覚えのない約束と……身に覚えがある昨日と

 彼女の右手には昨日の昼に見たのとまったく同じ袋が。十中八九、中には弁当が入っている。


 が、俺には覚えがない。蒲倉が口にした約束とやらはこれっぽっちも。


 約束をした覚えすらないのだから当然だ。


 つまり、口から出ませというわけで。



「忘れたも何もないだろ。最初からしてないんだから」



 俺が呆れた口調で返すと、蒲倉は口元に手を当て「ふふふ」と上品に笑う。



「そうでしったけ? 私の記憶だと、昨日したはずなのですが……」


「いいや、してない。何かと勘違いしてるだけじゃないか?」


「あれぇ? おかしいですね……あれは私の夢?」



 往生際悪くとぼける蒲倉。



「蒲倉さん。悪いけど、今日のところは……ね?」



 そんな彼女に対し、説得を試みたのは四羽だった。


 手を合わせ小首を傾げる四羽を、蒲倉は口角を上げたままの表情で見下ろす。



「今日のところは……の、続きは何です?」


「あっはは……見ればわかりそうなものなんだけどな~。今ね、雪斗はあたしと一緒にお昼を過ごしてるの。だから、できれば邪魔しないでもらいたいかな」



 ピクッ、と蒲倉の片眉が上下する。



「邪魔はしていませんよ? むしろお邪魔虫なのは四羽さんの方じゃないですか? 私は元々、蒼紫くんと約束していましたし…………どうせ、我儘わがまま言って蒼紫くんを困らせてるだけなんでしょ?」


「わ、わがままとかじゃないしッ! 雪斗とはちゃんと約束してたから――――ねえッ、雪斗ッ!」


「え? あ、お、おう」



 四羽の凄まじい気迫に押され、ない事をあると答えてしまった。


 途端に誇らしげな表情になった四羽は、『どうよ?』とでも言うように胸を張って蒲倉を挑発する。


 が、蒲倉は余裕ある笑みを一切崩さない。



「今のも蒼紫くんを困らせていたようだったけど。仮に四羽さんの発言がすべて事実だとしても、私の目には到底、楽しそうには見えなかったですよ? むしろ、険悪でした」


「余計なお世話だからッ、それ! てか、蒲倉さんだって怪しいもんじゃない! さっきの雪斗とのやり取りからして、約束してないのはバレバレよ!」


「いいえ、私はちゃんと蒼紫くんとしましたよ? ……ねえ、蒼紫くん?」



 と、再び蒲倉が俺を捉える。



「いや、だからしてないってば」


「いいえ。私と蒼紫くんはちゃんと――しッ、ましたよ? もう忘れてしまったのですか?」



 しましたの『し』をやたら強調してきた蒲倉。



「え、ちょっと何、怖いんだけど」とドン引きする四羽の横で、俺は嫌な予感を覚える。



 そしてその嫌な予感は――、



「昨日、蒼紫くんの家で……シましたよね?」



 見事に的中した。

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