3話  奇蹟と呪いを重ねて

 白髪に近いプラチナブロンドの長髪が軽やかに揺れていた。


 目を擦る。これは錯覚なのだろうか。

 彼女の髪が発光しているように見えた気がした。きっとそれだけじゃない。


 純白が似合う『天使』だった。


「怪我はない?」

「うん」


 現実を乖離してしまうような、可愛らしい容姿をした少女は青碧眼で呆然とした未来の様子を伺う。不思議そうに首を傾げているものの、その綺麗な瞳に見惚れていることを知らず、クォーターの彼女は急いで逃げ道を確保する。


 彼女が決めたのは大人達が近寄れない、茂みが覆う小さな木陰だった。


 そこで二人は機会を探ることに。


「ねえ。なんで、どうして、みんな怖い顔をしてるの?」


「……分からない」


 震える声を一生懸命に吐き出す。それでも欲していた理由には至らない。

 現実は非情な答えが返ってきて、未来の心を折ることに。本当は気持ちの共感をして貰いたかっただけなのに、肝が据わる彼女の言葉の意味に目まぐるしく変化を遂げる現状に気付かされた。


 火照る身体は恐怖が染み付いて、心の弱音は刺々しい現実に引き戻される。


 指先が震えていた。


「……あの様子だと、怪魔の影響とは到底思えない。虚構空間は開いてないみたいだけど。まさか、この暴走状態は意図的に狂わせていた?」


「虚構?」


 聞き慣れない言葉のフレーズ。

 解釈に辿り着けず。正直、何を言っていたのか全然分からない。


 疑念と違和感が反復横飛びを繰り返す。年相応以上に大人びた発言。まるで呪文を唱えているような語彙力。なんか色々と負けているみたいで一層と訝る未来とは違って、彼女の方は垣根にひょっこり顔を出しては怪訝そうに考慮したり、遠目で現状を見定める仕草は救助を待つよりも突破口を模索しているようだ。


 そんな彼女の勇敢さよりも、家族の心配を選んだ未来は自分勝手に憂慮して、


「どうしよう。お父さん。お母さん。……大丈夫かな。怪我とかはしてないよね。今も未来を捜してるんだ。もしも、何かがあったら……」


「ちょっと、この状況分かっている? 少しは自分のことを心配して」


「うぅ……」


 苦悩に板挟みの未来に辛辣な助言が降ってくる。

 心では理解している。突き飛ばす彼女の鋭い意見。本当は未来が再び決意を促す言葉のハズなのに、怒られているのだと勘違いをしてしまい。


 臆病に蹲る。心の限界が辿り着いた。


「できないよ。だって、はぐれちゃった未来が悪いんだもん……」


 自信を無くす心の軟弱性が小心者の姿として現れる。

 誰かの苦痛に満ちた悲鳴に怯えてしまい、ガラクタの雨が垣根に飛んできても、ネガティブな弱音を吐くばかり。


「あーもう! 見ててイライラする!」


 自虐的に耽る未来に見かねた彼女。思わずカッとなって頬を引っ張る始末。


「あなたはなんで泣き虫なの!? この、弱虫いくじなし!!」

「いはい! ぽっぺたをひっはらなひて!」


 頬は全然痛くない。むしろ丁寧に触れていて。ちょっとだけ気持ちいい。

 過剰な反応を繰り返す未来の方に問題があって、ワザとらしい仕草が彼女なりの優しさだと未来が気付いた時には、彼女に両肩を掴まれていた。


 滲む本物の痛みは。


 彼女が背負うべき、想いの重さだとは知らずに。


「弱音を吐いたら夢が叶うと思うの? 違うでしょ!? ……未来は現実から目を背けているだけだ。嫌なことに全力で逃げるな! ステキなお祭りが台無しになるなんて、そんなこと許されていいの? 私は絶対に認めない。……取り戻すんだ。楽しいを楽しかったで迎えられるように、みんなの暴走を止める!!」


