第7話 雑用係
牢に面し通路を見渡せる執務室に戻る。
エブレは難しい顔で、ノートとにらめっこをしている。
「エブレ、リネン室へ行くぞ」
エブレが、すっとぼけた顔を上げる。
「はえ? 何しに?」
「身体を動かす仕事を教えてやる」
リネン室は、シーツやタオル類と、囚人服を保管している部屋だ。それらの交換はエクススルの務めだが、牢まで持っていくのはトレスウィリの仕事だ。
リネン室へと向かう薄暗い通路の途中。前方から、エプロン姿の女性がこちらに向かってくる。
「ディス、そちらの殿方は新入りかしら?」
監獄の雑用を担当してくれているカルナさんだ。カルナさんは、自殺者が現れた場合などに、役人から連絡を受け、トレスウィリに伝える中継役も兼ねている。
俺の半歩後ろを気だるそうに歩いていたエブレが、身を乗り出した。
「何? 誰誰?」
確実に気の所為なんかじゃなく、エブレの目がきらきらと輝いている。
心の中で、ひっそりとため息をつく。二人から同時に問われた事を、一拍置いて説明する事にする。まずはエブレを手で示す。
「こいつは、今日からここに勤務することになった、新入りのエブレです。エブレ、この人は雑用係のカルナさんだ」
カルナさんが、エブレを舐めるように見ている。足元から頭まで、カルナさんの執拗な視線に晒されるエブレ。カルナさんの視線が、ボタンを一つも留めていない制服のところで止まる。
「ふむ……柄がよろしくありませんわね」
「はは。今日からトレスウィリとして御世話になります。新人だから、あんまりいじめないでね。よろしく、カルナちゃん」
エブレが大きく一歩出て、手を差し出す。カルナさんは、その手を一瞥してから、ため息をつき視線を落とした。
「
エブレが、カルナさんの温度マイナスの声に、一歩後退した。
「は、はい……合点です」
エブレは、握手できなかった手を慌てて引っ込めている。俺は、手を伸ばしても十分届かない距離を保ったまま、カルナさんのエプロンを見る。
「カルナさん、洗濯物は執務室に溜めてありますから」
ちなみに、俺もこの人は苦手というか、どうしても敬語が外せない相手である。年の話など怖くて出来たものではないが、見た目は俺と同じ、二十代半ばくらいに見える。それにしては、彼女には妙な貫禄がある。
「わかりましたわ。ディス」
「はい」
「今日は私、早く上がらせて頂きます。掃除量がいつもより多くなりますけど、お願いしますわ」
「はい」
俺とカルナさんのやりとりを見ていたエブレが、会話の切れ間を縫うように口を開いた。
「カルナさんってさ、なんかディスに優しくね? トレスウィリに偏見とか持ってないの?」
カルナさんの眉が、わずかに動く。
「偏見って……何ですの?」
「トレスウィリとは話したり触れたり関わってはならない、ってやつ」
「それは、別に偏見ではありませんわ。単なる常識です。私も、トレスウィリとは関わり合いになどなりたくありませんもの」
「え? じゃあ、なんでここの雑用なんか……」
エブレの疑問は、正直、俺も気になっていたことだった。
監獄の雑用など、やりたがらないのが普通だ。一年ほど同じ職場にいて思う。カルナさんは細かいところに気の回る、いわゆる仕事のできる人だ。他の職場でも十分務まるだろう。
ほんの少しの沈黙のあと、カルナさんは呟くような声で言う。
「ここにいる者は、汚れを帯びた人間でしょう? トレスウィリにも、エクススルにも、私は軽蔑の意をもって、なんとか接しております。エクススルを運搬していらっしゃるお役人さんだって同じですわ。トレスウィリが、完全にどなたとも関わらないなんて、無理に決まっていますもの。ですから、私には触れないようお願いしますわ」
エブレがその場に崩れ落ちる。
「そんなぁ!」
「トレスウィリと馴れ合わないのは常識です。新入り、私に主に逆らえと?」
「そうは言ってないけど……」
「トレスウィリは神の代行ですけど、代行するのは残虐な裏の顔だけ……。私達一般人はそのような汚れに触れてはいけませんの」
トレスウィリが神の代行と言われるのは、人に死を与える、という一面のみにおいてだ。
本来禁忌とされているその面を行うトレスウィリは、どうしても汚れた者とされる。
エブレが、石の床と向き合いながら漏らす。
「カルナさん、きついぜ……」
「これが普通だ。お前は、一体何を期待してトレスウィリになったんだ……」
こんな当たり前のことでいちいち落胆される方が驚きだ。
「や、期待、はしてねぇけど……せっかく綺麗な女性がいるのに、触れないなんてどんな拷問かと!」
「別に拷問じゃない。カルナさんが特別というわけじゃなく、俺達は民衆に触れてはならないんだからな」
トレスウィリと民衆が触れ合えば、害を被るのは民衆だ。一度でもトレスウィリに触れてしまえば、その人間は穢れたものとして、社会から隔絶されて生きる他なくなってしまう。
トレスウィリに触れたその瞬間から、元の生活に戻る事など、叶わなくなってしまうのだ。
「へいへい。わかってるよ」
エブレの落胆など、蚊程も気に留めず、カルナさんは俺達の横を通過する。
「それでは、失礼させて頂きますわ」
カルナさんが去ったあと、エブレがようやく腰を上げた。
「ディス、あの人って、普通か?」
「考え方は普通だ。同じ所で働いてはいても、彼女はトレスウィリじゃないんだから」
「考え方はまあ、な。トレスウィリってやっぱり嫌われ役なんだな……」
なにか無駄なことを考えていそうな、エブレの背中を叩く。
「ほら、掃除の量いつもより多いんだから仕事だ、仕事。リネン室の前に、掃除用具の場所を教えてやる」
「……はぁ、触れないって……テンション下がるなぁ……」
くだらないことでやる気を失いつつあるエブレの尻を、軽く蹴った。
「うるさい。さっさと働け」
「ディスの鬼! 悪魔! うわ~ん!」
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