第12話 協定
ヴァンデットによる一般陣営襲撃から1週間。
リベラでの勢力図は大きく変化していた。
今や、マリス対その他というような構図で戦闘が続いている。
あれ以来、ヴァンデットは勢力的に狩りに興じていた。
基本的に供回りも持たず、見かけた敵を片っ端から処理している形だ。
変化しているのは勢力図だけではない。
貧民街の風景も様変わりしている。
それは、ヴァンデットが周囲の施設や建物も含めて攻撃対象としているためだ。
一般陣営はとある四人の働きによってヴァンデットにダメージを与えることに成功したものの、それだけだった。
むしろヴァンデットをやる気にさせてしまった。
加えて、拠点としていた東の地を破壊されてしまった。
マリスがそこを奪って使用するという選択肢もなかったわけではないが、ヴァンデットが安定より攻めを取った。
そのため、その考えは放棄された。
現在のマリスの方針は単純だ。
サーチ、アンド、デストロイ。
拠点を失って散り散りとなった一般陣営所属の人員に、もはや戦略などはない。
暴れ回る災害たるヴァンデットから逃げるだけで手一杯だ。
その上でマリスの構成員も襲い来る。
彼らは自身の陣営を中心に、ヴァンデットとは真反対で戦闘を行なっている。
それは単にヴァンデットに巻き込まれないためだ。
彼が意図的に自分の部下を攻撃はしないが、勝手に巻き込まれて死ぬことまで配慮がない。
それがわかっているためか、こういった配置でリベラを席巻している。
勝利を確実にしていくマリスと、一向に動きを見せないフェイヴァ。
そして翻弄され続ける一般陣営。
一部の者はフェイヴァの生存を確信し、一方情報を得ることのできないような者たちはすでにフェイヴァは崩壊していると考えている。
マリスがイノセンシオの骸を本営の頂点あたりに晒したことで、後者の考えに至る者が多いようだ。
ヴァンデットも実際にイノセンシオの遺体を確認したとはいえ、彼の考えではフェイヴァがほぼ完全な状態でどこかに隠れ潜んでいることが気がかりであり、破壊活動はフェイヴァの残党を炙り出す側面も多いようだ。
フェイヴァ消失から1週間が経過したが、未だにその成果は出ていない。
ヴァンデットはそこに憤りを感じつつも、それ以上に暴れ回ることのできる快感に悦を感じている。
そこに彼を苛むものがある。
自身の肉体を見ると、所々に変形した部位が。
そこに鈍い痛みが残り続けている。
それは先日攻撃を受けた時のもの。
魔法の使えない貧民街で、回復手段は少ない。
とはいえ、ヴァンデットの立場ともなれば特段入手に苦慮することはない。
もちろん彼も回復剤を使用した。
しかしあまり効果を感じられなかった。
むしろ痛みは日に日に増してきているように感じる。
「まったく、厄介な置き土産をしてくれたもんだ」
痛みは動きを制限するまでのものでもないが、無視できるほどのものでもなく常に頭から離れずにもいる。
ヴァンデットは痛みに舌打ちしつつ、周囲を見渡す。
破壊され尽くした空間に、生存者は皆無。
そこら中に転がっているのは、生命活動を停止した人間の成れの果てだけだ。
ヴァンデットはそれらを確認すると、すぐに興味を失くし次なる場所へ移動を開始した。
そんな彼の背中を見続けるものがあった。
それは彼が無視した数々の死体の中の一つ。
傍目には、瞳孔が開き切って生命兆候を失った人間。
殺した相手を一々確認していないヴァンデットは気が付かなかったが、それは戦闘の最中にこっそりとやってきていた。
長く殺し合いが行われていることもあり、一般陣営やマリス陣営、そしてそれらに属さない人間の死体が混ぜこぜになって転がっている。
それがヴァンデットの判断を狂わせた。
いや、注意深く確認していた者がいたとしても、転がっている死体が一つ増えたことになど気が付かないだろう。
この混沌の状況下、そして視界の悪い貧民街の環境はリベラ参加者にもれなく影響を及ぼしていた。
▽
「くそ!ヴァンデットがあんなバケモンだって知ってたら、リベラになんか参加しなかった!こんなの勝ち目がねぇじゃねぇか!」
息を荒くして走っているのはラスという名の一般陣営の一人。
今はマリスの構成員5人に追われている最中だ。
元々は6名でチームを組んでいた彼だったが、他の参加チームに比べて戦力に不安があったため一般陣営としてリベラに参加した。
今や、彼を誘った者も含め他のメンバーは全員命を落としてしまっている。
その内3名はヴァンデットの災禍に巻き込まれた。
そして残りの2名はリベラに殺されたのだ。
ヴァンデットの一般陣営襲撃によって、多くの者は命惜しさに一目散に逃げ出した。
逃げる先など考えず、ただ只管ヴァンデットから距離を取った。
そのままリベラからも逃げ出そうと考えたわけだ。