「楽しい、時間……」


 情けない涙のせいで前が何も見えない。


 けれど、揺れる水面に覆われた視界が晴れたとき、僥倖を望む未来の小さな宝物を必死に握る一生懸命な姿を確かに見付け出した。


 全てが楽しいとは限らない。


 それでも未来にとっては何もかもが新鮮で。驚きの連続だった。


 記憶のページに綴られる思い出は楽しいものばかりだ。屋台の景品で手に入れた黄金色に輝いたおもちゃの鍵は一生の宝物。本当に暑くて。空が遠く見える大嫌いな季節のハズなのに、星々が瞬く灰空市の夜景を眺めた途端、四季折々に彩る灰空市そのものに未来は運命的に惹かれていた。


 嫌悪感に囚われていたのは。


 心じゃない。


 一時のワガママで積み重ねた、真っ黒な悪意が未来を邪魔し続けていたことを。


 存在しない憎み。沸騰する怒りは人を傷付ける。


 心無い言葉。繊細さを欠けたエゴイズム。優劣を巡る差別的観点。


 自分が中心になって世界が回っているのではない。当たり前の日常を過ごす大切な人達がいるからこそ、世界は回り続けるのだと。


 楽しい時間は誰のモノなのか。


 未来は知っている。


「……そっか」


 世界の見方を変える。ちゃんと目を凝らす。

 影に彷徨う必要は何処にもない。悪意に染めた偽りの景色を正しく見定める。


 希望を繋ぐ為に。成すべき理由さえあれば、涙は拭えるのだ。


 だって。


 ───少女の名前は仙崎未来だ。それ以上でもそれ以下でもない。


 取り戻そう。

 当たり前の日常を。本来あるべき景色を。


 相次ぐ惨劇に恐怖は増幅する。深刻が進む理性なき猛獣の怒号。

 自我を奪われた者の咆哮が木霊をして、破滅に向かう状況にも関わらず、反撃の狼煙を上げるみんなの英雄はまだ到来していない。


 きっと誰かがヒーローにならなければ。悲劇は続いてしまうだろう。


「どうして、大人達はまだ来ないの!? あの人数に今の私が立ち向かっても無謀なのに。返り討ちに遭うだけなのに……!」


 吐息が震えている。


 様子を伺う彼女の顔色に焦りが露呈していく。


 瞳に灯すのは怒りの炎。現状を打破しようとする勇気があるのに、繋ぎ会わせる為のパズルのピースが揃わない。


 時間は残酷だ。未来の想像を越えるタイムリミット。刻々と迫る悲劇的な最期の警鐘に焦る彼女の判断力は次第に鈍くなる。視界が霞んでしまう。


「……未来も。答えを探さないと」


 わずかな狼狽が牙を剥ける。焦燥が漂う空気が彼女の勇姿を邪魔している。


 そこで、空気の流れを変えたい未来はこう考えた。


 神経を尖らせて、疲弊した意識が虚に衝かれてしまうのであれば。


 言葉で遮ってしまおうと。


「さっき、未来を助けてくれて、ありがとう……!」


「突然どうしたの!?」


「ありがとうの感謝の言葉、あなたに伝えていなかったから! 助けて貰ったのに未来はワガママだよね。あなたよりも家族のことを心配して……」


「……それが普通でしょ」


「でも、あなたが居るから未来はもう泣かないよ。今度は未来が助ける番! 一人で悩みを抱えないで。一緒にみんなを助けよう!」


「……!」


 無謀なのに。限界はあるのに。信念は曲げない。


 心の中では気付いている。けれど鼓舞する言葉が彼女の勇気になるのであれば、未来は諦めずに手を差し伸べる。複雑に築いた世界も知らない、五歳程度の少女が困難と向き合い、そして乗り越えようとする姿に。


