9話  主役の欠けた舞台装置

 褪せた怒りが世界の光を隠す。


 心身を蝕む不安要素と不自由を感じる窮屈な鳥籠の中で。他人に優しくなることも億劫に変わり、沸騰した鍋の具材は熱を維持したまま外へ溢れていく。

 周りに迷惑を掛けて、拭えない罪悪感に囚われて、自分自身さえも信じることも出来ずに勘違いを繰り返す。そんな酷い被害妄想は最悪の方向に進んでしまう。


 力不足だった。理解というものが欠けていた。


 弱い心が答えだ。助けてくれたあの子の名前を忘れて、実感した弱肉強食の社会に視線を背けて、明るい将来の為に自分を犠牲にしようとした。真逆の人生を送る人達に嫉妬を抑えきれず怒りの衝動に駆られては、完膚なきまでに醜悪を露呈したその姿は現代のシンボライズというか、ある意味では本能に象るような。


 心の陰りが現れて。


 自分が自分自身では無くなる。


 視界が眩んでいくような、窮屈な感覚に溺れる。憤りに呑まれたあの時の未来は覚悟の研鑽が足りなかった。結果として心の隙間を作ってしまった。


 忍び寄る存在。

 負の感情を嗅ぎ付ける影の正体。悪夢に誘う破滅の道標に。


 どうして、呪いの対象が仙崎未来だったのか。


 今は分からない。理由を知るには時が必要だ。心を整理する間を。再び目覚めた瞬間、絶望に等しい現状を打破する鍵を模索しなければ。


 開拓無き道は閉ざしたままだ。


 希望の光に続く、蒼天色の奇蹟を信じて。


 深い眠りに落ちる彼女の思いを。呪いを生む嫉妬の感情も。微弱な希望さえも。バトンタッチとして繋げる少年、日比谷航は代わりに私怨を背負う。


 あらゆる事象が偶然ではないように。

 仕組まれた運命によって虚構世界に誘われた少年少女達。

 巡り会う繋がりがただの茶番劇の一直線上だとしても、主役の欠けた舞台装置は勝手に物語を展開していく。


「……本当に、今日だけは厄介な連中と遭遇する、なぁッ!!」


 戦場は天外に移る。


 極彩色が混在する世界にて二人に襲い掛かる怪魔の濁流。

 執拗以上に背後を狙われる航は不意に旋回し、ノックアウト状態の未来を抱えた体勢で陰陽刀を体重を乗せて振るう。忽ち一閃が空を貫き、群れを成す相手は積み立てブロックのように木っ端微塵に。


 しかし木っ端微塵にされたハズの怪魔は不気味に犇めき、得体の知れない黒煙を空気中に散蒔いては謎めいた脅威を航に与えようとするが、


 黒煙の中に彼の姿は何処にも見当たらない。既にもぬけの殻だった。


「───穿て」


 大気に電気が走るその瞬間、鋒から放たれる光の荷電的粒子砲が火を吹く。

 火花を散らす音と共に発射された砲撃は怪魔を一掃。

 伝う衝撃は原型を剥離し留めることなく崩壊を遂げる。灰塵を吹き飛ばす蒼天色の光は無慈悲に少女の仮面を被る影の本体に向けて集中砲火を披露する。


 天外の一端に青い閃光が轟く寸前。


「……そういうことか」


 何の脈絡もなく青い衝撃が透明の壁に相殺される。

 正確には弾かれたというべきか。荷電的粒子砲は影の実体を貫けず、たった一枚の反精神認識防壁によって無力化されていた。


「拒絶型怪魔。事実を否定して現実を歪ませる自律呪式。彼女を依り代にすることで負の感情を増幅させていたか。オマケに殺意を抱いた邪悪加減。一体どんな罰当たりをすれば禍々しい化物に取り憑かれるんだよ」


 地形を書き換えてしまうほどの凄まじい波動の衝撃。

 無法地帯を具現化したような虚構空間が崩壊してもおかしくはない。なのに羽虫を叩く程度で波動砲が容易く捌かれてしまう。


 そんな白煙が昇る中、影の怪魔は不気味に浮遊する。


 身構え、見越す航の顔色は変わらない。しかし一層と鋭利な目付きに変わる。


「コイツは……」


 顔の原型が留めて居なかった。


 溶けている。嘲笑う少女の姿が歪み始める。爛れた仮面の奥に現れる空洞の眼は生死の概念を逸しており、光を奪う深淵はまるで生物を侮辱する悍ましさを示しているかのような。人間の骨格よりも倍はある図体を強引に潰し、肉片が飛び散り、血飛沫を連想させる、水っぽい悲鳴と共に変形を繰り返す。


 彼女が見た地獄。失神に逃げたくなる惨劇めいた脅威が目の前に広がる。


 本能が危惧を知らせる前に。思考が行動に移す前に。


 影の怪魔は。


 ───人間の枠を越えて『ヒト』に擬態化しようとしているのか。


「疑似進化するつもりか……!」


 距離を伸ばす航は陰陽刀で一掃。四肢が切断された人影の残骸を怪魔は補食。


 人間の仮面を被る姿のまま。美味しそうに貪る。味覚を理解した化物は逃げ惑い怯える影を捕らえては軟質ゴムを千切る感覚で喰らう。

 更に知性を獲得したことで背後に生えた無数の腕は肌色に変わる。獲物を捉えるその手は同胞を吸収するものではない。


 明確な嫉妬の対象。


 目を瞑る彼女の視線を外す。

 新たな獲物を見付けては歪んだ顔がニタリと嗤う。


「これのどこが人間なんだ。何本も腕が生えるワケないだろ。両生類の類かよ」


 全然違う。

 自然界では一部の生物が欠損した箇所を再生する能力はあるものの、後発的かつ瞬時に自生するのは不可能だ。奴は哺乳類でもなければ両生類でもない。


「化物だったか」


 非現実的な相手に知識は通用しない。

 それ以前の問題として人類が対処できるかの前提だろう。


(……厄介だな。狙いを切り替えた意図はなんだ。彼女が迷い込んだ時点で俺達は陥穽に嵌まっていたのか。人間がやる行為じゃないな)


