第4話 プレート

「甘く……ない?」


「ここは死などで簡単に苦しみから逃れられる世界ではないのだよ。空腹になっても、怪我を負っても、その者に死は訪れない。死ねず、ただひたすらに飢餓や痛みに苛まれ続けるというのが、通りで見た人間の末路なのだ」


「そんな……」


「一方で、この世界においても贅の限りを尽くす人間がいることも確かだ。それでもごく一部の者だけだし、多くの者はギリギリの生活を送っている」


「それは、なんとかならないのですか?」


「ここに来たのは彼らの意志によるもの。それらを否定するのはいかがなものかな。そもそもここでは助け合いなどというものは意味を為さない。そんなに不憫に思うのなら、食料でも買って配れば良かろう。果たして、どれだけの人間がその恩恵にあずかれるのやら」


「……」


「まぁ無理であろうな。死ねないのだから、人間は増えていく一方だ。それは同時に、失業する人間の数の増加も意味している。全ての人間が等しく仕事を得て稼げるわけではないからな。均衡という意味では、ここは等しく人間が冷遇される世界なのだ」


「それは、あんまりです……」


「こればかりはどうにもならん。しかし平等という点では、誰にでも成功の可能性が与えられているというのも事実。頭を使えば困難なことでもないしな。ただ残念なのは、ここに来る人間はその使える頭がないことだろうな。ここに来てしまうのだから、それも無理からぬことかもしれん。再度言うが、他人を助けようなどと考えなさるな。ここでは助け合いなど意味を為さない。良いように利用されて終わりだ。仲良しこよしが通用するほど甘い世界ではないのだよ」


「そうですか……。納得はできそうにはありませんが」


「ただそういった、助け合いの精神を持った人間がいないわけでもない。しかし、その全てが数日のうちに心を変える。ひとたび足を踏み外せば地獄が待っているという現実は、人の心に余裕をなくすのだ。そしてここにいる限り、我々も例外ではない。生きるためにはディジットを稼がねばならんのだから」


「ディジットとは?」


「腕に刻まれた数字があろう。それがここでの通貨だ。労働によって増加し、消費によって減少する。初めてやってきた者は等しくディジット下限が50だ。貧民街で取引されるあらゆる物資はモノと呼ばれ、食料、衣類、医療品、技能など何から何までディジットさえあれば買うことができる」


「技能も買えるのですか?」


「貧民街で生き残るには技能──アビリティと呼ばれるものこそ全て。一部の魔法を除いて、ここでは魔法が使えないのだからな」


「道理で先ほど魔法が使えなかったのですね。しかし魔法の使えない世界など聞いたことが……」


「実際にそのような世界が存在しているのだから、いちいち驚いても仕方なかろう。だが魔法の使えない貧民街で、唯一使える魔法がある。それがアビリティプレートを出し入れする魔法。起動句も何も必要ない。ただピックと言えばプレートが現れ、リーブで消すことができる。ものは試しだ、やってみるが良い」


「分かりました……ピック」


言葉に合わせて、ヴィクトリアの目の前に銅のプレートが出現した。


ヴィクトリアは浮いているそれを手に取る。


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《Name》Victoria von Edelgright

《Sex》Female

《Age》33

《Ability》Refinement, Noble behavior, AoS-D, Magic(Wind:middle, Ordinary)

《Skill》

《Digit》160/320

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「それがヴィクトリア殿のアビリティプレート。そこに書かれているものがこの世界で使える資産であり、価値を示す全てと言える」


「えっと、私には理解できない言語で書かれているのですが……?」


「それは追々知っていくしかない。説明すると、今ヴィクトリア殿の手持ちのアビリティは、教養、貴族の素養、護身術、魔法といったところか。そしてディジットはアビリティやその他諸々の総合的な要素で増減する。ヴィクトリア殿の基本ディジットは160であり、総合ディジットはその倍。320までは保有することができる。上限以上は何をしても保有はできないから使い渋りはよろしくない」


