7話  幻想を知る前に

 ほんの少しだけ、過去の自分を振り返ろうと思う。


 中学生真っ只中。

 未来が在籍する中学校には『文化祭』という催し物は無かった。


 その理由として体育祭の期間と被るだとか。一年間を通して授業時間が足りないらしく、教科書通りのカリキュラムに挟む余裕がないらしい。


 理解は出来る。


 裏側に大人の事情があるのだろう。


 そこに疑問はない。あるのは底無しの不満だ。あまりにも学校行事が少ない。退屈な生活を送ることは暗黙の了解なのかもしれない。けれど夏休みは一ヶ月もないし冬休み? なにそれ美味しいの? 状態。成績はまあまあの方だが、幸福を渇望していた未来はとにかく退屈を感じていた。


「……なんか、思っていたのと違う。これが憧れていた学校生活?」


 ストリングに叩かれる軟式のボール。乾いた音が無人のコートに反響していく。


 女子ソフトテニス部に入部していた未来。より更にサーブが上達する為の打ち方やフォームの確認。特にフラットサーブは筋肉痛になるまでラケットを身体の体重を掛けて、未来が打ちたい方向に狙いながら振っていた。


 最終的に上達はした。三年最後は県大会に出場して勝利したこともあるほど。


 実力は十分。


 努力次第ではプロの選手になれるかも。


 ───そんな安易な考え方が、覆滅の方角へ指し示すのだろうか。


 夢を追い掛ける人達はみんな目標を見付けた、才知に溢れる人達だ。

 当然挫折に溺れた人達もいる。何よりショックだったのは、昨日まで練習に参加していた同級生が突如退部していたこと。


 自分の気持ちを伝える手段の言葉が浮かばない。

 同じスタートラインで同じ景色を眺めることは出来ても、あの足並みは揃わずに、肝心な学業と部活の両方を両立できない人達の姿を横目で見ていた。


 同情は争いの火種になる。


 シビアな環境下と癒えない疲弊で日に日に表情に影が曇る学生。夢を諦めたお陰か浮かべる清々しさはハッキリ言ってしまえば不気味だ。次々と部員が減っていく現実に疑問符をなぞる未来は他人との価値観の違いを改めて実感。やむを得ず夢を手放した人達の想いも乗せて、感動の景色をみんなに分かち合う、期待を背負う者の覚悟の強さに身に染みた。


 残酷だが夢を叶える人は少ない。残酷だからこそ目を逸らしてはならない。


 夢に向かう背後には、瓦礫に埋もれた骸の手が招いている。


 これが『現実』なんだ。


 必死に汗水流して青春という栄光を掲げた体育祭が幕を下ろし、受験生は本格的に自分自身の人生と向き合う局面に差し掛かる。


 一世一代の転換期の幕開けだ。

 夏の余熱は学業の競争に移り、殺伐とした季節の色彩は真空色に染めて。


 その日以降。


 クラスメイト達は遠いライバルに。


 乾燥した空気。ピリついた雰囲気に普段よりも喉が渇いてしまう。飛び交う視線はナイフのように鋭利に光らせ、活気を帯びた教室は今では見る影もない。誰かの冗談でさえ必要以上に神経質になり、自分自身を追い込む受験生の姿勢に息苦しさを覚える未来は気分を紛れようと窓ガラスの向こう側に視線を移す。


 外の世界は変わらない。青空が広がっているだけだった。


 新体制の吹奏楽部が奏でるトランペットの基礎練習。吹き始めたばかりの霞んだ音色は哀愁が漂う。奏でる音色が教室中に揺蕩う寂寞感を一層と強くなる。


 状況によって様変わり。


 学生達の出入りで喧騒が沸き、日が暮れる頃には閑散とした本来の教室に戻る。月日が重ねる度に巣離れを思うノスタルジアが色濃くなるばかり。退屈だったとはいえ紛れもなく母校。通い続けた教室の風景が恋しくなるのだろうか。過去の景色が色褪せないように、せめて少しだけでも感傷を払拭する機縁があれば。