そんな者たちの頭に突如、キーンという耳鳴りのようなものが響いた。
それは走るほどに大きさを増し、痛みまで生じ始めたことから動きを止める者も多かった。
しかしそれでも動きを止めず一心不乱で逃げ出した者には相応の罰が下った。
ある境界を超えたあたりで、耳鳴りを無視した者の頭が爆発したのだ。
頭の中に小型の爆弾でも埋め込まれていたかのような爆発。
それにより首から上は広範囲に四散し、ブシュブシュと頸部血管から血液を吹きこぼす遺体と成り下がった。
それを見てさらに恐怖に彩られる一般陣営の面々。
これ以降、リベラから逃げ出そうと考える者は居なくなった。
「逃げたら死ぬなんて聞いてないぞ、どうなってるんだよ!?」
当然、不条理な現実に憤りを隠せない一般陣営。
しかし噴出する不満をぶつける先はない。
リベラ開催にあたってアルメニア協会から明確に提示されたのは、“生き残った5名を勝者とする“ということのみ。
参加条件なども付随して説明があったが、逃げ出したらどうなるのかという説明はなされていなかった。
そんな一般陣営とは対照的に、マリス陣営や個別にチームで参加している者たちは、特にこの事実に不満などは持ち合わせていない。
そもそも勝つことを確信して参加しているわけだし、説明がないのであればそれを考察する時間も十分にあった。
リベラは、告示があった時点から始まっていたのだ。
そこまで考えの至らなかった一人であるラスは、不条理を嘆きつつも、勝つことでしか生き残れないことに諦観していた。
それでもいざ命の危機を前にすると勝手に生存本能から足は動くわけで、半ばパニック状態の頭で必死に活路を見出していた。
「雑魚が逃げんじゃねぇよ!」
「ヒャッハー、どんどん距離が縮まってるぜ!」
背後から迫る煽り文句がさらにラスの恐怖心を煽る。
もはや背後を見る余裕もないため、なるべく攻撃を受けないようにと多く角を曲がることで命を引き伸ばしていた。
リベラ開始前ならつゆ知らず、リベラ開催中に捕まってしまっては終わりだ。
文字通りの、死。
それがラスの身に迫っている。
どれだけの時間逃げているかわからない。
リベラの定める境界域もはっきりしないし、貧民街で訪れたことのないような地域を逃げ回っていることもあり、ラスの判断力はほぼ限界に達していた。
行き止まりに捕まらずに今も生きているのは、単に運が良いというだけのことだ。
背後から追う刺客の攻撃が届くか、ラスの体力が尽きるか、それとも袋小路に追い詰められるか。
いずれにせよ死期はすぐそこまで迫っている。
そして程なくして、ラスは絶望した。
細い路地の先は、圧倒的な壁。
高くまで聳える壁は、今から死ぬラスを高みから見下ろして笑っているようだ。
ラスにはその路地が、魔物が大きく口を開けているように感じられた。
全身を流れる熱い汗が、一気に冷や汗に変わる。
激しく拍動する心臓。
ゆっくりと背後を見ると、大好物を目の前にしたようにラスを射抜く10個の目。
終わった。
そう思うほかなかった。
頼れる仲間もおらず、知らない地域で助けも呼べない。
大声を出しても、寄ってくるのは殺意だけだ。
「ひっ……ひっ……た、助けて、くれ……!」
喉の奥から、なんとか生を渇望する声を絞り出す。
全身はガクガクと震えている。
そんなラスの様子を見て、さらに興奮の色を強める5人。
「おいおい、お前を助けるメリットがどこにあるよ?」
「あ、きったね!こいつ漏らしてやがる!」
「さて、どんな悲鳴を上げてくれるのやら……?」
あとはどう料理するか。
それだけしか彼らの頭にはないのだろう。
品定めするような目が、ラスを実験体にされるモルモットのような気分にさせる。
そんな彼らに、遠くから誰かの悲鳴が聞こえた。
現在ラスとマリス兵たちは路地に入り込んでいる。
悲鳴の先は、路地を出て少し行ったところだろうか。
マリス兵たちは一瞬悲鳴の先に気を取られるが、すぐにラスに意識を戻した。
「この辺はどこのチームだっけか?」
「普段ここまで来ねぇしな……。こいつが無駄に動くから分かんねぇわ」
「誰か見てこいよ。俺がこいつを処理しとくからよ?」
「待てって、抜け駆けはダメだぞ。気になるならお前が見てこいよ」
彼らは何やら言い合っているが、ラスから目を離すことはない。
この隙をついて逃げ出そうと考えたラスだったが、予想以上に彼らが愚かではないことを呪った。
何があろうとラスが見逃されることはないということに視界さえ狭まってゆき、身体が生きることを放棄しているかのようだ。
「まぁいいや、まずはコイツからだ」
「合図に合わせてだぞ?フライングしたら当分殺害はなしだからな?」
「分かってるって」
刻一刻と迫るラスの最期。
ズガ──……ン!
