第6話 見回り
エブレに書類の書き方を教えながら、今日の記録に目を通す。
午前十時に、新しいエクススルが一人来たようだ。
「ディス、どこ行くんだ?」
「見回りだ」
新しい顔が来たからと言って、エブレのようにきちんと挨拶をした事など、これまでにはない。俺はいつも、黙って牢の様子を見て回るだけだ。今日もそれは変わらない。
官帽の
牢に挟まれた通路をゆっくり歩く。
「えっ」
すぐに女の声がした。
声の方へと顔を向けると、驚いた様子の女と目が合う。
「どうかしたのか」
見覚えのない女は、すぐに笑みを作る。
「いいえ。さっき来たのとは、随分雰囲気が違うなぁって思って。ねぇ、私、今日の午前中にここに来たの。貴方、名前は?」
「そんなもの知ってどうするんだ」
こいつもか。そう思った。女のエクススルはどいつもこいつも、こうだ。トレスウィリに媚を売って、生き残る手段に利用しようとする。
だが、思っていたよりも、女はまともな答えを口にする。
「どうするって、用がある時に呼びたいからよ」
女の容姿をよく観察する。流れる明るい深紅の髪。髪と同じ赤い色の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめている。
血に似た強い真っ赤な瞳。その赤からしばらく目が離せない。
「……ディス」
「ディス、か。私はビア。よろしく」
それには応えずに、僅かに上向いて牢番を確認する。
「エクススル12だな」
あくまでも事務的に接する俺に、エクススル12は口を尖らせる。
「何よ、随分冷たいわね。ね、私に興味あるでしょ?」
「何故、俺が君に興味を持つんだ?」
自信たっぷりな笑みで、女は答える。
「だって私と結婚する事になるかもしれないじゃない」
確かに、トレスウィリはエクススルを
「俺は、結婚相手を探す為にトレスウィリになったわけじゃない。だからわざわざ君の機嫌を取る義務も必要もない」
機嫌を損ねるかと思ったが、エクススル12は楽しそうに笑った。
「それはそうね。あーあ、残念だわ」
エクススル12の楽しそうな様子が、癇に障る。
女で未婚のエクススルは、トレスウィリと婚姻を結べば、罪を帳消しにしてこの先生きていく事ができるという規則がある。
まったく、ふざけた規則だ。
「犯した罪の償いもせずに生き残ろうとするような奴は、嫌いだ」
「ふーん? 結構な考えね。まあいいわ。でも私、気まぐれなの。あとで貴方が私に好意を持っても、その時は振っちゃうかも」
「そうか。好きにしてくれ」
12の牢を離れようとした時、背後に声がかかった。12の牢の向かい側、9の牢からだ。
「おい、ディス」
「何だ?」
この男は、およそ一月前にここへ来たエクススルだ。
エクススル9は、無意味に騒いだり反抗したりせず、特に問題を起こしたことはない。そいつが、俺に一体何の用だというのか。
「さっき来た、エブレって奴はもっと優しかったぜ」
俺の、エクススル12への態度を
「あいつは甘いんだよ」
「そうでもないみたいだぞ。女があっちにも二人いるだろ?」
エクススル9が顎で指した戸口の方には、確かに女のエクススルが二人いる。
「あいつらと楽しそうに話してたかと思えば、誘いはあっさり断ってたからな」
あいつが、そんなにあっさりと断ったのか。向こうにいる女二人と言えば、見目はまあ、中の上くらいだろう。悪くはない。
流石トレスウィリに採り立てられただけの事はある。なんだかんだ言いながらも、仕事はきちんと仕事として動いているようだ。
ただの甘い人間ではなかったという事か。
「それより、お前の方こそ」
嘲笑するような気だるげな表情で、エクススル9は俺を見ている。
「本当は、他人に甘い人間なんじゃないのか?」
「……俺が? まさか」
すぐに否定出来なかった。いや、わかっているからだ。トレスウィリになる時、自分の持つ甘さを捨てようと決めたから。自分には、生まれながらに甘さがあるのだと、自覚していたから。
「くだらない事を言っていないで、お祈りでもするんだな」
「そうだな。なぁ、俺、予感がしたんだ」
「予感?」
「ああ。お前とは縁があるっていう、予感だ」
「………………」
「引き止めて悪かったな。気にしないで、仕事を続けてくれ」
「ああ。そうするよ」
今度こそ、その場から数歩進む。
17の牢の前にさしかかる。通りかかると、いつも決まって声がかけられる。
「トレスウィリさん、ねぇ、見て」
衣服の裾を捲って、女は上目遣いに微笑む。艶かしい太腿が擦り合わされて、捲れ上がった布を乱した。
この女は、いつもこうして誘惑しようとしている。
俺は、この女に興味などない。はじめから体を使って生き延びようとする、手段の貧相な女に魅力など感じなかった。
17の牢の前を通るのはいつも憂鬱だ。その斜め向かいのエクススル5も、同じだ。
「あ、あの……お願いが……」
エクススル5は、いつもおどおどしていて、死ぬのが怖いと訴えてくる女だ。こいつもそれなりに長い間ここにいるのだから、俺が情けをかけるような人間ではない事くらいわかっているだろうに。
「私と……け、結婚を……」
急がずに無視して、そこを普段通りに通り過ぎる。
声はすぐに諦めて途切れた。
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