「少しややこしいですが、アビリティを増やせばディジット上限が上がり、できることが増えていくということですね」


「理解が早くて助かるな。住民は労働によってディジットを獲得でき、それを上手くやりくりして活動の幅を広げていくわけだ」


「労働以外のディジット確保方法は無いのですか?仕事を得られない人には酷ではありませんか?」


「労働以外のディジット確保方法はギャンブル的要素しかない。それに頼った者の末路は、路上にいた人間よりもひどいものではあるがな」


「なかなか難しい世界なのですね……。何も考えずに他人任せで生きてきた自分が、とても情けなく思えてきました」


「そもそも世界の基準たるルールが異なるのだから、そこまで思いつめなくともよい。まぁ、そう考えられるヴィクトリア殿はとても稀有でかけがえのない存在と言えるな。この世界では通用しないものだが、その考えは地上では大変意義のあるものだ」


「トンプソン様……」


トンプソンの言葉に、ヴィクトリアは自身の心臓がトクンと跳ねたのを感じた。


何だろう、この味わったことのない感覚は。


「ただ、この世界では真先に餌食になる人種であることに違いないがな」


そうフッと嘲るトンプソンに、えもいえぬ魅力を感じるのは何故だろう。


ヴィクトリアは王の妻たれと育てられ、国のお飾りとして据えられてきた。


そんな彼女を、初めて人として見ている人間かもしれない。


「ここで逞しく生きる人間こそ本当の人間の姿というものだろう。地上でのうのうと生きる者には、ここで一度考えを改めるべく暮らして欲しいものだ。そうは思わないかね?」


「はい……」


ヴィクトリアは心ここにあらずという状態で、トンプソンの言葉が全て肯定されてしまう。


「ヴィクトリア殿、大丈夫ですかな?」


そんな様子を見て、トンプソンは心配そうに声をかける。


「え、は、はい、大丈夫です!お話を続けてください」


慌てて意識を無理やりに正常に戻すヴィクトリア。


「そうか。続けて住民の生活について話そうか。アビリティプレートを見てもらっても分かるが、ここに来た人間は地上から何かしらの技能を持ち込んでいる。それはその人間が生きてきて獲得されたものだ。例えば鉱山労働者であれば効率的な掘削方法や鉱物探索能力などだな。では貧民街で都合よく自分に合った仕事がない場合はどうすると思いますかな?」


「その技能──あ、アビリティですね……それを買う、ということですよね?」


「そう、アビリティも取引可能なモノの一つ。買うばかりではなく、それを売ることも可能だ。ただ、アビリティはディジットの上限にも関わる要素。欲しいアビリティがある時に不用意に自分のアビリティ売ってしまって要求ディジットに満たなかった──なんて話は新規の住民によくある話だ」


「それだとなかなか上手くいかないのではないですか?」


「当然、そう上手くはいかない。欲しい時に欲しいアビリティが得られることなど稀だ。自分以外にも競争相手がいることも珍しくはない。そういう場合には、他よりも高額で買取を出す。そうすれば早く得ることもできよう」


「でも、ディジット上限が低いままだと限度がありますよね?」


「そうですな。ところでヴィクトリア殿、なぜ魔法の使えない世界で魔法のアビリティが存在するのか分かりますかな?」


「それは、もともと持ち合わせているものですし……って、なるほど!不要なアビリティであっても、集めていけばディジット上限を上げることに貢献するのですね」


「その通り。貧民街で不要なものなど何一つ存在しないのだ。わざわざ買わずとも地道に時間をかけて労働を行えばその労働に対応したアビリティを獲得できるが、これは現実的ではないな。技術習得などは、生半な時間では為せないのだから」


