第3話

 案の定、翌日から僕と上手さんを取り巻く空気は少し変わりはじめた。

 まず朝。上手さんはいつも時間ギリギリの僕と違って早めに教室へ入っているのだが、この日は僕よりも遅かった。つまりチャイムが鳴るほどギリギリの時間だった。

 上手さんが息せき切って教室に入ってきて、みんな驚いていた。多分、教室へ来るまでに昨日の出来事を聞きつけた女友達につかまって、質問攻めに合っていたのだろうな。僕は勝手にそう解釈していた。

 女子たちの世界では、噂が広まるのが早い。僕はどこを歩いていても、女子とすれ違うと何やらひそひそ話されたり、いつもより妙にじろじろと顔を見られたりした。

 一方、男子たちの世界にはあまり広まっていないらしく、特に僕が普段つるんでいるオタク層は学校内の色恋事に鈍感で、体育の時に会った新田という男友達も、昨日見たアニメの話ばかりで気づいている様子はなかった。

 昼休みも、上手さんは昼食の弁当を食べた後、どこかへ消えてしまった。顔が広いから、女友達と僕との関係について話しているのかもしれない。考え過ぎかもしれないが。

 環境は変わっていくが、一応僕からも付き合ってください、と言った手前、こんなことでビビる訳にもいかず。今日も放課後は、一緒に帰ろうと思っていた。

 ところが放課のチャイムがなってすぐ、


「ユーイ!」


 という、聞き慣れた声が教室に響いた。


「げっ、お前は鷹野きなこ!」


 例のチビ彫刻ガチ勢こと鷹野きなこが、僕の教室まで来て呼び出しをしていた。

 僕は鷹野きなこを見ると、とりあえず逃げることにしている。どういうわけか、僕は鷹野きなこに美術部で、いやこの学校で一番懐かれている。ただ上手さんと違って、きなこの頭には彫刻の事しかないので、僕が好きだから、ということはあり得ない。美術部でも立体芸術を専門としているのは僕ときなこだけで、そのつながりが大きい。

 ただ同じ立体芸術といっても、僕は様々な素材を使ったオブジェなどの製作をしているのに対して、きなこは彫刻専門だ。僕も彫刻はできるが、忍耐力と時間がかかるのできなこほどのクオリティは出せないでいる。

 僕と鷹野きなこは、大体そんな関係だ。

 きなこが僕を呼ぶ時は、いつも製作について何か手伝ってほしい時なので、僕は基本逃げる。別に協力しても良いし、最終的には僕が折れて手伝うことがほとんどなのだが、何でもやってくれる、と思われるのは癪だった。

 この日も走って廊下を逃げたが、あいつはチビのくせに足がめちゃくちゃ早いうえ、学校内でも遠慮なく全力疾走するため、いつも逃げ切れない。

 袋小路に追い込まれ、僕は仕方なくきなこの話を聞くことにした。


「何だよ」

「ここ行きたん」


 きなこはスマホで、とある店の場所を表示した。

 木彫り彫刻の素材を売っている専門店だった。青柳駅から電車で二十分くらいの距離か。高校生だけで行けない距離ではない。

 ただ、きなこは重度の方向音痴で、入学したての頃は学校内でも迷っていたほどで、一人で知らないところへ行くのは親と先生に禁止されている。製作に必要な素材がある時は、僕がついて行くのが習慣となっていた。


「何作るんだ?」

「阿弥陀如来像。後光さしてるやつ」

「マジか。確かにいい素材じゃなきゃきつそうだな」


 こいつが何に興味を持つかは僕にもわからない。たしか数ヶ月前は石彫で西洋のルネサンス期みたいな彫刻を作っていたはずだ。なぜいきなり阿弥陀如来像を作りたいと思ったのかは謎だ。

 理由はどうあれ、きなこの製作はクオリティがとても高いので、見てみたい気持ちはある。


「どようび、ひま?」

「ああ、暇っちゃ暇だが――」


 普通に行こうと思ったが、あることを思い出してやめた。

 僕は今、上手さんと付き合っているのだ。

 きなこと二人で外出したら、浮気と思われかねない。


「すまん。僕、お前と一緒には行けないわ」

「ん?」

「お前は聞いてないよな。僕……彼女、できたんだよな」

「ん!」


 きなこは驚いていた。どうやらまだ聞いていなかったらしい。きなこの場合、彫刻を彫る以外の時間はほとんど寝ているため、他の女子と会話をする機会もないのだ。


「だからさ、お前と二人で一緒に外出したら、浮気と思われちゃうだろ。わかるよな?」

「んー」

「道案内なら、部長とか美術部の人に頼めよ」

「ユーイにみてほしい」


 美術部の他のメンツが行っても、彫刻経験はないので素材の良し悪しはわからない。本当に道案内だけになる。


「うーん。ちょっと待ってくれないか。彼女と相談してみるから。部活、ってことなら問題ないかもしれない」

「ん!」


 きなこは要件を伝え終わったらしく、さっさと美術室の方向へ走っていった。

 いけない。今日も上手さんと帰るんだ。

 僕は、急いで教室へ戻った。

 しかし、教室には、誰も残っていなかった。


「あー……」


 きなことの校内チェイスにかなりの時間を費やしたので、もう待てないと思われたのだろう。一応スマホを見たが、メッセージは何も届いていなかった。

 仕方ないか。きなこの襲撃はいつ来るか、僕にも予想できないからな。

 諦めて、僕は荷物をまとめ、帰るために教室を出た。


「待て」


 すぐに、野太い男の声で止められた。

 山川だった。あと隣に江草さんもいた。

 江草さんはにこにこ笑っていたが、山川は相変わらず強面で、硬い表情だったので普通に怖かった。


「手荒な真似はしたくないんだが」

「するなって。お前に勝てる訳ないだろが」


 こうして、僕はまた例の家庭科準備室へ連れて行かれたのだった。

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