 誰かが言ったあの言葉のように。楽しいを楽しかったと迎えられるように。


 放課後の時間がもっと好きになれるように。


「おやおや。声を掛けようと思ったら、随分と沈んだ顔をしてますな。これが噂に聞く受験症候群って奴ですか」


「狭山……」


 机に突っ伏す未来に降り注ぐ明るい声音。聞き覚えのある声音に気付き、手持ち無沙汰だった両手は静かに動く。

 微かに視線を声のする方角へ振り向くと、青空みたいに澄み晴れた表情のクラスメイトの少女、狭山千波がお返しに手を振っていた。


 鮮やかな瞳の輝き。注目すべきショートボブの黒髪。


 なるべく笑顔を絶やさないことをモットーにしている彼女は容姿全てがチャームポイントらしく、その発言に嘘偽りはなかった。千波は正真正銘人気者だ。誰でも気楽に接する。顔色を伺ったりはせず億劫な一面も見せない。大胆な行動ながら芯が強い彼女はもはや住んでいる世界が違うのではないかと疑う。


 実際、テンションに天地の格差がある。何処に元気の貯蔵庫があるのだろうか。


「……ジロジロ見てどうしたの?」


「うーむ。なんていうか、あまり物憂げな表情ばかりしてるとさ、肝心な時に墓穴を掘るというか、自分の首を絞めるというか……。ストレスで太るよ?」


 カチン。


 スペースのない机に乗り掛かる千波の見下す視線に。

 フックに下げていたリュックを掴んで、姿勢を正す未来は思わずデコピン。


 もちろん額に。


「痛い!? 嘘、デコピンってこんなに痛いの!? 暴力反対! 復讐反対!」

「はいはい。日が暮れる前に身支度を済まさないと」

「仙崎なのにテンション低っ!?」


 淡々とした調子でリュックを背負う。名残惜しそうに教室に屯するクラスメイト達とは違って潔い未来は暇を潰すことはない。


 約束の門限があったからだ。恐ろしかった。以前迷子になったときに鬼の形相をした母に叱られたことを。ハプニングが起きたとはいえ親族一同の反省会。残酷な出来事から遠ざける為に、未来の帰宅時間に制限を設けたのだ。


 正直、過保護だと思う。

 これといった不満はないが、翼を畳んだ小鳥と一緒。鳥籠に守られている。


 ただ、自由に飛べないだけだ。


「でもさ、普段よりも表情が硬いような……、少しは息抜きを挟むと良いかもね。友達と遊ぶのもいいし、仙崎殿の可愛い顔が勿体ないぞ?」


「常日頃から? 遊び呆けているプロの狭山様には言われたくないですなー」


 意地悪に。なるべく狡猾に。


 言葉を後回しに娯楽に誘う千波に呆気ない反応を返す未来。受験生という身分において彼女の印象が『勉強もせず遊んでいる』イメージしか浮かばない。


 手招きをする誘惑。首を絞める劇薬。

 寄り道でさえも険しくなる受験生にとって悪影響間違いなしだろう。


「……時間なんて、あっという間だ」

「本当にそうかな?」


 余計に危惧して。遠くなる耳は人の言葉に傾けなくなる。

 仕度を整える未来に余裕を含んだ視線を送る千波。邪気の欠片もない譫言の遊びは信憑性が薄い為か半分聞き流していた。


 忙しさに幸福が薄れて、心を焚き付ける好奇心が冷めていく。ネガティブな一面が顔に書かれていると言いたげな彼女の視線も否定する気力がない。


 渇望が恋しい。


 せめて、追体験ができる、まだ見ぬ学校行事を体験する機会があれば───。


「液体猫みたいな仙崎に吉報。今度の土曜日に文化祭を開催する高校があるみたいだけど、来年は私達も高校生になっていることだし、折角だからさ、仙崎も一緒に見学しに行かない?」


「……」


 教室を離れる足音がピタリと止んだような気がした。





 そして、文化祭を迎えた当日。


 目の当たりにした未来は、口を上げて愕然としていた。


「この高校、まさか───」


 青く染み渡る空の迫力と共に。真っ白に聳える雲の運河を背景に両翼を羽ばたく小鳥はまだ見ぬ世界を目指して旅立っていく。自然の調和と近代的な世界観を重ね合わせた景色は、次の世代に繋ぐ為の文明開化の証。


