第15話 エクススル9
「今日から君は、えっと~……」
同僚の助けを求める視線を受け、昨日ここからいなくなった男の番号を伝える。
「9だ」
「9?」
小さな口から漏れた声は薄暗い回廊に澄んで響いた。
「そう、君の新しい名前だよ。9は、ここね」
「はい」
エブレが開けた柵の戸を、少女はくぐって入った。
そこは、粗末なシングルのベッドと汚れた毛布が置いてあるだけの質素で狭い牢だ。
この中で、エクススルと呼ばれる彼らは与えられる死の時を静かに待つ事になる。
「んじゃ、次の呼び出しがあるまで待機する事」
「はい」
妙に大人しく態度のいい少女に、先程から湧き続けている疑問が大きくなる一方だ。
この少女は、本当に貰っていた書類の人物なのだろうか。
エブレに出会う前の俺なら、エクススルの罪状など一々気にしなかった。
こんな風に新入りが来る度に書類をくまなく見た事もない。
目が合ったその足元にほんの数枚の紙束を置く。
「これはここの規則だ。きちんと目を通しておくように」
「わかりました」
「質問は?」
不思議な微笑みをもって、彼女は言う。
「では一つだけ。私は貴方に殺されるのでしょうか?」
どういう意図の質問なのだろう。
誰に殺されようと刑が執行されることに変わりはない。
「……それはまだわからない。君の処刑日が決定してからだ」
「俺かもしれないし、俺達じゃない他の奴かもしれないよ」
「そう、ですか」
答えが得られなくて残念そうな9をエブレが気にする。
「どうしてそんな事訊くの?」
「どうして? 最期の時を共にする方とは仲良くなりたいと思って」
「それはまたどうして」
「そうすれば良い最期を迎えられると思うから」
「自分を殺す奴と仲良くなって、良い最期……? なんで?」
「好ましい相手に閉じてもらう生なら、幸せだったと言える気がするんです」
エブレが黙った。
俺も、なんと言っていいかわからずにいる。
変な奴だ。
まるで死に場所を求めてここへ来たかのような口ぶりではないか。
それにしては死にたいようにはあまり見えない。
エブレも同じ事を思って黙ってしまったのだろう。
何かおかしい気がする。まさかとは思うが、間違えてここに送られたのか、この少女は。
「君は、ここがどういう所か知っているんだろう?」
「重罪を犯し死刑を宣告された者が処刑されるのを待つ為の収容所……死刑囚の監獄、ですよね?」
「それがわかっているのなら我々と仲良くなる必要など……」
諌めようと言いかけてから思い至った。
ある。
一つだけ、罪を帳消しにして生き残る手段が。
だがエクススル9は、思い浮かんだ可能性を否定する言葉をすぐに返してきた。
「必要があるかないかではありません。先程も言いましたが、殺されるのなら少しでも好意を持っている人に殺された方が幸せだと思うからです。それって不思議な事でしょうか?」
エブレが呆れた風に両手を軽く広げる。
「不思議だよ。それなら俺達の誰かを惚れさせて婚姻を結べばいいだろ。そうすればそもそも生きていられるんだからさ」
「え? ……罪人が、償う事をせずに生きるのですか?」
「うん」
「そんな事は許されない筈です」
エクススル9の応えに目を丸くしているエブレの代わりに対応を引き継ぐ。
「……しかしそういう規則もある。知らないのならそこに書いてあるから見るといい」
足元の資料を手に取りページを捲って、エクススル9は少し目を泳がせる。
「読んでいただけませんか?」
資料を手渡されたエブレは、いいよ、と優しく笑ってから咳払いをした。
「『エクススルはトレスウィリとの合意があれば結婚できるものとする。その場合のみ刑の執行は免除され釈放される。但しトレスウィリとの結婚はトレスウィリ同様外部との接触に制限を受ける』」
「……そんな事で罪から逃れるなんて……私には受け入れられません」
そう言ったエクススル9の瞳には強い意志が宿っていた。
それは何に対しての意志の強さなのだろう。
黙って死を受け入れるというこの少女が、何故重罪を犯さなければならなかったのだろうか。
「まぁ、そう決め付けないでさ。俺に惚れてもいいんだよ?」
「おい」
軽口を叩きすぎるエブレに注意してからエクススル9の強い瞳を正面から見つめ返す。
「自身の罪を償おうとは良い心掛けだ」
手元にある資料に視線を移す。
