第21話 無実の罪1

 見回り中に会話が聞こえてくる。

「9、本でも貸してあげよっか?」

 エクススル12の声に、早歩きでそこまで向かう。

「おい、そういう事はトレスウィリを通してやってくれ」

「貸すくらい別にいいじゃない」

「だいたい、どうやって貸すつもりだ? 君もエクススル9もそこからは動けない」

「えっと、投げ入れるとか?」

「こんな隙間に入るものか」

「そんなのやってみなきゃわからないわよ」

 こいつはいつもいつも言い返してくるな。

 なんて鬱陶しいんだ。

「あのっ」

 背中を打つような声に、エクススル9の存在を思い出す。

 なんとも変なやり取りをしてしまった自分を省みて、溜息が出る。

「……そういうわけだ。どうする?」

 借りるかどうかを決めるのはエクススル9だ。

 彼女の方を向いて意思を確認する。

「私は、なくてもいいんですけど……」

「えっ、そう? 本嫌い?」

「嫌いかどうかはわかりません。えっと、その……読んだ事がないんです」

 俺とエクススル12の声が重なる。

「ない……?」

 エクススル9が恥ずかしそうに顔を背けた。

「へ、変ですよねっ」

「いや……」

「変よ。雑誌も? 漫画も? 伝記も? 小説も? 本当にないの?」

「は、はい。そういったものは家になかったもので……」

 恥ずかしいのか頬を少し染めているエクススル9をエクススル12は不可解なものでも探るようにじっと見つめている。

「あなた、もしかして読み書きもできないんじゃない?」

「う……恥ずかしながら……その通りです……」

「学校にも行かせてもらえなかったのね」

 義務ではないが、普通なら行く筈の学校へも行かなかったなんて、相当貧しかったのだろうか。

 学校。

 その言葉の響きは俺を複雑な思いにさせる。

 トレスウィリの子であった俺は、他の子達と一緒に登校する事など許されなかった。

 だから俺も学校へ行った記憶はない。

 勉強は家でするものだった。だから学歴のある者に学力の面で劣るとは思わない。

 けれど、同じ年頃の友達と歩き、笑い、切磋琢磨して学業に励む事に憧れはある。そんな日が来る事は無いと知りながらも、求めなかったわけではない。

 この少女も、そうなのだろうか。

 俺と同じ気持ちだったのだろうか。

「学校……? あそこに行けるのは特別な子だけじゃないんですか?」

 その問いに、エクススル12と二人で絶句する。

 まさか学校がどういう場所なのかを知らないというのか、この子は。

 同じく抱いた疑問を口にしようとしたのだろうエクススル12を手で制してエクススル9の瞳をしっかりと覗く。

「今の話は忘れてくれ。知らない話をしてすまない」

「いいえっ、私が無知なだけなのでお気になさらず」

「そうする」


 翌日もエブレが部屋に迎えに来て、今日も監獄での仕事がはじまる。

「ディス、調子どうだ?」

 執務室に着くなり、官帽を脱いだエブレが真面目な顔で話しかけてくる。

「調子って……何の?」

「夜の」

 内容のくだらなさに、思わず肩の力が抜けそうになる。

「……お前な、俺相手にそんな事を訊いて楽しいか?」

「まさか! 楽しいわけないだろ。俺さ、最近お前のそういう顔見るのが楽しいらしいんだ」

「は?」

 何を言っているんだろう、こいつは。

 軽く殴ってもいいかもしれないな。

「それそれ! その顔!」

「……被虐趣味か……? 俺は呆れているんだぞ……」

「ふ、わははっ、面白れー!」

「……お前もう帰れ」

「ははは、それは冗談としてさ」

 冗談が長いんだよな。

「9ちゃんのことなんだけど、愛想はいいんだけど、あんまり話してくれないんだよなー」

「そうか」

「そこでディスの出番です」

「……?」

「9ちゃんがどうしてお父さん殺したのか、聞き出せないかなぁ?」

 どうでもいい。

 これまでの俺ならそう切り捨てていたことだろう。

 でも、今は知りたい。

 そもそもエクススル9は本当に殺人犯なのだろうか。

 裁判の資料を見るに、きちんと証拠も自白もある。

 だが、それがなんだ。

 冤罪は有り得ない事ではない。

「……やるだけやってみよう」

「えっ、マジで?! 嘘みてー……」

 またエブレの冗談だったのかもしれないが、それこそどうでもいい。

 驚いているエブレを執務室に置いて、エクススル9の牢の前まで行く。

「エクススル9、出ろ」

 ぼんやりと壁を見つめていたエクススル9が俺を見る。

「はい? 面会ですか?」

「いや、……少し訊きたい事がある。いいか?」

「訊きたい事、ですか? 私に?」

「ああ。来てくれ」

「はい」

 柵の戸を開けて、エクススル9の半歩後ろにぴったりとくっついて歩く。

 エクススル9は『面会か』と言った。

 ここへ来たからには死の直前まで誰との面会も叶わないという事を知らなかった。

 この娘は本当に物を知らない。

 これまで、一体どういう生活を送ってきたのだろう。

 薄暗い通路を抜けて、更に暗い回廊を歩く。

「あの……どこへ行くんですか?」

「拷問部屋だ」

「拷……っ?! あ、わ、私、何か悪い事でもしましたか……?」

 エブレとも拷問部屋で会話をしたことがあるだろうに、何故こうも驚くんだろうな。

「え? ああ、すまない。君を拷問にかけるわけじゃなくて、ただ話をするために行くだけだから安心してくれ」

「そ、そうですか……吃驚しました」

「牢だと会話が筒抜けだからな。エブレとだって行っているだろう」

「それは……はい」

 だったらどうして俺だと拷問だと思われたんだろう。やはり、エクススル9は俺のことを怖がっているのか。

「名前通りの目的に使われる事はないのですか?」

「ない事はない。規則を破った奴に使用した事もあるし、外部から依頼されて拷問を行う事も多々ある」

「…………」

 他者への過剰な暴力行為、自殺未遂、トレスウィリへの抵抗など、禁止されている事項を破る者は決して少なくない。

 監獄へ来た時には死へのカウントダウンがとうに始まっているエクススルだ。心理状態が普通でなくなる事こそが普通なのだろう。

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