ぐぅ〜。


突如、空間に間抜けな音が響く。


音の発生先は、ヴィクトリアのお腹しかない。


「も、申し訳ありません、お見苦しい音を出してしまいまして……」


そう言えば食事も摂らずに出てきたのだった。


「紅茶だけでは腹は満たされないな。実際に見ねば分からないことも多いだろうから、外に出て食材を揃えるついでにモノの取引をお見せしようか」


「それなら私のディジットで!」


「そのディジットでは2日と保たぬよ。長期的に滞在するつもりもないし、ここにいる間は私が面倒をみよう」


「それではトンプソン様に大変ご迷惑に……」


「なに、そこそこ蓄えているから心配するな。それとこのまま外に出ても先ほどの二の舞になるのが目に見えているから、これを貸しておく。ピック……ヴィクトリア殿もアビリティプレートを出してくれ」


トンプソンが取り出したのは、ヴィクトリアのものとは全く違う黒いアビリティプレート。


「は、はい。私のプレートとは色が違うのですね」


さっき出して握ったままだったプレートをトンプソンに差し出す。


「ディジット上限値によってプレートランクが上がる仕組みだ。黒プレートになれば、個人間での取引が可能になる。特に……ああ、これらは後に説明する」


トンプソンが自身のプレートをヴィクトリアのものにしばらく触れさせ、プレートをヴィクトリアに返してくれた。


=====================================

《Name》Victoria von Edelgright

《Sex》Female

《Age》33

《Ability》Refinement, Noble behavior, AoS-D, Magic(Wind:middle, Ordinary)

《Skill》Conquest

《Digit》5160/10320

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ヴィクトリアがプレートに目を通すと、一つ追加されているものがある。


それと同時にアビリティプレートの色がブロンズからシルバーに変化していた。


「何をされたのでしょうか?」


「私のスキルを一つ貸し与えた。これで環境影響を受けずに外を歩くことができる。リーブ」


「スキル……?」


「努力では得られない、特殊な環境下で発現するものをスキルという」


「私の知らないことばかりですね……」


「スキルについては知っている人間の方が少ないから安心したまえ。あと、プレートは使用する時以外しまっておいた方が良い。誰かに触れられてもアビリティを奪われるということはないが、これを持ってなくては何も取引できなくなってしまうからな。単なる嫌がらせでプレートを奪う人間がいないとも限らない」


「気を付けておきます。えっと……リーブ!」


「それと、これを纏っておきなさい」


トンプソンから受け取ったものを広げると、どうやら頭まですっぽり覆えるロングコートのようだ。


「貧民街でも下層域の人間はそうでもないが、歓楽街に近づくほど健康に気を遣う人間が増える。あの大気を吸い続けていれば肺もやられるし医療費も嵩む。

みな何かしらで身体を覆っているから、ヴィクトリア殿もそうしておいた方が良いだろうな。そういうスキルを持っているとバレても面倒だ」


「ありがとうございます。スキルがバレると、面倒なのですか?」


「ここでは死ぬことはないから殺人などの犯罪が起こらない、とも限らないのだよ。例えばプレートを奪われたら?例えば家族がどこかで監禁され続けていたら?そういった何かしらの方法で本人ないしは家族を苦しめる方法などいくらでもあるのだ。それらからの解放を条件に、アビリティを売りに出させたりして間接的に奪い取る犯罪は日夜行なわれている。単なる暴力で脅す方法が最も一般的ではあろうがな」


「そんなことをよくも平気で……恐ろしい」


「犯罪に巻き込まれないためには、自己情報の積極的な露出は控えるべきだな。しかしこのような注意事項も、私といる限りは安全だ。何があっても、手は放さぬようにな」


「はい……!」


ヴィクトリアと同じように黒いコートを纏ったトンプソンの手を、喜んで握ってしまうヴィクトリア。


自分を守ってくれるという存在に、少女のような視線を向ける。


これはもう、そうに違いない。


家族への罪悪感は、それを上回る恋心によって塗り潰された。

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