 歴史と新世界を語る常皇高校は。

 偏差値が75もある名門だ。一般的な学校よりも設備が整っており、校風はもちろん学校全体の敷地が広い。校舎は綺麗で制服が可愛い。


 当然、未来の学力では合格は程遠い。むしろ尊厳を損なう可能性がある。未来にとって常皇高校は敷居が天にある存在だった。


「これ、私達ってお門違いなんじゃ……」


 隣で随分と浮かれている様子の招待人に尋ねてみることに。

 すると、彼女の凝らす瞳は小冊子に夢中。所謂瞳の中に星々が輝いていた。


「んー? 入り口は正門しかないみたい。今日は一般公開日みたいだから別に問題はないと思うけど、ていうか、パンフ可愛くない!? 私でも分かる。これは絶対に美大合格待ったなしだって!」


(絶対に合格……? 何言ってんの? あとで挫折しそうな楽観視だね……)


 冷ややかな横目も通じす。

 自分好みのパンフレットに感動するばかりの千波に頭を押さえて。ご機嫌三味の所、皮肉に気付かない彼女では意見が届かない。


 素直に諦めることにした。


 現実に引き戻すことはしない。夢をぶち壊すのは可哀想だし相手に迷惑だ。正門の前に突っ立てないで見学でもしようか。気分を改める未来ではあったが、


「……もしかして、あなたも同じ?」


「うぇ!? あ、はい……。なんていうか、その、私も話の流れでついつい……」


「そっか。そうなんだ」


 隣に問うと少女は小さな悲鳴を奏でる。

 急に未来が話を振ってきた為か女の子はびっくりしてしまったようだ。一応普通に尋ねただけなのだが、余計な事を告げず彼女が平常心に戻るのを待つ。落ち着きを取り戻した彼女は簡略的に経緯を教えてくれる。


 誘われた理由。気分転換に文化祭に立ち寄ったこと。制服姿で遊ぶこと。

 動機はほぼ未来と同じだ。意気投合が出来る。けれど悲しきかな。二人の存在を他所に明らかに一人だけ裏切り者が隣に。


「あれ、じゃあ、なんでこの人だけ私服で来てんの……?」


「た、たしかに……!」


 疑問を呟いても遅い。横に佇む少女は困り顔をして柔らかそうな頬を掻いだ。


(私達、ダシに使われた、だと……!?)


 事情を知らない二人に『文化祭』というキーワードを利用して遊びに誘う千波のあざとさが炸裂する。受験を控えた未来と恵まれた容姿を持つ少女の服装を地味にさせようと制服姿を要求。代わりに自分はありったけの可愛いを詰め込んだ私服で勝負。要するに自分が花束になれるよう二人を引き立て役を選んだのか。


 気分を改めたというのに。これは酷い。


 何よりも千波の私服が本当に可愛くて文句が言えない。効果は絶大で女子高生を中心に老若男女の視線を集め、地味な制服姿は一層と目立たなくなる。


 果たして良かったのだろうか。


 高級なチョコレートケーキに市販のチョコスプレーを加えるような行動を。


「目立つのは別に良いんだけど……、あの人の方が……」


 指が示す方角の先に。現実離れをした圧倒的な美少女が佇んでいた。


 純白。天使の羽根を連想させる揺れた髪。冬服の制服とマフラーに隠れる肌色はビスクドールのように。艶を含む朱色の瞳は絢爛と共に奇異を運び、人々の視線が奪われていくのは彼女の存在も含め現実を超越する『美』が完成しているからか。


 別の制服姿なのに。


 服の価値を。服の存在意義を。彼女は理解していた。

 思う存分自分の色に染める事ができる人物と関係者を引き立て役にして自分自身を花束に見立てた人物の差とは。


「モデルみたい……」


 代わりに言われてしまった。

 思惑云々未来の隣に佇む少女は人の感情そっちのけで心が震えていた。要するに千波の私服には感動しておらず、もはや無駄骨折りの極みである。


「まあ、この先良いことがあるよ、きっと」


「あ、そういえば忘れてた。仙崎には一度も言ってなかったっけか。隣にいるのは吉良アリス。小学生からの知り合いなんだ。二人とも仲良くしてね」


(私の不安を返せ!)


