削られていく平常心

蒼紫あおし雪斗ゆきと



 場所は移って自宅の洗面所。夢のようなシャワーの音が思春期の脳を刺激してくる。


 心休まるはずの場所が、毒霧に覆われたダンジョンと化す。平常心は削られていく一方だ。



『こ――これでッ! ……これで、風邪とか引かれたりしたら後味悪いから……うち、寄ってくか? も、もちろん、蒲倉さえ良ければだけど』



 何で咄嗟にあんな事言っちゃったかなぁ……俺ぇ。


 普段なら絶対に手を差し伸べたりしないが、今日の蒲倉はもう……ただただ見るに忍びない姿だった。


 だから、放っておくのが躊躇われたというのは本音だ。だが、蒲倉を家に招きあげた事に後悔はないと言えば嘘になる。とても、複雑な気持ちだ。


 俺は「はぁ」とため息をつきながら、ピッ――ピッ――ピッ――と洗濯乾燥機の操作を行い、最後にスタートボタンを押した。



「――ちょっといいか、蒲倉」



 浴室にいる蒲倉に声をかけると、キュッとシャワーの音が止まった。



『はい』



「――色落ちやら型崩れやらが怖いから、乾燥時間短めにしてある。風呂出る頃には終わってると思うけど、完全に乾いてなくても文句は言わないでくれ。それと、バスタオルも置いておくから使って」



『ありがとうございます』



「うん…………じゃ、俺は居間にいるから、帰る時になったら一声かけて」



『……はい』



 蒲倉は小さな声で短く答えた。


 ……ここにいたら、気が狂ってしまいそうになる。速やかに退出しよう。





 ――ガチャ。





 洗面所を後にしようとした瞬間、後方ろから軽いドアの開閉音が聞こえてきて、心臓が跳ねた。




「蒼紫くん」




 さっきよりも鮮明に聞こえる蒲倉の声。浴室のドアが開かれたのは見るまでもなく明白だった。


 唾を飲み込む音がやけに大きく響いた。絶対に振り返ってはいけない状況がここに完成。



「な……何?」



 相手は蒲倉だ……何を考えているのかまるで読めないし、何をしでかしてくるかもさっぱりだ。


 そんな彼女とこの状況……何事もなく終わると考えるのは楽観的すぎる気がする。


 たとえば――――、



「ありがとうございます。蒼紫くんには、本当に感謝しかありません」



 俺はあれこれと考えるのをやめた。



「いや、そんな気にしなくていいから。ほんとに……ゆっくり温まっていって」


「……はい」



 狂気が薄い今日の彼女はやたらと強力で、後ろ髪を引かれる思いを振り切るのにかなり苦労した。


 どうやら、毒は俺の体を結構なスピードで蝕んでいるらしい。

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