第23話 無実の罪3

 レテがふっと微笑む。

「ディスさんはトレスウィリに向いていないように見えます」

「同じ事を他のエクススルにも言われたよ」

「そうなんですか? それならやっぱり向いていないんですよ。だからきっと辛いと思うんです。でも、ディスさんにわからないように、私にもディスさんがどうやって生きるしかなかったのかはわかりません。だから、わからない事はお互い様です」

「レテ……」

 この娘は、他者を思いやる心をしっかりと持っている。

 しかし死期は近い。もういつ処刑命令が下ってもおかしくはないのだ。

 こんなところで死んでいい人間などではないだろうに。

 せめて事件を再捜査してくれたら、レテが犯人ではないという証拠が何かつかめるかもしれないのに。

 トレスウィリは処刑を執行するだけの存在だ。上に決定に異論を挟むことは許されないし、異論を唱えることすら叶わない。

「レテ、俺には君を助ける権限がない……本当にすまない」

「どうして謝るんですか? ディスさんは悪い事なんてしていないのに」

 レテの声が穏やかになる。

「ねぇ、ディスさん。私は父を殺してここへ来たんです。資料を見たんですよね? 殺人の罪を犯したのは私が自分で望んだ事です。だからディスさんが謝るような事は本当に何もありません」

 どうしてなんだ。

 どうして、レテは生きる選択を持たないんだ。

「……君は、死にたいのか?」

「死にたくなんてありません。できる事なら生きていたいです。死ぬのは怖いですから」

「そう、だな」

 死にたくない。

 助けてくれ。

 聞えなくなるくらい多くの声は今も頭にずっと響いていて離れる事はない。

 人は誰だって生きたい。

 生きている事でしか、何かを感じる術がないから。

 死んでしまえば何もなくなる。

 何かを楽しいと思った心も、幸せだと感じた温もりも、死にたくないと希んだ願いも、何もなくなってしまう。

 だから生は手放せない。

 その筈なのに。自分でそう言ったのに。

 目の前のこの少女は、自身の矛盾に気付いているのだろうか。

「そんなに不思議ですか? 簡単な事だと思います。生きたいと願う想いと罪とは対等ではないのですから」

「罪とはそんなに重い?」

 死ぬ理由などないようなこの娘の前で、罪の重さなど計る意味があるのだろうか。

「勿論です。ディスさんはそうは思わないのですか? トレスウィリである貴方なら、そう思うのが当然ではないのですか」

 長い沈黙が続く。

 はっきり言って俺は、個人的にはそうは思わない。

 どんなに重い罪でも、死に相当する程の罪など存在しないのではないかと思う。

 いや、比べることなどできないのだと思う。

 人の生を奪うとは、絶えず誰かの怨嗟の声を心に受け続ける事だ。

 その声は心が壊れて音が届かなくなるまで消える事はない。

 奪ってしまった命はどうしたって返す事ができない。だから死んで償う、というのはそもそも違う気がする。

 死は物事からの完全なる解放だ。

 死して失うものは全てだ。誰かの全てを奪った代わりに他の誰かの全てを失わせる。

 失うものばかりになってしまう。

 本当に奪った償いをするのなら、生きて心に満ちる声に耳を傾けて耐え続ければいい。

 赦されないかもしれない。けれど、生きて償い続ければいい。死んでしまえば憎しみをもった誰かは永遠にその人を憎み続けるかもしれない。

 死、なんて反則だ。

 悔いる心がある限り、全てを失くす程の罪など存在しないのではないだろうか。

 でも、俺のその考えは、トレスウィリとして正しくはない。トレスウィリとは死をもって罪を浄化する者だ。浄化は死でしか満たされない。

 それは十分すぎるほどわかっている。

「ディスさん、私、ケーキがいいです」

「は?」

 急な話題転換に置いてけぼりを食らって、多くの事を考えていた脳が一瞬停止する。

「さっきの、サプライズの話です。チョコレートをサンドしたり飾りに絞ったりしてふんだんに使った、くどいくらい甘いケーキがいいです。それが最期の晩餐だったら最高です」

 車を降りた時に見せたのと同じ笑みを浮かべて、レテは真っ直ぐにこちらを見つめた。

「ああ、任せておけ。知っていても吃驚するようなケーキを食べさせてやるから」

「だから、そういう事を言ったら驚きが半減してしまうじゃないですか……」

「それでも驚かせるくらいじゃないと真のサプライズとは言えないんだ。楽しみにしていてくれ」

「ふふ、はい」


 レテを9の牢に戻して執務室に戻ると、エブレが一枚の書類をつき出してきた。

 それを受け取って、すぐにまた牢の方へ向かう。

「エクススル14」

「なんだよ」

 この報告は何度やっても嫌な気分になる。

 相手が重罪を犯した人間でも、人を一人殺すのだ。

 そう、殺す事に変わりはない。既に決定している事だ。

 悩んでも迷っても、何も変わらない。

 すぐに言い出せない自分に心の中で渇を入れてエクススル14をしっかりと見据えた。

「刑の執行日が決定した」

「……い、嫌だ、死にたくない……!」

 柵ががたがたと音を立てる。

 それを掴むエクススル14の手が震えているのだ。

「嫌だよ、俺は、まだ……だって、二十日しか経ってないだろ? ここへ来て、まだ、殺さないでくれ!」

「……俺には、決定を覆す力はない」

「嫌だ、嫌だいやだいやだいやだ……! 死にたくない! 死にたくないっ!」

 エクススル14の顔を見ないように官帽の鍔を軽く降ろす。

「……処刑は四日後の午後十時だ。せめてもの見送りに執行日の夜は食べたい物があれば何でも用意する。会いたい者がいれば手はずも整える。考えておいてくれ」

「ディス! 嫌だ! 助けてくれ!」

「……俺だって君を殺したいわけじゃない。でもこれは君がした事の報いだ。まだお祈りの時間はある」

「ディス……!」

「四日後に迎えに来る」

「助けてくれよ!」

 それ以上は限界だった。

 エクススル14の助けを求める声が、生の続きを求める声が回廊に響き渡る。

 共鳴したかのように他の牢からの柵を揺らす音や叫び、笑い声が狂気を帯びて室内に満ちた。

 多くの音は冷たい石の温度に吸い込まれて、やがて空気の振動が止み、辺りは夜に相応しく静かになった。

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