「!?」
勢いよくラスに襲い掛かろうとしていた彼らの背後で、何かが激しくぶつかる音が響いた。
思わず全員がそちらに視線を向ける。
マリスの構成員らしき男が路地の入り口付近の壁に叩きつけられているのが見える。
壁の破壊具合から、勢いよく吹き飛ばされてきたのが予測される。
急な事態に、誰も動けずにいる。
吹き飛ばされてきた男も呻きを上げながら立ち上がろうとしているが、ダメージが多いのか中々それが出来ないでいる。
「お、おい……」
声をかけようとした瞬間。
ヒュン──。
新たに現れた何者かが、痛みに苦しんでいる男の首を掻っ捌いた。
珍入者は白髪の男──デイビス。
「ぐ、が……!」
男は首を押さえようと両手を持っていくが、首に至る前に頭部がズレた。
そのまま頭部は落下する。
一部切断しきれていなかった皮膚が紙一重で繋がり、頭部がダランと首からぶら下がった。
「お、お前何モンだ!」
獲物のラスを無視してマリス兵が叫ぶ。
そんな彼らの背後に音もなく着地した者がいた。
貧民街では見かけない、紳士服にシルクハットの男だ。
位置的にマリス兵の背後のため彼らからは見えておらず、それを目視しているのはラスのみ。
次々に訪れるあまりの事態にラスは頭がついていかない。
思わず声が漏れそうなところを、背後から口を覆われる。
「少しだけ、静かにしていただけますか?」
そう言いながら現れたのは、口元に人差し指を当て、静かにするようにジェスチャーをする女性。
一体何人現れるのかと、ラスは辟易とする。
シルクハットの男──トンプソンは着地姿勢から勢いよく駆け、数歩でマリス兵に至る。
同時にデイビスも攻撃を開始していた。
マリス兵がデイビスに対し身構えた時、打撃音が響く。
彼らの目に、仲間が背後から吹き飛ばされる姿がスローモーションのように映る。
飛んできた兵士を避けつつ、彼らに問答無用で斬撃を叩き込むデイビス。
「おっ!?」
「む」
デイビスとトンプソンの視線が交差した。
そのまま二人は刃で拳で各々マリス兵を二名ずつ片付けると、適度な距離を取った。
「また会ったな、トンプソン」
「まだ生きているとは思わなかったがな。そちらは一人か……それなら都合が良いな」
ジリジリと距離を詰めるトンプソン。
「おいおい、待ちなって!今俺っちを攻撃しても意味ないことくらい分かるだろ?」
デイビスはあくまで攻撃姿勢は取らず、トンプソンから離れるように後退している。
それを見て、一旦歩みを止めるトンプソン。
「分からんな。障害は早急に取り除くべきだろう?」
「それについては概ね賛成だが、今は駄目だ」
「何故かね?」
「それは……」
デイビスはチラッとトンプソンの背後の女性を見る。
戦闘を行うなら、まず叩くべきは弱い方だ。
顔は隠れているが、あの時のヴィクトリアに違いない。
「彼女を攻撃しても無駄だ。そんなことを私は許可しない」
デイビスは内心舌打ちする。
トンプソンを掻い潜ってヴィクトリアを攻撃することなど到底不可能なのは分かっている。
一見すればデイビスが袋小路に二人を追い詰めているような形にはなっているが、現状で単身で二人を相手取れるほどの準備はない。
逃げるには何かしらの隙を作る必要があるが、トンプソンの眼はデイビスの指先の細かな動きさえ見逃してくれそうにない。
『
デイビスはこれを使用して起こる未来を思い浮かべる。
しかし、あらゆる未来がデイビスの企みの失敗を示唆していた。
先日のグレッグやミラなどより、トンプソンは得体が知れない。
前回上手く行ったのは初見殺しに近いものがある。
そうとなれば、
「どうしたら俺っちを見逃してくれる?」
言葉でなんとかするしかない。
「ふむ、状況判断は的確だな。そうだな……こちらの満足のいく返答を聞くことができれば、今回は見逃すとしよう」
「情報を求めないのか?」
「実際に自分の目で見たものでなければ信用出来ない性質でな。必要であれば君の体に直接聞くことも不可能ではない」
やはりトンプソンは圧倒的強者だとデイビスは確信する。
「ああ、そうかい。それであんたの聞きたいことは何だ?」
「単純な疑問だ。君は先ほどマリスの兵士を狩っていただろう?何故かね?」
返答如何によっては、トンプソンはデイビスを攻撃するの違いない。
質問内容はごくごくシンプルなもの。
だからこそ、慎重に返答しなければならない。
トンプソンは単にデイビスの嗜好を聞きたいわけではないだろう。
