第20話 車輪刑
「これより刑を執行する」
習慣となった言葉を舌に乗せ、広い場内のどこにも聞こえるように声を張る。
ざわついていた場内はいつもそれで静まり返る。
「エクススル8を、十二件の連続放火の罪で車輪刑に処する。8、何か言い残す事は?」
「……」
生気のない顔。何も映していないうつろな瞳。
エクススル8は監獄へ来た時から既に生を感じさせなかった。
死ぬ事が決まった。それが彼から全ての気力を奪い去ったのだろう。
彼には何も言うべき言葉がないのだと理解して、エクススル8から目を逸らす。
執行台に立てかけておいた車輪を手に取った。
車輪刑は、この車輪をエクススルの体に打ち下ろして骨を砕くことから始まる。
太陽は炎の車だと考えられている。だから車輪は太陽を意味している。
この刑では車輪に罪人の死体をくくりつけ、太陽神への供犠とする目的がある。
罪を浄化する供犠の儀式とされる処刑。
それが今から行われる。
エクススル8の痩せ細り薄い体を仰向けにし、手足を伸ばす。
握った手首は驚く程細い。
台に横たわる体の上に車輪を乗せる。
この刑の場合はどうしても適応されない筈の決まり文句を言う事が苦しい。
きっと彼の苦しみは長く、死は甘いものとはならないのだから。
「苦しみ短く、甘い死を。まさに神の御許に」
まずは大腿部。
そこを狙い、鉄の棒を振り下ろした。
めき
骨が折れる時特有の音が鳴った。その音を確認する前に振り上げていた棒を同じ箇所に下ろす。一回目と同じく力いっぱいに。
耳を塞ぎたくなるようなエクススル8の悲鳴は断続的に続いている。
もう一度。
またもう一度振り下ろす。
それを九回。
観衆のどよめきや歓声は、エクススル8の絶叫をかき消す大きさで鼓膜に響く。
少し間をおいて、膝の上の車輪を鉄で叩く。
また骨の音がした。
それを九回。
今度は腕に。
それを九回。
その次は肘に。
それを九回。
エクススル8の声は観衆の声にかき消されているのか、掠れて出ていないのか判別が難しくなっていた。
ぼろぼろの体から車輪をどかし、まだ薄く上下している胸を下にしてエクススル8にうつ伏せの姿勢を取らせた。
車輪を背中の中心に乗せると、背骨の上で鉄の棒を持った腕を振り上げた。
「死を以って罪人の罪は浄化された。
この者の罪を神が御赦しになられた。
死を歓迎せよ。
とこしえなる解放に感謝を捧げよ。
神よ、この魂を憐れみたまえ。
アーメン」
閉幕を告げて、観衆の歓声と罵声を全身に受ける。
しばらく微動だにせずに立っていた体を振り向かせた。
足元には全身の骨を砕かれて命を奪われた男の死体が転がっている。
鼓動を失くしたその体を車輪の上に乗せ、不自然に折れ曲がった肢を車輪の
折れ曲がった肢は狭い輻と輻の間をすんなりと通った。
胴体を車輪沿いに曲げ、腕も肢同様にして輻に絡める。
あとは出来上がった車輪を、墓地に運んで立てれば儀式は終了だ。
幾度となく辿った道を、新しい車輪を抱えてまた辿る。
それ以上何も考えないように、固く目を閉じた。
見回り中に、もう耳に慣れ親しんでしまった声が届く。
「ねぇ、ディス」
反応しなければくどいエクススル12のことを嫌というほど知っているから、牢の方に顔を向ける。
「お仕事楽しい?」
「楽しいも楽しくないもない」
「なぁに、その答え。変なの」
「変? 君は仕事に私情を挟むのか?」
こいつに変だとか言われたくない。
「私情って……私はすごく楽しんで仕事をしていたわよ」
感情を読みにくい表情の中からでも、嘘をついている人間の様子は窺えない。
「君が? というか君、社会人だったのか」
「失礼ね。これでも表では立派に社会に適合していましたー」
「……どうしてそのままではいられなかったんだ?」
自分が楽しいと思えるような職に出会えて尚、彼女はそこから外れるような道を何故選択しなくてはならなかったのだろうか。
「他の楽しみを知ってしまったから。殺人なしでは私は生きていけなくなっちゃった」
とてつもなく同情できない理由に、黙るしかなくなる。
切なそうな表情を見せられても、俺には理解も同意も出来ない。
「ディスは施しをしたことはある?」
「え?」
なんだ、急に。
「例えば道端にぼんやりと座っている人に、金貨を落としたりお菓子をあげたり」
「実はある。でも当然ながら受け取ってはもらえなかった」
「呆れた。トレスウィリのクセに誰かに何かあげようとしたの? 本当に?」
トレスウィリは死を司る穢れた者だ。
だから表立って民衆と触れ合ってはならない。
ささいな会話も、交流も、してはならない決まりだ。
「トレスウィリ云々抜きにしても、あげないのが正解よ」
予想外の言葉となって、エクススル12の声が静かに届く。
「どうして」
「貧しい家っていうのはね、贅沢を知らないの。生活に十分すぎるお金なんて手にしたこともないし、お菓子なんて口にしたこともない。そんな人間がそれらを一度知ってしまえば苦しむことになる。使い方を覚えてしまった金貨を、味を覚えてしまったお菓子を、手に入ることはないのに求めてしまう。これまで自分が持っていたものがとても小さく味気なく思えてしまう」
「……君は、そうだったのか?」
やけに感情が込められた語りに、思わず口は動いていた。
「私の家は裕福だった」
そのあっさりした答えに肩に入っていた力が一気に抜ける。
「なんなんだ、君は……!」
「でも、同じよ。知らなかった楽しみを知ってしまった。だからもう元の生活になんて戻れない」
顔を上げたエクススル12の深紅の瞳には、常と変わる事のない小さな炎が覗き見える。
こんな奴が、本当に社会に適合していたんだろうか。
「……何の、仕事をしていたんだ?」
「あらあ? ディスってば、もしかして私に興味津々?」
「やっぱりいい。今の質問は忘れてくれ」
「なによ、別にいいじゃない。接する他人の事を知りたいと思うのは人として当たり前の事なんだから。職業の話なんて話題としては妥当だし」
エクススル12は、こちらをからかったと思えばしっかりフォローしてくる。
こいつは、本当に扱い難い。
「で、私の職業だったわね。精神科の」
「患者?」
「患者って職業だったんだ~。へぇ、初めて知ったわ。収入がマイナスの職業なんてさぞかし大変でしょうね~」
「……だって、まさか、医者……?」
「ええ。ここへ来たからもう情報は消されてるかもしれないけど、列記とした精神科医だったのよ、私」
「嘘だ……」
「む~、心外~。結構評判もよかったんだから」
「こいつはやっぱり患者なんだ。きっと酷い妄想に取り付かれているんだ。そうに違いない」
「ディス~、こっち向いて~、私と会話して~」
驚愕の事実を直に耳に叩き込まれた俺は、ふらふらと見回りを再開しに行く。
後で資料をわざわざ取り寄せ確認したところ、エクススル12の経歴には確かに”精神科医”の四文字が印字されていた。
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