですので諦めてください。ですが悪いようにはしません。リベラ後の貧民街は我々に任せて、安心してください。それでは──」


イノセンシオは拳に力を込め、それを大きく振り上げた時、


『アルメニア協会カラノ示達デアル。アルメニア協会カラノ示達デアル』


もはや聞き慣れた放送が響いた。


「──ちっ、しぶといですね」


一瞬イノセンシオが放送に耳を傾けた隙をついて、ヴァンデットは下段の回し蹴りを放った。


瓦礫が吹き飛ばされ、粗い砂埃が舞う。


だがそれではイノセンシオの視界を一時的に奪った程度で、対した意味はない。


依然ヴァンデットは傷も癒えず動きも鈍い。


変化があったのは、ヴァンデットが立ち上がったことくらいなものだ。


「これに何の意味が?」


「小虫が飛び回ってウザかったから振り払っただけだ。それにこのタイミングでの示達。何かあると思わねぇか?」


ヴァンデットはニヤリと嗤う。


まるで、これから何が起こるかを知っているかのように。


しかしイノセンシオはヴァンデットの表情の意味が分からないし、ただの虚仮威しにしか感じられない。


『リベラ参加者四半数未満ニ伴イ、儀ノ指定範囲縮小ヲ布達スルモノデアル。繰リ返ス、儀ノ指定範囲縮小ヲ布達スルモノデアル。コレヨリ半刻ノ後ニ実行サレル為、急ギ移動サレタシ。繰リ返ス、急ギ移動サレタシ』


「我々にはあまり関係の無さそうな話でしたね。これで延命のつもりですか?」


「まぁ聴いてろや」


『続イテ追加ノ示達デアル。現在儀ノ進行ニ於イテ、フェイヴァ派閥ニヨル不正ヲ確認中デアル』


「なに!?」


驚きのままヴァンデットに睨みを向けるイノセンシオ。


相変わらずヴァンデットはニヤニヤと嗤っている。


『不正ニ抵触スル事項ハ、肉体ノ喪失ヲ伴ワナイ状態デノ儀ヘノ参加、コノ点デアル。従ッテ、不正参加者全テニ不正対策ヲ実行スル』


「これ、は……!」

「はッ!笑えてくんなァ!」


『現在儀ノ指定範囲内デ生存中ノ不正参加者ハ、使用中ノ義体ヲ実際ノ肉体ヘ置換。既ニ儀ノ指定範囲ヘ退避済ミノ者ハ、肉体及ビ魂ヲ破壊。コレハ示達事項ノ公布ガ終了次第実行サレル。コレヲ最後ニ、今後示達ハ行ワレナイ予定デアル。最後マデ足掻キ、生キ延ビヨ……以上デアル』


