第2話 奇跡という小さな灯り
桜の花が大作の心の動きをあらわすようにゆらゆらと舞い降りていた。
「今日もすみれさんが来るかな。」
大作は一人呟くも小説の構想といえば相変わらず、全く無かったのだ。そして、すみれの優しい笑顔しか脳裏には映らなかった。そこに、大作が心待ちにしていたすみれが突然に現れた。優しい笑顔となびく黒い髪とともに。大作はうれしくてたまらなかった。
「大作さん、今日も木の下ですか、そうじゃないかと思って、お弁当を二つ作ってきました。聞いてください、今日は班長から、すみれ君はソロバンを打つのが遅いと怒られて、私はどうしてこんなに能力がないのかなと落ち込んでいます。」
すみれの癖なのだろうか。やや早口でまくし立てるように大作に訴えたのだった。
「それは僕も同じだよ。小説家になりたいけど、全然イメージがわかなくてね。落ちて来る桜の花を見ているだけだよ。それより、すみれさんが作って来てくれたお弁当を一緒に食べていいのかな。」
「もちろんです。でも、朝と夜の料理は毎日母が作ってくれて、お昼のお弁当はいつも私がつくるので、忙しかったり貧しかったりで、梅干しが乗っているばかりなんです。」
「今日、初めて、おむすびというものを作って来ました。なかなかきれいな三角形の形にならなくて・・・しかも塩加減もよくわからず、大作さんが美味しいと思っていただけるかとても不安です。」
そう言うと小さなお弁当箱を二つ風呂敷から取り出した。すみれは恥ずかしくも、とても幸せな気持ちでいっぱいだった。
「大丈夫だよ、僕なんかさ、家に帰って白ご飯にたくあんの漬物しか食べていないから、おむすびなんて久しぶりに食べるよ。」
大作は表情を輝かせてそう答えた。なにしろ、初めて女性からお弁当というものを作って貰えたので、うれしくてたまらなかったのだった。作って貰えるだけでも十分に幸せだった。
「本当ですか、作ってきてよかったです、一緒に食べましょう。」
「そうしよう。」
「すみれさん、美味しいよ、これは卵焼きかな。」
「はい、卵が一個しかなかったので多くは作ることができませんでしたけれども。」
「すごいなあ、卵焼きなんて初めて食べるような気がする、早速、食べてみるね。」
「はい」
大作は母親と二人での貧しい生活を送っていた。それはすみれも同じことであったのだ。特にすみれは亡くなった父親の借金などの返済があるなど、母親とともに苦しい生活を送っていた。二人は貧しくも精一杯に生きていたのだった。
「お味はどうですか、しょっぱくないですか。」
「ううん、美味しい、こんなに美味しい料理を食べたのは初めてのような気がするよ。」
「気がするのですか。」
「いや、ごめん、初めてだよ。」
「ふふふ」
「また、明日もここで待っていていいかな。」
「はい、私も明日が楽しみです。」
ここにも小さな灯りがあったのだった。
銀行の通りにはすでに秋風が吹き枯れ葉が少しだけ舞っていた。清美が銀行に出勤すると支店長は清美に優しく話しかけたのだった。
「清美さん、この間の書類を融資先の会社に届けてくれただろう。実はね、あそこの社長からお礼を言われたんだよ。私もびっくりしてね、提出が遅いのに不思議だったからね。なぜだと思う?」
普段、厳しい支店長も今日ばかりは上機嫌のようだった。
「いえ、私にはわかりません。」
不思議そうに清美が答えると、支店長はさらに話しかけた。
「社長が君のことを気にいったみたいでね。君は優しいし可愛らしいからね、社長も笑いながらそう言っていたよ。誤字、脱字などがあるけど、書類に添付していた遅くなっていた理由などのお詫び状が可愛らしいってさ。あそこの、会社は勢いがあるから、今後も君が対応してくれたまえ。」
「はい、わかりました。どうも、社長も精神的に疲れているみたいだよ。君の優しい言動がよかったんじゃないかな。」
「ありがとうございます。」
「お礼を言うのは私の方だよ。」
「あの会社とは良好な関係でいたいからね。」
数日前から取り組んでいた事務処理が終わり、清美も蓄積された疲れが吹き飛んでいったようだった。支店長とのやり取りを聞いていた直哉は清美に優しく話しかけた。
「よかったね、清美さん。」
「ありがとうございます、直哉さん。」
「清美さん、今日の夕食を共にしないかな。でも、ボランティアが大事だね。」
「いえ、たまにはお休みをして直哉さんと食事に行きたいです。それに、相談したいことがあって。」
「それは何かな。」
思いつめた清美の表情に直哉はいてもたってもいられなかった。直哉は清美より二つ上であり、清美と同期の新入銀行行員だった。遠い北海道の大学を卒業して東京で単身で生活をしており、清美も東京で生まれ育ったが直哉と同様にアパートで単身で生活していた。直哉が連れて行った小さなレストランに到着し、ボックス席に相対してすわると、直哉は清美の瞳に僅かな雫が浮いているのを直哉はすぐさまに気づいた。直哉はいてもたってもいられなかったのだ。
「清美さん、どうしたの。」
「いえ、やっぱり直哉さんとの久しぶりの食事ですから楽しい話をしましょう。」
「いいんだよ、僕に何でも話して欲しい、清美さんに少しでもいいから力になりたいな。」
清美はうっすらと涙が頬を伝いながら話しかけた。
「実は雄太君が・・・」
「雄太君がどうしたの、清美さん。」
雄太は生まれつき右腕に障がいがあり特に手首から先に麻痺が残っていた。先月に手術をしたばかりのことだった。
「手術が成功しなかったみたいなの。」
「そんな・・・」
「でも、雄太君は指が動いたような気がしたと先日、私に話して。その時は良かったねと言ったけれど・・・今後、なんと声をかけてあげればいいかわからなくて・・・」
「もう、雄太君の指は動かないのかな。」
「もう一度手術をするかもしれないとお母様がおっしゃっていました。でも、雄太君は動けるようになると信じていて。」
「ご両親は雄太君には手術が失敗したという説明はなかったのかな?」
「それが、辛くて言い出せないみたいで・・・」
「そうだよね、言えないよね。」
「ごめんなさい、せっかくの食事なのに暗い話になってしまって。」
「こちらこそ、ごめんね、何と言えばいいかわからないな。」
「そうですよね。」
直哉はなんとかその場の雰囲気を変えようと話しかけてきた。
「奇跡は起きるよ。いや奇跡ではなく明るい現実が訪れるから気を落とさないで。」
優しく声をかけた。清美は辛かったが奇跡を信じるばかりだった。
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