第4話 挨拶

 仕事は六時からの十二時間交代制で動いている。俺達に割り当てられたのは夜の部だ。

 重そうな鉄の扉を押した先に、牢に面した廊下を見渡せる広間が目に入る。ここが俺の、トレスウィリの仕事場だ。

 エブレという新しい仲間と共に、今日もまた仕事は開始される。

 廊下を奥へ進む。いつでも楽に監視ができるよう、廊下に面した扉である筈の所は柵で出来ている。

 この施設は全ての場所が、石造りの冷たい壁で出来ている。牢の周囲も同様だ。

 この牢の中で、”エクススル”と呼ばれる彼らは、与えられる死の時を静かに待つ事になる。

 エクススル。それは、彼らに与えられる新しい名前の事だ。同時に彼ら自身の事を総じてそう呼ぶ。それまで持っていた名前は消し去られ、ここでは番号で管理される事となる。

 ここは死刑囚を収容し、管理し、刑を執行する為の施設。この施設の牢の数はそれ程多くはない。彼らの監視や刑の執行を司るトレスウィリは、たった二、三人程度で組んで自分達に割り当てられた時間帯の仕事をこなす。

 全ての牢にはエクススルが常に収容されており、空きが出た所は、すぐに新しい誰かが引き継ぐ。牢が数日空く事はまずない。

 重罪は、この世にいくらでも溢れ返っているのだと示されているようだ。そして、エクススルに空きが出るという事は、ここでは誰かの死を意味している。死以外にここを出る方法はない。二つの例外を除いては。

「んじゃ、俺の初めの仕事だ、ディス」

 俺が指示する前に、自分から進んで取り組む姿勢には素直に感心した。

「積極的でなによりだ」

 いい加減な奴かと思いきや、そこそこ真面目な奴だ。

「これから、エクススルに挨拶に行く」

 エブレは、おかしなことを言い出した。

「どうして」

「へ? これから管理していく奴らに挨拶をするのに、理由がいるのか?」

「だって、エクススルだろう。そんな必要はない」

 エブレの顔にはじめて、悲しそうな暗い表情が浮かぶ。

「……やっぱりお前も、軽蔑とか……してたりすんのか」

 エクススルは重罪人だ。軽蔑しないわけがない。

「当たり前だ。それに、トレスウィリはエクススルの執行人だぞ。言葉を交わす必要などない」

「でも、さ……一緒に仕事をすることだってあるし、お互いのことを知ってた方が、会話も弾んで楽しいだろ」

「お互いのことなんか知ってどうなるんだ。トレスウィリとエクススルは、処刑し処刑される。それだけの関係だ」

 さっきまでへらへらしていたエブレから、元気がなくなった。エブレは俯いて、官帽を被り直す。

「……いや、なんて言うか……お堅く割り切るんだな」

「仕事だぞ」

 トレスウィリを何か勘違いしていそうなエブレに、喝を入れる。

 顔を上げたエブレは、俺を真っ直ぐに見た。

「俺が元はエクススルだったからかな、こういうのって。ちゃんと、処刑する相手だって事はわかってるよ。だけどさ、処刑の時まで同じ場所にいる相手と、仲良くして楽しく過ごすのって、そんなに変かな」

「エクススルと、仲良く……?」

「ああ。エクススルと」

 エブレの目をじっと見つめ返す。深い金の瞳の中に悲しみが見えた気がした。

 エブレは元エクススルだ。エクススルは、恩赦でトレスウィリに採り立てられる事がある。それでも、エクススルだった過去が、重罪を犯したという事実が消えてなくなるわけではない。

 俺は、戸惑っている。

 今、目の前にいるエブレは、神に背き傲慢に秩序を乱した犯罪者には見えない。ただ何かを思い憂える人間だ。

 言葉を交わして、目を見て、思う。エブレは、正当な意思も純粋な感情も持つ、どこにでもいる普通の人間に見える。

 視覚に訴えかけるその映像に戸惑う。

 わからない。

 エクススルは、処刑しなければならない重罪を犯した人間だ。監獄の中では、彼らに人権などないに等しい。

 重罪を犯した人間でも、そんな生活を送った人間でも、このような感情を目に宿せるというのか。

 まるで思いやりの心を持った善良で真っ当な人間のようだ。

「……ディス、無理しなくていいよ。お前の事はなんとなくわかった。俺は別にエクススルと馴れ合う事を、お前に強要しようとか思ってるわけじゃねぇから。んじゃ、俺は挨拶してくる」

 目を牢へと向けたエブレが、背を向けて歩き出す。

 その背中を黙って見送った。

 この手で殺さなくてはならない人間と、言葉を交わして何になるのだろう。ましてや相手は重罪人だ。

 エブレの行動は理解できない。

 エクススルとは、誰かの尊い命を、大事な物を、無情に奪った奴らだ。そして、これから俺達がその大切な命を奪う相手だ。

 そんな相手と、どんな顔をして言葉を交わせばいいのだろうか。交わす言葉などあるのだろうか。

 トレスウィリはエクススルを処刑する。それが仕事だ。だからいつも自分に言い聞かせる。極めて事務的に機械的に感情を出さず、確実な仕事をするべきだ、と。


 五分後、戻ってきたエブレが苦笑いを漏らす。

「やっぱりこっち側は嫌われてんなぁ、ははは」

「当たり前だ。トレスウィリに愛想を振りまくエクススルなんているものか」

「なんだよ。わかってるじゃねぇか。トレスウィリってのは憎まれ役だって。他に人から感謝される職業なんていくらでもあるんだぜ? それは知ってるか?」

「わかっている。それでも俺はトレスウィリがいいんだ」

「物好きな奴だな」

 俺が誇りを持っているトレスウィリを、さっきから馬鹿にされているようで気分が悪い。

 そんな俺の様子に気付いてか、気付かずか、エブレは話題を変えた。

「あ、女の子が三人いたけど、一人は素っ気無いもんだなぁ。完全に無視だぜ、無視。酷いよなぁ。普通媚びてこねぇ? 生き残る気ねぇのかな」

 エクススルとして監獄に収容された女にも、生き残る手段が一つだけある。それ故、大抵の女は、トレスウィリに媚びを売り取り入ろうとする。そうしない女がいるとは珍しい。

「女でも同じだ。エクススルである事に変わりはない。トレスウィリが嫌いなんだろう」

「あれれ? 女の子に興味ないのか?」

「今言っただろう。女であろうとエクススルだぞ。奴らは許されざる者だ」

「冷たいなぁ、ディスちゃん」

「そんな風に呼ぶな。気持ち悪い」

 おそらく性格も価値観もとんでもなく違うのだろう。俺にはエブレが理解できない。気安く馴れ馴れしい態度で接してくるエブレという人間を、不思議に思った。

 惜しみなく浮かぶ屈託の無い笑顔も。彼が何を考えているのか読めない。

 これから同僚として一緒にやっていく不安よりも、漠然とした疑問が胸の内に広がった。

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