示達が終わると同時に、リベラ指定範囲内のあちこちが阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。


人形として参加していたフェイヴァ兵は、肉体の喪失などハナから想定していなかったのだ。


それが、このタイミング──フェイヴァが勝利に近づいていると彼らがほぼ確信している時点での突然の告示。


彼らは自身の肉体の出現に驚き、死がすぐそばにあるという現実に慌てふためき、何故こんなことになったのかと後悔し、そしてこの状況を作り出したアルメニア協会を恨んだ。


同じく指定範囲外でフェイヴァの勝利を今か今かと待ち望んでいたリベラ脱退者は、漏れなく死を定義づけられた。


肉体は謎の力で無惨に破壊され、貧民街の一部は死臭漂う悪夢の空間に変貌した。


これを見ていたリベラ不参加のフェイヴァ派閥の人間からも恨みが溢出する。


それらの恨みの矛先はすぐにフェイヴァという組織、ひいてはイノセンシオへ向けられることとなる。


イノセンシオの身体がズンと重くなる。


彼自身も、現在巻き起こっている現実を受け入れられずにいる。


「──小虫は子虫らしく死んでろや!」


気づけば目の前に迫るヴァンデットの拳。


声がイノセンシオの思考を現実へ引き戻す。


それをなんとか両腕をクロスさせて受けるも、派手に吹き飛んだ。


「!?」


今までにない痛みに、驚きでイノセンシオは思考が麻痺する。


「どうした?まさかテメェ……!」


ヴァンデットの顔に狂気の笑顔が浮かぶ。


そして一気にイノセンシオに詰める。


そこから繰り出されるのは単純な拳の応酬。


乱打に次ぐ乱打。


痛む身体も無視して、ヴァンデットは拳を振り乱す。


イノセンシオは防戦一方になり、次第に彼の白い装束を占める赤色の範囲が拡大していく。


今までのイノセンシオ優位の状況はどこへやら、攻守が逆転している。


「なぁ、弱っちくなってんじゃねぇのかァ!?」


ヴァンデットも血液を吹き散らしているが、このまま続けばイノセンシオも同じ状態になりかねない。


「くっ……!」


それでもイノセンシオはなんとか反撃を入れつつ状況の改善を計る。


徐々に攻防のバランスが取れ始めた。


状況は変化しているが、急にヴァンデットが強くなったわけではない。


イノセンシオが弱くなったのだ。


今までのイノセンシオ優位が失われ、その差分がダメージとして彼に降り注いでいる。


それはフェイヴァ全体でのイノセンシオへの信仰心が失われつつあることが原因だ。


Originator開祖


自身への信仰心の大きさに比例して、使用者の全能力が引き上げられる。


イノセンシオはこのスキルの効果が薄れていることを即座に理解した。


イノセンシオの力が下降し続けているのは確実。


どこまで下降するか不明だが、これが長引けば、状況は五分五分にまで持っていかれる。


いや、それ以上もあり得る。


ヴァンデット優位になった場合、敗北する可能性まで生まれてしまうことになる。


イノセンシオは自身の慢心を悔いた。


準備に時間を掛ける時間をもっと短くしていれば。


あそこで示達を無視して攻撃していれば。


様々な後悔の念が押し寄せるが、それを今更嘆いても仕方がない。


考えている時間さえ惜しいことイノセンシオは、防御を捨てて攻撃に転じる。


「余裕が消えたなあ!急がないとならねぇ状況だって思考が透けてるぞ」


タイムリミットが生まれてしまったことから生まれた焦り。


ヴァンデットはそれを即座に看破した。


更にイノセンシオに後悔が募る。


優位な状況でイノセンシオは忘れてしまっていたのだ。


ヴァンデットはただの獣ではなく、理性的な獣だということを。


イノセンシオが攻撃を続ける。


対してヴァンデットは防御と回避を優先して動いた。


焦りは攻撃と思考の荒さを生むが、余裕はそれらに冷静さを加えてくれる。


だからといってヴァンデットが余裕で勝利できるというわけではない。


余裕はどちらにも傾く不安定な要素。


それをいかに扱えるかが勝敗を握ることとなる。


イノセンシオは優位な状況をどれだけ活用し続けられるか。


信仰心がどこまで低下するかは運だ。


運の要素を抜きにしても勝ち切れる状況を作る必要がある。


ヴァンデットはどれだけ状況に対応し続けられるか。


決着の時は近い。



            ▽



「この手の術式は待機時間が長いほど、その恩恵は大きい。ヴィクトリア殿には可能な限り長生きしてもらい、最終的に術式を吸い上げる。不老不死とはいかずとも、現段階でも寿命の延伸くらいの効果はあると思われるな。なにせ、500年も続けているのだから。伸びた寿命の間に更なる宿主を探し、これを繰り返していけばいずれは不老不死の成就も可能な話だな。しかしそこまでして望むようなものかね?私には全く理解のできない話だな」


「不老不死の成就。こればかりはワシを非難する者はいない。

過程がどうであれ、不老不死が完成するのであれば礎となる者どもも理解してくれる。なにせ、全人類の夢なのだからな。そして最終的には恩恵が犠牲を上回ることになるのだ」


さも当然のようにアイゼンはそう言い放った。


「人類の、などという詭弁はもう聞き飽きたよ。君たち権力者が利権を手放すことなどありえん」


「いや、独占などはしない。ワシはそれを全国民へ分配し、国力を上げていく。

強固な国が完成すれば、未来は明るいに決まっている。これを否定できる論など存在しない」


「確かに明るいだろうな。だがそれは君の周囲だけだ。その過程で永遠の命を得た国民は、永遠の労働を強いられるだろう。結局は今より酷い未来しか待っておらぬよ」


「しかし貴様は先程からありきたりな正論を並べてるばかりで、話にならんな。

ワシは信念を持って全てのことを行なっている。貴様ごとき一介の人間風情に理解できることではない。理解できないのをいいことに言いたい放題なのは分かるが、そろそろいい加減に黙ってくれないか?」


