最終話

大作はペンネームとして、名前を沢村幸太郎としアメリカを中心に海外で活躍していた。繊細で日本文化を美しく描いた作品は高く評価されておりアメリカで豊かに生活していた。しかし、大作は高齢になり癌が緩やかに進行して長くない命だった。最後の出版依頼を受けて執筆中だったのだ。大作は一人あの頃に戻りたくなって、アメリカから帰国した。そして、若き日の思い出の場所である所へ向かった。それは、すみれと出会った桜の木の下だった。桜の木はまだあるのだろうか。そう思いながら、桜の木に向かったら、やはりあの頃と全く同じだ。桜の木から、ゆらゆらと花が舞っている。そうだ、私の最後の出版依頼のある小説の構想をここで練ってみるか。

あの頃のように木の下で寝てみてね。あの頃と同じだな。すみれさんは幸せになったのだろうか。僕は今でも大事に着物の人形を花嫁人形として大事に持っているよ。

結局、あの人形のように僕達は前に進むことができなかったね。でも、幸せだったよ、すみれさん、すみれさん。また、会いたいよ。清美と直哉は同居して生活を送っていたが、仕事の都合上、区役所に婚姻届けを提出していなかったのである。今日は清美と直哉が役所に結婚の届けをすることになっていた。しかし、朝から清美は少し機嫌が悪かった。それは、今日の朝になって母親から電話があり一緒に婚約届を提出したいと言い出したのだ。通常は二人で提出するものだと思っていたからだ。せっかくの儀式的な雰囲気を楽しみたかったので、残念な気持ちでいっぱいだった。しかし、母の苦労を想うと簡単に断ることはできなかったのだ。

「もう、どうして、お母さんまで届け出に付き合うの。」

「大丈夫よ、遠くから眺めているだけだから。」

「仕方ないな、せっかく二人で届け出をするつもりだったのに。」

早速、直哉が迎えに来て3人で区役所にむかうことになったのだった。

「あ、しまった。昨日、わざわざ支店長に証人になってもらって婚姻届出書を机の中に入れっぱなしだ。」

出発前になって清美はようやく気がついたのであった。

「あら、清美も相変わらずそそかっしいのね。」

「直哉さん、ごめんなさい、途中で銀行に寄りますね。」

「ああ、ゆっくりでいいんだよ。」

銀行に到着して、清美は急いで届出書を封筒にも入れずに持って外に出た瞬間だった。突然、強風が吹き届出書が飛んで行ったのだった。

「あ、どうしよう、走らないと。」

銀行のすぐ近くに一本の桜の木がありそこに飛んで行ったのだ。風は優しかった、届出書はなんと大作の顔を覆ったのだ。木の下に誰か寝そべっているわ。そこに落ちたみたい。そう思い、清美は大作のもとへ駆け寄った。

「すみません、私の書類がそちらに飛んでいったのですが見当たりませんか。」

「すみれさん・・・どうしてここに。」

まぎれもなくすみれと初めて出会った時が再現されたようだった。

「すみれとは私のことですか。」

「もちろんだよ、約束を守ってくれたんだね。」

「何のことでしょうか・・・」

「そうか、そうだよね、時はもうすでに何十年も経つからね。」

「それに、君は若い、すみれさんではないのか・・・」

大作はやっと気づいた。それほど、すみれと清美は似ていたのだった。清美は、一人呟く高齢者のことが気になり声をかけた。

「どうか、されたのでしょうか。」

「ああ、まさに君は私の大事な人にそっくりだよ。実はね、私は君に似た女性と初めてここで知り合って、ここでお別れしたんだ。何、話せば長くなる、申し訳なかった。あの時の様に書類を返すよ。」

清美は気になったので大作に理由を聞いたのである。大作は当時の頃を振り返り清美に話していた。タクシーの中で待っていた直哉と母は清美が帰ってこないのが気になり銀行に向かった。近くの桜の木にすみれがいたのに気がつきすみれの元まで歩いていった。そして、清美と大作の話を聞いて気づいたのだった。

