第14話 引き取り
闇の中で誰かの声が遠くに聞える。
よく知った誰かの声だ。
ガチャガチャだのバタバタだの様々な物音がする。
「………ス!」
声が近くなる。
「ディス! 起きろ!」
「……ん?」
「『ん?』じゃねぇよ! 部屋の鍵、開きっぱなしだったぞ!」
「う……?」
「『う?』でもねぇ! ちゃんと鍵は閉めろよなぁ。っと、仕事の時間だぞ! 目ぇ覚めたか?」
重い瞼をなんとかこじ開けると、明るい色の外はねの髪が見えた。
薄くぼやけた視界に、エブレの余裕のない顔が映り込む。
壁に掛かっている時計を見れば、時刻は夕方の六時五分前だ。
そうして、ゆっくりと状況が飲み込めてきた。
同僚のエブレが交代の時間を報せにきた。ここでの労働は十二時間毎の 交代制で、交代の時間は六時だから急げばまだ間に合う。
つまり、急がなければ間に合わない。
「……まずいな」
「おう。遅くなってごめん。早く身なり整えろ」
「ああ。いや、寝過したのは俺だから……」
エブレは、襟元まで制服をきっちりと正している。いつも着崩している同僚にしては珍しいと思いながら、着っ放しだった制服の前を素早く閉める。
何故、今日に限って、いつもはしまりのないエブレが、きちんと制服を着ているのだろう。
「どうかしたのか? お前が時間忘れて寝てるなんて珍しい」
「そうだな」
珍しいのはお互い様だ、と心の中で言いながら靴下を履く。
「しっかりしてくれよー。今日は女の子のエクススルのお出迎えに行かなきゃならないんだぜ」
「……そうだった」
エクススルの出迎えに行かなきゃいけないのは知っていたが、女の子だとは知らなかった。
腕時計を確認したエブレが、飛び上がる。
「うわ。とりあえず急げ! 遅れたら役人に嫌な顔されちまう」
「よし、走るぞ」
割り当てられた寮の部屋を出る。カツカツと盛大に足音を立てながら、石造りの回廊を駆け抜ける。
エクススルの受け渡しは、監獄の入り口で行われる。寮があるのは監獄の裏口側で、監獄の中を通らなければ表へは辿り着けない構造になっている。
そこへ、交代時間まで残り一分で滑り込んだ。
荒く吐きそうになる息を堪えて、平静を装う。横目で見ると、エブレも同じようだった。
役人は既に待機していて、交代する為に待っていた二人のトレスウィリがつかつかとこちらに歩いてきた。
苛立ちを隠そうともしないアリオスが靴で何度か地面を叩く。
「チッ、遅せぇんだよ」
「失礼した」
「ごめんなさ~い」
しっかり下げた頭に舌打ちが繰り返される。
「チッ」
ベリルは自身の制服の中に片手を突っ込んだスタイルで顎を上げて俺たちを見下ろす。
「もおー遅れちゃメっ、だぞォァア?」
「ああ」
「ほ~い」
適当な態度をとるエブレを一睨みして、二人の同僚は去って行った。
二人がいなくなったところで、役人が黒いワゴン車の戸を引く。
左右に纏められた色素の薄い巻き髪を揺らして、小柄な少女がゆっくりと車を降りた。上がった顔には照れたような楽しげな微笑が浮かぶ。
少女の周りだけ、空気が澄んで見えた。
「ひゅう~、可愛いじゃんか……」
隣りでエブレが囁く。
確かに少女は可愛かった。透き通った薄い蒼の瞳。整った目鼻立ち。白い肌にそっと射す頬の淡い朱。造形の美しさはどこか人形めいて見えた。
それよりも。
少女が浮かべた微笑みに引き込まれている自分がいた。
何故そのような顔ができるのだろう。
この、死の家で。
「ついておいで。案内するから」
エブレが少女の手首から伸びている鎖を取って歩き出した。
エブレに遅れないようにと、素早く役人に礼をする。
「ご苦労様です」
立ち去ろうとした背中に聞き飽きた言葉がかかる。
「トレスウィリ風情が、気安く話しかけるなっ」
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