「……」


 少しそっぽを向いて。気恥ずかしさを噛み締める彼女はもう一度前を向いた。


 深呼吸をすると、硬い表情が綻んだ。


「───白金千依」


「え?」


「私の名字と名前。千円札の千と人偏に書いて衣って書くの。分かる? そんなに難しい漢字じゃないと思うけど。未来は漢字書ける?」


「分かる! 千疋屋さんのケーキと海老の天ぷらでいいんだよね?」


「能天気か! 食べ物ばっかじゃん……」


 飽きられてしまったので未来は転がっていた小枝を使って地面に文字を書く。

 街灯の届かない木陰の中では文字が見えず、かなり字が汚い上に明らかに画数が足りない。自信ありげに『干依』と書いた途端に鼻で笑われた。


「むぅ……」


「やっぱり間違えている。こうやって書き足すんだよ」


 欠けていた文字に彼女は小枝で書く。未来にも分かるように丁寧に。

 誰にでも読める達筆な字を披露。実力の差を感じるものの、慈しみを含む彼女の目付きと微かに溢れる微笑は『仕方ない』を表したものだった。


 完成した『千依』の文字に未来は「おー」と間抜けそうに感銘を受けるだけ。 


 些細な出来事だけど、青碧眼の彼女は幸福を見付けていた。


 暗闇の中で掬った金平糖ほどの希望。


 不透明な現状はまるで掛かった霧のように隠されていて、不安を煽る精神攻撃に怯えて自分自身を騙してしまうだろう。自分を騙すことは可能だとしても、真実を知る追求心が意味を見定める限り、興味を覚えた心は消して騙されない。


 誰かを救いたいという気持ちが、誰かの心を助けることに繋がる。


 一人で戦わなくてもいい。


 一人で抱え込まなくてもいい。一人で泣かなくてもいい。


 前に進む勇気があれば。世界はいつだって眩しく見えるものだから。


「ありがとう」


 外側の雑音を拒むゆったりとした時の流れで。

 立ち上がる彼女は静かに言葉を告げた。未来に勇気付けられて、清々しい表情を浮かべる少女、白金千依は脅威に張り詰めた空気を片手で凪ぎ払う。


「……きっと、私は悩んでいたと思う。でもね、未来のお陰で気持ちが晴れた」


「うーん? 未来は何もしてないよ?」


「あなたは背中を押してくれた。それだけで、私は十分なんだよ」


 疑心のない真っ白な言葉を掛けるだけの年相応の答え。あまりの語彙力の無さに微笑む千依は首を左右に振って認めてくれない。


「大丈夫。私に任せて」


 揺るぎない自信の源は一体どこにあるのだろうか。


 彼女の勿体振る姿勢を見て探求心に駆られる未来だったが、自分が非力なことに気付いて心の衝動を抑えた。今出来る術として、千依が木陰から抜け出し、暴走の止まらない大人達に対立する姿を見定めることだ。


 直感というものが。眠っていた本能というか。

 震える空気に神経を尖らせて、彼女が示した覚悟そのものを勘付いていた。


「未来」


 自由を手に入れる産声と共に。不屈不撓の覚悟は切り札となり。


 翳す右手は。


「私はね、願いを叶える『奇蹟』の力を知っているんだ」



 ───轟音が辿り着いた。



 凝縮されたエネルギーが弾けたような破裂音。

 まるで水風船を握り潰すみたいな感覚と共に、空気中に鈍い振動が走る。


 反応が遅れた未来ではあるが、振り返る寸前、右手を振るう千依の姿を捉えた。周囲に迸る水滴は横殴りの雨となり、一直線に降り注ぐ雨は暴走状態の人達を巻き込み、触れた瞬間に閃光が轟いた。本能のままに視界を塞いで身構える未来だったが、凄まじい風圧に驚き思わず尻餅をついてしまう。


 一瞬の出来事だった。


 言葉を掻き消すほどの衝撃の凄まじさと光のコントラスト。


 未来でも分かる。現実と夢の区別を。なのに千依が示した行動の数々は物理法則を超越した現象が目の前に起きていたことを。


 これは夢だ。


 気を紛らわす意識は働くものの、指は動かない。


 未来は頬をつねるのを忘れて、ゆっくりと息を呑む。繰り広げる景色に思考は追い付けず、驚嘆する余裕がなかった。疑念や呆然を追い越して、彼女が織り成す神秘的な瞬間にただただ目を奪われていく。