「もしかして・・・お父様。」

そう、母親は言い。

「あの時の方ではないですか。」

そう、直哉は言った。大作こそが仕送りをしていた人物であった。二人は互いに再会を果たしたのだ。

「どういうことかね。」

「これを見てください。母の形見の写真です。私はすみれの娘です。この子は清美といいまして、私の一人娘です。ほら、あなたの祖父になる方よ。」

そう、すみれの母親は言って写真を大作に渡した。

「この写真に写っているのはすみれさん。それにあの頃のお土産の花嫁人形を持っているじゃないか。」

そこには、花嫁人形を持ち幸せそうに笑っていたすみれが写っていたのである。

「お父様・・・、お父様だったのですね。私の母は昨年、他界しました。私には今まで父親がいませんでした。ずっと母が一人で育ててくれて。何かある度にお父様のことばかり幸せそうに私に話すのです。」

「お父様との思い出話をよく聞かされていました。」

大作はその当時のことを話し出した。母親はすみれから社長とのやり取りまで聞いていたので、そのことを大作に伝えた。そして、自分を産んだ後もすみれが大作を探していたことも。すみれは一生、その後男性と交際をせず、大作を待ち続けたのだった。ああ、そうだったのですね、実はあの当時書いていた小説が海外で評価されて。

「あれから、私はアメリカで生活することになりました。私は今まですみれさんのことは一度も忘れたことはありません。私のバックの中にありますが、すみれさんから頂いた人形を大事にしまっています。これです。」

「お母様・・・」

「そうだったのですね、すみれさんは、私のことを探していたのですね。」

「はい。」

大作は不思議な気持ちでいっぱいだった。清美がすみれにしか見えなかったのだったのだ。そして、清美に懇願したのだ。

「清美さんと言ったね。」

「はい。」

「お願いがあります。一度だけで構いません。一度だけ薬指を私の前にだしてもらえませんか。」

「わかりました。」

すみれは薬指を差し出すと大作は花柄の指輪を清美の薬指につけたのだった。そして感慨深げにしばらく見つめては指輪を清美から外して清美に話しかけた。

「ありがとうございます。これで夢が叶ったような気がします。ようやく願いが叶ったような気がします。私も病気で、そう長くありません。最後にすみれさんと過ごした桜の木の下に来たところでした。本当に、ありがとうございました。」

「すみれさん、僕の願いは叶ったよ・・・ごめんね、一緒になれずに・・・」

大作は涙に溢れていた。

「きれいな、花模様の指輪ですね、この指輪を頂けませんか。他界した祖母のそばに置いておきたいのですが。」

「ああ、もちろん、そうしてもらえるとうれしいよ。今度は空の上ですみれに直接渡すからね・・・すみれさん・・・」

清美の母は感謝の気持ちを伝えてこう話し始めた。

「最後まで大作さんのことを話していました。最後は桜の木の下に行きますと言って亡くなりました。きっと、その想いが叶ったのでしょう。」

「すみれさんは元気にされていましたか。はい、元気でした、いろいろな方から求婚されましたが全て断りました。お父様との約束を守らないといけないと常々申しておりました。」

「でも、やっと会えたよ、清美さんはすみれさん、そのものだ。久しぶりに人形のぜんまいを巻いてみるかな。あ、動いたではないか、どうして・・・」

「そうか、そうか・・・私に会いにきてくれたんだね、すみれさん。」

「待っていたよ。でももう会えないと思っていたけれど会うことができた。」

「私もさほど長くはない。空の上でまたあの、お結びを食べさせてくれるかな。また、二人で食べよう。」

「おじい様・・・人形が微笑んでいるように見えます。」

「本当だね。すみれさん、やっと会えたよ、私ももうじき君のそばに行くから待っていてくれ。」

そこで、直哉が大作に再び話かけた、大作も直哉に話しかけた。

「あなたは、僕を助けてくれた人。どうして、僕を助けてくれたのですか。」

「そして、毎月のように口座に振り込んでくれたのですか。ああ、あれは手紙に書いたとおりなんだが、私も救うべき人が救えなくてね。その罪滅ぼしをしたかたっただけなんだ」

まさに、救えなかった人とはすみれのことだったのだ。

「そうだったのですね。おかげ様で僕達は結婚することができました。そして、結婚資金に余ったお金は使わせて頂きました。」

そう、直哉が言うと静かに大作は呟いた。

「ああ、そうか、そうか、それは良かった。私の願いが叶ったのだよ。ありがとう。」

決して動くことのなかった人形がカタカタと音をたてながら。桜の木の下で優しく微笑みながら歩いていた。幸せの音とともに。桜の花がそこには美しくゆらゆらと舞っていたのだった。




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