第10話

幸せな風が大作に吹いていた。大作は花模様の指輪を買い求婚するだけだった。しかし、すみれは東京に帰って来ることはほとんどなく帰って来ても、恥ずかしがり屋の大作はなかなか求婚できなかったのだった。すみれの母は今は親戚の家を出て安いアパート住まいだった。貧しかったので近隣で最も安いアパートだったのだ。しかも、体がもともと弱かったため生活費だけでなく医療費など支出も多く貧しさを極めた。すみれは、母の生活の再建のために仕送りをしていたが銀行の給料だけでは足らなかった。そこで、すみれは社長に内緒でカフェの女給の副業を始めたのだった。手紙ですみれの実家が火事になり事情を知っていた大作も指輪を購入した後は毎月、賃金の余りを可能な限りすみれに送金していたのだった。しかし、送金と言ってもほんの僅かであった。大作の家庭も貧しかったからだ。すみれとは手紙の中で苦労しているのが手をとるようにわかり、助けてあげられない自分に腹立たしさを感じており、悲しくてたまらなかったのである。それでも、すみれは大作の優しさに惹かれずにはいられなかったのだ。しかし、すみれの仕送りでは母の生活は成り立たず、母は借金を遂にし始めたのだった。すみれと大作だけの仕送りでは働く事のできない母親にとって仕方のないことだった。すみれはいてもたってもいられなかった。

すみれと大作の中で春先に帰って来ることが手紙のやり取りでわかり大作は遂に決心したのだ。季節は巡り巡って遂に時はやってきたのであった。そして、いつもの桜の木の下にすみれが来たのだ。大作はありったけの勇気を出してすみれに告げた。

桜の木の花が優しく舞い落ちる時だった。

「すみれさん、僕と結婚してくれませんか。」

すみれは涙に溢れた。うれしくて、うれしくてたまらなかったのだ。そして、小さな声で答えた。

「私でよろしければよろしくお願いします。」

すみれも突然で恥ずかしかったのだ。しかし断る理由などなかった。すみれは一日たりとも大作のことを忘れる日はなかったからだ。それから、すみれはこう告げた。

「大作さん、来年の春にここで結婚式をあげるのはどうでしょうか。」

理由は仕事のことと母親の借金を返せるのがそのくらいの時期だったからだ。大作は持ってきた指輪を出せずに残念ではあった。しかし、婚約ができて幸せでいっぱいだったのだった。花模様の指輪は結婚式の時に渡そうと決めたのだ。そして、すみれに大作はこう伝えた。

「すみれさん、明日までここで過ごしませんか、婚約の記念として。」

「はい。」

そう、恥ずかし気にすみれは答えた。毎月、大作が仕送りしてくれることに対して感謝の気持ちを伝え二人は幸せな時間をすごした。桜が舞落ちる中で二人の時は溶け合い過ぎ去るのはあっという間であったが二人は幸せに包まれた。それでも十分に二人は幸せだった。幸せ過ぎるほどだったのだ。翌日はすみれは大阪に行くことに、そして、さびしく花模様の指輪は光っていた。



清美の闘病生活は苦しかった。リハビリは毎日、少しずつ始まった。特にリハビリの時はトレーナーも出来るだけのことはしていたが、どうしても痛みがあったのだ。時には厳しく時には優しくトレーナーは一生懸命に清美にリハビリを行ってくれた。清美は痛みの辛さに耐えるのに必死だった。しかし、清美の持前の頑張りが光るのだったのだ。そのため、少しずつではあったが手足は動くようになっていった。清美は希望の灯りが少しずつ見えてきたのだ。ある日、直哉が薬代を負担するために通帳を記帳した。気にはなっていたが、やはり毎月のように知らない名前の人から多額のお金が入金されている。東京湾で助けてくれた人には違いはなかったが、直哉は誰なのかわからなかった。そのため、借金は完済して終わったのだ。余裕すら出てくる状況になり一層、清美への闘病生活を支えることができるようになった。そして、毎日のように清美に寄り添う日々が続いた。直哉は完治したら、もしくは完全に出来ずともある程度よくなった時にプロポーズする予定だった。清美も密かに待っていたが、施設の子供達のことも気になっていた。悠太君、頑張っているかな。みんな元気にすごしているのかな。私の病は治るのかな。直哉さんと幸せになれるのかな。さまざまな不安が清美を襲っていた。そう思うと涙が取り留めなく溢れてベッドで横たわる清美の肩まで流れた。もしかしたら、清美が寝ている枕まで雫でびっしょりになっていたかもしれない。しかし、それが、清美にとって一番の幸せであり、闘病に対する薬だったのかもしれなかった。ある日、施設の子供達が車椅子に乗って、施設の職員たちに支えられて見舞いに来たのだった。清美は一人一人の手を取って互いに励まし合った。子供達は一人一人が明るく元気であった。今度は清美があたかもボランティアをして頂いているような気持ちになった。そして、うれしくて、うれしくてたまらなかった。清美も一人一人の子供達の笑顔を見て元気に過ごしているのだと安心できた。そして、一日も早く良くなり子供達の元へ行きたい気持ちでいっぱいだった。最後は子供達が清美に繰り返し励ましの言葉を送って帰ったのだった。

「清美お姉ちゃん、早く良くなって風船をふくらませてね。また、一緒に遊んでね。」

「ありがとう、みんな、早く良くなって会いに行くからね。」

「清美お姉ちゃん、元気で病気に負けないで。」

「ありがとう。頑張るからね。」

そう、精一杯の声で子供達に別れを告げた。

奇跡は起きたのだった。時は思いのほか早く流れ、清美も完治して近く退院することになったのだ。それから、直哉は静かに清美に告げた。

「僕と結婚してください。」

「はい、こんな私でよろしいのでしょうか。」

「僕が必ず幸せにします。」

二人は幸せの絶頂を迎えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る