人間を狩るのが楽しいから、という返答は無意味だ。
どういった意図で狩りを行っていたか、恐らくそういうことだ。
実際は狩が楽しいからと答えたいところだが、トンプソンの質問の本質はそこではない。
現在のリベラの成り行きを鑑みて、デイビスがどういった行動理念で行動しているか。
そして、それが如何にトンプソンのそれと合致するか。
トンプソンはデイビスを早急に処理すべき対象として見ている。
それは、それだけ高く評価しているという証拠。
敵対しなければ、一時的な協定は結ぶことができるはずだ。
目的を同じくしているのなら、なおさらそれは可能だろう。
リベラの現状を鑑みれば、デイビスは理に適った行動をしているはず。
それをそのまま伝える。
「今のリベラはマリス一強の状態だ。あんたがフェイヴァをどう評価しているか分からないが、今の状況はあまりにもバランスが悪い。バランス維持目的で俺っちは狩りをしている、ただそれだけだ。あんたが何を聞きたいのか知らないが、この返答に満足できないのなら俺っちも全力で抵抗させてもらうぜ」
デイビスはいつでも戦えるように、少し身を屈めるような体勢をとる。
「いいだろう、ここでの戦闘は無しだ」
トンプソンは構えを解いた。
どうやらトンプソンの想定に入ることができたようだ。
デイビスはホッと胸を撫で下ろす。
「その根拠を聞いてもいいか?」
「バランス、そうバランスが重要なのだよ。それが聞けただけで、ここで君と敵対する理由はない」
「そうかよ」
「ただ、前回のようにそちらから仕掛けて来れば話は別だがな。我々のような少数の陣営が生き残るには、どこかに戦力が偏るのは避けたいところだ。フェイヴァの残存兵力を鑑みても、まだ減らす必要がある」
「あんたは、どこまで考えてる?」
「この状況でこちらから情報を得ようとするとは流石だな。そうだな……」
このタイミングで、トンプソンは背後に目をやった。
そこには大人しく動きを止めているラスと、その隣にヴィクトリアがいる。
「お、おい、俺をどうするつもりだ……?」
怯えたようにラスが声を出した。
「君に用はないから、このまま行くといい」
「ほ、本当か!?」
「ああ、むしろここに残っていられては君を処理しなければならなくなる」
「そ、そうだよな!?じゃ、じゃあ俺は行くからな!とにかく命は助かった、礼を言う!」
そう言って走り抜けていくラスを横目で追うデイビス。
デイビスだけであれば、彼もそのまま処分していたところだ。
「いいのか?奴から情報を絞ることもできただろうに」
「構わんよ。それに彼の動向はそこそこ長い間追っていた。その中で彼が重要な情報を持っているということも考えられなかったから放逐したまでだ。運が良ければ生き残って我々に益をもたらしてくれるだろう。運が悪ければ、当然死ぬだけだ」
この1週間、トンプソンはいくつかのチームにあたりをつけて情報収集をしていた。
ラスもそのうちの一人であり、それをトンプソンは観察し、ここまで彼を追ってきていたわけだ。
「そうか。まぁ奴はあんたの獲物だ、これ以上何も言わないさ。それで、あんたの考えを聞いてもいいか?」
「いいだろう。だが、その前にひとまず協定を組まないかね?協定の中なら、問題なく私も君に話をすることができる」
「その協定の期間は?」
「それを答える前に、マリスとフェイヴァが今後の貧民街に必要かどうかを君に尋ねようか」
「あんたは勝ち残るつもりなんだな……ってそりゃまぁ当然か。生き残る前提で言うならば、マリスはとにかく邪魔だな。フェイヴァは、まぁ、宗教的立ち位置で信徒を集めているわけだし、そこまで不要とも思えないな」
デイビスは一瞬フェイヴァに対する回答を言い淀んだ。
それはリベラの終盤を思い浮かべていたからだ。
トンプソンがフェイヴァとマリスの完全消滅までを協定の条件としていた場合、土壇場でフェイヴァとトンプソンのどちらを取るか分からない。
もちろん現在はフェイヴァに協力という立場だ。
だがマイアットの接触以来、フェイヴァに与するような働きはヴァンデットをおちょくる以外特に行っていない。
バランスを考えてマリスの構成員を狩ってはいるが、フェイヴァが戻ってきた時に果たして彼らの完全勝利の手助けをしているのかどうか。
未だにフェイヴァを信用しきれずにいるのも事実。
ただ、完全にフェイヴァを裏切れるかといえば、それもできない。
すでに『
いや、すでにマリスの数を減らしているから十分働いたのか?