 それでも、眼前に広がる『現実』は紛れもなく超常現象そのものだった。


「『祝福の星エトワール・ブレッシング』! ……これが、今の私の全力だ!!」


 迸る閃光。鮮やかに弾ける雫の勢いは未来の居る安全地帯にも届き、未来も水飛沫を浴びてしまうが、傷が一つもない。むしろ恐怖さえも和らいだような。


 心が温まる。


 淀んだ空気を浄化させる柑橘系の香り。


 背負っていた心の十字架を取り除いたような、自由を取り戻す解放感。


 日常の風景がどんなに幸福なものなのか。彼女の想いを具現化させたような奇蹟の閃光は、あの日見た夏の夕焼けのように、物寂しさを帯びていた。


「いい歳をした大人が、いつまでも足を引っ張るな……!」


 跳ねる水飛沫の中心で右手を引く仕草。

 憑いた悪意を引き剥がす為の鉤爪。そして彼女は小さな拳を作る。

 脅威と立ち向かう姿勢と諦めない勇気。千依は恐怖と向き合っているのに、憂鬱に俯いている暇はない。


 当たり前の日常を取り戻そう。


「子供の背中を押してくれるのか、大人達の役目なんだろうがッ!!」


 再び閃光が炸裂する。


 水飛沫を浴びた人達は一方的に踠き苦しみ、暴走する悪意が心が温まる優しさに拒絶しており、堪えきれずドミノの如く地面に倒れていく。


 二人を脅かす感情の狂乱があっさりと。

 嘘と悲劇が支配していた歪な空気に夜の静寂が訪れた。


 虚構は現実に戻る。


「すごい……!」


 歪んだ惨劇を覆す奇蹟の力。


 膠着していた均衡が傾く。形勢は未来の方に逆転した。

 これでようやく反撃の狼煙を上げられる。絶好のチャンスだ。胡蝶の夢状態から目が覚めた未来は打開策を探すことに。


 不気味なほどに自然と呼吸が整っていて、周辺の景色がよく見える。人々の意識を取り戻す為の突破口が白金千依の奇跡だとすれば、仙崎未来が成すべき奇跡は、最後まで判断を見極める覚悟そのものなのかもしれない。


 駆け寄る未来が出来ること。


 彼女の背中を支え続けるのではなく、見える景色を変えることだ。



 ───『真実』を受け入れることだ。



「……ごめんなさい。私って、こんなにも心の力が脆かったんだっけか……」


 明々白々の笑みが薄れる。表情は白煙に覆われていくように。


「千依?」


 想定外だったのか。あるいは慢心だったのか。

 真相は彼女にしか分からない。


 けれど、目覚めた人達は狂気に満ちた哄笑を喝采し、静寂の境界を作る窓ガラスが粉々に砕かれた。再び暴徒と化したその姿は期待を裏切る結末で、手を震わせて絶句する千依の無力感が、惨劇の続きを意味する。


 なんで。どうして。小さな奇蹟に縋ることも許されないのか。

 

 絶望と向き合う。


 そんな言葉が相応しくて。有象無象の危機が訪れる。


「どういうことなの、ねえってば!」


 翳していた手は落ちる。俯く視線は将来を見ていない。失意に囚われた彼女に声を掛けても届かない。必死に身体を揺さぶる未来の瞳は淀んでおらず、鮮明とした視界に映るのは、怨恨の炎を纏う怪物だった。


「……ただの悪意じゃなかった。未来、これは、───『呪い』だったんだよ」


「呪い……」


「私には無理。ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」


 覚悟も。期待も。そして奇蹟さえも。


 未来を強奪する呪いの手が迫る。影が伸びて日常の風景が遠退いてしまう。心が壊れて自分自身を見失うのは嫌だ。せめて千依だけは助けようと両手を広げて身を呈する未来ではあったが、褪せていた視界が突如回復する。


 白煙が晴れる視界の片隅に。

 邪気を屠る凛とした声の背中姿を捉えてみれば。


 掛け替えのない日常を蹂躙しようとする怪物がいとも簡単に焼き尽くされた。



「刀身抜刀。───国士結界・国禊ぎ」



 火産霊に爛れる憤怒の呪い。


 雑音を捩じ伏せる灼熱の衝撃波は未来達を護るように包む。

 露店などの障害物を無視して自我を失った暴走状態の人達だけに奇襲。業火の渦は悔恨の炎を潰しに掛かる。邪気を燃やす青い炎の前では木っ端微塵にされる憤怒の雄叫びは為す術もない。