 無味に終わり、注目の視線は白髪の美少女に奪われ、歯切れの悪そうな雰囲気が未来を困らせるものの、当の本人である千波は至ってマイペース。思い出したかのように説明を挟む。振り回した立場を微塵も感じさせないニカッとした笑顔が本当に幸せそうで無駄な心配をした。同情なんてするんじゃなかった。


 これ以上心が窶れないよう放っておく方が無難だろう。


 本題なのは隣に佇む少女だ。


「はじめまして! 私は吉良アリス。あなたのことは千波から聞いているよ」


 その名前を聞いたとき。

 彼女の携わる容姿の全てに想見を巡らせてしまう。


 記憶に残るおとぎ話。


 誰もが知っている不思議な物語。


 個性豊かでインパクトのあるキャラクターが勢揃い。アンティーク調の懐中時計を持った喋るウサギ。歩くトランプ兵隊。イタズラ好きのネコ。ワガママな女王。メルヘンチックな世界に迷い込んだ少女が綴る冒険忌憚。


 少女の名前はアリス。


 ショートの髪型を除けば同じ金髪で、宙に消えてしまいそうな空色の瞳はどんなガラス細工よりも美しい。制服姿なのに青のワンピースと遜色ない。白のエプロンドレスを着こなせれば、不思議な国の少女の登場だ。


「よろしく!」


 触れるファンタジーの具現化、吉良アリスがゆっくりと微笑む姿に。


 どうして、懐かしさが滲むのだろうか。


「あ……、狭山に聞いていると思うけど、改めて自己紹介するね。仙崎未来。吉良さん今日はよろしく。えっと、なんて呼べばいいのかな」

「アリスでいい! 私も未来って呼んでもいい?」

「うん」


 静かに頷いて。

 満開に咲いた笑顔を浮かべる。


 一日限定の学校行事のフェスタをどう過ごすか。三人で詮索する時間が楽しい。


 郊外の人達に送る一般公開日。

 沢山の想いが込められた文化祭は無事に晴天を迎えることができた。


 贅沢な雰囲気が眠気に微睡む思考回路を駆り立てる。二人が手を差し伸べて共に踏み出した一歩は冒険に出掛けたように壮大で、翼を携えた足取りは宙に浮かんでいるみたいだ。移り変わる景色に心は高揚し始めて、笑顔は豊かになっていく。


 夢見た文化祭。


 想像を越えるビックリの連続。

 見るもの全てが新鮮で一つに集中できない。


 結局三人が校内を自由に巡り、堪能して、少ない資金と悪戦苦闘しながらも憂うことなく心の幸福はいつの間にか満たされていた。


 悔いはしない。


 広げてみても、覗いてみても、お財布の中身がスカスカになったとしてもだ。





「……いつか社会に出て、恥ずかしくないように口を肥えてきたけれど、高いよ。結構いい値段だよ。食材が段違いなだけあって、私には、高過ぎる……ッ」


 独り勝手に肩を落として。

 ガーデンベンチに腰掛ける未来は顔色を絶賛青ざめていた。


 未来は興奮のあまり火照る身体の熱を下げようとして、中庭で風を浴びるつもりが財布の中身を見て背後に閃光が走る。


 風の便りで聞いてはいたが本当にお嬢様高校だった。常にアフタヌーンティーが開かれており、アンティーク調のケーキスタンドに飾られた西洋菓子と共に紅茶を嗜む。マカロンは知っている。フィナンシェは誰ですか。


「生きている世界が違い過ぎて、あんまり風味が分からなかったかも……」


 オレンジピールを練り込んだマリトッツォを頬張って完食。頬に残したクリームを指でなぞり口元に運ぶ。飲料水が欲しくなるが、ちょっとだけ辛抱する。


「それにしても……」


 流し目に映る二人の戯れ。飲料水を購入することを忘れている模様。


 分かっていた。白髪の美少女を探しているのだろう。

 有名人を目撃したみたいな感覚で弾けた笑顔はまるで遊園地ではしゃぐ園児の様だ。周りに影響を与える笑顔。そんな二人の影が校舎の中に隠れてしまう。


「……二人が。楽しそうな二人が、羨ましいよ」


 存在が遠い。


 砕けた仕草には到底敵わない。


 全力で楽しんでいる理由には狭山とアリスは常皇高校に進路しないからだ。二人は別々の高校に受験すると聞いた。未だに進路に悩み、複雑になる心境にナーバス気味な未来は考えれば考えるほど不安が記憶の片隅に過るのだ。