デイビスにはイマイチよく分からない。
さて、どうするか。
コウモリってのも中々生きづらいものがある。
デイビスはさらに熟考する。
命の掛かった極限の状態で選択を迫られた時、自分はどういった行動に出るのか。
下手な小細工はトンプソンには通用しないだろう。
信用を勝ち取って闇討ちするか?
いや、今からトンプソンに取り入るのは難しいか。
かといって、マイアットもトンプソン同様に得体が知れない。
悩むということは、それだけ判断材料に欠けているということだ。
圧倒的に情報が足りない。
開始してそこそこの時間が経過しているが、この現状だ。
情報の得やすさからいえば、フェイヴァよりはトンプソンだろう。
マイアットの誘いを安請け合いしすぎたな。
今更少し後悔する。
デイビスの想定では、最終的に勝ち残っているのはマリスではなくフェイヴァ。
今も姿を見せず戦力を温存しているのは、絶対的な勝利が得られる条件を整え続けているからだろう。
イノセンシオの死がどこまでフェイヴァに影響しているかは不明だが、それでも勝つ用意があるとマイアットは言っていた。
ヴァンデットがワントップのマリスと、トップ失っても活動できるフェイヴァ。
デイビスの中で勝率が高そうなのは、今考えても後者だ。
デイビスがフェイヴァ側だということを言うべきか?
そもそも、トンプソンはデイビスの情報をどれだけ抱えているのか。
「どうした、考え事かね?君たちが立場を気にするのであれば、先程の君の発言を考慮して協定の期間はマリスの壊滅、ないしはヴァンデットの死亡までで良い」
「……あんたはそれで良いのか?」
怪訝な顔をするデイビス。
「マリスも完全に不要なわけではないが、長い間貧民街において彼らはやり過ぎた。彼らを必要悪として認識している者も多いが、必要悪とは首輪がついて管理された悪のことだ。そういう意味では彼らは野生の獣であり、駆除対象に違いない。マリスに対する感情は、君と私で然程変わらんよ。だからこそ、協定の期間は先程言ったところまでで良い」
「それなら了解だ。付け加える条件はあるか?」
「私たちの邪魔さえしなければ、特に言うことはない。協定期間を終えても協力が必要なら言ってくると良い」
「……?まぁ、あんたの考えも聞けたし俺っちも満足だ。そんなあんたに、一つだけ情報を残しておく。現在フェイヴァを動かしているのはマイアットという女だ。俺っちがそっち側だってのはすでにバレてそうだからな」
「マイアット?それは……マイアット=フォージェリーという女かね?」
「なんだ知ってたのか。そうだ、俺っちもよくは知らねぇが不気味な女だ。知り合いか?」
「私も知っているのは名前だけだ」
「そうか、何かわかったことがあれば教えてくれると助かる。じゃあな、そこのあんたも長生きしなよ」
デイビスはヴィクトリアにも声をかけた後、どこへ知れず走り去って行った。
完全に彼が居なくなったことを確認して、ヴィクトリアはトンプソンの側に立つ。
「協定はあのような条件でよろしかったのですか?」
「ああ、ひとまず邪魔をしないという言質さえ取れたのでな。それにしても、マイアットか」
「お名前だけ知っているというお話でしたが……?」
「実際に面識はない。だが、その名の女は後にも先にも一人だけだ。まさか貧民街に堕ちているとはな……」
遠い目で上空を眺めるトンプソンに、ヴィクトリアはそれ以上声をかけることが出来なかった。
果たしてマイアットという女性との間に何かあったのだろうか。
リベラの行く末以上に、ヴィクトリアはトンプソンの過去に興味が湧いてしまっていた。
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