 たった一振りが魅せた刹那の一閃。


 宙を描く銀の残像。光を反射する斬心は嘆きの正体を地獄に落としていく。


 少年は不浄を凪ぎ払う。


 鞘に刀身を納める仕草と共に青い炎は消えてしまう。

 その青い炎の中から気絶した人達が姿を現し、ゆっくりと地面に眠る。これ以上暴走することもなければ損傷した様子もない。


 悲劇が訪れる前の平凡な静けさに戻る。

 少しだけゴミが散乱した夏の情景は、再び賑わいを呼び起こすだろう。


 そして、みんなを取り戻した。


「……大丈夫だった? 怪我はしてない?」


 力が入らずへたり込む未来達の前に佇んでいた背中姿がようやく振り返る。

 碧色の残光が周囲に漂う中、威風を携えた少年は微笑を浮かべた。そこまで歳の離れていない年長者の存在は二人の緊張を解くヒーローであり、悲劇を食い止める最後のピースが揃ったことを自覚した。


「う、うん」


 頬に伝う嫌悪の汗は乾いた地面に染みていく。

 動揺を抱いたまま、未来はただただコクリと頷くことしかできなかった。


 安堵を掴み取る代わりに。


 疲労が拭えない。


「良かった……! もうすぐ大人達が集まってくる。気絶した人達も今はぐっすり眠っているだけだから、君は何も心配しなくてもいい。けれど、危ない橋を渡ろうとした天邪鬼なその子は、相手の気持ちを沢山考えた方がいい」


「……私は単純に力不足なだけ。本当なら、もっと、簡単に終わらせていた!」


(千依って、未来よりもワガママなのかな……?)


「その言葉は猛毒だよ。繊細さを欠いた君は困難を招いてしまった。その結果単純な不注意で彼女を危険に巻き込んだのは、紛れもなく自信過剰だろうね」


「違う、私の強さは嘘じゃない! 何も知らないくせに!」


「本物だとして、現状は同じだったよ」


 屈託のない明るさ。卑下することもない圧倒的な実力を目の前にして。


 噛み締める苦い表情は口を噤む。

 苦しい状況を打破しようと行動に至った彼女の覚悟が水の泡に。

 背中を押してくれた期待が叶えず、守られる側だった未来に庇われ、更には視線を追うほどの美しい炎の渦を見て、比べられない奇蹟の巡り合わせに千依がそっぽを向いて拗ねるのも仕方ないのかもしれない。


 目を合わせてくれず、何もない明後日の方へ向いていた。


 それでも時間はやってくる。


「……ここはまだ危険だ。警戒を怠らないように。二人共離れちゃ駄目だよ。何が起きてもおかしくない。まるで、何者かに……」


 言葉が途切れた。


 少年の表情は険しく、歪になる空気の流れに身構えた。


 光を灯す役割を担う街灯。それが糸が解れるように消えて、次々と消灯していく景色は本来の閑散とした姿に戻す。夜空に揺蕩う数え切れないほどの星々の瞬きは未来達を監視しているかのような。


 悲劇は終わらない。


 心はそう理解しても、目の前の事象に抗える術はほとんど欠けていた。


 一体。


 何処に逃げればいいのだろうか。


 重い空気に再び風が舞う。横に振るう銀の残像。


 轟いた破裂音は地面を揺らし続けている。気持ち悪い。酔う感覚がこんなにも吐き気を催すほどなのか。喉元に鉛が詰まる。そんな感覚が続いた。呑み込んではいけないと知りながらも、突っ掛かる憎悪の塊が簡単に許してはくれない。


 大人達が抱いた『呪い』とは何かが違う。


 もっと別の、深淵に蠢く、得体の知れない、───混沌のトリックスター。


 あと少しのところで。


 手を伸ばせば正体を掴めそうなのに。


 光を遮る深海に溺れる。重い身体は深淵に沈んでいく。霞む視界の片隅で白髪に近いプラチナブロンドの少女は何かを必死に叫んでいた。それが自分の名前だと気付いた時には、伸ばしてくれた手を繋ぐことは叶わなかった。


 意識が朦朧になって。


 首に掛けていたネックキーホルダー、黄金のおもちゃの鍵と共に。


 仙崎未来は深淵に消えた───。

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