『肉親殺しにより死刑判決』
『実の父親を刃物で十九箇所刺し殺害』
憎悪に満ちた生々しい殺害方法と裁判の経過などが簡単に書かれた書類が見えるようにエクススル9の前に出した。
「相違ないな?」
「はい。相違ありません」
「処刑日が決まれば追って連絡する」
「わかりました」
立ち去りかけた俺の制服がエブレに掴まれる。
「あ、自己紹介しておかないとね。俺はエブレ。夕方の六時から朝の六時までの担当。よろしくね」
「同じく、ディスだ」
「よろしくお願いします」
思いのほか勢いよくお辞儀をしたエクススル9に、戸惑いを覚えた。
エクススルに自然と名を伝えて挨拶をした自分に気付いたから。
人は見た目で判断できない。
それは嫌という程わかっている筈なのに、この少女に警戒心を持つ事が難しいのだ。
それと、俺はエブレという人間に影響を受けているのかもしれない。
それにしても。
少女は他のエクススルとは明らかに何かが違っていた。
「行くぞ」
「えっ、おう。じゃあね9ちゃん。俺ら、朝の六時まではあっちにいるからいつでも呼んでね」
可愛い女の子に目がないエブレにため息を吐きながら、持ち場に戻る。
エクススル9の牢から少し歩いた監視場所の椅子に座って二十の牢を見張る姿勢をとる。
牢の方から話し声が聞こえてきた。
「ねぇ、9。牢番見ればわかるだろうけど私は12。向かい同士よろしく」
「は、はい。よろしくお願いします」
「9はさぁ、どんな事したの?」
「え……と……」
「言いたくない? 私はね、九人目で捕まっちゃったの。あと一人でキリの良い数字だったのに残念だわー。心残りになりそ。そう思わない?」
「え、ええと……それは、何の人数でしょうか?」
「ん? 決まってるじゃない。殺した奴の数よ」
「…………」
「人殺しが珍しい? わけないわよね。あなただって似たようなものなんだろうし」
「それは……そうですね」
「……」
「私、なにかおかしな事でも言いました……?」
「ううん。全然。ディス! ちょっと来て」
呼んだエクススル12の牢まで歩いていく。12は放置しておくとやかましいのを知っていたから、というものある。でも今の声がふざけた音ではなかったからすぐに向かうことにした。
靴底を鳴らす硬質な音が、石造りの屋内で反響する。
「何だ」
「今日も素敵ね。ちょっと耳貸しなさい」
十分に警戒しながら言われた通りにエクススル12の方へと耳を近づける。
吐息が耳に届く。
「あいつ、殺してないわ」
小声ではあったが、何でもない事のように軽くさらりとエクススル12は言った。
「殺ってない。人を殺した目をしていないんだもの」
エクススル12から少し離れて正面から顔を見る。
赤い瞳が真っ直ぐに俺を見ている。
「……でも実際ここに収容されている」
「それはそうだけど、私にはわかるのよ。あいつ、何もしていないわ」
牢全体と直結している灰色の通路が見渡せる位置に、エブレと立つ。
「ビアに何言われたんだ?」
エクススル12は自分から元の名を名乗った。
番号で管理されるここでは生れ落ちた時に与えられた名など失われると考えられているにも関わらず。
変わった奴だと思った。
「12と言え。9は人を殺してない、何もしてない、だと」
「へぇ? あのコそういう事できるように見えないもんな」
「見た目じゃわからないだろう」
毎日のように誰かが処刑されるここでは、多くの死刑囚を見る機会に恵まれている。
もう番号も、はっきりとした顔も忘れるくらいの関わりしかなかった多くの罪人。その中には凡そ人殺しなどできないような容姿をした人間もいた。
「そりゃそうだけどよ、でもあのコ、本当に何もしてないかもしんねぇ」
「何でそう言える?」
「何か理由はあったんだろうけど、親を殺したにしては後悔とか何ていうか……負の感情みたいなものがどこにも見えねぇ」
それがエクススル12の言っていた『目』なのだろうか。
正直なところ、エクススル9が人を殺せそうに見えないのは確かだ。
それに初めに見せたあの微笑み。
あれは、どんな意味を持っているのだろう。
エクススル9の事がもっと知りたい。
エクススルに対して、いや、一人の人間に対してこんなに強く興味を持ったのは初めてだ。
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