第11話
すみれは、ある日、やや古い建物の入り口に立っていた。すると、あご髭をたくわせた貫禄のある男性がやってきて、すみれに話しかけた。
「君かね、今日、うちのカフェで女給として働きたいと申し出があったのは。」
「はい。」
「そうか、君は上品で美しいな。これなら君目当てで来る客も多いだろう。あとはどれだけ君が接客が出来るかだな。今から、面接をするから来なさい。」
「はい。」
「どうか、よろしくお願いします。」
そう、すみれと男性は話をすると建物の中に入って行った。すみれは幸せを得たが母親の仕送りの生活に苦悩を感じていた。それは、仕事が終わるとカフェでの給仕の仕事が待っていたからだ。来年の春までに母親の借金が返せるか心配だった。カフェと言っても昭和の初期当時はスタッフは女給と呼ばれている場合が多く中には男性客に接客する店もあったのだった。今でいうナイトクラブのようなものだったかもしれない。すみれはそういう店で女給として働き始めた。カフェは東京都内ではさほど有名ではないところを選んだ。理由は社長に内緒にしていたからだ。そのせいか、建物は古く、決して清潔感のあるカフェとはいえないような雰囲気であった。しかし、そこですみれは頑張ることにした。当時において、他の仕事よりも稼ぎが良かったからだった。店のオーナーは親切であったが仕事に対してはとても厳しかった。初めて行う男性客への接客業はなかなか、すみれにとっては慣れないものだった。すみれは優しく器量も良かったため、すみれを目当てに来る客が多かった。しかし、客にも品のいい客から下品な客までおり、すみれにとっては辛い想いをすることもあった。
すみれは明るい性格であったが話し上手ではなかった。そして特に下品な話には全く対応できなかったのだ。中には体に触れようとする客もいたりした。丁重に断りもいれるも繰り返しそのような行為をするのでありその場合は男性従業員が止めてくれたが他の女給達はうまくかわしているのを、すみれは羨ましく思えた。そのため、辛くて辛くて涙が溢れることもしばしばあった。それでも、大作の笑顔を思い出し頑張るのだった。しかし、女給で働く生活も終わりを告げようとした。すみれの会社の社長が突然に訪れたのである。すみれは、とっさにお手洗いに隠れたがそういう訳にもいかないことにすぐ気づき仕方なく店内で働き始めた。社長が気づくのはあっという間だった。そして、驚きを隠せなかった。すぐさま、店の代表者を呼び出し、すみれと会う機会を設けた。すみれは、とても恥ずかしかった。それだけでなく、仕事を掛け持ちしていることを申し訳なく思ったのだった。しかし、社長はすみれに優しく話しかけた。
「すみれさん、どうしたの、何か事情でもあるんだね。」
「それが・・・」
すみれは言い出すことができなかった。それを社長は見抜き優しく声をかけた。
「早く気づいて、僕が相談に乗ってあげたのに申し訳なかったね。」
「いえ、社長申し訳ありません、実は・・・」
すみれは今までのいきさつを全て話した。しかし、大作のことは恥ずかしくて言えなかった。社長の好意も感じていたこともあった。社長はそれからあることに悩み始めたがすぐに決断した。それはすみれを妻として迎えることだった。そして、カフェの代表者に多額のお金を渡して辞めさせたのだった。社長にとってすみれの母の借金の全額は何ら苦労もなく援助できる額に過ぎなかった。しかも、全額援助して母の家を建ててあげることを伝えたのだ。社長はすみれを愛していたので当然のことをするだけだったのだ。しばらくして、会社で、すみれを呼び出し話し始めた。
「すみれさん、すみれさんは私のことをどう思っていますか。正直でいいですから、話して下さい。」
「とても優しくて信頼しています。」
そう、すみれが答えると社長は決意して伝えた。
「私と結婚していただけませんか。」
すみれは何と言っていいか分からなかったがやっとの想いで答えた。その時は母親の借金は社長が全額払い。社長から家を建てもらい、毎月仕送りまでして頂いてもらっていたので、すみれにとっては言葉を選んで答えるのが精一杯だった。
「少々、お時間をいただけないでしょうか。一度、東京に帰ってきてもよろしいでしょうか。話が突然なものですから・・・」
社長も突然の求婚だったので理解して静かに待つことにした。優しくてすみれにとって大作を除いて一番の理解して信頼できるのは社長だったので婚約を交わしたすみれにとっても簡単には断ることは困難だった。
清美は完治して、病院のスタッフに温かく見守られての退院の日を迎えた。特にトレーナーからはお祝いの花束を頂いて清美も感謝の意を表した。清美はうれしくて、うれしくてたまらなかった。また仕事とボランティアが出来るかと思うと夢のようであった。直哉はどうしても気がかりなことがあった。その後も毎月決まって銀行口座に多額のお金が振り込まれていったからだ。それが逆に怖くなったのである。清美にも事情を話した、いわば清美の恩人でもある訳だからだ。講座名義人は黒沢利宗と書かれてあった。二人はいざという時に返済できるように、その後は振り込まれたお金には手をつけずに別の口座に積み立てていったのだった。その後も老人と会うことは一切なかった。結婚資金に使おうとも考えたが二人はその選択は取らなかった。謎だったのだ。清美には母親がいた。直哉は母親に婚約の報告したのだったが、初めて清美の母親を見て直哉はびっくりした。年は違えど瓜二つのように似ていた、親子とはこんなにそっくりに似るものだと思ったのだった。母親は清美と同様に優しくて結婚に対してすぐに賛成してくれたのだった。しかし、直哉はどうしても毎月多額のお金を振り込んでくれる人にもう一度会いたかった。そして、お礼を言うとともに余ったお金を返したいと思っていた。申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。
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