「命を踏みにじる信念とは恐れ入るな。君こそ不老不死の先に何が待っているのかも知らないで、よくもまぁそんなにも口が回るものだ」


「貴様、一体何が気に入らない?」


「全人類が不老不死の世界、それも悪くはないだろう。その帰結は、私の同胞が渇望する世界につながっているのだからな。しかし私の望むべきは、そんな世界ではないのだよ。私なら、君よりも平等な世界を作ってやれる。それこそ人が死なない世界だ」


「ここにきて実現するはずのない妄想の話か?妄想なら勘弁してくれ。それよりも実現可能な世界はすでにワシの手中にある。今ここでヴィクトリアを渡せば、貴様も貧民街から脱出させてやろう。そして不老不死の恩恵も与えてやれるぞ?どうだ、悪い話ではないだろう?」


「トンプソン、返答如何では俺っちはあんたを切るぞ?」


「あんなものに乗るわけがなかろう。それこそヴィクトリア殿が許可するはずもない」


「それもそうだな。あんたはどうするんだ、ヴィクトリア?」


「その前にお聞きしたいのですが、トンプソン様の望む世界とはどういうものですか?」


「以前少し話しただろう?私の望みは、貧民街を地上へ顕現させることだ」


「貴様、気が触れたか!?」


「私はいつだって正常だよ。貧民街──ここは誰しも平等に冷遇される世界だ。

私は幾度となくこの世界へ潜り込み、ここの成り立ちから構造を調べ尽くした。そして今回のアルメニア協会からの介入もあり、疑問は確信へと至った。あとは二つの世界を融合させる魔法を開発・実行するだけだ」


「妄言を……」


「ということだからアイゼン、私の世界が完成した暁には君も貧民街の住人だ。その中で醜く足掻き、そして地位を勝ち取るがいい。そうすれば君は本当の意味で為政者になれる。王さえも苦難を強いられるこの世界なら、私も満足して君の生き様を見届けてやれるだろう」


「何を、言っておる……!貴様のそれは実現不可能な妄想だ!すでに完成の近い不老不死と、貴様の世界云々の話。比べるまでもない話だ。そのような妄想にワシのヴィクトリアを巻き込むな!」


「ワシの、だとよ。感情的になった人間は面白くていいな」


「トンプソン様のお考えは分かりました」


「ヴィクトリア、馬鹿な考えは持つなよ?その男の言葉に惑わされるな、現実を見ろ。支配階級の安定した生活が待っているのだぞ?」


「それは、私が死んだ後の話ですよね?たとえ生きていても、そのような世界に生き続けたいとは思いませんね。私は貧民街に来て、デイビスさん達のように辛い環境だろうと必死で生き続けている人間の姿を見ました。決して地上の人間全てが腐敗しているとは思いませんし、貧民街の劣悪な環境に苦しむ人間の姿を可哀想と思う感情もあります」


「どこまで精神を毒されれば……」


「毒されるなど……。単に、これまで私が見てきたものは余りにも少ない。それでも、強く生きる人間の姿ほど素晴らしいものはないと思います。あなたのような腐りきった人間がいない世界。トンプソン様の望むそんな世界を、私は支持します」


「後悔することになるぞ……?」


「今となっては、あなたの妻に選ばれたことが一番の後悔です。ですが、この世界を知ることができたことに関しては感謝しています。だから、最後まで必死に足掻いてリベラを生き抜いてください。それが確認できないのであれば、トンプソン様は私を即座に殺してください。そして私の身柄を確保しようとする動きがあった場合も、私を殺してください。加えて、最後まで私とトンプソン様の邪魔をしないという条件なのであれば、私は命を捨てません」


「トンプソン、貴様のやったことは決して許されん……」


「……あ、トンプソン様が途中で亡くなってしまった場合、私は命を捨てますので留意してください。その上でお互い生き残れたのなら、私の身はあなたかトンプソン様、どちらかに委ねましょう。そこで勝てるのが、本当の強者なのでしょうから」