 新たな生物への昇華。

 完全な存在を形成する為の生贄。

 素材を求め聳える腕。二人を囲い枝分かれをした補食手段は蛇が塒を巻くように覇気のない世界の舞台で螺旋状に描いていく。


 不規則に襲い掛かる腕を航は避けて、陰陽刀を振るう。

 たった一振りで腕は微塵切りに。風圧で灰塵が空気中に消えるがやはり手応えはない。暖簾に腕押し。霞を切っているような感覚が後を絶たない。


「なるほど。……八尾大蛇伝説の真似事か」


 切る度に生える枝分かれの腕。


 手数を増殖しても彼女を抱えたまま痛手を回避。死線の迷宮を巡る航だったが、遊び感覚で襲い掛かる怪魔の所業に違和感が走る。


 本能に赴く無邪気な破壊衝動。まるで幼児を彷彿とさせる。

 自我を形成する幼児期であり、著しい環境の変化や外部の刺激によって学習能力を発達させるのだが、異常なまでに成長を遂げていることだ。彼女を抱える左手を執拗に狙い、陰陽刀を逆手に持つ航は弧を描いて凪ぎ払うものの、腕を伸ばす狡猾な影の怪魔は消耗戦に切り替え、悪知恵に長けた姑息な戦法を厭わない。


 悪の心が芽生えたその瞬間だった。


 荒廃した灰空市を覆う影の腕。

 彼女が悪夢に魘される限り現実は虚構に歪曲する。

 真実を伝えるべきか。それとも虚偽の安らぎで元の道に引き返すか。


 怪魔の姿はもう。


「正直、彼女自身が鍵なのかもしれないな」


 ため息混じりの吐息を溢す。


 何度応戦しようがキリがない。結果が分かるだけで上乗の出来映えか。

 再度陰陽刀を身構える航は敵の間合いを読むものの、ゾンビみたいな化物相手に心の波動が消耗するばかりであまり旨味がない。


 千日手だ。


 警戒しろ。気を緩めるな。一時の躊躇が命取りになる。

 空洞の瞳に潜む執念に不快感が増す。色恋沙汰に無関心な航でも分かる。

 ドロドロに蕩ける果実のように濁り渦巻いた感情。甘ったるい香りに誘われた心をマドラーに掻き回す感覚。枷の外れた独占欲。


 どれも彼女のモノじゃない。


 喜怒哀楽の折々を弄ぶ、悪魔めいた『元凶』が隠れていることを。


 影で牛耳る第三者の存在。

 露になる獰猛な殺意。そして狂い歪む欲望。

 底知れぬ負の感情は眠る彼女の心を媒介する限り、渇いた執念は二人の死の甘露に浸されるまで悪夢の惨劇は終わらない。現状を打破する突破口、最善策に辿り着いたところで次なる驚異が虎視眈々と待ち構えているだろう。


 だとすれば。


(元凶を表舞台に蹴り落とす必要も、茶番に付き合う義理もない。勝利条件は彼女が目覚めるだけでいい。それ以前に奴は……)


 二人に迫る影の腕が蒸発した。


 玉響の波紋が広がる前に。曇天の行方を変える電光石火の輝き。陰陽刀を片手に印を結び、青き刀身は少年の譲れない信念に呼応。極彩色の世界に馳せる明鏡止水の一撃は無量大数の悪意に向けて反骨表明を示す。


(嫉妬する相手を間違えていたことだ)


 相容れない心根の衝突。

 頂きの眺望。希望に続く道に進む奇蹟か。或いは絶望の淵に誘う災厄か。


 天秤が傾く前に。


 向こう側にある『答え』は眠る彼女に委ねられた。


「来いよ」


 見縊る態度で影の衝動を焚き付ける。無傷の全身を露骨に主張した上で陰陽刀を握る右手で誇示する。ウォーミングアップ以下の茶番劇に付き合わされた挙げ句、手持ち無沙汰の航は闘争心に飢えていた。


 単なる脳筋野郎とかサイコパスめいた外道ではない。

 大切な宝物を奪い、心にノイズを刻んだ悪逆無道の権化。白日の世界に晒すな。決して許されない理由があるからこそ、譲れない信念は青き炎を灯す。


 空頼りの色欲を灰燼と化すように。


 鬼出電入の如く、怨敵調伏の鬼神は千手に染まる三毒の海を業火滅却に変えた。


「護国結界・禍鬼嚴禁」


 有象無象に揺れる灰燼の影。自由の到達点から繰り出される真青の炎は連鎖爆発を引き起こし、熱線は灰空市に似た景色に火の雨を降り注ぐ。


 二人の背後に迫る魔の手に炎の亀裂が走り、網状に枝分かれる腕全体が自然災害の延焼に呑み込まれる。少女の形をした怪魔を中心に鳥居の城が総崩れ、衝撃波は地形の一部を跡形もなく抉り吹き飛ばし、極彩を後光に閃光のイルミネーションを兼行してみせた一人の少年は。


「悪いな。これは、お前の戯作じゃない。彼女の物語なんだ」


 断獄の怒りを瞳に宿し、人生の路頭に迷う彼女の為に、新たな道を切り開く。

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