「これからの将来、私は、どうすればいいんだろう……?」


 見えない将来に空振りをして。不安定に続いた道程は幸せになるとは限らず。

 一体何が正しいのか。答えは見付かりもしないのに。


 この世界は白昼夢の虜だ。


 自分自身が嫌になるほど人生について考えて、最期の瞬間が訪れる恐怖に怯えた気持ちは現実を突き付けてくる。苦しい。目が回る。時間を潰している呑気な自分が時々憎むようになり、万が一間違って道を踏み外してしまわないか不安で、余裕のない凍えた表情を両手で覆ってしまいそうだ。


 未来にとって至高の花園は不釣り合いだった。

 結局あの時と同じだ。乱れる心臓の鼓動は焦燥感を焦らしてくる。


 正気が薄れる。


 辿り着いた舞台の感触は孤独とプレッシャーだけが支配していて、見渡す限りの歓声は後押しする声援なのに圧倒的アウェー感。外側の皆は助けてくれない。


 ただただ幸福に埋もれたいだけなのに、なぜ追憶心に天罰が下るのだろうか?


 勝手に時間を刻めば。いつの間にか歳を重ねれば。大人さえになれば。


 心の脆さを取り除くことが可能なのだろうか?


 悪いことなんてしてないのに。


 失いたくない。


「なんでだろうね。生きているだけなのに、辛い思いをするって」


 無理に手を伸ばしたが届かない。遠い光を握る仕草を残しても、爪が食い込んで痛いだけだ。


 そっちのけに吹いた気紛れな風。宥めるように髪を揺らす冷気は熱を帯びた感情を抑えて、わずかに残る手のひらの感触は、不安に取り憑かれた未来を現実に呼び戻す為の細やかな警鐘だったに違いない。


 正気を保とうとして、視界の片隅で覗く影がどうしても気になってしまう。


 手招きをする骸の存在が。


「……あはは、ヤバい。私疲れているのかな」


 熱を測る未来は額に手を当てた。


 揺らぐ世界。急激に調子を落とす原因が疲労の蓄積しか考えられないのに、平衡感覚を狂わせる目眩と吐き気が襲い、窶れた様子は悪化の一途を辿る。

 更に頭痛が激しくなって、影を睨むようになり、気紛れな風で冷ました感情が再度沸騰しそうになる。


 流石に危惧を感じた。

 どうにか理性を抑え込もうとして未来は胸元を掴む。


 まだ消えない。


 ゆらゆらと陽炎のように。こちらを覗く影に拒絶した身体は身の毛がよだつ。


 呼応した瞳が主の意思を背いて。


 影の正体を───。



「金平糖ほどの幻想が、より現実感を引き立たせてくれるんだ」



 流れを断つ言葉。曇天を一瞬で青空が広がるような、透明に透き通る優しい声。依然二人の声は現れず。代わりに訪れたのは一人の女性だった。


 女性は常皇高校の生徒ではなかった。正確に言えば元生徒であり、卒業生なのだろうか、黒髪の女性はベージュのハイネックニットと紺色のタフタスカート、黒のレースアップショートブーツをこなし、芯が強く大人びた風貌は女子大生か。


(この人は一体……)


 突然過ぎて言葉を見失い、呆然状態が続く未来を前に、彼女は順風満帆の微笑みを浮かべてはこう言った。


「大志を抱け。心と共にあらんことを。未来を託された若人よ!」


「……劇団四季の関係者?」


 意味が不明で。真意は何処に。


 場違いなテンションの登場に未来は困惑するしかなく、斜め上の質問が飛んだ。何を言っているんだ自分は。思考が秒数を経て整理整頓すると、それ以前に彼女の強烈な印象でいつの間にか不安を煽る影を見失っている事実は霞み。


 五歳上の先輩に。


 未来は日比谷調に振り回されるのであった。

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