「それは難しい相談だ、考え直せ!」


「であれば、私はここで殺されます。トンプソン様、以後彼らに少しでもおかしな動きがあれば遠慮なく術式ごと心臓を破壊してください。私は私を人質にあなたを脅迫しています。もはや死は恐れるものではなくなりました。私が死ねば、あなたの夢は潰えます。それはあなたのくだらない世界の成就が果たせないと言うことなのですから、とても喜ばしいことです。先程の提案は最大限の私からの譲歩ですよ?」


「ぐ……」


「では、次で最後にします。肯定以外の返答やそれに類する行動、または不穏な動きが察知されれば私は殺されます。トンプソン様は決してご遠慮なされませんよ。あなたが理性的な判断を下すことを望みます」


ヴィクトリアの真に迫る言葉に、アイゼンは不用意な発言ができなくなってしまった。


飲むにしては条件が厳しすぎる。


だが、首を縦に振る以外の選択肢はない。


「貧民街に染まっているようで何よりだ、ヴィクトリア!強かな女ってのは大好きだぜ」


嬉々として吠えるデイビス。


「無言を続けることも否定の行動として判断する。何かを期待するような時間稼ぎは意味を為さないぞ。さぁ、どうする?」


トンプソンも発言を促す。


「……!」


緊張感と焦りがアイゼンを苛んでいく。



            ▽



「ぐ……!」


イノセンシオの首をが絞まる。


片手で彼を持ち上げ、それを実行しているのはヴァンデットだ。


「ハァ……ハァ……残念だったな、イノセンシオ。あと一歩が、詰めきれなかったようで……ハァ……同情するぜ……!」


ダランと力を失ったイノセンシオの身体は、もうこれ以上動きそうにない。


信仰は失われてしまった。


彼を後押しする力は戻らなかった。


そしてこの状況を生んだ。


イノセンシオは負けたのだ。


目だけは戦意を失ってはいないが、それに追随する身体の活動は起こってこない。


だが彼以上に酷い様相を呈しているのはむしろヴァンデットだ。


衣類で素肌が隠れているイノセンシオと異なり、肌の露出が多いヴァンデットには擦り傷・切り傷では到底表現しようのない傷から、さまざまな打撲痕。


控えめに言って重症だ。


それでも彼が勝ちきれたのは、運によるものが大きい。


お互い残り少ない体力での戦いで、それを引き込めたのがヴァンデットだった。


「テメェとは長かったが、もう何も言わねぇよ……」


ヴァンデットは片手で支えきれなくなったのか、イノセンシオの首だけは締め付けたまま腕を下ろす。


そしてイノセンシオを地面に押しつけ、しっかりと彼の顔を見つめながら締める力を強める。


「ぁ……が……!」


イノセンシオの顔が鬱血により赤黒く変色していき、醜く見開かれ続ける眼球はヴァンデットを捕捉できなくなり、濁った上空だけを捉えるようになる。


網膜は次第に光を感受できなくなり、そして──


骨の砕ける嫌な音だけが鮮明にヴァンデットの耳に届いた。


ぐったりと動かなくなったイノセンシオ。


それは瞳孔を散大させ、物言わぬ肉塊へ変貌してしまっている。


これがフェイヴァの長の最期だった。


フェイヴァ兵も混乱の最中にその大半が命を落としており、脱落者の増加は加速の一途を辿っている。


リベラ不参加の信者が残っているとはいえ、信仰も信仰対象も失ったフェイヴァは崩壊したも同然だろう。


「ハァ……ハァ……」


ここにきてヴァンデットは漸く全身の力を抜くことができた。


そのまま天を仰ぐように地面に横たわる。


これが最後の仕事だと自分に言い聞かせるようにして動いていた肉体は、目的を完遂したことにより一気に脱力した。


それも無理はない。


ヴァンデットが相手取っていたのはイノセンシオ一人ではない。


イノセンシオの受けた数多の信仰も含めて相手にしていたのだ。


予めフェイヴァが不正の対象になるという情報を得ていたものの、少しでもタイミングがずれていれば死体として転がっていたのはヴァンデットの方だっただろう。


この戦いまでにルドを捕獲できていたことは僥倖だった。


彼の未来を見通すスキルがなければ、この状況は訪れなかった。


ヴァンデットは自分の運の良さを再確認すると、むくりと起き上がった。


思うように身体は動かないが、今もなお戦い続けている部下の手助けはできるだろう。


そう考えて上空から下ろした視線の先に、見知らぬ女が立っていた。


