第5話 俺、魔王に人生相談をされる
夢を見た。
前世の夢だ。
妻と娘と息子がいる。
妻がキッチンで娘とケーキを作っている。
俺はリビングで座椅子の後ろから繰り返しにのしかかってくる息子とじゃれ遊びながら、ケーキが出来上がるのを待っている。
今日は娘の十歳の誕生日だ。
生クリームを顔の至る所につけながらも出来上がったケーキに誇らしげな顔の娘。
その顔をスマホで撮って「見て見て」と言ってくる妻。
ケーキに顔を輝かせて駆け寄っていく息子。
みんな笑顔の家族の光景。
――守らなければ。
そう思ったところで夢から覚める。
見慣れてきた天井。
そこに夢の中で守らなければと思ったものはない。
***
「なんだよ突然」
魔王が部屋にやってきた。あまりに突然だったのでランニングシャツに短パンというだるだるスケベな部屋着でのお出迎えとなってしまった。
「私は骨なのだから骨休みが必要なのだろう?」
そう顎を引いて笑う魔王様に俺は苦笑する。気に入ったんかい、それ。
とりあえず部屋に招き入れ、ソファに座らせる。
「おお、凄いなこのクッションは」
「ええ。精神を堕落させるクッション、略して堕落ッションです」
魔王がソファのクッションに触って驚きを口にする。ふっ、お目が高い。人をダメにするクッションを参考に、魔法とスライムを合成して再現した低反発に身体にフィットしてくる触感に魔法による温度調整機能を加え、夏涼しく、冬温かく、常に適温で使用者を優しく包み込み、天国のようなぬるま湯の底へと身も心も引きずり込む、我が最高傑作の魔道具である。
「おおお……貴様は本当に面白いものばかり作る」
そう呟きながらクッションに抱き着いて顔を埋める骸骨からしか得られない栄養分ってあると思うんですよね。
しばらくその堕落した御姿を鑑賞した後、あらためて訊ねる。
「で、何か御用ですか?」
「いや……ただ少し話したくなっただけだ」
クッションに堕落していたことを少し恥じたのか、顔を上げた魔王はコホンと咳払いをして居住まいを正した。ここからなんぞ世間話でもするのかと少し待ってみたが、何か切り出しにくい話題であるらしく、躊躇いがちに首を傾けながら意味もなくクッションを揉み揉みするなど、彼女の部屋に初めて招待された童貞男子のように落ち着きのない振る舞いを見せる。
あらやだ可愛いと思いつつ、このままお帰りになられてもこっちがモヤモヤするので、こちらから切り出すことにした。
「ご相談ならなんなりと。俺にできることならなんでもしますよ?」
ここが日本ならここで「ん? 今なんでもするって言ったよね?」と骸骨が野獣に変わるところだが、ここは異世界なのでそんな「アーッ!」なことはなく、骸骨魔王は重々し気に天井を仰ぎ、そして意を決したように頷いてから口を開いた。
「私は昔、人間だった――」
それは魔王の生い立ちの話だった。
約千年前に人間として生を受けた魔王は、幼少から魔法の才があり、長じて大魔導士となって生涯を魔法研究に投じたという。
「魔法を極め探求する。それが私の幸せだった。だから人生が終わりに近づくにつれ、死を恐れるようになった」
死ねば魔法研究が出来なくなる。その一念だけで死霊魔法を生み出し、その身を不死の骸骨へと変えたのである。
これは結構にマッドな執念であるが、こいつは捕虜にしたエルフの姫が「虜囚の辱めを受けず」と自決すると、「まだ使える」精神でその遺体を最強キメラ作成の実験に使い、次に動かす魂がないと見るや異世界からの魂召喚実験という前例のない手段に挑戦して、魔改造キメラエルフTS異世界転生アラフォーオッサンという悪魔的存在を爆誕させた奴である。研究者としては完全にマッドな奴であった。
しかし人間が死霊となれば、人間の世界に居場所はない。
「そこで魔界に移住した。魔界は強いものが正しい混沌の世界。力さえあれば人間界から来た死霊が一人魔法研究に没頭していても文句は言われない場所であったからな」
それから何百年も自由に魔法研究をしていたこの死霊の元に現れたのが先代魔王だった。
「先代は私の魔法研究を援助する見返りに、その研究成果の提供を求めてきた。単独での研究には限界もあったから、私はその申し出を受け入れた。互助だ。始まりはただそれだけの関係だったのだ」
こうして魔王城に研究施設を与えられ、約束通り研究成果の提供を行いながら魔法研究に没頭したという。その成果は当然軍事にも転用され、先代魔王の魔界統一に大きな貢献を果たしたそうだ。
「人間界侵攻に至って、私の生み出した魔法が人間を殺すために使われることになった。そのことに私は特に痛痒を覚えなかった。むしろ自分の魔法の生み出す成果に喜びすらした」
元人間である魔王はそこまで淡々と語った後、肩を落として息を吐くと、今までと違う戸惑いの混じった声で言った。
「なのにな、私はそのような人間であったはずなのに……そんな私が魔王として魔界の秩序を守るために働き、その命運まで背負う道を選んでいる――故に訊きたいのだ」
そして俺に訊ねる。
「私が魔王でよいのか? 元人間でありその死に痛みを感じることも忘れた私が、人間から魔界を守るなどおかしな話ではないのか? 異世界人とはいえ元人間の貴様はどう思う?」
縋るように重ねられた問いに、こいつは本当にお固い奴なんだなと思った。骨だけに。
これに俺は自分の膝をポンポン叩いて答える。
