第3話 握手会

 


 「田辺たなべさんいつも来てくれてありがとうございます」


 春ちゃんの代わりに握手会の仕事をする私は、満面の笑みを浮かべて順番の回ってきた田辺さんの手を握る。


 「いいって事よ!Haruちゃんのためなら何処でも行くよ!」


 ぽっちゃりとしたお腹をポンッと叩いてそう言った田辺さんを見て私はクスリと笑った。


 田辺さんは春ちゃんが一番嫌いなタイプで、ぽっちゃりとしていて見た目が悪い。いわゆるキモデブと呼ばれる人だ。


 前に握手会で田辺さんを見た春ちゃんは、田辺さんと握手をするのが嫌で気分が悪いと逃げた後、「あの人キモすぎるからムリ」と握手会を中止にすると言い出した。


 お陰でたまたま現場に居合わせた私が特殊能力を使って握手会をする羽目になってしまった。

 でも、実際に話してみるととてもいい人で、熱心にHaruを応援してくれるファンの一人だと分かった私は、今では田辺さんに本当に感謝しているぐらい。


 春ちゃんも話してみればいいのにと思うのだけど、生理的にムリと言われれば何も言えなくなってしまう。


 厳しい芸能界で生きて行くには我慢も必要だと思うけど、春ちゃんには関係ないらしい。


 あくまで私は春ちゃんの代わりで本物のHaruではないので強くは言えない。でも春ちゃんの仕事なのにと思ってしまうのは仕方ないと思う。


 「も~田辺さん、お酒は控えないといけないですよっていつも言ってるじゃないですか」

 「Haruちゃんに言われて量は減らしてるんだよ?」

 「体が大事ですよ?」

 「うっ、Haruちゃんに言われちゃ止めるしかないね。後ろの人も待ってるみたいだからもう行くよ。Haruちゃん頑張ってね」


 田辺さんはぽっちゃりとしたお腹をもう一度ポンッと叩くとガハハと笑って横にずれると出口に向かって歩き出す。

 田辺さんはこうやって周りの人の事も考えてくれるし、マナーもとてもよい、いい人なのだ。

 田辺さんを見ると、本当に人は見た目じゃないとつくづく思う。


 私は田辺さんの後ろ姿を見ながら「ありがとうございます」と呟き、次の人と握手をして人数をこなしていく。


 もちろん他の人に対しても感謝の気持ちで接する。握手と一緒に少し会話を挟むのも忘れない。

 塩対応は論外で、全てのファンに真摯に対応するが私のモットーなのだ。



◇◇◇



 握手会を終えたら直ぐに柴田さんがお水のペットボトルを持ってやってきた。


 「お疲れ様。はい、これ」

 「お疲れ様です。ありがとうございます」


 柴田さんが差し出したペットボトルを受けとるとお水を口にする。


 「相変わらず素晴らしい対応だったわ」

 「ありがとうございます」


 柴田さんにそう言われると私の対応は間違いではなかったと思うことができる。


 私が褒められた訳じゃないのは分かってるけど私は嬉しくなった。


 だって親友の春ちゃんが褒められたのだから嬉しくならない訳がないと思うのだけど心がモヤモヤするのはなんでだろう?


 最近はなんだか春ちゃん関係の事になるとそうなってしまう。

 まるで私の中に何んだか膜がかかっている感じがして、不思議な感覚に苛まれる。


 春ちゃんが褒められて嬉しいはずなのになと思いながらもう一度お水を口にする。


 「ゆっくりお水を飲ませてあげたいけど次があるから急ぐよ」


 との柴田さんの言葉に私は首を傾げる。


 「次?」

 「そう次、この後、映画の完成試写会の挨拶があるって言ったよね?」

 「え!聞いてない!」


 思わず私らしくない声を上げる。

 春ちゃんからは握手会に行ってしか言われてないから私は間違っていない。


 「ちゃんと伝えたよ?分かりましたって言ってたよ?ほら急いで!」

 「えっう、嘘!いや~」


 全力で拒否する私の手を引く柴田さんの力に逆らえず、握手会の会場を引っ張られる形で後にすると、控え室で試写会用の衣装に強引に着替えさせられる。


 私は舞台挨拶やバラエティー番組などの目の前で自分の考えを話す仕事は本当に苦手で、心の底から行きたくないと思うほどだ。


 でも柴田さんはそんな事はお構いなしに準備を終えた私を裏口に待機させていた車に乗せる。


 「どうしたの?いつも舞台挨拶とか喜んで行くのに今日はなんで嫌がるの?」


 移動中の車の中、柴田さんの言った事はもっともで、春ちゃんはお喋りや自分を良く見せるのが上手くて、舞台挨拶とかバラエティー番組の仕事は大好きなのだ。


 今のHaruは私で、その事を知らない柴田さんからしたら喜んでそれらの仕事を引き受けるHaruが断固拒否して状態は不思議でならないのは分かる。

 でも私はこれらの仕事は苦手だから拒否してるのもあるけど、一番の理由は他にあって……


 (仕方ない。覚悟を決めるしかないか……)


 「我儘言ってごめんなさい。私、頑張ります」

 「いいのよ、こっちこそいつもムリさせてごめんね、頑張ってね」


 柴田さんの優しい言葉に笑顔で返して、私は車の窓から見える夜景を眺める。


 憂鬱だ。本当にやる気が出ない。

 自分がした仕事のHaruに対してならまだしも、春ちゃんがした仕事のHaruに対しての質問に返さないといけないと考えると本当に気持ちが落ち込んでしまう。


 だって私はHaruであって本当のHaruじゃない。共演者が気に入らないって事で春ちゃんがやらない映画やドラマは私が出演したりする場合もあるけど、今からやる完成試写会の挨拶の映画は私が出演した映画じゃないし、見てもなければ内容も全然知らない。


 内容の分からない映画の質問されても本当に困る。まともに答えられるわけがない。出演しているのにどんな映画ですか?なんて今更柴田さんに聞ける筈もない。


 どんな質問されるのだろうと気持ちが落ち込む私は、発表挨拶会場の映画館に着くまで夜景を眺めていた。

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