前髪で覆われた顔は、窺い知ることができない。


「テメェ、何モンだ……?」


緩みそうになっていた思考が、一気に緊張に引き戻される。


「私はマイアット=フォージェリー……。イノセンシオ……ああ、私の最高傑作……。私の人形は、本当によくやってくれました……」


「……?」


やや傾いたマイアットの頭。


意味もわからないまま、その傾く先に視線を移すヴァンデット。


その行き着く先は、先程まで熾烈な戦いを繰り返していた男の骸。


だが、その様相が違った。


そこに転がっていたのは、無惨に変形した人形だった。


散らばっていたはずの血の跡はなく、代わりに残ったのは粉々に砕けたであろう人形の破片だった。


「な……!?」


驚きでマイアットを見ると、相変わらず奇妙な頭部の傾きを残しながらそこに立ち尽くしている。


「不思議ですか……?あれは、イノセンシオは元々肉体を失っていたのですよ……。魂の移動の中で肉体をすり替えられたことにすら気づかない、愚かな男でした……。アルメニア協会からの対策が為されたとはいえ、置換される肉体のないイノセンシオに変化が訪れなかったことが功を奏しましたね……」


ぽつりぽつりと話すその様子に、不気味さを禁じ得ないヴァンデット。


そんなヴァンデットを無視して、マイアットは続ける。


「私の予想では、最後にそこに立っているのはイノセンシオだったはずですが……。まぁ、あそこまで瀕死に追い込めたのなら成功ですかね……。しかし魂をほとんど弄らなかったのが裏目に出ましたか……。やはり人間性というものは、人形にとって荷が勝ちすぎるということでしょうか……」


「さっきからブツブツと何を言ってやがる。とりあえずよ、テメェがフェイヴァの黒幕ってことでいいんだよな?」


「その認識で間違いありません……。私の作品を凌駕するとは恐れ入りましたよ、ヴァンデット……。ですが、ここで幕引きです……。死んでください……」


「おじさん、もらうね?」


マイアットの言葉の直後、耳元から聞こえた声にヴァンデットは震えた。


纏わりつく虫を払うが如く、ヴァンデットは腕を振り回した。


嫌な音を立てて、腕に接触した何かが吹き飛んだ。


それは何度かバウンドを繰り返し、地面を擦りながら停止する。


ヴァンデットが腕に触れた軽さを確認しつつ見たそれは、貧民街でもほとんど見ることのない子供だった。


当たりどころが悪かったのか、子供は完全に首がへし折れ動かなくなっている。


しかし、そこから異様な光景がヴァンデットの目に飛び込んできた。


折れた首をそのままに、子供が身をもたげ、そして立ち上がったのだ。


ゴキゴキゴキ──。


「一人死んじゃったじゃないか。おじさんも初対面で酷いことをするね」


子供は自分の手で頭を掴むと、何事もなかったかのように頭を整復してしまった。


「ヴァイス、しっかりやらないと駄目じゃないですか……」


「ごめんね、ママ。案外おじさんの魂の殻が固かったからさ。イノセンシオほど簡単にはいかないね。やっぱり人形にしてからの方がいいと思うよ」


「そうね……。では二人で始末することにしましょうか……」


ヴァンデットは会話から、二人の能力を推測する。


マイアットが人形を作り出すことができるのは確実で、ヴァイスは恐らく魂を操ることができる。


ヴァイスのような能力は寡聞にして聞いたことがないが、異常な環境で育ったのだろう。


それに子供の姿というのも異様だ。


どのような能力にせよ、効果が増すほどそれに伴うリスクも大きい。


ましてや魂に触れるという人智を超えた力。


そして死も超越している。


加えて、一人死んだ、という発言。


マイアットとヴァイス、どちらがやばいかと言えば明らかに後者だ。


子供という肉体が壊れやすいということは先程のやり取りで理解できた。


しかし、潰すにしてもヴァイスに接近するのは危険すぎる。


死を恐れない行動は、容易にヴァンデットの想像を超える。


かといって、能力の全容が不明なマイアットに近づくのも安全とはいえない。


それ以前に、ヴァンデットが満身創痍の状態ということもある。


万事休す、などというかわいらしい言葉では言い表せないこの状況。


ヴァンデットの頬を、冷や汗が伝った。

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