「では、この足に膝枕されてくれたらお答えしましょう」
「何故?」
骸骨でもありありとわかる疑問の表情に、俺は何を今さらといった顔で返す。
「そのためにモフモフにしたんでしょ、このケモ足」
「違うが……いや、わかった」
躊躇いながらも俺の答えを聞きたい気持ちが勝ったか、素直に俺の膝に頭を預ける魔王様。
「どうです? このケモ膝枕、そこの堕落ッションにも負けてないでしょう?」
「うむと言うべきなのかなんなのか……おふっ!」
中身がないせいか思った以上に軽いその白くツヤツヤとした頭骨に指を這わせると、魔王様が変な声を出してビクッと震えた。俺はそんなお可愛い魔王様にニヤニヤしながら、あやすような声音で約束の話を始めた。
「俺はこの世界の人間を知らないので元人間うんぬんで魔王様のご質問にはお答えできませんが、それでも一つだけ確かに言えることがあります」
膝の上で俺を見上げる魔王の顔に髪が落ちないよう耳に掛けながら、俺はその暗い眼窩の奥に光を探すように見つめながら言った。
「魔王様が好きなことです」
そして笑い、
「だから膝枕ができる」
その頭を撫でる。
「この城の皆さんも魔王様が好きらしいですから、少なくとも俺も含めてここの皆さんは、好きな魔王様の助けになりたいと思って働いてますよ。もうちょっと頼ってあげた方が喜ぶくらいだ」
それは確かな事実で、だからこの脳ミソないのに頭でっかちの真面目な魔王様に俺は言って聞かせる。
「魔王様が昔は人間だったとしても、今はみんなのことが好きだから魔王としてみんなを守りたいと思っている――そういうもんじゃないですか?」
言いながら「情が湧いた」という実に普通の一般論だなと思いながら、その一般論で魔王を膝枕している自分を顧みて、やはりこれが俺には一番しっくりくる理由だった。
「そんな感情が私に?」
「いや、知りませんけども。ただ、そう思った方が生きやすいですよ」
まだ自分を懐疑する魔王にそう雑に返すと、膝からフッと笑い声が漏れた。
「死霊にむかって」
「生きてますよ。会えて、話せる。俺の元の世界じゃ、死んだらできない話だ」
死を超越する。さすがは異世界という現象であるが、その死霊を膝枕している俺からすれば身体の生死なんて大した問題には思えなかった。そもそも人生相談なんて生きることに迷いのある奴がすることだろうが。
死んだら会えない、話せない。それが俺の世界の常識だ。そんなことを考えたせいか、不意にこの前見た夢の光景が脳裏に浮かぶ。
妻と娘と息子。
「……貴様にも守りたいものがあったのか?」
俺の表情の変化に気づいたのか、魔王が気遣わしげな声でそう訊いた。
「そうですね……家族を、妻と子供たちを守りたいと思っていた」
答える俺は、魔王の顔に水滴が落ちるのを見た。泣いている。俺が。気付かなかった。慌てて天井を仰ぐ。
諦めた。
諦めたからこそ。
「こんなに早く死ぬ予定はなかったんですがね――」
感情が涙を流す。
「戻りたいか?」
その言葉に惹かれるように魔王を見る。
「生きては還れぬ。けれど、魂だけでも元の世界へ戻りたくはないか?」
会えない、話せない。事実は変わらない。しかしこの世界に来たことで証明された、魂という存在があるのなら。
「そうですね」
見守ることぐらいはできるかもしれない。だが――、
「この世界で俺が死んだらお願いしましょうか」
今はこいつが俺の膝の上にいる。
「いいのか?」
「そのぐらいは付き合いますよ」
涙を拭ってそう笑うと魔王も笑い、そして軽く身じろぎしてさっきより心なしか身体を寄せてきた。
「どうやら私も貴様のことが好きなようだ。この膝枕は心が安らぐ――」
「ちょ、魔王様、ドキッとするようなこと言わんでくださいよ!」
「ふふっ……死霊となってから眠る必要がなくなっていたが、今は久方ぶりに眠れる気がする――そうだ、子守歌に何か貴様の世界の歌でも聴かせてくれないか? 先程なんでもすると言ったよな?」
慌てる俺を見上げる魔王は笑いながらそう言って、本当に眠るつもりなのか胸の上で手を組んだ。なんか急にめっちゃデレだしたなこの骸骨。
俺は「あー」とぼやきながら、なんでもすると言った手前、何か歌わざるを得なくなった。歌。歌ねぇ……。
「じゃあ――」
ふと思い浮かんだ歌を口ずさむ。子守歌にするには少し激しい歌だし、映画きっかけで知ったにわかで詳しい歌でもない。けれど何故かこいつに歌ってやりたいと思う歌だった。
前世の俺とは比べ物にならないエルフの綺麗な声で喉を震わせる。静かに物悲しく、それでいて力強い熱のある歌。
“Can anybody find me somebody to love――”
歌い終えて少し上気する顔に、ちょっと熱唱っぽくなっちゃったかなと恥ずかしさを覚える。
「なんという歌だ?」
そこに膝から声がした。
「寝たんじゃないんかい!」
「よい歌で聴き入ってしまった。どういう歌なのだ?」
自覚できるほど顔が熱くなった俺は、しれっとした骸骨顔で好奇心のままに訊ねてくる魔王を憎たらしく見下ろし、
「クイーンのサムバディトゥラブ。歌詞の意味は……」
特に補足説明もせずに答えながら膝の上の骸骨頭を撫で、
「誰か私の愛する人を見つけてください――」
その額を軽く叩いてやった。
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